真実美へののあこがれという純化された衝動。

mimisemi2010-08-24

引き寄せの法則的なことで物理的なもの以外の何かってのが獲得可能なのかね?お金ってのは物理的存在だから誰にでも可能だよね。でも知識ってのはそうじゃないと思うわけよ。いや、俺が言ってるのは数学なんだけど、すんげー深遠でわけがわからない数学理論とかいっぱいあるじゃん?物理学とかにしても。哲学とかって無いんだよね。俺にとっては。


社会科学然り政治学然りなんだけど、まぁ「理解できるのかな?」って思うことはないね。何しろまぁ難しいやつにしても良い解説書とかいっぱいあるしさ、色んなアプローチができるじゃん?ただまぁすんげー読むのが面倒だとか、まぁそんなことで知りたいって思っててもなかなか手が出ない本があったりするんだけど、数学の場合、理論そのものが難し過ぎてさ、理解不能ってのが多いじゃん?まぁその一つにフェルマーの定理があるけどさ、まぁ世界で完全に理解してる人はあんまりいないって言われてるけどさ、俺はでも理解したいっつーか数学の全部を理解したいんだよね。整数論とか幾何みたいな区別は無くてさ、全部知りたいわけ。でもまぁ不可能って言われるじゃん?現代数学は細分化され過ぎてるし、プロですら一つの領域のことを知るのに手一杯だみたいなさ、これってお金を稼ぐってことより難しいことだと思うんだよね。


いや、ようは物理的なものは比較的簡単っつーとアレだけどさ、いや、金稼ぐのが簡単だとは言わないけどね、でもまぁ別になんかさ、やれるとは思わないけど3Kの仕事を死ぬほどやりまくって金貯めるとかさ、やり方はあるじゃん?300万とかにしてもまぁ300万は300万なわけでさ、それが不労所得で得たものであれ3Kの労働で得たものであれさ、ようは俺が言いたいのは背後に血の滲むような努力があろうがなかろうがさ、300万は300万だよね。だからまぁどんな方法であれ万人にとって不可能なことではないんだよね。でも現代数学の全てを知り尽くすってまぁ不可能って言われるじゃん?っつーか言われてるのをよく見るよね。それをさ、ただひたすら「知りたい!」って思ってさ、そういう意志によって達成可能なのか?ってことだよね。まぁ俺は何でも知りたいって思うんだけどさ、この「何でも」とやらに数学とか哲学とか政治学とか入ってるわけでさ、それが可能なのか?ってことだよね。


でも入る器がなかったらさ、どんだけ頑張ろうが無理じゃん?一日10時間やれば達成可能だみたいなレベルじゃないわけで。そういうものに対してただ「知りたい」という観念のパワーだけで引き寄せ可能なのか?ってことだよね。知識はようは観念的っつーか形而上学的なパワーでさ、お金ってのは物理的なパワーだよね。善だろうが悪だろうが関係無いさ、普遍的なパワーだよね。悪用しようと思えばいくらでも悪用できるっていう。でもこの両方を良いことに使えたらさ、まぁ良いことってそもそも何?って話なんだけど、まぁこの両方が揃ったパワーってすげー強いと思うのね。究極的に言っちゃえば独裁国家とか作れちゃうわけで。


いや、金を稼ぐのは簡単だとは言わないけどさ、でもなんかね、こういうなんつーか物理的なものに還元されない知識みたいなのがね、それすらも得ようと思えば全て可能なのか?っていうのがすげー気になるわけね。それが気になるから全部知った俺っていう状態を知りたいから全部知ってみたいっていう馬鹿みたいな動機もあるよね。それって一体どういう状態なんだろう?っていう。世の中がどう見えるのかな?っていうさ、いや、仏教とか哲学とか自己啓発本とかでだいぶ世界観は変わったよね。俺の。で、最近は科学系とか物理学とか数学でさらに世界観が変わってさ、んでそれがもっとね、自己啓発的なものにしても仏教にしても哲学にしても科学系にしても数学にしてもさ、高次化していった時に見える世界ってどんなものなのかな?ってのにすげー興味があるんだよね。だからそれはまぁ数学単体とかで達成可能ではないんだよね。もっと凄まじい広いレンジの知識が必要になるわけで。でもそれは必要だからやるっつーよりかはやりたいからやるんだよね。知的なものに対して貪欲だってことだよね。


物理的なものに貪欲ってなんかイメージ悪いじゃん?金稼ぐってのはいいことだけどさ、やたら高級車買いまくるとかさ、何個も豪邸建てるとかさ、なんかダサいっつーか行為として低俗っていうイメージが常に物理的なものにはあるよね。でも観念的なさ、知識とかってあればあるほど尊敬されるイメージっつーかさ、それは物知りっつーよりかは、孔子とかソクラテスみたいな哲人のことを言うんだけどね、あれって誰にでも可能じゃないことを知的に達成してるって意味で偉人じゃん?金持ちなんて偉人じゃないわけで。


まぁロックフェラーとかは歴史に名を残すんだろうけどさ、長者番付に載る程度の金持ちなんて時代に忘れ去られるよね。ただ金がある人ってことなだけだもんね。それに比べて観念的なパワーとか蓄積物ってのを蓄えて何かを残した人ってのは偉人になるんだよね。まぁアルゴリズム的に自動的に偉人になるということではないんだけどさ、いや、それ言い出したらそもそも知って何なの?みたいな形而上学になるからキリがないんだけど、でもまぁ観念的なものってようはhighestなんだよね。それがまぁ突き詰めればイデアってことになると思うんだけどね。金みたいな俗っぽいものでは計れないほど崇高なものっていうかさ、sublimeな美とか数式とか思想とか文学とかってことだよね。


ようはそういう観念的なものも全ては万人に得る機会が与えられてるものなのかな?ってちょっと思ったわけね。そういう意味で無茶な計算だけすればさ、お金なら例えばゾンビみたいに永遠にこんだけこういう仕事で働けば得られますよっつーのは出るじゃん?ある程度。華麗に稼ごうが苦労して稼ごうが金は金だからね。で、まぁ知識も知識だけどさ、でもそれが深遠過ぎたり難し過ぎたりするとさ、ようは誰にでも理解可能ではないじゃん?そういうものすらも得ようとする意志があれば得られるのかな?ってことだよね。


得ようと思ってもどうしても得られない絶世の美女みたいな存在じゃない?知識って。でもそれを得ようとするっていうことがつまりはエロスだよね。だから知識はエロいんだよね。で、数学はその最たるもんだって最近気づいたわけで。「真実美へののあこがれという純化された衝動」ってまさしくこれじゃん?純粋にプラトニックだよね。だからまぁ俺はそんなんでまぁプラトニックなエロスに身を委ねつつ、家具センターのバイトの子とかにも恋心を抱いたりするわけで、まぁそんな感じで俺の健全な魂が保全されるわけだね。


それは俺の魂が健全というよりかは健全な魂を保つためのコミットメントを生活の中でやりまくっているという結果がまぁ健全な魂っていうことだと思うのね。まぁ一般的に言えばナイーヴってことなんだろうけど、まぁ俺はこれでいいと思ってるんだよね。あんま詐欺師とかに騙されないようにEQ的なものは高めつつも、魂の純化ってのは永遠と続けられるっていうさ、これがまぁ俺なりの魂への配慮だよね。で、俺にとってこれってのは何にも変え難いぐらいの達成したいものなんだよね。だからお金とか安定した生活ってのが、この達成したい事のサブカテゴリーでしかないっていう。まぁもちろん条件的に必要だからそれも達成したいんだけど、本質的に達成したいもんって生活とかお金みたいなそういうフィジカルなことじゃなくて、知っていうメタフィジカルなものなんだよね。だからまぁ「俺にできるのか?」なんて思ってないで、まぁその純粋なエロスに身を委ねていればいいんじゃないかな?って今の所は思うわけだよね。俺の恋心と同じだよね。まぁ多分彼氏とかいるんだろうけど。


そんな感じで今日はこの辺で。



遠山啓の伝えようとする力って凄いと思うんだよね。伝えたい事があっても伝える事がヘタクソだったらそれは当然のことながら相手や読者に伝わらないんだけどさ、遠山啓ってのはその伝達力が凄まじいんだよね。それは才能もあるんだろうけど、やっぱ伝えようとする意志なんだと思うんだよね。そういうのが遠山啓の一連の著作から常に感じられることだよね。この人は本当に偉大な人だと思ったね。本当に。




この本と映画が述べる「富」の部分は「知」にも置き換えることができるのかな?って思ったのが今日のエントリーってことね。



伝達力で言うとこの人もそうだよね。この人も凄いよねってことね。




前にも貼ったけどさ、最近まぁ大学関係の本を色々読んでるんだけどさ、なんかやっぱ特に日本がそうなのか分からんけど、ずいぶんとこの自由が無い感っていうかさ、システムから疎外されてるみたいなさ、大志とか才能とかがあってもシステム的に潰される悲劇みたいなさ、まぁこれって会社とかもそうだと思うんだけどね、人間のパワーってシステムのダイナミズムに抗うことができないのかなぁー?とかって思っちゃうよね。まぁネガティヴサイドばかりに目を向けていてもしょうがないんだけど、でもこれはある一面の事実なんだなってのは受け止めないといけないっていう。悲劇にこそ真実って描かれたりするからね。特に前者の本はなんかさ、プラダを着た悪魔の大学研究室版って感じだよね。実写化したらどうなんだろう?って思ったりしたよね。