Liberal ArtsとServile Arts。

mimisemi2009-12-19

Josef PieperのLeisure, the basic of cultureを読み終えたんだけどっつーかかなりラフにささっと読んだんだけどまぁ大体一緒だわな。俺の言ってることと。レジャーってのが文化を作るってのはまぁある意味で自明でさ、まぁPieperのほうが先祖っつーかさ、半世紀前にこれを書いてたんだから最初のプロタゴニストなんだけど、まぁ例えば文化っつーかなんつーかな?映画にせよ文化にせよ極端な話、アニメにせよ音楽にせよまぁ大抵の文化ってのは暇を使って費やされるものによって作られるものというか、まぁ暇を利用して楽しんだりするものが文化だよね。まぁ古くは茶道とかがそうじゃない?やらなきゃいけないことじゃなくて個人的にやることだよね。それが文化なわけだ。学問然り。


で、レジャーが無くなると人間も文化も社会もダメになるってまぁそこまでPieperが言ってるかはともかくとして、まぁこれも自明だよね。だってそりゃー働いてばっかじゃ誰も消費できないしさ、文化的なものにお金を使えないじゃん?誰が時間のない中美術館に行くの?ってことだよね。まぁ忙しさっつーかビジーネスってビジネスじゃん?まぁ言葉遊びだけどさ、そんなビジーネスに追われる毎日じゃそりゃー文化も廃れるわな。もしくは刹那的なその場凌ぎの誤摩化しが文化になる。上辺だけの音楽然り萌えに傾倒し過ぎなアニメ然り。


文化ってもっと味わうものじゃん?茶道だよね。抜くもんでも萌えるもんでも消費を楽しむもんでも流行を追うもんでもない。でもまぁそういう安っぽいものに大衆が傾きがちになるのはどこも一緒だよね。アメリカも全然一緒。ニューヨーカーとかいってまぁみんなファッションとかも真似してるだけだからね。奇抜なタイプも奇抜な傾倒がある。それはいつも書いてることだけど。すんげーだからステレオタイプだよ。ニューヨークカルチャーって。いや、足突っ込んでないから分からないけどさ、まぁ昔みたいなラディカルさは一切無いね。すんげーある意味でアメリカ資本主義的だね。


あ、んでまぁ経済を回すためにも暇は必要だけどさ、まぁ示唆的だよね。もっと労働効率上げて実働を週四ぐらいにして残りの三日はレジャーに時間を使うようにすれば暇になった人達が金と時間を持て余して消費に走ることになるだろう。まぁそれが経済を回すカンフル剤になるっつーのは多分定説だと思うけどまぁ当たり前のことだよね。ちゃんとした賃金で週三日の休みがあれば誰だって消費するよ。俺だって消費するもん。こんな限られた仕送りの中からでも時間があると消費するんだよね。忙しかったら何も出来ないのはよく分かるよね。


あとまぁあれだ、The philosophical actってやつもあるんだけどね、Leisureの後に続くやつなんだけどさ、続くっつーか太宰の本とかが斜陽とか言って入ってるの斜陽だけじゃなかったりするじゃん?それと一緒なんだけどこっちはまぁ本当にあれだね、シュトラウスっぽいっつーかphilosophizingとは?みたいなさ、それは日々のworking worldから離れて行うものだみたいなさ、まぁ苫米地用語使えばまぁ抽象度を高めるってことだわな。日常の次元は抽象度が低い。仕事しなきゃいけないだとか電話しなきゃいけないだとかメールしなきゃいけないだとかそれだけじゃん?だからこそそれだけになると単純になるんだよね。それこそ日々の奴隷みたいになる。そういった生活から魂を解放させるのが哲学でありliberal artなんだってことなんだよね。それはリベラルアーツっつー複数形じゃなくて哲学そのものがリベラルアートってことなのね。


そのコンセプトに沿ったものがリベラルアーツなわけだ。でも実際、学校で行われてるのはservile artsじゃん?それはいつも俺が書いてるようにさ、そういった抽象度の低いレベルから脱却するためのアーツなのにさ、奴隷アーツになっちゃってるんだよね。学校が。ある意味でまぁ教師とかシステムっつー権力とか権力構造に従属するっつーかさ、従うことじゃん?従うことによってその適正値がGPAとして出るんだよね。適応値とも言うべきか。もっともクリエイティブな先生とかレベルの高い学校なら違うんだろうけど、まぁ大体はこうだろうね。システムに従順なやつを作り出す権力機構だよね。それがリベラルアーツの名の下で行われてるとかもうイデオロギー装置を利用した洗脳だよね。


ある意味でこれはまぁ民主主義的な虚構と似てるかもね。自由なんだ、自分達に選択権があるんだ!みたいに思わせておいて実際は違うみたいなさ、自由っつー思想のパッケージを利用して自由なんだと思わせておいてそれで洗脳して動けなくするってある意味で最強だよね。自分が自由だと本人は思い込んでるから変えようとしないじゃん?それが怖いよね。実際は自由なんて無いか限られてるのにさ、根本の奴隷システムを「そういうもんだ」って思い込むことでまぁ疑問を抱かせないようにするっつーのかな?で、ちょっと賢いやつはそこでエフィカシーを利用してさ、システムを利用して得点稼ぎをしようとするっつーかさ、学校で言えば自分のGPAを上げることが自分の自由への道なんだ!っていうようなさ、リベラルアーツっつーかリベラルロードだよね。奴隷がコロシアムに通ってバトルを繰り広げて自由な市民になろうとしてるっつーのがまぁ大学の現状だろう。そんな風にしか見えないね。「庭師なんてもうこりごりだからこうやって学校に通ってるんだ」とかってやつ普通にいるからね。まぁ彼にとって選択肢は無いよね。学校行かなきゃ庭師でさ、学校行けばホワイトカラーとかになれるかもしれないわけじゃん?その賃金の違いを求めて苦労してでも学歴を取ろうとするんだよね。俺もそうだけどね。


引き蘢りは続けてられないんで、引き蘢りつつお金を稼ぐには?っていうとまぁ第一歩として学歴があるよね。そこで一気に論文書いて凄くなるとかさ、飛び級してすんげー大学入るとかさ、そういうのが俺には無理なのは分かってるじゃん?だからコツコツとやるしかないんだよね。今やらなきゃいけないことは今やらなきゃいけないって感じ?ただまぁ自由時間を無駄に過ごさずに内面を耕すことに使うっていうね、まぁモラトリアムだけどね。


あ、んで今日書こうと思ったのはさ、前に散々つまらないって批判したグレート・ギャツビーなんだけどさ、まさしく俺がトムだったっけ?あの主人公とほぼ一緒でサイモンがギャツビーだったみたいな話だよね。ギャツビーはまぁ最初は堅気だったんだけどまぁ富を求めるがあまりまぁ堅気じゃ無くなったわけじゃん?サイモンは最初から堅気じゃないし人を騙して生活してるからさ、ギャツビーはまぁイリーガルでもビジネスじゃん?密輸とかでしょ?Bootleggerね。でさ、ギャツビーが実際はグレートでも義太夫でもなかったっていうさ、そういう皮肉がタイトルにもなってるんだけど、あのトムがさ、「ギャツビーは凄いやつなんだ!」ってナイーブに思う感じが俺にそっくりだよね。トムもさ、小説の最初で「自分は他では探せないぐらいレアな正直もので、正直だったり誠実だったりするということが自分の美徳だ」みたいに言ってるじゃん?まぁ俺はトムじゃなくてニックか。なんでトムなんだ?まぁいいや。ニックね。まぁ俺はニックほどの正直ものじゃないしてもまぁあのナイーヴさは一緒だよね。


で、ギャツビーってさ、俺がまぁ似たような経験したから思ったんだけど、ジャズエイジの虚構とかさ、ギャツビーの虚しさとかもあるんだけど、あれなんだよね、根本的にはさ、虚構の権化みたいな人間にファンタジーを抱いていたニックのファンタジーの崩壊なんだよね。だんだん「おかしいぞ?」ってことになってきてさ、んで最後にそのファンタジーが完全に崩壊するってまぁピアノティーチャーにも構図は似てるよね。ピアノティーチャーの場合、その虚構なりファンタジーが性でさ、それが本当に現実化したときに地獄絵図みたいになるっつーようなことだけど、ギャツビーの場合、まぁ完全な思い違いだよね。豪邸に住んでて成功しててさ、すげーやつだ!ってニックが思い込んでいたっていうさ、その実際のギャツビーの俗ものっぷりとニックの崇拝っぷりのギャップが凄まじいっていうね、その悲しさをニックが語るわけじゃん?それがグレート・ギャツビーだよね。


俺の場合、ヤツの家もなかったってことでさ、しかも財布なくしたとか鍵なくしたとかよくよく考えてみればすんげー古風でベタなやり方にハマったわけでさ、完全に俺がアホだったよね。でもそれ以上にやっぱ俺のナイーヴさがあるな。「おかしいぞ?」って部分を学問について詳しいとかってことで誤摩化すっつーかかき消しちゃってさ、それってニックがギャツビーの家とかを見て感嘆してるのと同じレベルだよね。まぁもっともギャツビーは家があるからあれだけどさ、でもまぁあれじゃん?仮にサイモンに家があっても詐欺のビジネスで豪邸建てましたとかだったらまぁほとんど一緒じゃん?富の実態があるかないか?の差なんであってまぁ人間的には似たようなもんだよね。まぁギャツビーは詐欺師じゃないから全然マシだけどね。サイモンは地獄に堕ちても採算が合わないぐらいのことしてるからね。哀れでしょうがない。ギャツビーは富があってさ、リッチな生活してるけどサイモンってあれじゃん?実際ホームレスじゃん?ギャンブル癖があってお金をすぐ使っちゃうとかあ、あれで蓄えてればアレだけど、そんげーその日暮らしじゃん?


で、電話代も払えないとかさ、ホームレスがやることないっつーんで詐欺師になってるようなもんでさ、キャッチミーイフユーキャンみたいな華麗さがないよね。本人はああいうプロの詐欺師のつもりなんだけど実際はすげー惨めだよね。キャッチミーはある意味ですんげー金稼いでるじゃん?まぁ詐欺師ってことで一緒だから嫌だけどさ、サイモンって常に文無しだからね。で、金が無いとかさ、宿がないとかメシが食えない!ってことにいつも怯えてたりさ、あとまぁ俺の家来たときもそうだったけど、水を出しても怖がって飲まなかったりさ、警察に通報されたかと勘違いしていきなりいなくなるとかさ、俺のパソコンを借りるフリして俺のメールとか全部チェックしてるとかさ、全然ハッピーじゃないよね。詐欺やって消えてんでもう5年ぐらい遊んで暮らせるとかだったらまぁ変な言い方だけどまぁ華麗なんだけどさ、サイモンの場合、大っぴらにやらないっつーのがまぁ彼の手法なんだろうけど、ケチな方法でダマしてはその日暮らしで食いつなぐって性根の腐ったホームレスだよね。


人の善意を期待して乞食やってるならまだあれだけど人の善意を利用して金をだまし取るとかってもう人間的に終わってるよね。常に警察に怯えててさ、誰かから金をもらわなきゃやってけないっつーんで常に携帯を気にするとかさ、どっかに行っては獲物を見つけるとかさ、代わってくれって言われてもやらないよね。バレない詐欺で数億稼いだやつの代わりをやってくれって言われたら微妙じゃん?やったのは詐欺だけど証拠が無くて一生遊んで暮らせる金があるってまぁオーシャンズイレブンみたいな話じゃん?まぁ詐欺は詐欺で肯定はできないけどさ、サイモンって苦労してる割に全然報われてないって言い方をするとあれだけど、明らかに大変だよね。生活が。それこそ普通に堅気に戻って働いたほうがマシな生活できそうなもんなのにさっつーかまぁ無理だろうけどね、ただなんつーか詐欺みたいな手法を選んでる割に対して儲けてないっつーのが情けないよね。本当にケチな詐欺師だよな。


非合法臭いのって儲かるからやるわけじゃん?普通じゃ手に入れられないようなお金をさ、非合法なやり方で稼ぐってまぁそれってギャツビーだよね。でもサイモンってロクでもないことしかしてないくせにホームレスから脱却できないっつーさ、あんなの一生続けるつもりなのかな?って思っちゃうよね。カナダではもうダメでさ、んでニュージーランドとかでもバックパッカーだかを騙したとかでニュースになってたみたいだし、メキシコでもやってるっつーからさ、まぁそのうちダメになるよね。でもアメリカの場合、法に違反してないなら何やってもオッケーだからまぁだからアメリカが一番いいんだろうな。ああいうことやってても警察が被害者に「バカじゃねぇの?次からは気をつけな!」で終わるからさ、いや、それで言ったら日本のオレオレ詐欺とかって摘発できないことになるよね?


まぁ額が大きいからアレなんだろうけどさ、あれだって別に強迫してるわけじゃないからね。アメリカンポリスのロジックを使えば合法ビジネスだろう。でもお年寄りとかが騙されてるっつーんでこりゃーいかん!ってことで警察が動いてるわけじゃん?いや、そういうもんだと思って俺も警察に行ったんだけど、あんな対応されると思わなかったね。電話しても放置されるとかありえねぇーよな。こんだけルーズだからイリーガルな移民ともどんどん来るんだよね。偽造パスポートなんて普通に作れるしさ、そういうのをビジネスにしてるっつーのが摘発されないっつーか存在してるわけだしさ、堅気のやつだって偽ソーシャルとか使って働いたりしてるぐらいだからね、すんげールーズだよね。そういうのでもやってけるっつーのがある意味凄い。だから詐欺師もやってけるわけだ。全部自己責任で終わるっつーかさ、「気をつけな!」で終わるからね。


その割に法に書いてないことをいきなり実行したりするじゃん?オバマがさ、あのウォールストリートのボーナスだかに怒ってなんかやったじゃん?だいぶ前に。で、あれって確か法的には出来ないってことを強引に押し進めていきなりやっちゃったんだよね。あれってまぁシュミットが言ってたような決断主義そのものじゃないの?っていうさ、例外状態では権力は何やってもオッケーなんだよね。それは例外状態であるからね。すげーよな。アメリカ。あんなの普通にやってのけちゃうんだもんな。ならず者国家とはアメリカのことで北朝鮮のことではないよね。まぁ北朝鮮独裁国家でアメリカの場合、民主国家なのにやたら国が主権振り回してて、んで国民も血の気が多いみたいな野蛮な国家だよね。何年おきに戦争やらないと在庫が減らないからキャンペーンやって戦争するとかさ、民主主義の成れの果てだよね。金のために戦争をする国家だもんな。そういうアメリカの国家のキャラクターを見てると911とかもやりかねない勢いがあるからね。金のためにあれだけ人をガンガン殺戮してきた国家がさ、次の標的は自国民だっつってもまぁやりそうじゃん?北朝鮮ならやるじゃん?ってことはアメリカもやるってことだよね。アメリカが善かったことなんて歴史上一度もないわけで。先住民を虐殺してできた国だからね、侵略と強奪は十八番なんだよね。


こんだけ酷い歴史があるからデモクラシーとか自由っつー風説流さないとただのナチスみたいな強力な国家になっちゃうじゃん?国民がハッピーでみんなリッチなら他国を侵略してもいいんだよね。オリエンタリズム的にさ、第三国なんて明らかに差別的に見てるわけでさ、命を計りにかけたら第三国の人間の命なんて家畜程度にしか考えてないでしょ?まぁ侵略国家とかさ、植民地国家が考えることは一緒だよね。だからこそ第三国がリッチになってきてさ、独立したりむしろ先進国と競争とかし始めたらいいんだよね。まぁ搾取が無くなるとは思わないけど、でも第三国が先進国になるっつーのはいいことだよね。搾取で食ってってるような連中がやってけなくなるってまぁ全体として考えればいいことだよね。まぁ当事者としては仕事が無くなってさ、失業率も上がるってことなんだけど、ヤクザな商売をやることで成り立ってる失業率の低さなんてまやかしだよね。そんなの最初から無くした方がいい。


サラ金業者も就職先の一つだ!みたいに考えるのと同じことじゃん?でも問題は搾取に加担してるのって意外とその搾取されてる側の国にいる現地の富豪とかビジネスマンだったりするんだよね。そいつが仲介して搾取をやってるみたいなね、アメリカとしても儲かるしそいつとしても儲かるから最高なわけだよね。そういう意味でまぁ現地に現地人のエージェントがいくらでもいるっつーのがまぁ難しくしてるよね。一概にアメリカだの先進国だのって言えないようなところもあるからね。基本的にまぁみんなビジーなんだよね。金が無いと死ぬから身を守るのに必死。人権とかはその上に成り立ってるわけで。


まぁホッブズリバイアサン的な考え方だよね。人権ってのがルソーみたいなのが言うようにさ、生まれつきあるものっつーよりかはステイツによって提供されて保全されてるもんなんだよってことなんだよね。だからステイツへの服従は当たり前どころかその人権の概念さえも民主主義なりステイツが作り出すイデオロギーなりイデオロギー装置なりを経由して作られてるっていうさ、本当の人権ってのを主張したらまぁまずホームレスとかありえないからね。いかにそういう概念が虚構か?ってのがよく分かる。まぁ社会を走らせるための機能の一つだよね。人権って。ヒューマンライツウォッチとかいってさ、どっかで虐殺がありましたっつったってその背後にはミリタリーコンプレックスなりさ、各国のステイクホルダ―なりなんなりが絡んでるわけじゃん?そこの国家なりなんかが独立してむやみやたらに人間を殺害することなんてないわけでさ、みんな大体政治が絡んでるじゃん?


で、政治学ってそういうのを止めることとか出来ないからねっつーか全然違うブランチだよね。虐殺とか侵略とか人権侵害は防げないっつーか政治学は何も出来ないよね。だから政治学とか特に政治哲学は評論とかトトカルチョとかになりがちなんだよね。分析っつってこうなりますからあーなるでしょーみたいな予想しか出来なくてさ、実際、国を動かしたり社会を動かしたり政治を動かしたりしてるのって権力者じゃん?で、人々はその権力闘争なり社会っつーシステムから完全に疎外されてるんだよね。マルクスが言う疎外だよね。それに抗うために革命だの武装蜂起だ!っつっても仮に武力で権力を制圧したところでまた出てくるのって似たような権力者と社会じゃん?まぁミヘルズの寡頭政の鉄則だよね。


だから結局そうなるってことで今の現状のアメリカとか先進各国みたいな資本主義モデルで危ないながらもなんとか回ってるって社会がまぁ考えられる上で一番マシなモデルだろうってことになっちゃうんだよね。どの道、一緒だからね。内乱とか起きてないだけマシでしょっていうね。内乱が起きてたり独裁が続いてたりっていうレベルだと革命は有効な手段だけどさ、その先になるともうダメだよね。その先にあるのが独裁者とかじゃなくてさ、システムになるじゃん?資本主義打破!っつって無理でしょ?オルタナティブがあってそれを実行するための革命ならいいけどさ、そういうのってないじゃん?戦前の右翼もそうだったよね。クーデターはきっかけに過ぎないってことで本人達は革命後の社会とかって考えてなかったんだよね。それだとまぁダメなんだよな。結局。北一輝は別にしてもさ。


いや、仮に俺がさ、んじゃあ仮に資本主義的国家が革命によって打破されましたっつってさ、んじゃあ他の社会システムをインストールしてくださいって言われても分からないからね。だからまぁ結局資本主義の能力主義社会しかないだろうっていう。まぁ機械の平等がもっと提供されていればこれぐらいしかないだろうなって話だよねっつーかもうやめるわ。また話が似通ってきたわ。結局、俺ってここから進歩してないっつーかもう壁なのかな?これ以上無理っていう。まぁそれが分かっただけいいんだけどね、ただもっと勉強すればオルナタティヴを構築できる!とかっていう望みがゼロなのが悲しいよね。だからある意味で政治哲学とかってPolitical Literatureだよね。まぁ俺は好きだけどもさ、ただプラクティカルさがゼロなのって嫌だしさ、俺に実行不可能とかってのが嫌なんだよね。考えついても出来ないっつーのはすげー嫌だよね。そうなるとまぁ活動家ぐらいしかなくなるよね。やることが。で、影響とかやれることも限られると。結局、だかあまぁ政治的アパシーに陥ってる人達と変わらなくなっちゃうんだよね。結局まぁ何もしないっていう。


何も出来ないということが分かったってことだよね。自分の知識が社会的なアウトプットにならないってのは相当歯がゆいよね。だから「好きでやってます」とかしか言えない。「社会を変えるため」とかナイーヴなこと言ってられなくなるんだよな。まぁでも行動主義の過激派とかになるよりマシだよね。ちょっとそういうとこでネグリ好きなんだよね。若いときは結構武闘派だったんだよね?あの人。サイードとかもさ、レベルは違えどどっかの大使館に投石してたとかさ、アンガージュマン的に見えるかもしれないっつーかまぁチョムスキーも捕まったことあったと思うんだけど、でも何も生み出してないよね。ああいうリーダーは必要だしアンガージュマンは必要だけど、結局、人々がついていかないと何も変わらないじゃん?だからなんつーか知識人が先頭に立ってもダメなんだよね。むしろレーニン的な前衛にならないとダメなわけで。でもそれはリスキーだから誰もやらないんだよね。やっても先が見えてるから誰もやらない。ましてや時代が王朝とか独裁国家とかって感じじゃないから時代遅れもいいところだよね。


そうなるともう自治しか無くなるよね。ネットとか情報系を利用した自治ね。金も国家的なのを介在させないでも回るみたいな社会モデルというよりかは自治モデルだよね。会社行かなくても何かのやりとりとかで生きていけるみたいなさ、あとは大金を稼がなくてもそこそこやっていけるビジネスとかさ、そういうのしかないよね。まぁそれが中間団体主義でアナーキズムと繋がるわけだけどもういいや。半年前と言ってることが変わらないし繰り返しになるからもうやめるわ。ただあれだわ、今は同じくPieperのIn Defense of Philosophyを読んでるんだけどさ、Pieperがこの本で言うようにさ、哲学ってのは世界を支配するためにあるんじゃなくて理解するためにあるんだよね。そういう意味でまぁ完全とは言わないまでも何も出来ないことが分かったってのも理解の一つじゃん?まぁある意味でだから哲学そのものは達成されてるよね。知らないのは嫌だから何も出来なくても知りたい。まぁそれで十分なんだよな。少なくとも俺にとっては。数学も全く同じ動機でやるからね。ただ知りたいだけっていう。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。

Leisure: The Basis of Culture

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余暇と祝祭 (講談社学術文庫)

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In Defense of Philosophy

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