いかに労働が尊いってことが幻想なのか?ってなことを。

mimisemi2010-01-22

はい。では昨日からの続きっていうかもう今日で最後です。


で、今日(っつーか昨日ね)「最近のやりとりを見ていてmimisemiさんはもうこのブログを通してのメッセージは無くなったのだと感じました。」という書き込みがあったけど、なんか失望させちゃったのかな?っつーかこんな最中にまた煽るようなエントリーを書いて申し訳ないんだけど基本的に書いたもんは全部アップするっつーコンセプトでやってるんで調整とかしないのね。まぁこれは書き込んでくれた人に対する返事ではないんだけど、やっぱ書いてるのが蓄積するとメッセージ性って出てくるもんなんだね。俺はメッセージを伝えようとしてやっているわけじゃないんだけど、総体として見ると解釈によってはメッセージ性が出たりするっていうことだよね。一回一回の刹那的な思考のスライスがウォール伝だけど、全体で見るとハムになるのかな?スライスされてないチーズっつーか。まぁ今回のエントリーもまたスライスなんだけどね。それは既存の個体からスライスされているものではなく、常に新しいスライスが出てきているという感じだね。まぁ生成だわな。オートポイエーシスとかいうとちょっとかっこよくなるけど。


なんだろうな?例えばさっき引用した「メッセージは無くなったのだ」という書き込みもさっぱり俺自身が「なにー!」って来ないんだよね。それこそ思考のスライスなんで俺は全体を担ってないからね。無責任な話だけどウォール伝ってさっきも書いたように思考のスライスが常に連続しているだけだから総体的な何かを求められても困るし、そんなものは無いんだよね。まぁさっきも書いたようにあえて全体を見渡せば俺の思考の全体像ってのが分かるのかもしれないけど、そりゃーまぁ恐らく整合性という意味だと矛盾だらけだし、しょっちゅう意見も変わってると思うけど、まぁ自信あるっつーと変だけど、まぁ根底は変わらないよね。3つ子の魂百まで的な根幹の部分は変わってない。まぁ別に弁明とかじゃなくてね。


なんだろうな?例えば過去のエントリーに対して返信が来たとしたら俺はそのときの俺とまた向かい合わなきゃいけないんだよね。俺がそのエントリーについてどういうことを考えてどういう状況で書いたんだろうか?ってのを思い出さなきゃいけない。だからある意味でその時の俺とも向かい合ってるんだよね。で、その当時、俺が考えていたことを例えばコメントをくれた人に返事するとかさ、それは俺が返事してるっつーよりかはそのエントリーを書いた当時の俺と今の俺とコメントをくれた人っつー三角関係っつーと変だけど、時空を超えたっつーと変だけどまぁ主観的な時間を越えたコミュニケーションが介在してるよね。


なのでまぁメッセージと言われてもしっくり来ないんだな。そんな全体で伝えようとしていることは無いからさ、まぁこれも前に書いたまぁエクリチュールと解釈だよね。読み手がメッセージを感じていたとしても不思議じゃないけどメッセージを意図的に込めてない書き手側としてはそれがどういうメッセージなのか分からないんだよね。だから変な話、すげー興味あるんだよね。この人はどういうメッセージをウォール伝から感じていたんだろうか?って。メールで聞ければいいなとは思うんだけど。いや、バカにしてないよ。今回はバカバカと色々と書いたけど全然そういう意図は無い。


でもあれだよね、逆に仮にメッセージ性があったとしたらある意味で整合性があるってことにもなるよね。主張がポンポン変わっているのではなく何かしらの具体的な根幹みたいなのがやっぱあるんだろうな。そういう意味だとまぁ嬉しいんだけどね。で、何によってそれが無くなってしまったのか?ってのがすげー気になるよね。今回色々書いたことで新しい主張って一切無いからね。それこそ俺が耳ラボ時代から書いてたようなことだよね。新しく色々と本を読んで得た知識から編み出した何かとかそんなの一切無いよね。それこそ俺が16だった頃に考えていたこととほとんどまぁ変わらないよね。


とにかくまぁあれだな、今回書けて良かったなと思ったのはさ、まぁ読み手に伝わってるかどうかはともかくとしてまぁヴォルテールのさ、あなたがどんな人間であろうがあなたの言論の自由は私は死んででも守るみたいなさ、これのまぁ「生きる自由」バージョンだよね。サイモンみたいな詐欺師はともかくとして軽蔑したくなるようなタイプのニートでもそいつの自由ってのは絶対保証されてないといけない。そいつがニートやってるならそれでいいでしょ?っていうことだよね。で、別にニートが企業戦士を批判してもいいと。社会にコミットしてないとか働いてないからってことで社会にいる人達を批判できないなんてことはおかしいわけで。企業戦士がニート批判するのはもっともでニートが企業戦士批判しちゃいけないのはおかしいってオリエンタリズム的な構造で考えると分かりやすいよね。第三国の命は先進国の命より軽いみたいなもんだよ。アメリカが空爆されたらえらいこっちゃだけど第三国ならまぁいいかっていう。よくあることだな程度で済まされるみたいな。


第三国とかのテロリストのアメリカ批判は頭の悪い第三国のテロリストが言っていることだからロクなもんじゃないけどアメリカの第三国のテロリスト批判はもっともなものであるってまぁ考え方が一元的じゃん?まぁこんなこと言うと今でもアメリカだったら国中から批判受けそうだけどね。みんな知らずのうちにアメリカとかさ、先進国側の意見になってるんだよね。第三国側の観点っつーのに立てないっつーかそんなものは想定しない。彼らがどういう風に世界を見ているのか?とか彼らの生活とかさ、そういうの想像できないんだよね。仮に先進国の常識とは違ったものであってもそれは彼らの考えなんであって尊重しなきゃいけない。で、なるべく協調路線で行かなきゃいけない。遅れてる国の人達の意見だからダメって話はおかしいよね。アメリカは世界を守っているけど第三国のテロリストなんて世界に迷惑しかかけてないじゃないか!ってことで第三国のテロリストの意見が封殺されるってのはおかしいのね。どっちも意見なんであって難しいとは思うけど中立的に見なきゃいけない。でもそこに先験的な差ってあるじゃん?先験的っつーと変か。まぁただね、言いたいのはほとんどアプリオリとも言っていいぐらいの常識的な先入観ね。


ニート/社会人の対立で言うとニート=怠け者で社会人=偉いじゃん?すんげー単純に書くと。でも社会人っつったって消費者金融に勤めてるやつもいればさ、マルチだの出会い系のサクラだのさ、社会って一口に言ったって色々あるじゃん?労働然り。役に立つ労働なんて限られてるって前に書いたけどそれはもっともでさ、俺が思うに労働の美徳って昔の名残なのよ。恐らく。例えば農耕社会みたいなので考えればさ、田畑を耕すとかさ、その村で働くってことがダイレクトにその共同体にコントリビュートすることになるんで労働=美徳っつー考えが出来やすいっつーか枠組みが成立しやすかったんだと思うんだよね。だって田畑を耕すってことにしたらそれって食料を作ってるってことじゃん?村人のおまんまを作ってるってことなわけでそりゃー尊い事になるわな。そこでフリーライダーみたいなさ、寝てるだけなのにおまんまだけは食うってやつがいたら村八分になるのはよく分かる。そいつに労働の結晶である作物を食べる資格はない。


でも近代社会って違うじゃん?食料は別個で作られてて近代人はどう暮らすか?ってことがキーなわけじゃん?どう金を稼いでメシを食べたり家賃を払うか?じゃん?そのための労働だよね。ようは金のためなんだよね。昔みたいな労働=おまんまではなく色々なものが隔たれてのおまんまなのね。おまんま仲介業者を介して買うって感じか。家然り。ただその労働とおまんま作りは繋がってない。出会い系のサクラで稼いだ金も暴利で稼いだ金も金は金でそれで米やパンを買えるわけだ。だったら別に金の稼ぎ方なんてどうでもいいんだよね。詐欺でもいいし暴利でもいいってことになる。


でもそれじゃーマズいからっつってまぁ国家がインモラルな行いには介入するんだけど、でも近代を支えているものってズバリこれだと思うよ。労働=美徳なんて奴隷とか農民の末裔の考え方で資本家ってのは金で金を生み出してるわけでさ、現にそれが一番金を作ってるじゃない?ズルいよね。ちょーズルい。だったら金あるもの勝ちじゃん!ってことになる。でも残念ながら資本主義ってそういうもんなんだよね。だからしょうがない。俺は詐欺はいいと思わないし暴利もいいと思わないけどでもヤツらが捕まらないで合法的に金を作れるなら文句は言えない。で、金は金ってことでまぁ汚い金で買う米も見た目一所懸命で尊く見える労働で買う米もまぁ一緒なんだな。米を金で買ってるわけだから。米を作っている農家とかの労働は尊いけどそれを買う金を得るための労働は個人の美徳に依存するじゃん?昔の田畑を耕す感覚で美しい労働をするってのがあればまぁいいよ。まぁそれはそれでやってください。でも大抵はまぁそれって形骸化されたアイデアだけだよね。


そういう農耕社会の労働の美徳の名残だけがあって実際やってることは資本家の手先とかさ、システムの歯車になるとかさ、客観的に見るとただ上司のパシりやらされてるだけで大きい所で何が動いてるかさっぱり分からないってまぁ近代的な労働者の疎外じゃん?システムには一切関与できないどころか自分の会社の大きなプロジェクトとか俯瞰図ですら見えない。だからまぁ成果が目に見える小さい企業を自分で立ち上げたほうがやり甲斐があるんだろうね。でもそれはマズロー的なまぁ心理学的な要素だよね。労働という行為自体は別に変わらない。それは個人の考え方とか美徳とか満足感のよるでしょ。


金は金なら親の金でも金だよね。金が生み出す金も金だし資産が生み出す金も金。だから俺の考えでは親の経済基盤を頼ってニートやってるやつっつってもそれは別に親の資産で道楽的なデザイン会社とかレコード会社とかアパレル会社とかやってるボンボンとかとまぁ変わらないんだよね。後者はまぁ会社経営だのさ、まぁ客観的にそれは遊びっつーか道楽にしか見えないにしてもまぁ仕事してるように見えるじゃん?だからまぁ誤摩化せるんだよね。いっちょまえに事務所とか作っちゃったりすればそれらしいじゃん?でも内容は道楽みたいな。でも一応それは仕事として看做されるよね。で、名刺とか作っちゃえばアパレル会社の社長になれる。でも資本金とか資本の基盤は全部親です。みたいな。鳩山とかだって一緒なんじゃないの?あんな母親が金出してくれる家ってのもまぁそうそうないだろうけどあいつなんて金無かったらただの無能なバカじゃん?でも資本とかコネとか家柄があるから総理になれたんだよね。日本の政治家って本当にそういうの多いよね。アメリカの場合、家柄も資本もコネもあるけど本人もそこそこ優秀っていうエリート多いけど日本ってマジでダメだよね。エリート不在なんだよね。日本って。


まぁそれはともかくまぁ言いたいこと分かったでしょ?いかに労働が尊いってことが幻想なのかっていうのを。一番稼いでるやつがニートみたいな生活をしてたりするってみんな知ってるじゃん?一番働いてる人が貧乏してて働いてないやつが楽してるじゃん?だとしたら逆にウェーバーのプロ倫的な精神で働いた方がいい。働くっつーかまぁ金稼ぎだね。合理的に金を稼ぐってことだよ。だからホリエモンとかってある意味でプロ倫的なんじゃないの?でも日本政府としては労働=美徳っつー奴隷マインドを支えている大きな物語を壊されちゃたまらんからまぁ国策捜査に踏み切ったわけだよね。まぁんでもあれだね、どの道やるなら徹底的に資本主義を利用しまくって稼いでやる!っつー精神で働いた方がいいね。労働は美しいなんてバカな考え持ってたらボロ切れみたいに利用されて終わるだけだよ。で、捨てられたら体ボロボロで使い物にならないみたいな。金を稼ぐってことが目的になってたら身体性とかなんてどうでもいい話じゃん?クリックで金稼げればそれが一番合理的な金稼ぎになるわけだしさ、金貸してその金利で食えるなら金貸すのが合理的な金稼ぎになるじゃん?土に塗れて汗をかく必要は無いんだよね。それがいいと言っているのではなくてそういう社会になってるわけだからしょーがないって話ね。


ネット広告収入が許せなくて派遣労働で死ぬほど働くのは許せるっつーか同情できるっつーのはまぁ明らかにあれだよね、労働=美徳っつー考え方だよね。でも現実に俺が言及したニートの人はそれで月10万稼いでるんだからしょーがないじゃん。批判するならその人じゃなくてそんなんで金を稼げるっつーシステムを批判するべきだよね。でもまぁ無駄だけどね。社会システムの批判なんてしたってしょうがない。だってそれはシステムだからね。それで動いちゃってるんだからどーしょーもない。これがまぁマルクスの言ってた疎外ですよ。まさしく。働かないと村八分にされて食えなくなる時代ではないわけでさ、誰かが誰かを食わせることが出来るならそれで生活が成立するわけで誰も文句言えないんだよね。金が金を産んでいても誰も文句は言えない。それがどうしても許せないんだったら自給自足の生活するしかないね。これならモロに労働が美徳になるじゃん?自分が動いた分がおまんまになるわけだから。


でもまぁ都会人が自給自足だっつって田舎とかに家建てて畑持っても3年も持たないらしいけどね。だから分業しかないのよ。システマティックに作られた作物をシステマティックな労働なり仕事なり金稼ぎで作った金で買うしか無い。まぁ金稼ぎは別に自分がシステムになってもいいんだけどね。自分で何か考案して自分で食っていけるならまぁそれが一番いいよね。アメリカだとこれからはそれしかない!なんて言う人もいるね。自分でジョブ作っちゃえ!っつー発想。これはなかなか労働=美徳って概念からは生まれてこない感覚だよね。アメリカ人は仕事を金を稼ぐ手段としか恐らく考えてないっつーのは言い過ぎにしてもまぁ日本人みたいにそれ自体が美しいとかさ、労働やってるだけで偉そうに出来るみたいなバカな考えないからね、だから平気でサボるし定時に絶対帰るわけ。


サービス残業してたら「偉い」なんて考えるのは日本人ぐらいだ!って批判はもうやめるにしてもまぁ俺のバイト経験でもこういうやつ多いよね。完全なサービス残業なのにそれをやったことでなんかのカタルシスを得てるんだよね。で、終わったら「仕事したー!」みたいに満足げに帰るのね。ただのバカね。ただの奴隷。こういうのは労働力を使う側としてはちょー使いやすいよね。奴隷マインドのやつは本当に使いやすいと思うよ。アメリカだったら個人でも団体でも経営者を訴えるよね。「これ以上サービス残業させるな!」って。そういう伝統っつーかコモンセンスがあるから会社側としてもそんなことされたらたまらんからサービス残業なんてさせないんだよね。問題が起こったら嫌じゃん?


政治もそうじゃん?こんな政策通したら暴動が起きるってことで民衆のことを考えて何かを決定するってさ、民衆が起こったら革命起こすとか暴動起こすかもしれないっつー前提があるから政治家も考えるわけだよね。ある意味でまぁ革命防止だよね。革命防止の手打ちっつーのかな?でもストにしても訴えるにしても革命にしてもそういう手段を持っていなかったり伝統が無かったり手段が無かったり特に最悪な奴隷マインドがあったりする日本だと誰も文句言わないから経営者も政治家もやりたい放題じゃん?何やっても起こらないから何でもやれるのね。いじめっ子といじめられっ子の関係に良く似てるよね。それは俺が酷いいじめっ子だったからよく分かる。と同時にツケが来ていじめられたこともあったし、最終的にはいじめがトリガーになって登校拒否になった俺としてはこのobedienceの感覚が支配する側とされる側の両方からよく分かるよね。


・・・・ってことでまぁ大体もう書いたんで終わりね。メールはまだ来てないんだけど。