狸さんへの返信。


2010/10/29 02:15


はじめまして。半年くらい前に偶然見つけて、たまに覗かせてもらってます。今、大学3年でいわゆる就活が迫ってるんですけど、今の就活の異常さって、っていうか洗脳の仕方ってこれと似てるなって思って。何が気持ち悪いって、「不況だ」、「雇用がない」、「ヤバイ」、「大変」、とか連呼していて、結局落ち着くのがスーツ着て奔走することなんですよ。これって虚偽意識っていうか、マゾヒズムっていうか。でそれと同時平行で広告が「自己分析」という名のやりがい搾取を促す。「自己成長」「挑戦する」「夢を実現」みたいな。だいぶ前に就職も市場化されて、結局は経済の新たな市場ニーズとして就職する学生が消耗されてるだけじゃないですか。日本はバカみたいに大学進学率が高いからとかく人はいる。で、大学が市場化されることで間違いなく大学の機能は麻痺していくんじゃないかと。ブラックに耐えるのが、加担するっていう耳蝉さんの意見と同じように、この異常な就活も大学の劣化に加担してると思うんですよ。でも、じゃあ今の大学(特に文系)を劣化させないとして、どうすんの?って聞かれたら答えられない。理系だけでよくない、みたいな意見に納得しちゃう自分もいる。で、耳蝉さんは今の就活や、文系の大学のありかたに関してどのように思ってるのかな〜って思い書き込みました。駄文、長文ですいません・・・。


狸さん、書き込みありがとうございます。


いや、凄くなんといいますか現場からの声というのは本当に参考になります。実際、まぁそれは洗脳ですよねぇ。狸さんが感じておられることは人として全うな感覚だと思います。むしろそれを「洗脳」とすら思わなくなるのがまさしく虚偽意識であり、まぁ洗脳されるということなんですよね。でもそれが分かっていても不安をネタにして洗脳を促すというような、宮台真司さんが言っていた「不安のポピュリズム」の就活バージョンって気がしますね。


基本的に宗教といいますか、カルトとかってそうですけど、それをやらなければ地獄に堕ちるだとか、霊に呪い殺されるみたいなことで不安をネタにして人を揺さぶりますよね。霊能者に相談しにいくような人ってまぁ当然悩んでいるわけで、不安を呼び起こすような材料は相談者の中にすでにあって、凄くコントロールしやすいという状況がもう膳立てとしてあるような気がしますが、これがつまりは就活で言う「不況だ」「雇用がない」「ヤバい」「大変」ってことですよね。結局それはまぁ僕みたいな客観的に言えば呑気に見える実家暮らしをできる人間から言えばそこまでの脅しになりませんが、職がないということがイコール生存に繋がってしまう人達にとってはそれはもう文字通りの死活問題になるので、その主観的な選択肢の無さみたいなものを上から押し付けられている学生達はまぁ極端な言い方かもしれませんがっていいますかまぁいつも極端な書き方をしているので何を今更って感じですが、つまりはまぁ「不況」というドグマといいますか「恐怖」によって学生達を大量洗脳しているというのがまぁ大雑把に言うところの「社会」なのではないでしょうか。


まぁ実際、それが教師なのか企業側なのか色々とあると思いますが、基本的に「生存」というキーワードを使って人を脅すということはつまりはカルトの脅し方と似ていると思うんですね。やらなければ地獄に堕ちるみたいなことはつまりはやらなければホームレスになるとかワープアになるとかまぁそんなことで構造は一緒ですよね。凄まじい搾取の構造ですよね。しかもその搾取が労働力というものの搾取もそうですが、若い人達のポテンシャルのようなものも徹底的にスポイルしまくっているということで、なんといいますか人材育成みたいな概念がゼロなのが本当に恐ろしいと思いますね。今後の社会を担う大切な若者達なのに使い捨てにするか奴隷にすることしか考えてないわけですね。


でも奴隷になる側としては少なくともその時では特に大学という場にいると選択肢が見えなくなったりすると思うのでっていいますか、「みんな就活している」みたいなムードがあると「やらなければいけない」みたいな負のhave to原理みたいなのが働きますよね。だから結局、スーツに身を包むのかサマナに身を包むのか分かりませんけど、それしかないみたいな価値観を植え付けられることで意識的か無意識的なのか、それを選択するしか無いということでやってはいるんですが、そこにある種のconformityみたいなのが生まれるのはある種の日本的な「みんなやっているから」という感覚だと思いますね。それが安心感を与えるわけですね。


あとまぁとりあえずスーツ着ていれば地獄には落ちないみたいな。まぁそれが地獄への階段を昇ることにもなりかねない場合もあるわけですが、就活している時にはなかなか分からないでしょうね。面接の塾みたいなのがあるらしいですが、本当にあんなの奴隷塾ですよね。驚いたのは通う若者が結構いるってことですよね。あんなものがビジネスとして成り立っているという現状はなんというかまぁ本当に終わっていると思いますね。進んで主体性を捨てていたり、全体主義的な社会構造に加担しているとしか思えないのですが・・・。


大学の市場化とか大学の機能って僕もいまだに正直分からないんですよね。学問をやる場としての大学なんてやっぱり所詮の一握りのエリート大学みたいな場所だけで、大抵の場所はjob training centerになってると思うんですよね。あとはまぁ社会へ入るための資格とか切符を買うような場所っていうか。学問をやる場としての大学なんていう大学のあり方はもう古典的過ぎて、一部の大学以外ありえなくなってるのかな?って気はするんですよね。


あとまぁアカデミアが腐っていたり極端に求人が少なかったりすると学問をやるにも場が無いということでやり続けられないし、まぁ在野でやればいいわけですが、職業としてはやれないわけですよね。そうなると大学ってカルチャーセンターみたいなのになるしか無いと思うんですが、その辺のカルチャーセンター的なものとモラトリアム的なものと社会への切符的なものの混在がつまりは今の大学という気がしますね。まぁ元々シリアスに学問をやろうとするやつらなんてあんまりいないという話をよく聞きますけど、そういう意味だと「学歴が欲しい」みたいなデマンドが供給を満たしているということになってしまうのかもしれません。


「大学が大学らしく機能していない」って例えば哲学者のホワイトヘッドなんかも一世紀前ぐらいから言ってたりするんで、基本的に大学って差はあれどマジで学問をやりたい人にとっては機能してないように感じてしまうし、実際そうなんだと思いますね。数学者のハーディーなどもくだらない学校の何かのシステムを壊すためになんかやってたみたいですけどね。詳細は忘れましたが。古今東西の教育論とかを見ているとやはりまぁシリアスな人ほどいつの時代も教育システムに嘆いているという印象がありますね。なのである意味で本来的な、それこそプラトンアカデメイア的なアカデミアの機能を果たしている大学なんてほとんど無いんだと思います。僕がアメリカで言っていたコミカレなんかもまぁ就職のためにGPAを上げるのに必死な学生で溢れているっていう印象を持ちましたが、それはコミカレに限らず恐らく一般的にも大体そうなんだなって色々な本とか文章を読んで僕の経験以外にも僕の考えが強ち見当違いでもなさそうだということが納得できたことがありました。


なんかずいぶんと回りくどい感じになってますが、今の所の僕の考えとしてはっていいますか、結構これは前から出ていた結論なんですが、現状の社会システムと学問をやる場所としての大学というものは成立しないんだということですね。もちろんビジネス系とか技術系などのものは今の社会のシステムと親和性があるので、だからこそまぁ大学が職業訓練施設みたいになってしまうんですよね。だったらまぁカルチャーセンターと言いますか、別に専門学校としてやればいいじゃないかって思うんですけどね。「就職に有利な学科」みたいな尺度で専攻を選択するのとかってまぁ背に腹は変えられない感じで分からないんでもないんですが、そりゃー学問をやる場所としての大学なんてものは無くなるよなぁーって気はしますね。


なので結局まぁ市場のデマンドを満たすような供給をprovideする人員といいますか奴隷を大量生産するというのが大学の経営から言っても資本主義的な考えから言っても合理的なので、だから大学はそうせざるを得ないんだと思います。それが結局、合理的な選択ならそれしかないですからね。バジェットが豊富なハーヴァードみたいな場所だったら別なんでしょうけどね。あんまり分からないですけどあとはまぁケンブリッジだとかオックスフォードだとか。でもちょっと敷居が高過ぎますよね。なのでパンピーにはパンピーらしい学校に行くことが市場の原理を満たしているみたいなことになってしまっているんだと思いますね。


大学を大学らしく機能させるといっても現実的に研究職を増やすだとかなんだとかってことは難しいでしょうし、求められているのは文学部出身でシェイクスピアをやっていようが太宰だろうがなんだろうが学者ではなくて人員なわけですから、なんか結局しょうがないのかなぁーって気がします。なのでまぁ結論としては文学研究者なんてちょっとぐらいの人しかなれないのだからいらないみたいなことになりますよね。実際、明らかに就職目的で大学に行っている人にとってシェイクスピアなんて関係ないことですから、だから大学でやってることなんて本当に無駄なんですよね。


大学側は色々と文学部の経験が実社会でも役に立つみたいなこじつけをしますが、本当に無理のあるこじつけばかりですね。文学研究と例えばサービス業みたいなのって関係ないですからね。あとはまぁテレフォンオペレーターだとか営業だとかなんだとか・・・。研究者などのデマンドが無いのにも関わらず純学問的な学科が形骸化されて残っているということですよね。で、例えばなんで文学科を選んだのか?と言えば入試が自分にとって得意な学科だったからとか、理系だったらまぁ数学が得意だったからとかなんだとか、まぁそんなしょーもない動機になるわけですよね。で、文学部に入るとかってまぁただの形式だけで実際やることは就職の準備なんですよね。もしくは社会に出るまでのモラトリアム期間なのかなんなのか分かりませんけどね。


なので異常な就活が大学の劣化に加担しているという一方的なものではないことは確かですよね。大学側も市場の人員というか奴隷のデマンドによってそういう流れにせざるを得ないとか、そういう流れにしておけば人も集まるし、就職率がどうのってことでまぁ名前を売り出せるみたいなことにもなるんで関係は相互的ですよね。卵か先か鶏が先か?みたいな話になってしまうと思いますが、結局は市場のデマンドによる人員の供給ですよね。それがもっと言ってしまえば小学校の課程から始まってるわけですよね。小学校とかでもうすでに受験とかしてる子達もいるわけで、凄い奴隷の育てようだなっていつも思うんですけどね。


将来的に上に立つための準備の小学校受験ならまだしも、結局、帰結が人員の供給ということを前提にしているような感じが否めないので、だから教育の教育らしさとか学問らしさみたいなのが無くなるんだと思いますね。受験システムとかテストみたいなシステムでいかに効率的にやっていけるか?っていうテクニックを教えるみたいなことで、まぁつまりは教育じゃないってことですよね。システムでやっていくことを教える場ということで、まぁ乱暴な言い方をしてしまえば奴隷生産ですよね。リベラルアーツの理念とは正反対の教育ですね。


なんか相変わらず取り留めも無く長くなっていますが、文系の大学のあり方というのにスキゾながらも部分的に答えられたかな?という気はしています。つまりは要約してしまえば文系の大学という存在自体が今のデマンドに答えるものではないし、哲学研究者とか歴史研究者とか文学研究者とかが大量に求められているわけでもないし、仕事もさっぱり無いので、だからそもそも文系に進むなんてことが時代に逆行しているみたいなことにもなりかねないってことにもなっちゃうような感じになっているというのが恐らくここ何十年ぐらいかのあり方だと思いますし、今後もあまり変わらないと思います。僕が大学で哲学を専攻するのを諦めたのもこういう理由です。つまりは哲学で学位をとっても何にもならないので、だからまぁやめたわけですね。


「何にもならないよ」ってモスクワ大学とニュースクールで哲学の博士号を持っているロシア人の先生から言われたり、NYUでウィトゲンシュタインと近代西洋哲学史の研究をしていた英語の先生からも言われたのでまぁ凄く説得力があったわけですね。まぁ結局何にもならないんでしょうね。完全に無駄とは言いませんが社会学とか政治学なんかも学者にでもならない限り恐らく実社会で求められるものという市場のデマンドから考えれば完全にいらないものですよね。僕はいらないとは思いませんが、社会がそこまで必要としていないし、社会学とか政治学の知識が活かせるような仕事とかってあんまり聞かないし、つまりはまぁデマンドが無いってことですよね。


数学なんかも例えば技術系はともかくとして、特に数学とかを必要とされないような会社でやっていくには微分方程式とか線形代数とか集合論だとか群論の知識ってさっぱり役に立たないんですよね。まぁそうとは言い切れませんが「全然使う機会が無い」というのはよく聞く話ですね。ということで数学なんかも純粋数学ならば数学者になる以外は就職とかはキツいみたいですし、数学者になれるのなんて一握りもいないぐらいですから、だからまぁ学科の存在意義が問われますよね。大量の廃人と屍を作り出す場というイメージしかありませんね。今のところは。


ようは社会で必要とされるスキルと学校で習うものとのギャップが激しいということですよね。その差が理系では割とそこまで酷くない気がしますが、文系では学者にでもならない限り本当に凄いギャップだと思いますね。結局、だからまぁ学問やりたかったり文学やりたいなら自分でやれってことですよね。あとは職業とか関係無しに単純に学問的な興味から大学に行くみたいな、まぁ僕みたいな選択もありえますが、それははっきり言って道楽ですよね。僕は道楽だとは思わないんですが、恐らくまぁ一般的にはただの自己満足だとかって言われるでしょうね。


ところでいきなり思い出しましたが確か東大の大学院で農学みたいなのをやってた人が大手の広告代理店に就職しただとか、大学で化学を専攻してた人が化学系とは関係無い公務員になっただとか、知り合いではそういうのもいましたね。ちなみにうちの妹は美大で演劇を勉強して卒業して今はフリーターで厨房とかでバイトやったりしてます。これまた演劇と関係無いですね。これもそもそも演劇なんていうデマンドが無いか一握りだけなので、生徒を毎年演劇科に集めるなんてことがそもそもデマンドに逆らったものであるので矛盾なわけですよね。それでは確実にやっていけないという学科で4年間も勉強するわけですよね。演劇とかって極端な例ですが、結局は文系も同じようなもんではないか?って思いますね。


長いですね。そろそろやめますね。で、最後に就活についてなんですが、これは非常に難しいですね。結局、それしかやっていける道が無いのだったら奴隷であろうがスーツ着てやるしかないわけですよね。フリーターにでもなれば新卒ブランドは無くなりますし、低賃金の不安定なアルバイトを転々としたりする可能性が高まるわけで、キャリアという点から考えると相当マイナスなわけです。つまりは生活がかかっているのでしょうがないんで、だから結局、就職するしかないのかってことになっちゃいますよね。でもそれは凄く消極的な理由で選んでいるので精神的に辛かったりして辞める場合とかも多いわけですよね。だからまぁ結局、行き場が無いってことですよね。


仮にそこまで悪くない環境の職場に身を置くことができても、例えばやっていることが本当にただの労働なのであればそれは精神的に参ってくる人もいると思いますから、そこでまぁよく実存的な葛藤をするわけですよね。「こんな生活が永遠と続くのか・・・」みたいな。仕事が無い側から言えば永遠と続けられるだけで贅沢な気がしますが、働いている当人にしてみるとやりたくもない仕事に人生の大半の時間を費やすというのがまるで生き地獄のように感じられるようになってくるわけですよね。まぁなんとも生き辛い世の中なんでしょうかって感じですね。


なんといいますか人間らしい生活がし辛くなっているという傾向がずーっとあると思いますが、もうそれがデフォでずーっとやってきているのでなかなか変わらないという現状はありますよね。なんかこうやって書いていて八方塞がりって感じがしてきます。いや、すみませんね。僕も「どうやって生きていけばいいのか?」って実家暮らしながらもやっぱり思うので「こうすればいい」みたいな処方箋は無いんですよね。いや、処方箋を求められているとは思っていませんが、就職や就活ということに関しても、結局は「どう生きていくのか?」という問題になってしまうので、それは僕の中では答えが出てないことなんですよねってまぁブログを読んでくださっていれば分かっていただけているとは思うんですが。


なんか上手いこと回答できなくてすみませんね。色々と書きながら考えたんですが、これは結局普段から僕が言っていることのジレンマなんですが「奴隷になるな!」って普段から言ってはいますけど、ならざるをえないという人達が多いという中で、どう「自由」を定義するなり「人間らしい生活」を現状の社会システムと照らし合わせて行使するなり送っていくということができるのか?ってことなんですが、僕の言う「自由」なり「人間らしい生活」が現代人的な経済的活動と合わないところだらけなので、だからまぁこういうトピックについて語るという事自体が凄く難しいんですよね。


抽象的な人間論的な意味で「こうすべき」という意見はいくらでも言えますが、現状の就職なり就活について「こうすべき」とか「こう思う」みたいな現実的な意見は言えないというのが現状ですね。いや、そこで「奴隷になるのはやめたほうがいいと思う」って言った所で「じゃあ生活はどうしていくのか?」というレスポンスが必ずあるわけで、そういうのに僕は答えられないし、自分でも模索段階ですし、仮に僕に何かが見つかってもそれが他の人にも言えるような原則にはならないでしょうし、だから凄く難しいんです。数学的な用語の乱用になるかもしれませんが色々なものの均衡点を見つけ出すみたいなのが凄く難しいわけですね。


ちょっと変な言い方になりますが、例えば僕は「人間がこうあるべき」みたいな人間らしさとか社会の健全なあり方みたいなことに関してはそこそこのまぁまぁな正論は結構言えると思うんですが、現実的なアドバイスといいますか、「こうすればいいんじゃないか?」みたいな、明日から実践できるような考え方とか生き方のようなことに関しては極めて非現実的で空論に近いようなことぐらいしか言えないんですよね。そこが本当に自分の力不足というか、そこを僕は自分にも一般的にも言えるようなことを意見としてまとめたいといいますか、意見として言えるようになればいいなって思ってるんですが、なかなか無いんですよねぇー。それは僕自身がリアルタイムで悩んでいることでもあるので、そんなに答えは簡単に出ないんですけどね。


最近流行の自己啓発本みたいな、「ようは考え方次第」みたいなのは凄く嫌いなんですよね。まぁusefulなメソッドはありますが、例えば極限的な選択に迫られているような大学生とかワープアの人達とかに効果があるようなものってさっぱり無いと思うんですよね。脳にいいことだけをやれればそれは理想的ですが、現実的にそんな生活を送れるような余地が無さそうな道しか無いっていうような現実がある人達が結構多いと思うので、僕も含めたそういう人達に対するちょっと大げさな言い方になりますが、生き方の提案みたいなのができればいいなって思ってるんですがってそれはつまりは僕が上目目線で「こうしなさい」って言うのではなく、まずは自分に「こうしていけばいいじゃないか」って言ってあげたいんですね。で、それが上手く行けば「これはいいぞ。一般化できそうだ」なんてことになれば意見として言えると思うんですが、そういう段階ではないんですよね。まぁ仮に自分に言ってあげられることが一般化できるという保証はないんですけどね・・・。まぁそれができれば誰も苦労しませんよね。でも僕は「そんなの無理だよ」みたいな感じで思考停止にならずに常に色々と考えてはいますね。答えはなかなか出てこないんですけど・・・。


・・・とまぁそんな感じで長くなりましたが、あやふやな感じの回答で自分で書いていても凄く残念な感じがしてしまいました。結局まぁ僕の考えとかってその程度なんですよね。現実に対する無力感みたいなのをこういう特に凄く感じたりします。まぁそういう状態でいいとは思っていないので、もっと進化していこうとは思うんですけど。とにかく書き込みありがとうございました。また何かあれば書き込みしてください。