ノイズよもやま話。

mimisemi2010-11-25

なんかさ、毎日ギターやってさ、読書して楽しいことだらけで言うこと無いみたいな生活してるって思われるかもしれないけどさ、まぁ状態で言えばそうだけど、んでも精神的にそうでもないんだよね、いや、もう正直結構実家に居るのがキツくなってきたね。いつかはそうなるだろうとは思ってたけどこんな早いとは思わなかった。ようはなんつーかニューヨークが恋しいというよりかは前の一人暮らしに戻りたい・・・って感じなんだよね。でもまぁ収入ゼロだからなぁ。


我慢するしか無いなんて言ったら親に殺されそうっつーか出ていけって言われそうだけどさ、いや、でも実際そうなんだよねぇ。矛盾してるんだけども。あとまぁ経済的に自立はしてなかったけど親元から離れてみたってのが何気に過去4年半ぐらいだったわけで、まぁアメリカとかは置いておいてもまぁ4年半ぐらいは一人暮らししてたみたいなもんだもんね。そっからまぁ結構やっぱ自分なりの生活とか考え方とかが生まれてくるわけじゃん?っていうか生まれてきたんだなって思ったわけだね。それはそれこそ一旦離れてまた戻ってくるというプロセスを通過しないと分からないみたいなことだよね。


あとまぁ結構些細なことでイライラすることが多くなったな。それは普通に親の言うことに矛盾があったりわけわからないことで怒ったりって真性の馬鹿な親に比べたらうちは全然いいんだけど、それでもなんつーか俺はやっぱ5年前ぐらいより相当ロジカルな人間になったんだなって思うわけっつーかさ、ロジックがおかしいことでイライラするんだよね。いや、その割に詐欺師にだまされたりもしたけどその話はまぁちょっと置いておいてくれたまえ。


いや、でも言いたいこと分かるでしょ?なんつーかそれこそずーっと親の元にいた時にあった親の全能感っつーのが離れてみてなくなったんだよね。それは単純にずーっと食わしてもらってたみたいな物理的なこともあるけどさ、あとは俺がやっぱ未熟過ぎて親に諭されるようなことが多かった気がするけど、あっちに行ってからまぁやっぱ成熟したのかなっつーか成長したんだよね。だからもう全然世界の見え方が違うし、それこそ親とか家族に対する見方とかも全然変わってるってのにまぁ最近気がついたんだよね。


帰ってきたばっかのときはまぁ飯がうまいだのさ、まぁ居心地がいいだのってあったけど、もうさすがに結構経つからそういうのも無くなってきてさ、まぁ前に散歩の時にゲシュタルトが崩壊するみたいなことを書いたけどさ、まぁつまりは慣れだよね。別にもう食べ物とかにも執着しなくなったしさ、まぁそれでももちろん無いとダメだけど、んでも帰ってきたばっかの時は食べてばっかいたけど最近そういうのもまぁ結構無くなってきて。


なんつーかだから家族との距離感とかもさ、例えば前のニューヨークの地下みたいな場所に住みつつ、まぁたまに親に会うとか電話するぐらいが一番良かったんだよね。見た目で言えばさっぱり親離れしてないように見えるかもしれないけど問題なのは経済的な問題だけで精神的にはもう完全に自立してるからさ、だからこそまぁ家族と近過ぎると嫌なのかもしれない。決して居心地が良いわけではないよね。別に家族と仲が悪いわけでもないし、むしろ経済的な問題はともかくとしてまぁ関係で言えば円満なんだよね。それでも俺は嫌なんだよな。なんつーか近過ぎる関係が凄く嫌っつーか違和感を感じる。かといって真性ニートみたいに部屋の前にご飯が置いてあるみたいな引きこもり生活するわけにもいかないしさ、家族と接しないなんてことはまぁ無理なわけで。やっぱまぁ生かしてもらってるからそれはしょうがないんだけど、んでも逆にそれはなんつーか結構成長のおかげだよなーとは肯定的に見てるけどね。


昔だったらなんとしてでも現状維持っつーかさ、ずーっと今の生活を続けようと思っただろうけど、今は本当に一人になりたいんだよね。もう本当に一人になりたい。いや、かといっても完全な孤独とかってことじゃなくてね、そりゃネットとかあるし、ウォール伝とかでやりとりするのとかってのがまぁ俺の心の支えにもなってるし、たまに友達とメールするとかさ、そりゃリアル社会とかリアルな人間とのやりとりってのはあるんだよ。ただ生活で言えば一人でいたいってことだよね。


まぁ普通これって18ぐらいで思うことなんだろうなぁ。ギターにせよ自立にせよなんつーか遅過ぎるよな。ギターとか普通中学とかだよね。俺の場合、色々経由し過ぎてるよね。まぁ中学的なギターの触り方ではないんだけども。まぁでも精神的には成長できてるってことだよね。本当にまぁそういう意味でアメリカで一人暮らしっつーかまぁシェアとかだったけどまぁ金銭的なこと意外では一人でやってきたっつーのがまぁ凄く良かったんだろうな。あとまぁ一人暮らしってのを経験してるからまぁリアルにまた一人暮らしできるからね。自炊してたわけだしまぁ洗濯とかもやってたわけだから。


結局なんつーか社会に出たからってことになるのかな?まぁその社会がアメリカだったけど、でもまぁ色んな人とあったりしてさ、家族を相対化できるようになったっつーかさ、それこそ前ってまぁ家族しかなかったわけじゃん?でもまぁニューヨークの時はルームメイトやら隣の人やら大家さんやらさ、色々な人間関係が生活の中に組み込まれてたからね。別にまぁそういう他者との生活が組み込まれた生活に戻りたいっていうことではないんだけどね。あとなんつーかあれだよな、些細なことで言えばさ、俺がまぁ理詰めで何かを説明しても理解されないとかさ、あとは変なロジックで対抗してくるとかさ、喧嘩とかはしてるわけじゃないし、まぁ親は完璧じゃないし、ましてやうちはインテリ一家とかじゃないからまぁ本当に普通の親だからさ、だからまぁなんか合わせるのとかも結構辛いときがあるんだよね。


小島寛之さんの算数の発想って本だったと思うけどさ、いや、うろ覚えだけど、人間関係も相対的でさ、例えば長い人間関係の中でも大抵は何らかの亀裂が入って続かなくなるってことがあるみたいなことが書いてあって、まぁそれがようはどちらかの変化によるものだってことなんだよね。それが相対的であるからどっちの変化かは分からないんだけど、でも明らかにどちらかかまぁ両方なのかもしれないけどまぁ変わるでしょ?それによって関係性も変わるんだよね。


仮に俺が昔左翼の友達とかがいたら今じゃ絶対政治的な話は合わないだろうし。それは俺が変わったからだよね。仮にこの架空の友達がずーっと左翼だったとしたらね。ようは自分という軸というか座標の原点が常に自分だからさ、自分が変化してるってのは分からないんだよね。自分が原点だから。だから自分を原点として見た時の見え方の違いしか分からない。そういう違いにまぁ最近は気がついてきたのかなっていうかまぁようは上辺だけの心地よさとかに慣れてきたからだと思うんだけどね。そう思うと仕送りもらって一人暮らしって最高に贅沢だよなって思うよね。ある意味やりたい放題だもんなぁ。まぁ俺は違ったけど。


あとさ一気に話は変わって機材の話なんだがね、いや、でいじさんの書き込みにもあったけど、ノイズの機材ってやっぱミステリアスで気になるよね。俺もまぁ最初すげー気になったもん。で、まぁこれについて簡単に書くわっつーかアレだよね、基本的にパンク的なDIY精神っつーかさ、一番いいのは理論的なことから始めるよりもまずノイズとかに憧れてっつーかあんな音出してぇーなぁーとか思ってんで身近にあるもので近い音をなんとか出してみるみたいなことからスタートだよね。それこそラジカセとマイクとかがあればできる世界だからね。


まぁそれこそ初期のハナタラシとか高校時代の卓球みたいなもんだけど、とりあえず出力できるもんは全部マックスって感じだよね。ボリューム的なもんは全部マックス。あともちろん入力もマックス。とにかく音を割れさすことっていうか、これ以上音を高くできるの?って思うぐらい音を高くすることから始めるっつーかノイズの奥義ってこれにて極まるって感じだよね。基本的にノイズってさ、まぁ色々あるけど、まぁ結構俺っていい歳っつーかノイズ歴長いよね。初心者からいきなりもう中級者か上級者ぐらいになってるから面白いよね。好きで勝手にやってると勝手に上達したり知識が身に付くとかってこれだよな。あんま才能とか関係無い。


まぁそれはともかくだな、まぁ出所はともかくとして俺は昔サンズアンプのエフェクターを持ってたんだよね。オーバードライブだったか忘れたけど、全然使ってなかったんだけどノイズやりたかったからそこに800円ぐらいで買ってきたAiwaのマイクを突っ込んでオーバードライブのドライブとかボリューム的なもんをマックスにして叫んでみたりあとは鉄板買ってきて擦ったりとかね、インスタントOrganumだよね。あとはEMSのシンセとかヤン富田が使ってるようなシンセとかが欲しかったんだけど買えないからミキサーでそれっぽい外見にしようと思ってとりあえず配線を色々やってみましたみたいなのがまぁフィードバックミキサーの発見に繋がったよね。


で、フィードバックで「ギョワー!」って言わせたままなんか音を被せると音が重なってハーシュノイズっぽくなるみたいな。で、あとはとにかく音をデカくすればいいんだよね。ノイズは音を出すだけだったら相当楽だよな。それこそ家電音楽的な手軽さがある。むしろこの家電感にこそノイズありって感じだよね。そうなんだよねぇ。俺は機材らしい機材を全然持ってないんだよね。色々と音が出そうなものを使ってそうなイメージあるかもしれないけどってあるかな?分からんけどまぁないよ。基本は録音した音とかどっかからサンプリングした音とかマイクで出した音とかノイズとかをPCに取り込んでまぁそのままカットアップしたりしてノイズ作ることもあるし、あとはまぁ変調させたりとかだよね。激プリミティブやね。何の洗練されたシステムも手法も無いんだよねぇー。


ノイズって単純さから抜け出すと一気につまらなくなるんだよな。それこそ音楽的に凝ったパンクバンドとかノイズバンドがつまらんようにさ、いや、良いのもあるかもしれないけど、やっぱ単純さだと思うんだよねぇー。魅力は。別に誰でもできるけど誰もやろうと思わないみたいなところにノイズの魅力ってあるよね。だからなんつーか例えば初期のハナタラシがどういう機材を使ってたか?みたいなテクニカルなことって野暮なことなんだよね。EYEはイライラしつつとにかく音を出したかったっつーんでとにかく録音しまくってたっていうのがアレなわけでさ、あれを一種のスタイルとして捉えたり技術として捉えるのは相当野暮ったいことなんだよね。


まぁんでも俺がその野暮ったい人物でもあるんだけど。まぁ俺が模倣したノイジャンは数知れずだなっつってもまぁマゾンナとインキャパとメルツぐらいか。あと一時期デスメタルにハマってた頃はデス声の練習とかもしてたなぁ。でも結局まぁそういう模倣を通してさ、んで自分なりのノイズっつーか音を出す面白さみたいなのを見つけて行くんだよね。だから最初はまぁ模倣でいいっつーかなんつーかさ、今の俺のギターなんてそうじゃん?アートリンゼイの音を出そうと必死になってるだけってノイズやり始めの俺と全く一緒だもんな。そういう意味で俺は全然変わってないなって思うんだけど。いや、でもさ、ググっても出てこないしさ、手法とかスタイルも確立されてないものをさ、ただ音だけ聞いてそれらしい音に近づけて行くって結構いいプロセスなんだよね。それを通して学べることとか身に付くことっていっぱいあるんだよね。それこそ見よう見まねっつーかなんつーか。


でもなんかさ、俺の中でロックの解釈が変わったんだよね。古い時代の人が悪魔と呼んだ音楽としてのロックってつまりは轟音にあったと思うんだよねって最近なんとなく思ったわけ。ようはそれまでアンプラグドでさ、アコースティックな音が主流だったものに対してさ、ギターってにピックアップつけてアンプで増幅させてその音を出すってかなり発想がノイズ的なんだよね。もちろんまぁそれで音楽的なものを奏でるわけだけどさ、でもノイズの発想ってこのロックのギターと似てるんだよね。それがギターじゃなくてマイクだったり具体音だったりするっていうだけでさ、基本的になんつーか増幅させるってういうことには変わりないなっていう。だからまぁマゾンナとかロックなんだよなぁ。


今はどうか分からないけど、浅田雨の缶に10円玉だか入れてさ、そこにピックアップつけてディストーションだかファズだかかけて振るだけっていう。それだけでもう爆音だもんね。すげーロックだよな。これ。あとまぁ動きと叫びがあるわけで。まぁある意味での抽象化されたロックだよね。ロックの悪魔的な感じっていうかさ、かつて恐れられたものとしてのロック感ってのがまぁマゾンナみたいなもんだよね。あとはまぁちんちんが小さいGGアリンとか。GGアリンもロックが死んでるとか言っててさ、んでかつて恐れられたロックを俺はやってるんだみたいなことを言ってたけど、まぁロックってそうだよね。ヒップホップとそういう意味で凄く似てるね。ヒップホップって音楽のジャンルっつーよりかはカルチャーじゃん?生き方とか生活感とかファッションとかペインティングとかっていうまぁカルチャーじゃん?で、一般的にヒップホップと呼ばれているものは所謂ラップミュージックだよね。ヒップホップカルチャーの一つなわけで、あれ自体がヒップホップなわけじゃないよね。あとはまぁ俺がスタイルとして好きなヒップホップってサンプリングなんだよね。


それこそ単純にかっこいい部分みたいなのを切ってきてビートに乗せてループさせるだけっていう単純さね。でもそれがかっこいいんだよな。ネタ選びとかビート感とかってすげーセンス問われるからセンス一発勝負みたいなところはあるよね。今では変わり果ててしまったUrsula 1000のファーストなんかはモロにヒップホップやね。サンプラーとムーグだけで作ったっつーのが最高にファンキーだよね。そういう意味だとDJ Camのファーストも最高にヒップホップだよな。俺の中で一番ヒップホップらしいヒップホップってDJ Krushなんだよね。あの人は意識的にやってるのか無意識なのかヒップホップっつーものを抽象してくる感覚にすげー長けてるんだよね。あと変に技巧に走り過ぎないしさ、あくまでプリミティブな質感とかビート感とかで勝負してるのがかっこいいんだよな。まぁあとああいう生楽器とのJam感とかもジャズだしね。


まぁあとウータンとかかな。ああいうのなんか無い気がするな。ウータン好きなやつって大体今のヒップホップ好きじゃないやつ多いっつー印象があるな。あ、ウータンのファーストね。あとまぁMadlibかな。まぁいいや。んで話をロックに戻すとさ、だからまぁ商業ロックとかって本当に音楽形式だけだよね。本当にロックなことしたら恐らく食っていけなくなったりさ、刑務所行ったりしちゃうもんね。一時期の破天荒なロックンローラーってまぁ生き様がロックじゃん?シド・ヴィシャスとかGGアリンとかキース・ムーンとかジミヘンとかカート・コバーンとかジム・モリソンとかダービー・クラッシュとか極端だけどまぁみんな早死にしてるよね。ドラックか自殺で。


そもそも商業的に成功してリア充になるなんてロックじゃないよね。破天荒に太く短く生きてこそのロックだろうっていう。それは死に様という意味でのロックじゃなくてさ、ロックやりながらロックらしく生きてたら早死にしちゃいましたみたいなもんだよね。だから別にドラッグやって死ねばいいってわけじゃないわけで。


だからそういう意味でも商業的なロックにせよヒップホップにせよ、元の精神がすげー俺は好きだからさ、だからああいう感じで商業的にスポイルされてるのって好きじゃないんだよね。なんかねぇー上手いギター弾いてみんな客が喜んでThank you!っつって去って行くみたいなのってロックじゃないと思うんだよね。暴動が起きて中止とかにならないとなんかロックじゃないよね。そういう意味で本当のロックと商業音楽って相反するものだから共存がそもそも無理だよね。だからまぁロックってつまらなくなっちゃったんだろうな。


で、俺が特に昔から惹かれてたのがさ、音楽的にロックっつーのは本当に苦手だったけどパンクスの精神だよね。とりあえずフラストレーション溜まってて楽器できないけど感情のはけ口としてバンド始めちゃいましたみたいなスポンテニアスな感じっつーのかな?ああいう勢いとか瞬間にこそ音楽って宿るんだよね。だから全然技巧とかってどうでもいいんだよね。そんなのただのオプションだよね。まぁ俺にとってはってことね。俺は一般論なんて喋らないから。


シド・ヴィシャスとか凄いよねぇ。ロクにベースも弾けないのにスターだもんね。そういう意味でアートリンゼイのギターも相当パンクなんだよね。まぁ仮にデレクベイリーとかの影響があってインテリが狙ってああいう音をやってたとしても、そもそもドラムを叩けなかったモリイクエとかにドラム叩かせたりしてる時点でもうパンクだよね。まぁ今のリンゼイはある程度はギター弾けるんだろうけど当時はモリイクエだかの証言によればアートって詩人だったんだよね。詩人が自分のリリックとか表現を発表するためにギターを取ったみたいなさ、んであんなギター弾いちゃうんだから最高にかっこいいよね。


いやさ、なんかさ、今の日本って土壌的には相当パンクが生まれる条件が整ってると思うんだけど日本人が真面目過ぎて誰もやらないんだよね。まぁやってる人はいても生まれつきパンクみたいなやつばっかだろうし。なんかとにかくイライラしてたら楽器でも始めて叫んでみたりライブハウスで暴れてみたりすればいいと思うんだよね。I Hate Workみたいなのってパンクの標語みたいなもんだし、ニートとかにピッタリだと思うんだよね。まぁ毎日アニメとか見てそこそこ楽しいニートじゃなくてイライラしてるニートとかフリーターね。


暴れる集会みたいなのやればいいと思うんだけどね。絶望に向き合っててもしょうがないから、絶望に向き合うからこそ生まれてくるフラストレーションをノイズなりパンクなりロックっつー形で表現するっていうさ、まぁ今の音楽に足りないのってそういう怒りだと思うんですよね。日本に限らずみんな優等生っぽいのが多くてなんか本当に残念だよね。いや、全否定はしないけど、でも怒りが無いなぁーって思うんだよね。結構絶望的な状況に置かれてるはずなのに暴れるやつとかがいないって何なんだろうな?っていう。まぁ日本人って暴動って概念が無いからね。真面目過ぎるんだよなぁー。本当のロッカーっつーかパンクスってEYE以外思いつかないもんな。あとさ、派遣切りでもなんでもまぁデモ系でもさ、やっぱそこに怒りって必要だよね。どうも日本のデモって見てて過激さが無いんだよな。だからなんか相手にされないっつーかパワーが足りないっつーか。みんなノイズとかパンクやればいいのになぁー。アンプ背負いながら叫んでギター弾きながらデモとかでもいいと思うんだよね。


まぁそんな感じですかね。今日は。