断捨離について書こうと思ったら話が分散し過ぎたので。

CDR漁ってたら多分2003か2004年ぐらいに作ったボサのミックスが出てきたんでアップしましたですので聞いてみてくださいな。かなり雑で選曲の幅とか狭いけどまぁその辺は許してくれ。まぁ隠れ音源的な感じで聞いてみて。


http://mushroom.cage.to/mix/bossa.mp3


ってことで今日のエントリーですけどね、ペイパルの寄付ボタン作ってみたんだけどあれって寄付する側がペイパルのアカウント持ってないと寄付できないのね。いや、実際どうなのか分からんけど。あとはてなでも投げ銭システムってのがあって、んであんまり使われなくなったっつーか流行らなかったとかさ、まぁ色々と調べたら歴史的な経緯を知ったんだけどまぁ昨日書いたことは「何を今更」って感じのネタだったね。ただでもさ、助成金とか出ないしリクルートもされてないけど重要な研究をしてる人とかアーティストでもいいんだけど、そういう人にマイクロペイメントが出来るシステムって絶対あったほうがいいよねってあるんだろうけどイマイチ普及してないのかな。ニコ動の動画職人に投げ銭をするシステムとかあるらしいけど実際ワークしてるのかは分からないけど、まぁ昨日言いたかったのはこういうことだよね。


テレビとか下手なショートフィルム見るよりよっぽど面白いものを提供しているんだから対価が得られるべきっていうかさ、まぁ無償だからいいのかもしれないし、金ってのが絡んでくればまた色々変わっちゃうところがあるのかもしれないけどさ、でもそれは作る側次第だから投げ銭システム批判みたいなのがあったとしてもそれはあんまり意味無い議論だね。ましてやニートみたいなやつが変な動画だけ作って生きてますみたいなさ、それこそ投げ銭だけで食っていけるようになればそれってもう立派な動画職人っていう仕事だよね。


まぁ俺はインディペンデントなネットコンテンツ全般にそれは言えると思うのね。商品化されるようなものの劣化が著しいと思うのね。最近は。だからブログのほうがその辺で売ってる本より面白かったりさ、テレビにしてもテレビ側が面白動画みたいなのを放送するみたいなさ、本質的な「質」みたいなもんが匿名性のあるMAD動画的なもんとかさ、謎の楽曲とかコラージュとかさ、それは日本だけじゃないよね。こっちが頭に思い描いてるアニメのキャラクターを的確に当てるジンとかもさ、フリーのコンテンツの最たるもんだよねってまぁちょっと古いけどさ、まぁその辺で売ってる娯楽より面白いもんがフリーなんだよね。でもエンタメってどうなっていくのかな?いや、書きたい事は別にあるんだけどさ、いや、そのエンタメに繋がる話でもあるんだがね。


いや、もう書くか。んでまた後で戻ってくるかもしれない。断捨離って流行ってるらしいけどさ、いや、ホントにそうだよねって思うっていうかまぁ俺はブームとかじゃなくて自力で行き着いたつもりでいるんだけどさ、まぁブームにあやかってとかって思われてもいいんだけどっつーか本当にこういうのってどうでもいいからまぁどうでもいいんだけどっつーのをメタ的なギャグでやってたりなんかしてまぁいいや。ハイパーフラフィアな文体だよなぁー。あの本読んでからなんか昔のウォール伝的な原動力が書く力に出てきたっつーか復活してきたっつーのはさ、ここ数年ぐらい良くも悪くもクオリティが高くなってると思うんだよね。普通にまともな評論とか社会批評とかやってたりしてさ、まぁそれはそれでいいんだけど、俺はクリティークじゃないしさ、そんなつもりで書いてるわけじゃないじゃん?


でもそういうのがブクマとかちょっともらえたり好評だったりするとなんつーかそれに流されてまたそういうのを書こうとするとかさ、まともなのを書こうとしたりしちゃうじゃん?ここ数年ずーっとそれがあるんだけどさ、で、まぁたまに気がついてくだらないエントリーを書こう!とかって思ったりするんだけどさ、そもそも俺が自分でも「面白いなぁー」って思える文章って俺が躁状態の時とかあとはやたら書けるときにグアァァー!っとノイズっぽく放出した中に出てきたりするんだよね。それはポアンカレーっぽい感じでさ、色々読んだり考えてきたことってのが無意識下では思考されてたんだけど書くみたいなレベルになってなかったものがハイな状態になることによって勝手に顕在化してくるみたいなさ、そういうまぁインプロっぽい中から面白いものってまぁ出てきてるんだよね。まぁ俺の中ではね。あ、俺の文章ね。


だからやっぱまともなのを書こうとしちゃいけないなって本当に思うわけ。そんな風になったら俺は終わりだよね。結果まともになってる分にはいいんだけどそんなのはただの結果なんであってさ、最初からちゃんとしたものを書こうなんて俺の中ではそもそも無理だからさ、もっとまぁ自分に優しくっつーか素直でいなきゃいけないなぁーとかって思ったよね。なんか最近自分でも嫌なのがやけに学術的なところね。まぁくだらない話とかギターの話とかも多かったけどなんか偉そうな哲学っぽいエントリーとかが増えてるっつーかまぁここ最近ずーっとそうだけどでもそれってなんか自分の中で選んで書いてる気がするんだよね。とりあえず書くってことをすればあんなに例えば政治に偏ったエントリーばっか出てくるとかさ、オントロジーがどうのとかってならないはずなんだよね。


それには絶対俺の中のさ「哲学」とか「数学」は書くに値するトピックだみたいな価値判断が介在してると思うわけ。そういうのって俺にとっては最大の敵なんだよね。それこそ書くトピックとか書き方とかもイディオム化するっていうかさ、常に自分が耳蝉の真似をしてるみたいな、そんな感じになったら最悪だからね。もうホントに嫌ね。学問は高尚だみたいなプライオリティのつけ方が凄く嫌。俺が哲学の嫌いな部分ってここなんだよね。神聖化されてるっていうか偉そうなイメージがあるじゃん?いや、もっと哲学って土臭いはずなんだよね。すんげー生活感あったりさ、ドロドロしてるっていうかなんていうか。


まぁいいや。んで何を書こうとしたんだっけ?あ、断捨離だ。まぁ必要性もあるんだがね、ギターを買ったじゃない?まぁダンエレの分はDVD売ってなんとか確保したんだけどさ、スピリットのほうが4割負担ぐらいだしさ、まぁそれは先だからいいんだけどまぁE-Bowとエフェクターの分だよね。あと本も買うの無くなったとか言ってる割に結構買ったりしてるっていうかさ、まぁでも本当に昨日貼った本は良かったわぁー。もう本当に読んでるときハッピーだったね。いや、やっぱ自分に関係があるし自分が自分の中で謎に思ってる部分だったりするからさ、それが完全ではないにせよ科学的に解明されてるって結構感動だよね。まぁ俺ってそういう意味で自閉的だよね。自分にしか興味が無い。


他人に対する興味の無さは昔から病的なんだけどさ、だからまぁ一時期アスペルガーとかも疑って本を読んでたりするけど、まぁ内向的ってことだね。いや、自分というよりかはね、俺がどうしていくのか?とかさ、俺のファッションとかそういう俺じゃなくて俺っていう意識だよね。その俺っつーもんが考えてたりなぜか悩んでたり何らかの原理に促されて動いてるとかさ、その原理を解明したいみたいなところはあって、そこが結局まぁAbnormal Psychology的なものをディグる動機になってるよね。まぁ俺のこのコンプレックスな複雑な感じの精神構造の原因を突き止めたいっつーかさ、それは一つのネタだからいいんだよね。普通じゃ無くて良かったって今なら思えるけどまたどうせ鬱が来たら普通の人を羨むようになるんだよなっていうか普通の人を羨んだりはしないけどさ、ただまぁ波がないのはいいよなぁーって思ったりはするよね。でもその波がなければ俺は面白くないわけでだからまぁ完全に社会にアダプトする気はさらさら無い感じだけど鬱には絶えなきゃいけないね。衝動的に自殺とかしたら絶対ダメだなって今ぐらいの精神状態なら思えるけど先週はずーっと自殺のことを考えてたなぁー。


あ、んでダンエレじゃなくて断捨離の話なんだけどさ、もうジャズとか凄まじい勢いで売ったんだよね。いや、結局もうタンスの肥やしなのとあとはやっぱイデオロギーが強いんだよ。俺ってレコードカルチャーをダイレクトにウケたっつーか小西とか須永みたいなのがレコード自慢しててさ、んでDJのなんかレコの数を競う感じとかレア度自慢とかさ、参加はしてなかったけど気分的に参加してたんだよね。そういうくだらん競争みたいなのに促されて買ってたとかさ、あとは単純な低俗な所有欲っつーか物欲を満たす為だよね。特にハイになるとディグるのって本当に楽しいしさ、まぁ狩猟民族的な感じっつーかまぁ本でもそれはあったけど今はもうあんま買うのないからアレなんだよね、ただまぁ行くと余計なの買っちゃうからだからもう行かないようにしてるって結局レコ屋と同じ感じだなぁーっていう。


レコードもある程度まぁ欲しいのとか聞きたかったのを買いそろえて聞いちゃうとさ、あとはもうなんか惰性なんだよね。この人のを全部集めてみようとかさ、このミックスに入ってたこれが入ってるこれを探そうとかさ、まぁ今の俺から見ればそういうくだらない理由でレコードを掘りにいったりしててさ、それってもう理性を失った動物みたいなレベルだよね。レコードを掘る猿っつーかなんつーか。アプリオリな感じで俺はレコードをディグることは快感だって思ってたけど、あれってレコードカルチャーっつー一種のイデオロギーなんだよね。レコードに埋もれるみたいな生活を美徳とするような固定の美意識だよね。俺が本当にそれに美とか喜びを感じていればそれはそれでいいんだけど俺は完全に犯されてただけだって思えるね。まぁ単純にハマってたってのもあるけどさ、でもまぁなんつーかそういう類型に当てはめてヴァイナルジャンキーなんだ俺って言ってみたりさ、その自意識が凄く嫌いなんだよね。だからまぁそういう自意識が介在して買ったものに関してはもう全部処分しようと思ってさ、なんかまぁいいきっかけだよね。


まぁあんなアメリカからの輸送の料金かかったのに断捨離とは・・・って感じだけどね。だったらあっちで捨ててくればよかったのにみたいな。まぁそれはいいじゃん。いや、実際わざわざレコード出して聞くようなもんって無いんだよね。まぁあとは出して聞くようなもんは限られていて、んでそういうものに関してはもうかなり聞いたからあえて聞くほどでもないっつーか頭に入ってるから聞く必要がないんだよね。だからもうゲンズブールとかもいらないなぁーとか思って売ろうと思ってるんだよね。今回。昔はあんなに死ぬほど好きだったのにねぇー。まぁ自分なりに消化したっつーか消費した感じなのかな。ただあの良さって心の中に残ってるからね。音楽的な唯心論ですな。まぁでもそうだと思うんだよね。


音楽なんて聞いてるうちはダメだね。聞かなくてもオッケーぐらいにならないと極めたって言えない気がするってまぁちょっと勢いで書いてるところもあるけど、んでもまぁそもそも何千枚って持っててもアホらしい所有欲とかあとは自慢とかさ、そんなことになるわけじゃん?そもそも何を持ってるか把握できないじゃん?中身まで覚えてないだろうし。俺のmp3がそうだよね。もう多過ぎて何を持ってるか分からないっつーかもう持ってるって感覚が無いよね。データだから。俺が聞きたいと思う時にアクセスするって感じでアーカイブ的な感じだよね。だから物質的な所有欲というのが介在しないからさ、純粋に音楽的に聞きたいやつしか残らないじゃん?まぁ俺の主観的な自然淘汰ですな。その荒波をくぐってきたものってのはまぁ凄いよね。レスバクスターとかSNDとかジャッキーグレーソンとかやっぱ凄いなって思うね。


なんかやっぱモンドって言い方はあれだけどステレオアクションみたいなやつとかさ、ああいうのは本当に好きなんだろうね。で、ジャズに関してはかなりカルチャーに犯されてた感じがあってさ、最初はまぁクラブジャズ的な犯され方で後半はこぶ平的な犯され方だね。クラブ系みたいな軽薄な「使える!」みたいな聞き方にバカバカしさを感じてさ、ジャズそのものを味わおうとしてたんだけどんでもそれが結構なんつーかジャズ親父臭い感じっつーかさ、「この時のリー・モーガンのテンションって・・・」みたいななんかレコードから場を読み取ろうとするみたいなさ、まぁそれはそれでいいんだけど、それを俺が天然でやってたか?っていうとそうでもないんだよね。かなりジャズ系の本とか読んでたからジャズオーディオカルチャーみたいなのに毒されてたなって感じはあって。


思うに無いもんね。本当に好きなじゃずアルバムは?って言われても無いよね。実はそこまで俺はジャズ好きじゃなかったっていう。ただの背伸びたったのかな?まぁ好きだけどさ、でも死ぬほどではないよねっつーかなかったよね。で、結局俺の激流を勝ち抜いてきたのってさ、ジャズって言っていいのか分からないけど明らかにジャズ的な聞き方はしてなかったアイラーだよね。グリニッチ・ヴィレッジのライブ盤ね。impulseのやつね。いや、あれは買ったのは相当前だけどんでも今でも好きだな。あればかりはやっぱり本当に好きなんだなと。ただやっぱ俺はエネルギーが好きなんだろうね。そういう意味で今もインキャパとかは好きだからね。CDは全部売ったけどさ、なんかパワーがある音楽ってやっぱ好きやね。まぁ最近は前にも書いたようにもっぱら阿部薫高柳昌行だよね。


これもまぁコンテキスト的には俺の中ではジャズじゃないよね。ただまぁ今になっていきなり好きになった音楽っつーかまぁ俺的にはレベルが上がったから理解できるようになったっつーか好きになれたって気がするんだよね。そういう意味で例えばさ、レコードとかCD何千枚持ってるけどロバート・ジョンソンが一番いいみたいな感じになる人ってたまにいるらしいっつーかよくロバート・ジョンソン的な音楽を形容するときに使われる感じだけど、でもまぁそうなんだろうなって気はするよね。残るのは少ないっつーかまぁ別に一番だ!っていうことが他を全否定するわけではないんだけどさ、でも島に持っていけるCD的な感じで言えば結局絞れると思うんだよね。俺は絞れるね。本当にこれは無いと困るってのはそんなに多くない。で、俺的にもうそんなにひっかかりがないやつとかってもういらないんだよね。そのうち本とかも売るようになるだろうなぁーとは思うね。


DVDなんかをまとめて売ったのはそれだよねぇ。もうあんま映画って俺の中で重要じゃない。まぁ通り抜けてきたものとしては凄く重要だけど今における重要性っつーか必要性の割合ってもう無いよね。まぁDVDは全部売ったわけじゃないけど、でも本当に持っておきたいというか好きなやつなんて限られてるよね。で、そういうのってもう腐るほど見てるから実際そういうもののDVDすらいらないのかもしれないね。映画もまぁなんかさ、ゴダールかぶれだった時期とかあるけどさ、ちょっと知的な若者がアート映画気取りになってみるみたいなさ、そういう青春の甘酸っぱさってあるじゃん?それが永遠に続いてるような人もいるけど、まぁもう俺は青春は過ぎたよね。青年では無くなったなと。


かといって別に大人になったわけではないんだが、青年って意味での青いからこそ未熟だからこそハマっちゃうようなものにはもうハマらなくてさ、だからもうあんま無いんだよね。求めるものがあんまり無いっつーかだから寂しくもあるんだよね。俺は欲望型の人間だから欲望したいんだけど、んでも逆にこれって禁欲しない人の凄い所っつーかさ、俺ぐらい色々ディグってると逆にストイックになってきちゃうと思うんだよね。本質的に必要なものってのが見えてきてさ、それは膨大な数の映画とか音楽とか本を読んできた結果そうなるんであってさ、まぁそれは見えてくるんであってね、だからまぁなんつーかあれなんだよね、禁欲とかさ、物質的なものにこだわらないとかそういうことじゃなくてさ、もう自分で分かるようになるのね。自分が本当に必要としているものはこれだ!みたいなのが分かるようになる。で、そんな中を淘汰されずに残ってくるものなんてどんなものにしたって少ないってことだね。感覚が研ぎすまされていけばいくほどその淘汰は激しくなるからさ、だからより俺の中で本質的なものが手元に残るわけだよね。そういう意味でのreductionismだよね。


消極的なんじゃなくて積極的に欲望することで出てくるreductionismね。だからまぁ禁欲なんてダメだよね。欲望しまくって燃え尽きないとダメだわ。仏陀もそうだったわけじゃん?だから俺って出家っつー概念にすげー疑問なんだけどね。むしろ修行なんて現世で欲望しまくることだろって思うんだけど。何に関してもまぁそもそも我慢してるっていうものがある時点でダメだね。そんなのすぐなんかダメになれば外れるわけでさ、我慢するものが無くなればさ、そもそも欲が無いわけだから求めるものも無いじゃん?心に諸行無常を感じるっつーかさ、生滅だよね。滅するのではなくてわき上がってきたものを徹底的にやりつくすんだよね。欲望しつくすっていうか。で、欲望し倒した後には何も残らないみたいなさ、まぁそれでいいのかもしれないけど、俺はそこでそれはつまらないから欲望したいものを常に探してるんだけど、こんな生活を昔から続けてきてるから世の中にあるものが俺に追いつかなくなるんだよね。


こないだ友達と話しててもやっぱ俺は消費のペースが半端じゃないなって思ったわけ。それは俺が凄いってことじゃなくてまぁ単純に時間があるじゃん?で、あとやっぱ並外れて興味を持ったものに対して調べ尽くすとかさ、聞き尽くすとかそういう激しいドライヴを持った感じでやってるからまぁ消費って言い方はあれだけど駆け抜けるのが速いんだよね。かといって全部知ってるってことにはならないんだけど、んでもまぁ大抵の場合「あぁあれね・・・」とか新しいとされているものも大量とデータベース的な知識とか経験の蓄積があるから「あーこれはこれの派生でしょ・・・・」とかさ、そういうまぁ冷めた観点になるんだよね。まぁ俺はそれに抗うためにパフュームとかも聞こうとしたしさ、まぁヤスタカ系はカプセルとかはまだ好きだし、コルテモニカとかは好きだよね。


むしろ阿部薫とか高柳とかに行き着くからこその差別とか階級の無さだよね。高尚な音楽とかばっか聞いてるのかさ、ノイズばっか聞いてるのか、あとはもう無音なのかとかさ、そんな感じがしてくるじゃん?でも音楽の中にも悟りが生まれるんだよね。そもそも高い低いなんてのは関係無いっていうさ、まぁ学問とかもそうなんだけどでもやっぱジャズとかはかっこいいとかさ、大人みたいなイメージあるじゃん?そういうイデオロギーに犯されてたなってのはあったわけってのがさっき書いたことね。まぁそれだけじゃないんだけど、まぁそれもあったってことで音楽に対する動機がピュアじゃないから嫌なのね。


なんかこんなまた偉そうなことを言ってるってなんかさ、自称「分かってる」側から見る独特の鼻につく感じってある?俺はなるべく客観的なことを言おうとしてるだけっつーかそれは全てに関して言えるということではなくて、俺の中で起こっている心境の変化はこういうプロセスの結果ですよっていうのを客観的に言おうとしてるだけで別に俺が偉いとか凄いってことじゃないってことねってそんなのはあえて書く必要はないと思うんだけど、でもなんかやっぱ分かってる側の嫌みな感じって無くはないと思うんだよね。だからこそまぁ俺は全部アクセプトするんだけどね。映画にせよ音楽にせよさ、例えば歌謡曲みたいな俗っぽいものだから批判するとかそういうことはしないってことね。


それはレベルが低かったころにはやたらケージとかを高尚な音楽に仕立て上げてさ、俗っぽい音楽を低俗だ!なんて言う感じがあったりして、まぁそれは映画でもアートシネマ気取りの時とかにもあったけどさ、そういうのがまぁつまりは無くなるってことだよね。作品それ自体として見れたり聞ける能力がつくっていうかさ、まぁそれを能力って言っていいのか分からないんだけど、なんかあるじゃん?40過ぎたから演歌とかさ、こうこうこうなったんだからこれ聞かなきゃー!みたいなさ、そういう態度を徹底的に軽蔑するってことだよね。そんなもんを介在させて音楽聞いてるなんてありえないけどさ、まぁあまりにさっき挙げた例はレベルが低過ぎるけど、でもレベルが高くなってもそれはついてまわるんだよね。音そのもので見ない感じっつーのかな?そういうのを徹底的に無くすっつーよりかはまぁ無くなっていくんだよね。


ところでさ、こないだ元相方が言ってたんだけど世の中って死ぬほど音楽が好きって人ってそんなにいないんだよねってことだよね。それは彼が言ってたことだけどまぁそれは言えてるのかもなと。大抵の人という言い方はアレだけどさ、でも音楽っつーのが一つのアイコンに過ぎなかったりスタイルにしか過ぎなかったら逆にさっき挙げたような例って出てくるだろうなって気がするんだよね。40過ぎたら演歌とかさ、40はないか。50かな。歳をとるとだんだん落語とかが好きになってくるとかさ、それはなんつーかもう自分が定年間近みたいなステータスに何かを合わせて落語を聞いてるとしか思えないっつーかさ、本当に好きじゃない客が多くなったって談志が嘆いてたことがあったけど、それって音楽もそうだし、もっと言っちゃえば映画とかもそうなのかもね。


だから中途半端なのが流行ったりさ、本質的なものがいつまでもマニアックなものだったりさ、まぁそれでももう掘るのが無いからさ、新しいのも特に無いし、だからオールドアーカイブみたいなのも掘り尽くされてる感はあるから、まぁ知られてない良いものって無いのかもしれないけどね。まぁそれは相当趣味が変わってるっつーかさ、くだらないイタリアの80年代の歌謡曲とかさ、なんかそういうマニアックさだったらまぁあるだろうけどっつーかそれは良さっつーか個人的な感覚だよね。


そんなこんなでまぁ最初の話に戻るんだけどさ、約束通り戻ってきたけどエンタメってどうなるのかね?ってことだよね。そこに風穴をあけてるのが俺は何気にネットの匿名性が高いフリーコンテンツだと思ってるわけ。それは音楽史とか映画史とかに繋がるものではなくて、ネットベースの独自の娯楽っていうか面白いものっていうさ、それってもう今までの流れからの飽きもあるのかな?って気もしていて。まぁかといってアバターは個人じゃ作れないけどさ、でもパラノーマル・アクティビティみたいなやつもあるわけじゃん?まぁブレアウィッチ的だけどさ、なんか両方ともある意味でまぁ誰でも作れるっつーと言い過ぎだけどさ、バジェットとかが特に問題にならないさ、良いのが作れるやつだったら作れるっていうエンタメの典型だと思うんだよね。まぁゴダール勝手にしやがれとかまぁそうだったのかな。まぁいいや。なんかただもうあんまりなんつーかデカイものには期待できないよね。


そこで例えばけいおん!とかにしてもハルヒにしてもさ、原作って漫画とかラノベだったりするわけじゃん?で、別に例えばAKIRAみたいな壮大な感じとかではなくてさ、誰でも出来るというわけではないんだけど、センスがあれば出来るっつーかなんつーのかな?最初からデカイ感じじゃなくてすげー小さい感じなんだけど独特の雰囲気がウケて爆発するみたいなさ、その爆発のもととなるものが小さくなってるっていうのが俺的には面白いことなんだよね。で、ネットの匿名性があるものとかってそれの最たるものだと思うんだよね。だから俺はそこに可能性を感じるわけね。映画学校行ってちゃんとしたトレーニング積んで・・・みたいなやつが作る映画よりもとりあえず面白いものを撮りたいアマチュアが撮ったやつとかのほうが面白いものが出来る可能性が高いような気がしていて。


そんぐらいまぁメインストリームのものに停滞があるというわけではないんだけど、まぁなんつーか漠然と期待できないものってのがあるじゃん?だからまぁ余計にLow Budgetのものとかアマチュアっぽいものがもてはやされるのかな。ただまぁニコ動の動画職人が作った動画が世界のネットユーザーの間で流行るとかさ、これは前にも書いたけど凄いと思うんだよね。あとはまぁテレビの面白い場面ってのを名場面的な感じではなくて誰かがたまたま知ってて「これ面白いですよ」っつってYou Tubeにアップしたら何年かかけてすっかり定番になっちゃったみたいな、競馬中継のやつあるじゃん?だいこんおろし恋人募集中記念みたいなね、映像のレアグルーヴだよね。そういうなんつーか凄くパーソナルな視点で切り出したものに爆発的なものを感じるんだよね。俺は。それは現状に対して白けてるのではなくて、それは俺の経験から言っても確実に面白いものなんだよね。相対的にということではなくて完全に面白いものってことね。だから「こんな時代だから」みたいな感じはそこには無いってことね。


けいおん!に俺は似たようなパーソナル感を感じるんだよね。AKIRAみたいなやつとかさ、宮崎駿のやつとかみたいな最初から爆発的な規模のものじゃなくて元が4コマ漫画でしかも別にスケールデカイものを描いている超大作でもないみたいなさ、ただの日常を描くだけなんだけどまぁそれが面白いってまぁそういう意味でクレヨンしんちゃんとかちびまる子ちゃん的なある意味で日本の伝統的な面白い日常アニメを踏襲してるなって思うんだけどさ、しんちゃんにしたって出始めは凄かったよね。あんな日常を描いてるだけで面白いなんて!的な感じっつーのかな?あんま上手く書けないけど言いたいことは分かるでしょ。まぁパーソナルな感じだよね。それがまたセカイ系とかが結構流行ったり存在した後に脱力系のが流行ってたりするってのが面白いんだよね。


マヤの地球滅亡説とかさ、完全にマヤ的に言っても間違っているものらしいけど、ノストラダムスにしても、なんかまぁ大きなものへの期待ってあるじゃん?何かが起こるかもしれない!みたいな感じ?それが地球滅亡であれなんであれそれが非日常的なことであればそれって人々のロマンになるんだよね。で、そういうのがもう散々やり尽くされてきたっていうかさ、消費されてきたっていうか、だからこそ逆にすげースケールが小さいものが流行るっつーとアレだけど、感覚がパーソナルになっていくっつーのかな?で、そのパーソナル感とかさ、細かい仕草とかセリフの言い回しの面白さとかね、「あーもうニートでいいやー」「おいおい!」みたいなツッコミを入れるとかさ、その女の子同士のやりとりがノストラダムスの予言みたいなデカイものに勝ってるってのが凄いと思うんだよね。まぁ比べられるものではないんだけどさ、こないだアバター見たけどさ、もうああいうの疲れるよね。


モチーフもまぁ「またか」って感じだしさ、俺は「これすげー面白い!」って感じたのは本当に最近だとけいおん!だな。物語とかが無いっつーところが凄いと思うよ。かといってキャラ立ちし過ぎているのか?とかアイドル的な声優がやってるのか?っていうとそうでもなくて割とデビューしたてみたいな子達がやってるとかさ、それが面白さでアバターに勝ってるとかって凄いと思うんだよねってまぁこれは主観だけど、まぁ今俺が書いてることはデカイ物語的なものとパーソナルなものの対比だからさ、あえて比べることでなんつーか言いたいことが明瞭になる感じがするでしょ?けいおん!的な面白さに3D映像とかCGとかテクノロジーいらないじゃん?なんか俺が言いたいのはそのなんつーか大げさなものではないものが持っているポテンシャルだよね。


けいおん!終わったら自殺するみたいな書き込みをギャグなんだろうけど見たんだけどさ、でも分かるよね。そんぐらい面白いもんね。逆にあれが心の支えになるぐらい面白いっていうさ、それって物語的ではないものが物語化してるってことだよね。ライフスタイルとかも真似したりとかどうとかっていうなんつーかハリーポッター的なファンタジーに埋没できるという感じでもなくてさ、ただ近くもなくただ遠からずみたいなさ、まぁ実際は一番遠いんだけどね、その一番遠い物語ではない物語がウケてるって面白い現象だよね。


シャツにハートマークとしめじって書いてあってI Love NewYork T-Shirtのしめじバージョンみたいなさ、そこでしめじっつーセンスが来るか!っていうさ、まぁ吉田戦車とかで似たようなのはあったけど、ああいう感じが所謂可愛い女の子が出てくるようなアニメとかには出てこなかった気がするんだよねっていうかまぁ俺はアニメに詳しくないから分からないけどさ、でもなんか日本のギャグ漫画とかアニメとかが育んできたハイブリッドなものの一つの完成系みたいなのがあそこに出力されてると思うんだよね。2000年ぐらいまでのSFとかサイバーパンク的なものの完成系がマトリックスっつー映画として出力されたみたいなさ、あれが全部とは言わないけどでもなんか同じようなハイブリッド感をけいおん!に感じるね。マトリックスはもうノストラダムス系の最たるもんだよね。すんげースケールがデカイ話だよね。


で、けいおん!はスケールの小ささの最たるもんなんだけど、でもハイブリッドっつー形状と様々なものを表象したようなものがそのバリエーションの豊富さが故にSFマニア以外とかにもウケたみたいなさ、まぁあれは哲学的なものとかも大いにあったからまぁそれは前に書いたから繰り返さないけど、けいおん!もそのマトリックス的なハイブリッドでアニメファン以外にも「面白い!」って感じさせる何かがあったからまぁあそこまで流行ったんだろうねって実際どんくらいメジャーなのか分からないけど、でもまぁアニメで言えばそれこそエヴァとかハルヒとかと並ぶぐらいのデカイ感じだよね。


スケールがデカイものにもうロマン的なものって求められない気がするんだよね。漫画とかにしてもそういうの増えたじゃん?個人的な実存葛藤系みたいなやつとか物語がパーソナル化してるよね。で、そっちのほうが明らかにデカイスケールのやつより面白いみたいな感じもあるじゃん?まぁこれは主観的っつーか俺の好みかもしれないけど。まぁそんなのも含めて良い意味でのスケールの小ささなんだよね。あとはアイデアとか出力の技術さえ持ってれば誰にでも出来るみたいなさ、それこそアバター越えみたいなのが個人の創造性で可能になってるのが面白いと思うんだよね。


いや、個人の創造性っつーのは昔からそうだったんだろうけど今回言いたいことはアバター越えがスケールのデカさで勝負しなくても出来るみたいなことだよねっつーかむしろ小さいほうがデカイものに勝てるみたいな。まぁ優越とか勝ち負けではないんだけどね、まぁアバターアバターでまぁまぁ面白いからいいんだけどさ、でもさ「あんだけ予算かけられればねぇー」ってことはもうエクスキューズにならないじゃん?4コマ漫画から始まったスケールの小さいものが社会現象にまでなって映画化されるとかさ、まぁアニメにちょっと重点を置き過ぎてるけど、まぁさっき書いたパラノーマル・アクティビティなんかもまぁそうだよね。笑いっつーかまぁお笑いって意味じゃなくて笑えるものなんかもさ、You Tubeとかの普通の人の投稿とかが面白いじゃん?全く分からないけどアクセス数が凄いってことらしくて見たら面白かったみたいなさ、偶発的に個人規模で何か爆発的なものが広がったりまぁ生み出されたりするっていうさ、その可能性っつーかまぁ今起こってることが俺は凄く面白いと思うのね。


そういうのも含めて俺はネットのフリーコンテンツって呼んでるんだけど、そこになんか世界的なさ、笑えた人が投げ銭渡せるみたいな貨幣の流通システムがあったりしたら絶対面白いと思うんだよね。面白動画職人とかがそれだけでやっていけるみたいな。まぁ音楽とかもそうだと思うんだけどなぁ。聞けるインフラがネットにアーカイブ的にあって、金銭的なものは任意のリスナーなり鑑賞者の寄付があるみたいなさ、そういうフリーコンテンツへの寄付カルチャーってできないものかね?そういうのがそれこそハリウッド的なものとかにも負けないぐらいになったほうが面白いと思うんだよね。ああいうハリウッド的なものをむしろ終わらせないといけないよね。クリエイティブな素人達の手によって。


いやぁーすげー書いたなっつーか止まらなくて。こんなに書くつもりじゃなかったんだけどね。もう気が済んだんでこの辺でやめるね。んじゃまたっつーかあれね、音楽についてはさ、いや、断捨離っつーキー概念を使って書こうと思ってたことが書けたんでよかったねっつーか書こうと思って書いてなかったんだよね。なぜかってまぁそれがあれよ、最近のちゃんとした路線よ。割と思想的っつーかさ、ちゃんとしたのを書こうとする癖みたいなのがあってさ、だから俺のレコード処理の話なんてどうでもいいから書かなくてもいいか的な態度から来る書かなさ加減ね。


なんか3年前とかも同じようなこと書いてた気がするな。「ウォール伝的に失ってるものが多いわけよ」って言い出して必ず初期衝動を出してくるみたいな。まぁ自戒なのかもね。くだらないことを書かなくなったら終わりだっつーのが常にあってさ、で、あとはいつまで大量出力を続けられるのか?ってのもあるんだよね。いつも書けなくなると「もう潮時かなぁー」とかって思ってやめようと思ったりするんだけどさ、んでもまた今日みたいにどうでもいいことから結構色々書いちゃうみたいなさ、まぁハイパーグラフィアなんだろうけどさ、これが続いたほうがウォール伝って絶対面白いと思うんだよね。


もう例の衆愚と民主主義とヘゲモニーとかイデオロギー装置の話とか自分で飽きてるんだよね。まぁそれでもたまに書いちゃうけどさ、まぁ個人的にもう書きたいことは散々書いてるからああいうトピックに関してはいいんだよね。あとは文章のインプロ的にさっき書いたキー概念みたいなものがね、いや、その衆愚的なテーマとかイデオロギー装置っつー概念とかね、それがイディオム化してたら絶対つまらないじゃん?だから常にそこから脱したいんだよね。もうああいのは書いたからいいわけで。


それでも書きたかったら繰り返しでも書くけどね。あと脱するっつってもいきなりまぁ善良なサンデル先生みたいな民主主義者にはならないんだけどさ、ただイディオムから脱するってことだよね。かといって安易なアナロジーとかに頼ることなく概念を記述するみたいなさ、ただそこに依拠し過ぎてもそれこそ言語の限界が哲学とか思想の限界を規定しちゃうみたいなことにもなりかねなくてさ、そんな意味で俺って言語に関しては信じてなくてね、だからある意味で分析哲学とかどうでもいいんだけど、ただ無視しててもしょうがないじゃん?で、なんかすげーデカイパースペクティブを与えてくれるインスピレーション源として去年ぐらいからまぁ数学があって最近は若干物理学も混ざってきてるって感じなんだよね。


もういいや。キリないからこのへんで。


今日のオススメ書籍。



いや、アフィリ始めたときにさ、書評コーナーでも作ろうか?なんて書いてたけどさ、いつも昔から貼ってたこのオススメコーナーをオススメ書籍コーナーにすればいいんだよねっていうかコーナーとして独立させようかなと思ってっつーかさ、いや、たまにトピックと関係あるのを貼ったりするじゃん?で、そうじゃないときに何の解説も無しに関係無いオススメの本が貼ってあってもなんか一貫性が無いっつーか分からない感じがあるじゃん?どうでもいいことなんだけどね。アフィるのって本当に気分的なもんだよね。それこそアフィ収入って1000円いってないからね。夢のアフィリエイト御殿は建てられそうにないな。で、全然本について書いてないんだけどさ、まぁそれでいいんだよね。「今日のオススメ書籍」っつー区切りこそ必要なものであったわけで。


で、本に関して言えばさ、まだ数学プロパーではない俺がなんか言うのもなんなんだけど岩波文庫でこういう本って結構斬新っつーかさ、不完全性定理に関する歴史的な背景とかね、あとは理論的な解説とかさ、もちろんゲーデルの元の論文の翻訳とかね、すふぇーコンテンツが豊富なんだよね。執筆開始から10年以上が経ってるらしくてさ、なんかすげー壮大な歴史研究書になってるっつーか、つまりは不完全性定理を巡る諸説やら歴史的な背景やらさ、理論的なことはもちろんなんだけど、その壮大なリサーチ感が本書に異常なまでの魅力を与えてるんだよね。ようはなんつーか学術書っぽいドライな感じじゃなくてワクワクしながら読めるっていうかさ、これが文庫になってるっつーのが素晴らしいんだよね。分からんけどさ、ここまで統一されたまとまった感じの不完全定理に関する本ってあんまり無いんじゃないかな?とかって思ったりってそんなにまぁ不完全性定理についての本を読んだわけじゃないけどさ、大体まぁ大きく分けて二つに分かれるよね。一つが猿でも分かる系で何も説明できてない分かった気分にさせてくれるファンタジー本と、あとは専門書ね。これは文字通り専門的過ぎて素人にはさっぱり分からない。


そんな中で数学プロパーではないけどでも完全に素人でもないぐらいの人が読めるようになってる本書は絶妙なバランス感があると思うんだよね。ちょうどそれこそ俺ぐらいの数学知識ならちょうどいいぐらいの感じなんだよね。まぁとにかくオススメですっつーか毎回こんぐらいちゃんとしたコーナーらしい文を書くかは分からんけど、でもとりあえず今後は分かりやすいように区切るですよ。