秀逸な奴隷理論のコピペ。


21 :シュレッダー(東日本):2010/02/26(金) 21:27:50.10 id:prRgsjMb
>>20
これがどういう心理なのか分析出来る人がいない


25 :集魚灯(アラバマ州):2010/02/26(金) 21:30:49.83 id:u3FqyNxZ
>>21
奴隷がいた時代、誰も反乱を起こさなかった理論 奴隷同士が相互監視し合っている


奴隷は、自分にかされている足枷の大きさが大きいほど、誇らしげになる理論


26 :シュレッダー(東日本):2010/02/26(金) 21:31:36.63 id:prRgsjMb
>>25
それは理論じゃなくて現象でしょ。その現象がなぜ起きていますか?という問いなんだけどな。


28 :集魚灯(アラバマ州):2010/02/26(金) 21:34:13.54 id:u3FqyNxZ
>>26
単に誇るもんが他にないから労働時間(会社への忠誠)を誇っているだけなんじゃねーの。労働時間を誇るやつっていうのは、私生活が充実していないやつばっかりだし


24 :プリズム(愛知県):2010/02/26(金) 21:30:40.15 id:Kh0mviUL
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。 過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。 彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由 までをも 譲り渡すことはなかった。その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によっ て、肥え太った主人を血祭りにあげた。 現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。 そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。 それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
                         

(リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて)


元ネタ


http://hamusoku.com/archives/2764252.html


いや、いつも思うんだけどさ、俺が前にバイトしてたセブンイレブンとかもさ、店長がブラック企業的なバイトの使い方をしてたんだけどさ、「まぁ俺も経験あるよ」って「お前、働いたことないだろ?」って思われがちな俺としては「一応ある」とは言っておきたいんだが、なんつーかなぜこのセブンイレブンの店長のやり方にしてもブラック企業にしても法的な処置ができないのか?ってのが本当に分からんのよね。俺は労働法を熟知しているわけではないが、明らかに違法なものに関してはそれは「法を犯している」ということで犯罪なわけだからそれは罰せられないとおかしいんじゃないか?ってことなんだよね。


いや、そういうアコギなやり方をするやつらってのが多いのはしょうがない。まさしく性悪説を証明するかのような現象が例えばブラック企業みたいなもんだと思うんだけど、俺が思うに特に最近こういうのが取りざたされるのはあまりに酷い労働環境というのに自覚的になってきた労働者の意識から来てるんじゃないか?ってことだよね。つまりは労働者が虚偽意識から目覚めているってことなんだけど、んでもその一方でソース先にもあるように「民間じゃデフォだろ」みたいな意見を言うやつが平気でいる。つまりは「虚偽意識がデフォだろ」ってやつらがまぁ日本の長い奴隷精神の歴史の延長上の中でいるわけだけどっつーかまぁ「デフォだろ」なんつー感覚が無いんだけどね。奴隷の特徴はそいつらが奴隷でいるということに気がつかないことなわけで、んでも例えば気づいてきた例としてまぁ蟹工船が流行ったみたいなのもまぁ土方に代表されるような労働環境の悪さが蟹工船のそれと類似するみたいなことなんだと思うけどさ、まぁなんつーか流れ的にはいいよね。「ブラック企業」という言葉が流布していて変な労働環境に「しょうがない」ではなく「おかしい」って匿名だろうが言えるようになったってのは良いことだよね。


なんかまとまりが無いけどさ、いや、そんな中でなんでまぁ結局、法的な処置が施されないのかが本当に理解に苦しむんだけどね。例えば労働基準法違反なんて「違反」なわけだからダメじゃん?なんでオッケーなの?っていう。俺が思うにさ、生存のためとは言えそういうのに我慢してそういう場に準じてるってのもつまりは違法に加担しているわけだからさ、まぁようは麻薬の取引とかと同じだと思うわけね。それしか仕事が無いしこれが無くなったら食えなくなるってのもわかるんだが、でも基本的にそれは違法の上で成り立っていることですよっていう。自分が犠牲になっているんだからそれは自分が黙っていればいいことだっていうロジックになりそうだけど、こういうやつが一番危ないんだよね。つまりはある意味で善意で違法なシステムに加担してしまっているっていう。それがつまりはそういう違法なシステムを担うってことになっちゃうんだよね。だからまぁより良い労働環境を育む社会を目指したいなら内部告発するなりまぁ単純におかしいものにはおかしいって言うことだよね。


一方では犯罪に加担で一方では社会に貢献って凄い差だと思うんだよね。だからまぁようはブラック企業とかに勤めてるんであればまぁ大々的にやらんでもまぁ告発するとかね、何かに書くとかさ、あとはもう辞めるってことだよね。つまりは民主的にそういう場に人が集まらないようなダイナミズムを生み出せばいいわけだ。「あそこは酷いって評判だぜ」ってところにはまぁ人はやっぱ集まらないでしょうってまぁそんなんでも集まっちゃう現状があるんでそれがまぁ問題でもあるとは思うんだけどね。


でもまぁとにかく俺はなんつーかそういうことが言いたいわけで。そういう場での「我慢」は違法なシステムへの「加担」ですよってことだね。麻薬取引をやっているのに目を瞑っているみたいなことだからね。そういう企業は反社会的なわけで、そんな反社会的な企業のシステムを担ってどうするんだ?って話でしょ。そいつもつまりはそれが我慢であろうが自分なりの涙ぐましい努力だろうが社会的にはすんげー悪だってことだよね。そいつの善意とか我慢とか努力とか全然関係無いわけで。社会を善くしたいと思うなら告発するなりやめるなりしろってことだよね。とにかくまぁそんな違法なシステムを身を張って担うなと言いたい。


とまぁ今日はそんな感じで。あとオマケだけどさ、ブラック企業に勤めてるんだが・・・ってやつあったじゃん?2ちゃんのコピペのやつ。で、映画もあるってことでさ、すんげー見たかったんだけど、まぁブラック企業みたいなトピックのやつをたまたま見ててんでその映画思い出して検索してみたらさ、面白いエントリーに行き着いたんで貼っておくわ。


http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20091202/p1


詳細はエントリーの先で。まぁようは俺が言いたいのがさ、まぁ仮にこのエントリーの感想を前提にして言うとさ、こんな映画を作るってのも当然社会的に悪っつーかつまりは奴隷精神を育むような映画で社会的に最悪じゃん?ギャング映画とか以上に反社会的なわけで。反モラル的でもある。で、この映画の主役みたいなのが増えるってことがつまりは社会悪の因子を増やすってことなんだよね。こういう善意の奴隷みたいなのが増えると凄くそれはマズいわけでってのはつまりは違法なシステムを担うのに加担する奴隷達ってことだよね。辞めるとか告発するって市民としては当然の選択もあるのに黙認するどころか加担してシステムの一部を担うことになってなおかつそれを美徳みたいにするっていうまぁ奴隷の中でも最悪の奴隷の形態だよね。まぁ正直凍りついたわけですね。このエントリーを見て。


このモチーフでこんな気違いじみたconclusionを描く映画に仕立て上げるなんてもうそれは社会的に悪なカルト教団ってのがあったとして、そのカルト教団の宣伝ビデオを配信してるようなもんだろうっていう感じだよね。カルト教団のやつらもまぁようはオウムみたいに個々は善意でやってたりするわけじゃん?それは世界を救う道であったり自分を救う道であったりっていう。でもアウトプットとしては反社会的で死傷者とかを出すようなテロをやってるわけでさ、まぁブラック企業ってのも俺は構造的にこういうカルトとなんら変わりないと思うんだよね。ただなんかやたら働くことが美徳だとかっていう奴隷精神が根っこまで染み付いている日本人にしたらこういう構図は自明じゃないんだけどね。


でもそういう奴隷精神っつーか本人が我慢してるだけで他には何の影響も無いようなのだったらまだマシだけど、社会悪なシステムに善意で加担してしまうような奴隷精神を持つってのはもうそれだけで反社会的なんだよってことだよね。働くことは良いことだっていう宗教的な思い込みがあるけどってのはつまりはカルト教団で言うところのお布施だの修行だのってことが何の前提も無しに良いことだって思い込まされるのと一緒で、つまりは単純にただなんの前提も無しに「働くこと」を良いことだなんてすることはつまりはカルト教団の修行の理論と同じってことだよね。


あからさまに悪いことをしてるってのは例えばギャングにとっては自明だと思うんだよね。だから警察とかに見つからないように隠れて何かをやるわけで。でもそこまで別に法的な制裁を受けるほどではないけど実際は反社会的みたいなことに対してはさ、そもそも本人が実際は社会的には良くないことをしているんだってことに気がつかないんだよね。いや、カルトと一緒じゃん?カルトの連中も気がつかないから脱洗脳とかしなきゃいけないわけで。「サービス残業はデフォルト」みたいなのも本当にカルト教団のドグマとかと同じレベルだと思うんだよね。よく考えれば「はぁ?」みたいなロジックも「それが良いことなんです」とか「当たり前のことなんです」みたいな意味の分からない擦り込みがあると疑わなくなるっつーかそれこそ当たり前のこととして考えるようになるんだよね。本当にやめてほしいね。迷惑だから。


あ、んであともうちょっち書きたいんで追加。いや、波状効果だよね。そいつが我慢することでそいつだけで現象が完結しているならいいけども、んでもそいつが我慢することで成り立つ波状効果ってのがあるわけで。「いや、例えば他のやつらなんて普通に働いてるよ」みたいなexampleとして使われたりね、いや、つまりはそいつだけで終わってないですよってことだよね。会社なんて組織にいたらそれは当然だよね。全ては相乗効果の中で成り立ってるわけで。そいつが独房かなんかで強制労働させられてるならともかくとして、我慢してるやつらが大量にいればいるほどそれは要因が多くなって影響ってのが大きくなるわけだ。だからそんなのは担ってはいけないわけよ。


あと映画の話なんだけどさ、ギャング映画云々っていうのはね、例えばヤクザなりギャングを綺麗に描いてて憧れを生じさせるようなさ、実際は汚いものを美化して勘違いを生み出すようなものとかさ、それが反社会的なギャングみたいな組織に関しての美化を生み出すものってまぁ表現の自由とかってものもあるけどさ、んでもそれは大抵においてまぁ問題になるじゃん?「若者が影響を受けてギャングに憧れてしまう」みたいなまぁシンプルなモラリスティックなロジックで言えばこうなるよね。


で、つまりは俺が言いたいのはブラック企業で我慢するのが偉いとかさ、リゲインでもなんでもいいけどさ「働いているあなたはかっこいい」みたいな共産主義国プロパガンダみたいなやつとかさ、まぁ前者のほうが社会悪で後者は断定はできないから言及は避けるけど、んでもなんつーかアレじゃん?「ブラック企業で我慢する」みたいなのを推奨するような映画ってギャングを美化するような映画と同じぐらいダメなことじゃん?問題にならなきゃいけないことだよね?でもこれが問題にならないってまぁおかしいよね。そういう宗教を信じてるやつらがそれだけ多いってことだ。だからあんな映画も成り立つわけだ。まことに狂ってるね。完全に狂ってる。俺とは違う意味で狂ってる。狂いにも良い狂いと悪い狂いがあるわけだが、この映画の場合、完全なる気違いで人を殺傷するようなタイプの危ない気違いだよね。まぁ見ないと分からないけどエントリー先の記事で内容が一望できるようになってるんでまぁそんな風に感じたわけで。映画は見ようとは思わないからまぁ前提としてはちょっとややこしいけど、貼ったエントリー先の記事が述べるような映画が仮に実在したとすればそれは社会的に悪影響をもたらす映画であるってことが言いたいわけね。


ってことでした。