無限っつー概念が可能なわけで。

mimisemi2010-08-19

いや、スマンね。何だったか忘れたんだけどもさ、無限っつー概念はっつーか数っつー概念自体がようはあれなんだよね、実在するというよりかは可能であるってことなんだよね。無限って概念もようは子供でも理解できるような数っつー概念を突き詰めていけば可能であるという風に帰結できるものなんだよね。だからなんつーかすげー概念的なもんだよね。いや、そんなこと自明なんだろうけどさ、んでもまぁ俺はなんつーか「実在する」ということと「可能である」ということの違いに感銘を受けたわけだよね。


まぁ実際、無限っていうものが存在するって別になんかさ、そういう無限に関するものを表示できるようなプログラムでも組めば簡単に証明できるんだけどさ、でもあくまで可能なんだよね。有限なものから無限を語る時には結局、実在なんてことは言えなくて可能であるとしか言えないっていう。なんかそれってでもロマンだよね。触れないけど可能なものっていうかさ、有限な存在でも無限を語れる根拠というのがつまりはpossibilityってことなんだよね。これってまぁ結局、夢ってことも一緒なんじゃないかと思うんだよね。みんな無理っていうだろうしまぁ一般的に考えても無理なんだろうけどさ、でも語れるしもしかしたら実行すれば可能かもしれないってことでさ、それが地に足の付いたさ、それこそ数というシンプルな概念から無限という概念を導きだせるようにさ、自分っていうもんから自分が持っている夢みたいなものを実現させられる可能性ってのはあるんだよね。それがまぁようはpossibilityってことだよね。まぁ無限って無理だからね。


だって無限なわけだから定義できるわけないんだけど、それは可能なものとしてのみ定義できるっていうまぁ有限なものが考えられる無限ということだよね。まぁ思い描けるけど、その思い描けるっていうのがまぁつまりは夢と似てるなっていう。まぁロマンだよね。無限っつー概念にもロマンがあるし、夢って概念にもロマンがある。可能性の意味は違うけど、んでも両者共に違った意味でもまぁ可能性ということで、まぁつまりはあるということが言えるわけだよね。だから最初からないとかさ、そんなもん唐人の戯れ言だろうとかって言っちゃえばまぁそんなもん最初から否定されてるわけだからまぁ存在しようがないけどさ、でもまぁ考え方次第っていうか、まぁ数学って本当にそうだよね。


思考のアルゴリズムっていうかなんていうかさ、で、まぁちょっとロマンチックな話はおいておいてさ、俺の場合のノイズでも思ったんだけどさ、俺があんまもう音楽とかいいやーって思ってるのはさ、もうなんか音が頭にあるからなんだよね。まぁあと俺がハーバートとかまりんみたいな音楽が作れるわけじゃないってのはよく分かってるしさ、で、自分が出したい好きな音っつーとまぁやっぱノイズなんだけどさ、でもそれってアルゴリズムなんだよね。


まぁそれは前にノイズのやつでも書いたけどさ、ここをこうやってこうすればこういう音が出ますっていうさ、技術も何にもいらないなんつーかただの所産っつーのかな?数学もそうじゃん?導きだすための技術とか音に対する知識は必要なんだけどさ、アルゴリズミカルに考えればつまりは手順があれば誰にでも音が出せるっつーのがまぁノイズだと思うんだよね。まぁノイズっつっても色々あるんだけど。数学のアルゴリズムもつまりはそうだよね。なのでそれはただの事実なんであってさ、作家性とかなんてないはずなのにでもあるんだよね。


なんつーか数学者の個性みたいなのが出てるやつがあったりしてさ、それが面白いよね。まぁノイズもそうじゃん?いくらまぁパッチを繋げてどうのみたいなアルゴリズミカルなもんだとしても、んでもそれを出すっていう主体性が音を作ってるわけだからさ、それってのがつまりはもう作ってるっていうことなのかなってことだよね。まぁただのパッチとかの組み合わせで出てる音だから作っているということからはほど遠いように見えるんだけど、でもそこにやっぱさ、音を出す人の趣味とかセンスって出るじゃん?俺は本当にここ数年、こういったことにおいて見られる美っつーものに魅せられてるんだよね。美しいメロディとかさ、優しい歌声とかそういうんじゃなくて、もうただの組み合わせとか音とかソフトウェアの所産なんだけど、んでもそのすんげークールでドライなところにあるストイックな美っつーのかな?それにすげー惹かれるのね。


だいぶ前に書いたフィルターとしてのオヴァルというオヴァルのスタンスが大好きになったって書いたのはつまりはこれでさ、なんか数学と似てるんだよね。数学もまぁ数学者っつーフィルターを通してアルゴリズムが証明されたりさ、方程式みたいなのが出てきて、それってまぁ別にその人の持ち物でもないんだけどさ、でもそこにその人らしい美とかさ、センスとか美意識みたいなのが出るんだよね。出ないはずのところに出る美とかあるはずのないところに感じでしまう美だよね。そういうのが非常にたまらないわけだ。だからドロドロの表現主義的なものがあまり好きじゃなくなったんだよね。まぁあれはあれでいいしさ、美意識が変わったからって前のニューヨーク批判みたいに一気に表現主義的なものを批判し倒す必要はないんだけどさ、でもまぁなんつーかそのね、まぁクールビューティーっつーのかね。女の名前で言えば冷子みたいな感じだよね。


あ、んで全然話は変わってさ、映画の話なんだけど、チャンツィーの芸者のやつみたんだよね。前にも書いたっけ?なんかすげー雰囲気が妙で面白いんだよね。アメリカ人が描いた日本ってほどなんか酷くないっていうかさ、日本らしさは出てるんだけど、まぁちょっとなんかおかしくてさ、んでみんな英語喋るんだよね。桃井かおりとか役所広司とか出てるんだけどみんなセリフが英語なの。ありゃーアメリカ人には聞き取り辛いだろうなっていう。で、あの主役の芸者の子っていうかさ、主役の芸者の子供時代の時の女の子がすげー良い演技してるんだよね。本当に凄いわけ。もうこれだけで見る価値ありって感じなぐらいいいんだよね。


でもなぜかこの子が成長した後の芸者の役は中国人であるチャンツィーになるんだよね。成長して国籍変わるっていう。まぁ批判もあったらしいね。小雪とかさ、すでにハリウッド進出してる日本人女優を使えばいいのになんで中国人なんだ?っていう。でもまぁそういうのも含めてなんかファンタジーなんだよね。そういう意味で全然いいんだよね。チャンツィーはなかなかいいし、あとチャンツィーの姉さんがいいね。他の映画でも似たような関係だった気がするな。チャンツィーと姉さん。グリーン・デスティニーだったと思うんだけど。まぁ結構モンドなんだよね。これ。モンド映画というほどエキゾなオリエンタル感は無いんだけどさ、でも当然日本人の映画監督が取るような日本っぽさは無くてさ、なんつーか日本っつーものをモチーフにした仮想世界の話みたいなちょっと浮世離れしたような感じなんだよね。そういう意味でのファンタジーって意味でまぁ面白いなっていう。


はい。ってことで今日はこの辺で。最近、結構色々とやることがあって、あんま暇じゃないんだよね。サラリーマンとかに比べたらちょー暇なんだろうけど。ウォール伝ネタって枯渇してんのかな?まぁ常に枯渇で書きたい事書きまくってそれが続いてるって感じなんだけどね。でもなんか政治とか哲学系の話はだいぶ無くなってきたよね。あと抽象的な話とかも無くなってきた気がする。思えば政治とか思想とか哲学が占めてた割合って大きかったからね。で、もうそういうものに関しては書き尽くした感があってさ、まぁ何かあればまた書くけど、まぁ大抵が繰り返しになるからさ、だからまぁ別に書く事ないんだよね。でもまぁなんつーか接続が微妙ではあるんだが、ネット精通したしさ、俺のマックで夜中とかに更新できるからだからまぁー今後は相変わらず緩い感じで更新していきますよ。んじゃまたね。



最近、日本の手軽な本に慣れちゃったんで、こういう分量のやつは「長げぇー」って感じるようになっちゃったけどさ、まぁ実際、あんま面白くないところが多いんだよね。個人的には。まぁ分かるんだけどさ、いやね、子供がどう数を理解してるのか?とか認識してるのか?とかさ、なんつーかchild developmental studyみたいなものから動物における数の認知だのっていう、まぁようは数を認知するってことがメインテーマな感じだよね。数とはどう考えられているのか?とかどう理解されてるのか?みたいなさ、すげー科学的なアプローチの本なのよね。もうちょっと哲学的な感じを期待してたんだけど、まぁこれはこれで長いけど面白いし、分量の割に安いからオススメにしておくわ。