ダーマの神殿に明日行く予定の耳蝉。

mimisemi2009-12-02

メジャー変えるあれなんだけど、もっとプロセスが複雑かと思ったらっつーかアドバイスが必要だとかいってさ、面倒なのかなー?って思ったら何もチェックせずにサインね。アメリカらしいっつーかちょー適当なんだよね。仮に専攻を変えないでこのままリベラルアーツで卒業した方がいいってなことが仮にあったとしてもまぁ関係無しな感じだね。まぁそんなの自分でやるべきだからまぁいいんだけどさ、ただあまりにもあっさりしてるんで肩すかしを食らった感じだったねっつーかまぁあれだよね、ノリ的にドラクエジョブチェンジぐらいなんだよね。


いや、数学専攻って童貞・処女率が他に比べて高いっつーけどまぁ俺も結果的にその統計にコントリビュートしちゃう形になったよね。いや、別に統計取られないけどさ、まぁあれって視聴率みたいなもんだからさ、何言ってるか分からんかもしれんけどさ、もう12月だね。いや、分かるよ。何かを隠してそうな気がしてない?何か大事があったのになぜか言わないみたいな感じを最近のウォール伝から感じてない?いや、あったのよ。ただまだ言えないんだよね。色々と書いてはいるけどね、まぁそれは別個に貼るわ。完全に終了したらね。どの道、まぁ面白いと思うんで楽しみにしてて。


いや、それ書けないからふつーのブログの更新みたいになっちゃってるんだよね。だからまぁすげーエントリーが普通なわけ。そこが逆に不自然っつーかさ、いや、それは分かるよ。でもまだ書けないんだよなー。まぁとにかくあれだ、なんかね、いや、もう書きたくてたまらないんだけど、先に言っちゃえばまぁ大げさかもしれないんだけどさ、まぁ決めつけ過ぎなのかもしれないんだけど、なんつーか数学に没頭するきっかけになるようなことがあったのね。そのパラダイムシフトが凄いんだけど書けないんだよな。ペニスリングみたいでゴメンよ。あれをつけたまま何回か射精させて、んで三回目ぐらいで外して射精させると気絶するぐらい気持ちいいらしけどでもAVとかで見ないよね。エロ漫画とかでよくあるよね。だから多分都市伝説なんだろう。


いや、数学専攻になったら数学だらけになるよ。マジで。でもまぁ無駄なことやらなくていいっつーのがいいかな。前にも書いたように保健体育的なのとかさ、英語とかね、そういうのはみんな取らなきゃいけないんだけど、それはもう逆にリベラルアーツでやっちゃってるじゃん?終わってるでしょ?だからあとはマスだらけなわけ。マス男さんになれるってことだね。性的にも学科的にも名実共にマスターベーターになれるわけだ。


いや、マジでダーマだね。専攻変えるってそんな感じだわ。いや、今日ダーマに行って手続きはしたんだけど、あのジョブチェンジをさせてくれる神官がいなかったんでまだ無理だったってことね。今日は。だからまぁ明日またダーマに行く感じね。でもまぁいよいよ潰しが効かなくなってきたな。もう後には戻れなくなるよね。まぁもういいんだけどね。これしかないし。でもまぁあれだな、マジでさ、高校までの数学は前にも書いたように算数にするべきだね。みんな数学って算数の延長だと思ってるじゃん?でも違うんだよね。数学はまぁ数を媒体にした哲学だよね。だから哲学好きのやつとかも計算が嫌いだったり情報処理系が嫌いでも全然いける可能性があるんだよね。ラッセルとかホワイトヘッドとかライプニッツとかさ、数学者って哲学者みたいなのと兼業だった人も多いじゃん?所謂、ただの数字オタクって少ないんだよね。逆に。いや、恐らくだけど。多分みんな数で哲学してんだろって感じだよね。


だからまぁ印象としては高校までの数学なんてどうでもいいってことだね。まぁやらなくていいってことじゃないけど、あれはまぁただの算数だね。まぁ微積分とかやるんでしょ?高校で。だったらまぁちょっと違うのかな?ただ全然関係無いよね。因数分解できないからっつって無限って概念が理解できないとかさ、全然関係無いからね。逆に算数できても無限って概念が分からなかったりさ、まだうろ覚えだけど、シグマとかリミットとかさ、虚数とかパイとかもそうじゃん?数列の第一項からN項ってのが分からないって人はいて当たり前だと思うな。それは頭の善し悪しじゃなくて抽象思考ができるかどうか?って話だよね。無限とパイと虚数とルート-1からなる集合が1,2,3,4,の集合にone to one correspondenceで対応してるとかさ、別にアドバンスではないけど、でもまぁすげー概念的だよね。あまりに実体が無さ過ぎる話っつーかさ、だからまぁ俺としては面白いんだよね。リーマンゼータ関数とかもこういう抽象的なことなんでだからまぁ面白いんだろう。逆にただの代数とかって全然興味ないよね。ただ抽象代数学とかになると一気に面白いんで、だからまぁ代数学の基礎やれるんだよね。先が面白いからやれる。


全然仕事でもなんでもなくてこれは知的な遊びっつーかゲームっつーかまぁ知的行動だね。頭の中で曲を作るとかイメージを浮かばせるとかさ、実存とは何か?とかさ、社会とは?とか政治とは?みたいなのを具体的にではなく政治哲学的に抽象的に問うとかっていう、ああいう抽象思考のパラダイムという意味では一緒だよね。ただまぁ数学は絶対的なんだよな。政治哲学とか哲学は一つのオピニオンっつーか思考形態でさ、他にも実存やら政治やらの定義が無数に存在するんだけど、数学って存在しないんだよね。まぁもっともね、無限なんて概念は無いとかっていう話とかになっちゃうとまぁ話が分かれるけどさ、でもまぁあれだよね、哲学って枠が決まってないじゃん?でも数学って枠が決まってるんだよね。でも決まっててんで実際は決まってないんだよね。元がフォーマルだからこそある自由っつーのかな?それがある意味無限なんだよね。終わりなき道っつーかそれこそ数学で言うdivergeみたいな概念と一緒だわ。


哲学はある程度まで行くとスピリチュアルっつーか精神修行みたいになるのに対して数学はひたすら演習的だよね。やることで終わりなき道を歩むっつーのかな?だから全てを知るものみたいなさ、賢者みたいになってあぐらをかけないんだよね。常にやってなきゃいけない。だから悟りとかが無い世界だよね。ひたすら世界が発散し続けている世界だよね。1からnまでの途中が数学だよね。その中にいることができたらまぁ幸せだろうなとは思うよね。まぁ俺としてはボートみたいなイメージがあるな。数学って。今はその漕ぎ方を習おうとしている感じだね。大体の風景は掴めたみたいな、そんな感じがある。イデオローグになるんじゃなかったの?って話もありそうだけどさ、いや、これについてはまた今度話すわ。その今はまだ書けないことと結構繋がってたりするので。


あとあれだ、なんかね、女の子と付き合いたい欲が相変わらず凄くなってるな。可愛い子に電車とかで会って、んでもまぁ話しかけるわけにも行かないからまぁそのままスルーのあの歯がゆさが辛過ぎてまぁどんだけ餓えてんだ?っていう。俺の何かが変わりつつあるね。今までに無い感じだもんな。本当に。なんか今までが爺さんみたいで今は精神的に若くなってる感じがするね。なんだろうな、なんかね、すげー探してたレコードとかがそのまま電車で通り過ぎちゃうみたいな感じ?あ、女の子ね。多分これって性欲とか体調の変化とかじゃなくてあれだよね、精神的な変化だと思うよね。ただちょっとあまりに最近めまぐるしいんでね、まだちょっと自己分析ができてないところはあるよね。ただまぁなんつーかさ、結構さ、人にもよると思うけどなんつーかもうこんぐらいの歳になると落ち着いてくるっつーと変だけど、変な話、家庭とか持ったりする歳じゃん?俺って。


で、もう安定期の序盤みたいなのを始めるぐらいかもしれないのにさ、まぁそんな基準はどうでもいいんだけど、思春期的な不安定な激動ってのが永遠と続いてる感じだよね。辛いことも多々あるけどでもなんつーか人生の強度は凄まじいと思うね。辛いことも含めてまぁ充実してるなとは思えるかな。平凡じゃ無さ過ぎるって意味でまぁ色々あるからさ、しかもイレギュラーに色々なことが起こるからまぁかなり疲れるけど楽しいよね。落ち着きが無いのがいいね。落ち着かないのがいい。生をすげー感じるわ。マジで。多分あれなんだよね、まぁ俺が数学やる理由ってある意味で宗教的っつーか究極のニヒリズムの形体としての宗教かもしれないんだけどさ、さっき書いた1からNにdivergeしていく感じの仮定がそのものでさ、まぁ人生は永遠じゃないけど、でもまぁ船みたいなもんだよね。ビル・ヒックスもrideって形容してるようにさ、そのride自体に意味は無いんだけど、でもどう乗るか?とかどうボートを操縦するか?ってところが人生であり数学だよね。恐らく。


でもまぁーあれかな、俺って音楽でもそうだけどさ、掘り尽くして重箱の隅を突くようなものに行き着くじゃん?テクノ聴き過ぎて他行くとかさ、まぁ別にテクノやめるわけじゃないんだけど、それだけじゃなくなるじゃん?で、色んなものに行ってるじゃん?でもそれは探してるんだよね。ある程度それに慣れて刺激が無くなっちゃうと新しい未知のものに刺激を求めようとしたり、自分をそこから刺激を感じられるように感受性を操作して適応させることでそれを受容したり感受するっていうさ、そのアンテナの周波数みたいなところだよね。そういう意味でさ、俺はまぁ元々テクノだけど現代音楽とかさ、まぁテクノからピュアな電子音楽とかも聴き始めるっつーのはまぁ普通だと思うし、ある意味でまぁ現代音楽の現代型っつーと変だけど、でもまぁ本当にそう言えるかはともかくとしてミルプラトーとかってまぁある意味で現代音楽的な要素もあるじゃん?そういうのを現代でやってる感じだよね。まぁようはモダンってことね。


でもそれとジャズとかモンドって繋がり無いじゃん?サントラとかさ、ボサノバとかイージーリスニングも繋がりないよね?デスメタルブラックメタルも全く関係無いんだな。でもそれに興味を持って聴いてみるんだよね。とりあえず。ガレージロックとかもそうだよね。ロックは嫌いなんだけどガレージロックは大好きなんだよね。俺。まぁベタなものしか聴かないけどねっつーか最近は全然聴いてないけど。で、数学も一緒なんだよね。まぁ哲学との親和性は高いけど、んでもまぁテクノにどっぷりだった俺がちょっとクラシックに興味を持ってるみたいな感じだと思うのよ。だから今までがゼロじゃないんだよね。今までのテクノどっぷりはそのままあるわけ。まぁ俺の10代の音楽遍歴で言うとね。


だから鞍替えじゃないんだよな。テクノを裏切ったとかさ、聴かなくなったとかそういうことじゃないんだよね。他も聴くようになったっていう感じが今の数学だろうなってところだよね。あとまぁ知的好奇心があればまぁ年齢は関係無いなと。プロになるなら10代から一線でやってこないとダメだなんてことは無いね。むしろ学問は大器晩成型のほうがいいんじゃないか?って思うよね。まぁもっとも数学って若いときが旬でさ、歳とるとダメになるってまぁハーディーが書いてることだけどさ、でもまぁ60から趣味で初めてんで80ぐらいで何かを発見したって人もいるぐらいでさ、あとホッブズなんかもそうだよね。ホッブズは逆だったかな?最初数学でんで40過ぎたあたりぐらいからいきなり政治学やり始めたんだよね。どっちだったか忘れたけど。ユークリッド幾何学の本を読んで感銘を受けたって若い頃の話だっけ?それともおっさんになってから?まぁどの道、素敵な話だよね。


でもまぁあれだろうな、数学もある程度やったら先が見えてきたりして思うこともあるんだろうな。でももう探してられないからね。永遠とリベラルアーツ続けて専攻はまだ決めないっつーおっさんモラトリアムでいるわけにもいかないからさ、まぁ専攻は決めなきゃいけないじゃん?だからまぁたまたま時期が良い時期だから数学を選ぶってことだよね。あとまぁ将来的に哲学とか政治学よりかはまぁマシかな?っていう計算もあってってところだけど、まぁどれをやるにしろ違いは無いっつーのはいつも書いてることだよね。


たださ、理解してないけどフェルマーワイルズの定理とかもさ、本当にどうでもいい話だよね。あれを7年やってたとかすげーtrivialityだよね。完全にワイルズって数学オタクじゃん?あの雰囲気が凄まじいよね。あの典型的な知的ナーズの雰囲気っつーの?まぁ数学はパズルが全てだとは思わないけどさ、でもああいうオブセッションってなんで数学じゃなきゃいけないのかな?とも思うよね。同じ数がどうのって話だとレベルは低くなるけどさ、テトリスとかぷよぷよとかさ、あ、まぁいいや、それは無かったことにして、なんつーかワイルズとかってあれだよね、ゲームで言うところのやり込み系だよね。その動画見てるとさ、常人がやろうと思わないやり込みの濃さでさ、やり込み動画とかいって話題になるじゃん?レベルは違えどまぁ一緒だよね。やってることは。ゲームの中で起こっていることっつーのと数学の中で起こっていることってまぁどっちもイデアルということでまぁ客観的な差はないね。数学は割とまぁ学問としてリスペクトされて助成金とかが出る場合もあって、んでゲームは一切無いっていうそれだけだよね。


数学やる人の動機も気になるな。食っていけてパズル感覚の面白みがあるんでそれを生業にしてるのかさ、もうそれが好きでしょうがないのかさ、例えば前者で言えば例えばテトリス学みたいなのがあったとしてまぁ無いけどね、それを極めることでなぜか権威とかさ、お金とかがもらえて人からリスペクトされれば人って動機づけられるよね?例えば古くてあれだけど、ときメモ思い出したんだけどさ、こういう条件で何々の日にこうしているとこういうイベントが起きるとかさ、ああいうのってどーでもいい話じゃん?でも攻略本とかさ、すげー分析的じゃん?ゲームっつーどうでもいいことに関する膨大な分析データだよね。あれが数学の場合論文なんじゃないか?っつーそんぐらいの差だよね。特に純粋数学の意味の無さは凄まじいね。まぁ知らなかったことを発見したりパターンを見つけ出すという意味ではデータというパラダイムの中で分析をして分析結果を発表したり、分析の中で見えてきたパターンとか発見を発表するって意味ではまぁゲームの攻略本とあんま変わらないよね。だったらこんぐらいのレベルで考えている人はときメモの分析で食えてたらときメモの分析をやるんだろうな。本当に数学が好きなやつはときメモで食えても食えない数学をやるだろうね。いや、ときメモで食えるって世界があったとして、んでその世界では数学じゃ食えないっつー前提だったとしてもね、ときメモを選ばずに数学やってるやつってまぁ頭おかしいよね。結構。


頭おかしくないって言えるのがようはアカデミアっつーかさ、学問っつー権威だよね。ああいうのがなかったら結構な気違い沙汰だよね。数学って。まぁもっともね、全く意味が無いとされていた素数系の話が今となってはセキュリティーに使われてるとかさ、そういう目的でやってなくてただ興味があるからやってただけっつーのの研究結果とかが他にも応用できたりするっつーのがまぁあるからさ、だからまぁ意味が無いとは言い切れないんだけど、でもまぁあの素数系のどうでもよさといったら凄いね。「んでなんなの結局?」って言われたら全部終わっちゃうんだよね。でもあれなんだよね、多分ね、例えばあのパスカルの三角形ってあるじゃん?で、あれがさ、まぁ後になって分かったことだけど、4C2とかっていうさ、バリエーションを計算するアレあるじゃん?4つ席があってんで4人いて何通りの組み合わせが可能だろうか?みたいなことがさ、説明が適当でアレなんだけど、パスカルの三角形を見れば答えが分かるんだよね。Qnr=nCrっつーやつね。これとかまぁどうでもいいんだけど凄いんだよ。単純に。「えー!!」っつー凄さがある。そのレベルがぷよぷよの連鎖とかっていうレベルじゃないからだからまぁどうでもよくないのね。だからまぁ数学好きっているんだと思うんだなっていう面白さがいっぱいあるのね。それこそ人間が作ったようなゲームみたいなのって一生遊べないじゃん?でも数学ってゲームは一生遊べるんだよね。それは神が作ったゲームだからだよねってまぁGod created the integersってことなんだけどさ、なんかのシステムなり法則なりなんなりっつーものの中に生きてたりそれの下僕だったりするものがそのシステム自体にawarenessを持つっつーことが科学ってことなんだと思うんだけど、数学はその最たるもんだよね。


マンデルブロ集合がアートに見えるとかってパターンに美を感じるってことだと思うんだよね。あれはビジュアル的に凄いけど、んで数学って抽象度が高い人ならその細部を見るだけで全体とかさ、少なくともその部分からその系統における全体像とかが見えたりして、だからまぁ美を感じたりすると思うのね。それが驚きであったり美しさであったりさ、所謂、まぁ数学者の詭弁とか弁明じゃないんだよね。数学における美って。抽象画って綺麗って人もいるじゃん?あれと一緒ね。ああいうのが頭でイメージできる人は数式を見るとアートを見てるような気持ちになる。その感覚が俺にはあったんでだからやれるだろうなっつー確信があるんだよね。数学得意だったからそのまま流れで専攻にしたみたいなことじゃなくて進んでやってるじゃん?選んであえてやってるでしょ?いや、まぁその行動自体に意味は無いんだけど、んでも綺麗だからとか面白いからって動機付けがあればこれに超したことは無いよね。ただの計算が得意なやつより明らかに秀でてるって言えると思うのね。ようは感性の世界だからね。そういう意味で数学が芸術と一緒だって言われるのは本当に最近理解できるようになった。所謂、分かってるフリをして数学者ぶっているんじゃなくて、本当にハーディーとか詩人じゃなければ数学はできないって言ってるWeierstrassとの言ってることが本当によく理解できるってことなのね。本当にそうだよねっていう。


感性が無いとただの数字の下僕になるだけってことなんだと思うよね。そういう意味でまぁこの数学が楽しい感覚ってまぁ学校じゃ教われないだろうなって思うね。まぁ教師はそのきっかけを与えるべきだと思うんだけど、まぁなかなか難しい話だなと。抽象画とかの素晴らしさとか美しさを押し売りするわけにはいかないじゃん?ただでも数学って抽象画のように見えて、あそこまでわけがわからなくはないんだよね。相当具体的なんだよね。具体的な抽象だから面白いんだよね。究極的なイデアルのフォームというかなんというか。


ってことでまぁそんな感じで。意外と数学について書くと出てくるもんだね。


あ、んで書き忘れたけどさ、いつもそうだけどセメスターの後半になってやっと美女発見!ってあるじゃん?まぁあれってセカンダリーグループ的な親和性による心理的効果も補正としてあるとは思うんだけど数学で可愛い子がいるんだよね。そうでもないか?とかって思ってたレベルなんだけど意外と可愛かったっていう。でも気づくの遅いよっていう、あと関係無いけどさ、ガキの使いってそれだけでなんつーか価値のある映像作品として図書館とかに保存されてたりさ、誰でもいつでも観覧できるようにしておいたほうがいいぐらいのレベルの映像ってあるじゃん?遠藤たけしミニマリズムとかさ、ハイテンションとか七変化とか山ちゃん卒業とかもそうなんだけどっつーか松っちゃんが関わるのってまぁ芸術的なお笑いの価値があるのって多いじゃん?大日本人とかもモロにそうだよね。映画って括りで言うとおかしなことになるけど、ビジュアルバムとかを映画レベルでやったっていう感じでしょ?そういう意味で全然納得できるんだよね。映画としてどうか?っつーよりかは松っちゃんの映像作品としてどうか?ってところで他とは比べられないじゃん?


で、前置きが長くなったけど、そのアーカイヴレベルの映像がテイテイおじさんね。あれは一種の完璧なアートフォームだよね。あの人が面白いかはともかくとしてっつーか一番のりって虎ノ門に出てたことがあってさ、走り高跳びをシュールな雰囲気でやってたのを思い出したけど、んでもモロにおっさん化したのがすげー良い効果になってるよね。なんかあの独立した感じが好きだな。あの人が好きでやってることが面白いから好きっつーよりかはさ、あれだよね、シェイクスピアのさ、彼女の美しさは私の詩とともに永遠と刻まれるみたいなリリカルでキザなeternnityってあるじゃん?そういうのが松っちゃんが関わってるお笑いに関してはあるってことね。仮にそういうのをやった芸人がつまらなかったり落ち目になってたりしても、その時の瞬間の映像の素晴らしさってのは永遠のクオリティを保つんだよね。だから別に新宿カウボーイだかの人が実際はつまらなかろうが関係無いのね。テイテイおじさんは永遠に刻まれたものだよね。その瞬間に刻まれる完全なアートフォームね。


で、マニアックで恐縮だけど、レベルは違うけどへらちょんぺってこういう型の芸をする人なんだよね。瞬間芸ってことが言いたかったってことじゃなくてね、松っちゃんのお笑いが瞬間芸とかね、瞬間に刻まれるものが瞬間芸ってことじゃなくて、へらちょんぺもね、深夜の1コーナーとかでアーカイヴレベルのものを残してたりするんだよね。ただ評価が低過ぎるんだよな。タオルで遊ぼとかあれは本当に凄いんだよな。素でやってんのか分からないけど途中でネタ尽きて顔が焦りだして目が泳ぎだしたりするのとかさ、凄いんだよね。アートなんだよな。山ちゃんってある意味まぁへらちょんぺとは言わないけど、ダウンタウンに飼われてるへらちょんぺだよね。ダウンタウンの側に居れば面白さが出るっていう奇跡の人なんだよね。山ちゃん。だから単体だと全然面白くないのね。他の番組とかに出ると菅ちゃんが言うようにマジで困った中年芸人なんだよね。でもダウンタウンにいじられたりガキのコーナーを使うと松ちゃんでもかなわない凄まじい笑いを作るんだよね。あの微妙なアンバランスな天才加減が凄いんだよね。完璧じゃないところが凄い。


あとまぁやっぱ芸術性で言うと鳥居みゆきだろう。まぁ俺はまだとりみー好きだよね。テレビの仕事はなんとなくやりつつちゃんと自分の笑いを追求してるんで凄くリスペクトできる。松っちゃんが昔「高い」って言ってたレベルのお笑いって少ないじゃん?お笑いブームの笑いなんて大抵が低いよね。低いからブームになったわけで。ただブームの中にも高いものはあるんでね、一緒に見えるかもしれないけど違うんだよね。で、そういうのは残ると思うのね。俺は。まぁフォークダンスとか底抜けエアラインとかそうじゃないのもいるんだけどね。ようは凄くて面白いのに波に乗れなくて消えたとか一人で地味にやってるとかっていう芸人とかコンビもいるってことね。旬とかさ、若手ってことばかりを強調してどんどんテレビに出すのはおかしくてさ、逆に今の鈍ったような温い客に本当の笑いを見せてやる機会があってもいいのね。ようはそういう番組が増えてるならさ、ボキャブラ世代とかで微妙に乗り遅れたけど芸とかネタ自体は面白いし知らない新しい層に見せる価値があるものってあると思うのね。いや、若手よりそっちのほうがあると思うんだよな。レッドカーペットとかでもさ、そういう乗り遅れ芸人みたいなコーナーを設けてもいいと思うよね。実は面白かった芸人みたいな。


あ、もういいや。書きたいこと書いたんで。