雑記。

mimisemi2010-08-31

なんか最近また気分的に微妙になってきた。 衣食住完璧で安泰になってしまってレイジーになるかと思いきや、この物理的コンフォートゾーンが確保されたが故の実存的な葛藤ってのが出てきたね。それはずーっと何かをしていれば誤摩化せるものなんだけど、こうも時間があると誤摩化せないわけで。まぁその葛藤はいいものだけどね。


ってことであんま書く事がないんだけど、こないだの従姉妹の話の続きをちょっとするとだな、まぁ詳細はいいか。いやね、頭が良いっつーのはやっぱり遺伝的な要素が強いのかな?ってのはすげー思ったってのがさ、トポロジーの概念とかを難なく理解するんだよね。まぁ俺の教え方が良かったのかもしれないけどっつーのはまぁ半分ぐらいジョーダンとしてもだな、まぁ従姉妹の場合は地頭+後天的要素って感じだよね。まぁ勉強ばっかでっつーか中学受験したからさ、塾ばっか行ってたんだよね。そういうので鍛えられた脳っていうかさ、暗記ばっかやってるとかじゃないじゃん?ちゃんと知識として吸収されてるものもあるわけだからさ、つまりはやっぱインプットなんだなっていう。肥沃な大地に種を撒く感じだよね。もちろん大地も耕せば良くはなるんだろうけど、やっぱ元々のものってあるわけで。ドラッカーの本を読みたいとかって中1とかで思うのもまぁ地頭だよねぇー。馬鹿な子は馬鹿だからね。


従姉妹を見てても思うしさ、凄い作家とか映画監督とか音楽家とか見ててもやっぱ人間って不平等だなぁーって思うわけじゃん?頑張っても到達できないレベルってあるよね。いや、従姉妹は違うんだけど、ようは生得的な地頭とかセンスとかってやっぱあるじゃない?無い人が永遠に得ようとしても得られないものってやっぱあるよね。俺なんかも数学やっててすげー思うもん。また高橋洋一みたいな天才肌を出してきちゃうけどさ、中学で解析概論スラスラ読むとかありえないよね。マジで。俺も今は本と、最近は数学の本ばっか読んでるけどさ、分からないことだらけだからね。これでホントに将来的に東大とか行けんのか?ってぐらい分からないことが多い。全然秀才じゃなかったなぁーっていう。でも楽しいからいいんだけどね。それをストレス無く趣味として楽しめるってまぁこれも一種の才能だからね。まぁそれに向いてるってそういうことでしょ?能力的なこともあるけど、取り組み方っていうかさ、その人のそれに対する感じ方ってのもあるじゃん?まぁそれさえあれば大丈夫かなとは思うんだけどね。俺から哲学とか政治学とかが奪えないように数学もまたそんな存在になりつつあるわけで、そんな風になっちゃえばこっちのもんだよね。


ところでさ、本を買い過ぎてさ、請求が凄まじくなっちゃったんだよね。いや、分かってはいたんだけどさ、もう買えないよね。マジで。帰国後一発目なんだよね。今回の請求。帰国後だからまぁ7月から買いまくってたわけだけどさ、それがまぁまとめて来たって感じだよね。今後二ヶ月ぐらいは本買えない感じで。元相方から一万円もらってないから早めにもらわないとな。マジでヤヴァイなっていう。まぁそんなにヤヴァくないけどね。分かってたヤヴァさだから。おかげさまで結構気になる本は買えちゃったんだよね。アマゾンのカートに入ってたやつは大体買っちゃったし、かなり満たされてるよね。まぁ来月また来るんだけどね。請求が。それも含めてまぁもう二ヶ月ぐらい買えないってことね。でもまぁ読むのに時間がかかりそうな数学の本が多いからまぁ二ヶ月ぐらい大丈夫かなって感じだけどね。それ以外にも読んでない本とかあるわけで、まぁそういうのを読めばいいかっていうっつーかまぁもう買うの今の所無いんだけどね。まぁまた本屋に行けばあるんだろうけどさ、でもまぁ今は未読のやつが多いからもう買わなくていいやって感じだね。


それにしてもさ、テクノボンとか見てるとさ、80年代とかさ、70年代のシンセで始めみたいな時代の音楽って凄かったっつーと語弊があるけど、なんつーかまぁ面白い進化があったよね。いや、あの世代の人達は楽しかっただろうなぁーって感じだよね。ああいう流れはなんか俺的には70年代ぐらいから90年代後半ぐらいまであった気がするね。だから俺はちょうど終焉期ぐらいにその波に乗ったわけで。まぁそれこそジャングルがドラムンベースになったりとかさ、ソニテクとかああいう時代もなんつーか忙しい時代だったじゃん?色々あってチェックが大変みたいな。で、今はそういうの無いからね。行き着いた先は尺八ジャズだもんなぁー。


まぁそれはともかくだな、やっぱりやられてなかったことってのが多いんだよねぇー。あとはあの時代だったから良かったものとかっていっぱいあるわけでさ、だから今やってもしょうがないみたいなことって多いんだけど、そういうのも含めて音楽の楽しさだからさ、やっぱ楽しさはあったんだろうなぁーって感じだよね。今は本当に無いと思うんだけど。ゼロとは言わないけどさ、でもまぁそんなに楽しくないよね。それはまぁ大体やっちゃったからだよね。俺的にはやっぱ2stepだよな。あれが最後だった気がする。なんか新ジャンルで飛びつかなきゃ!みたいな感じなのがあれ以降無いよねっていつも書いてることだけど。アートフルドジャーのRewindは死ぬほど聞いたなぁー。あ、ミックスね。MOSの。まぁアートフルドジャーってDJじゃないからさ、あれはもろにエディットものなんだけどね。HDRのやつでまぁ俺のディッキンみたいなもんだわな。


あとあれなんだ、Nassaを試したかったからもらったんだよねっつーか出してもらったんだけどさ、すげー面白い症状が出てさっつーのはね、眠くなるから寝る前に飲むってことになってるんだけど、なぜか寝る時になるとさ、なんかソワソワしてきてさ、体中を激しく動かしたりさ、それこそコントローラー連打みたいな激しい動作をしないとソワソワ感が解消されないみたいな変な症状が出るんだよね。ドーパミン出過ぎなんだかなんなんだか分からないけど、眠くなる割にコントローラー連打しなきゃいけないから寝れないっつー地獄みたいな副作用があるからやめようと思うのね。で、ちゃんとそれだけの効果が知りたいから試しに日中2錠ぐらい飲んだらノックアウトだったね。すんげー眠くなって熟睡しちゃった。おかげで今は眠くないんだよね。もう朝の5時なんだけど。


最初だけの強い副作用かもしれないけどさ、慣れるまで時間はかかるのかもしれないけど、やっぱトレドミンでいいなっていう。まぁトレドミンだけで問題ないわけだからそれでいいでしょっていう。色々と試したいのは分かるんだけどさ、そういえばそんなんで大昔にパキシルとかも試してみたけどダメだったし、結局、トレドミンが一番なんだよね。俺にとっては。まぁインポがあるんだけどね。これ。特にインポが酷い気がして。そういう意味でサインバルタはまだマシなんだけど、でもあのダルさには耐えられないな。初期の副作用にしてもあれは無理だわ。マジで。


ところでManuel Gottschingのさ、E2-E4ってのを最近聞いてるっていうか部屋を整理してたらさ、寄生獣と一緒にテクノボンが出てきてさ、んでそれ読んでたら気になってさ、んで聞いてみたらいいのね。いや、すんげー前に友達からCDRもらった気がするんだけど、そのときは全然印象に残らなかったんだけど、今はすげーいいと思えるね。なんつーかデトロイトテクノの元祖みたいな音だよね。まぁデトロイトではないんだけど、んでもあれがようはSueno Latinoの例の曲の元ネタなんだねぇーとか思ったらさ、そっからまたデリックメイとかと繋がるわけじゃん?なるほどなぁーって感じだよね。まぁあんま俺はギター好きじゃないんだけど、んでもE2-E4はいいね。まぁ俺はアメリカから実家に帰省中で寄生虫だけどね。


あとなんか久々に感銘を受けたものがあったので貼っておくね。このブログは知ってたんだけど。


http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50219120.html


なんかまぁいつも俺が考えるオリジナリティだよね。で、まぁもうオリジナリティなんて無理だよねっていう。でもなんかこれ見ててさ、何も完璧にオリジナルであるということが創造的であるってことではないんだなってことがよく分かったよね。いや、完璧にオリジナルだったらそれは創造的なんだろうけど、ただ別にそれ以外のものでも創造的なものはあるってことね。創造的って言い方するとアレなんだけど、ようはクリエイティブってことね。


あと気に入ったのがここなんだけど

板倉さんの発想でもう一つ好きなのは、真の創造性を持った天才の天才性を理解すると言うことは、理解した人間の中にも同等の天才性が存在するからだという論理だ。それは、新たな創造という成果はもたらさなかったかも知れないが、天才性の理解という点での創造性を持っていたと考えるのだ。その天才性が成果をもたらすのは偶然の運に恵まれなければならないが、天才性の理解においては、真の創造性を理解しなければ天才性も理解出来ない。


天才性の理解というのは、その人が天才だからという評判だから天才だと思う、ということではない。歴史上天才だと言われている人間を天才だと思い込むのに天才性は必要ない。むしろ、その人間が無名であった時代にその天才性を理解した人間こそが、同等の天才性を持っていると考えることが出来るだろう。


いや、誰とは言わないけどさ、個人的中傷みたいになってしまうんで書かないけど、話したりしててさ、「ホント、この人って他者の天才性とか創造性ってのが理解できないんだなぁー」って人がいるんだよね。俺はしょっちゅう天才の仕事を見ては「すげー!すげー!」っていう感嘆だらけだけどさ、それにもつまりは俺にもそれを理解する天才性というと大げさだけど感受性があるってことだよね。まず理論的に仕事の凄さが分からないってのは別としてさ、「なんでこんなの思いついたんだこいつ?ありえねぇー」って感嘆を通り越してただ呆然としちゃうようなのって数学に多いんだけどさ、それを理解して感嘆できるってところがつまりは自分にも似たような感性があるからってことなんだよね。


いや、それで俺が数学的に天才かってことではなくて、それを感じるセンスとか感受性があるってことね。ひたすら「こんなのたいしたことない」とかそんなことしか言わない人を見てると本当につまらないやつだなぁーって思うんだけどさ、それってまぁそういう人にそういう感受性とかセンスが無いからなんだよね。ただそれを自覚せずにやたら批判ばっかしてるのが結構気に食わなかったりするんだけど。まぁその感嘆って数学に限らないけどね。音楽とか映画とか芸術とか思想とか色々あるけど、まぁ数学にもあるってことなんだよね。つまりはそれはなんつーか阿頼耶識に種子があるっていうようなことだと思うんだよね。で、他の阿頼耶識にある種子が凄まじい根を張って強烈な存在感を持つ屋久島の大木みたいな立派で神秘的なものになっているのを見て感嘆するってのはさ、つまりは自分にも同等の種子が植え付けられているとかさ、生得的にそういうものを持っているということだよね。まぁ俺の難点は何にしてもアウトプットがイマイチってことなんだけどね。どうも決め手に欠けるというかなんというか、まぁ精進あるのみだけど、最近は本当に自分の力不足を実感することがあったりなんかしてさ、本当にあんじょうやらなアカンなぁーって思ってはるわけやけども。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。





広中さんの自伝やね。ようは。すげーいいね。