相変わらず大衆的なものが大嫌いですね。

久々に自分のYou Tube見てみたらさ、結構アクセス数があんのねっつってもほとんどがきゃりーとかのまぐれでウケたやつばっかなんだけどね。で、あとコメントとかもようつべのinboxってところにメールとして通達がくるんだけどさ、久々に行くと結構溜まってていろいろ見てみるんだけどなんつーかまぁ凄く世間との隔たりを感じるよね。


俺って周りでは聞かせたりする人とかってまぁ大抵共通するようなセンスを持ってたりする人たちばっかだから「酷いね!」みたいなことを言われたことがないんだけどつべではもうしょっちゅうだよね。で、やりはじめの頃はもうそれを見ただけで永遠と鬱になってたぐらいで。気にしないようにするようになったのが今年入ってからで完全に気にならなくなったのがここ数ヶ月ですね。


いや、これ書こうと思ってたんだけど書いてなかったんだけどさ、結局アクセス数があるやつっつーかウケてるやつって元のパフュームなりきゃりーのファン層みたいな連中の感覚にあったものがウケるんだよね。どちらでもない異様なやつを作りたいんだけど、たまたまファン層にウケるようなサウンドになってるやつだと所謂マッシュアップではなくリミックス的な解釈がされてウケたりして評価も高かったりするんだよね。その一方で俺が本来やりたい無理矢理なさ、これとこれ合わせんなよ!的な俺が思うマッシュアップの醍醐味みたいなやつは悉くダメだねっつっても全体で見れば悪くはないけど、でもなんか本当にダメだわ。


アクセス数があるやつから見ると聞かれてる数が圧倒的に少なくてなんか絶望的になるよね。で、きゃりーのやつとかぱふゅーむの一部のウケたやつとかって全然うれしくないんだよね。本当に俺がここでディスってるようなwell-madeなやつばっかじゃん?まぁ本当にwell-madeなやつから比べればそうでもないんだろうけど、でもなんか「あーそうなんだー」っつー感じっつーのかな?これってまぁ去年にも書いたけどね。


で、んじゃあどんなのがウケてんのか?って他のマッシュアップを見ると本当に糞みたいなのばっかなのね(ヤスタカ系のやつ)マッシュアップといっても歌謡曲同士だったり、あとはボカロとかすげー気持ち悪い音色のリミックスとか、そんなのが何十万アクセスとか平気で稼いでるんだもん。アンフェアだ!と言いたいんじゃなくてね、いや、ああいうのがウケるのねー。そうですかーって感じなんだよね。


俺のはまぁそういう意味ですんげー主張があると思うのよ。きれいに作ろうとしてないしwell-madeなのが嫌いだから音とかもいじってるしあとボーカルを前に出さなかったりとかね。そういうのが多分気に入らないんだろうなーと。トラバとかで本来のパフュームとかのファンとかが来るからそもそもみんなセンス悪いやつらばっかなんだよね。こういうやつらが気持ち悪い音色のリミックスとかボカロみたいなのを評価してたりするんだろうなぁーと。


なんかだからさ、良い意味でも悪い意味でもマニアックなチャンネルに中田ヤスタカファンみたいなまず俺との共通点というか、絶対趣味が合わないよなって連中が聞いたりしてるから、だから齟齬があるんだよね。いや、そうじゃないさ、元を破壊したり異化させるのが目的でやってるんだけど、まぁ当然伝わらないか、あとはヤスタカファンとかが聞いてもさっぱり分からないじゃん?そもそも何がマッシュアップされてるのか?なんてああいうやつらには分からないでしょ。いや、上目目線じゃないんだよね。俺のほうがセンスが勝ってるとかじゃなくて、ようは単純に俺が普段から言うような普段から歌謡曲とか聞いてるようなやつらっていう見下し方ね。別にマッシュアップでどうこうってことじゃなくて。


パフュームを地で聞く奴らはやっぱりどうかしてるでしょう。音楽のセンスがね。ヤスタカのもコルテモニカとか初期のカプセルとか良い仕事のもあるけど評価が良いやつは大抵ダメなやつばっかだよね。なんかんであとさ、ファンが作ってるみたいな思われ方をしてるのかなと思ってっつーか普通はファンが作るからさ、いや、別にそんな俺のことを気にしてるやつらなんていないのは分かるんだよ。そんなの分かってるよ。ただの分析だからね。


ようはファンが作ってる割に原曲を壊してるとかさ、良さが引き出せてないとか、そんな風になるのかなと思って。良さを引き出そうなんて思ってなくて異化なんだよね。バスタードポップとかって言われるやつだけどそういうのをやってるつもりなんだけどさ、結局、評価が良いやつを見ていくと割と良い感じでリミックスっぽくなっててパフュームファンも聞けそうな感じのばっかになっててすんげー気持ち悪いんだよね。俺がヤスタカの親衛隊みたいな感じでさ、ファン作!みたいな感じになってるのが最高に気持ち悪い。中田ヤスタカのちんぽしゃぶってるような感じっつーのかな?


なんかいろんなやつに関しても本来のファンが聞きにきて原曲が台無しになってて怒ってるってパターンが多いんだよね。いや、そんなやつらに聞かせるつもりじゃないんですけどっつっても選べないじゃん?そもそもパフュームとかきゃりーのやつをやってるわけでさ、そりゃーそういうファンが聞きにくるに決まってるんだけどさ、そこで下手にそこそこウケるやつとかができちゃってるじゃん?


所謂俺が嫌いな良い感じのリミックスね。そういうのが恐らく地のファンにウケていたりしてアクセス数が伸びてるってのが中田ヤスタカフェラ感覚で気持ち悪いんだよね。だったらつべにあげなきゃいいだろ!って言われたらまさしくそうですね。もう本当に大衆が嫌い。所謂「一般」と呼ばれるもののすべてが嫌いだわ。一般人のセンスとか考えとかやりがちな行動とかこういうなにもかもが嫌いなんだよね。


本当に合わないなぁーと思って。合わないのは知ってるけどつべとかのコメント見てて改めて思ったんだよね。パンピーの感覚って本当に最悪だなと思って。原曲が台無しだ!とか言うやつがんじゃあどんなのを高評価してるのか?って興味本位で見に行くんだけどさ、大抵糞なんだよね。「は?これの何がいいんだ?」って唖然とするぐらいのやつを高く評価してたり、そいつだけじゃなくても一般的に評価が高かったりするのね。アクセスも何万単位だったりして。すげーセンスだなぁーって思うんだよね。あきれかえるね。


で、well-madeっつってもがちで良いやつも俺は作ってるわけよ。まりんのやつとか他にもいくつかあるだろうけどそういうのはまぁ評価は良いけどマイナーなんだよね。めちゃめちゃいいのに分かるやつが全然いないし、そもそも聞かれないっていう。実際はマッシュアップとしてもリミックスとしてもすげー良くできてたりするやつでも全然目立たなくて地味なんだよね。それこそ派手なアクセス数があるやつから見るとまさしくポップスとちゃんとした音楽との差があるっつーか俺のマッシュアップの世界ですらそういう差があるんだもん。嫌になっちゃうよ。マジで。すげー薄っぺらいやつばっかなんだもん。アクセス数が凄いのって。まぁ個人的には気に入ってるやつばっかだけど、ただああいうのだけアクセス数があったりするのが嫌なのね。なんか結局これかよ!っていうような感じね。


で、それに釣られてるのか特にきゃりーのやつなんて無難なやつばっかだよね。そういうのに俺が釣られてるのかwell-madeっぽいやつばっか作ってる。無茶してるのがほとんど無いんだもん。そんな自分にすげー嫌気が指すね。上手くはなってるんだけどあくまで「良くできてる感」なんだよね。それこそ普通のリミックスとしても聞けるようなやつが多いわけ。それがつまんないのね。他の人気があるマッシュアップなんて本当にそんなのばっかだよね。


誰がやっても同じになりそうな無難なやつばっかで、そんなのばっか評価されてるんだもん。マッシュアップって本来なアングラな手法だと思うわけよ。まぁ著作権無視だしさ、あと俺が好きなDJ Brokenwindowっつーのがいるんだけどね、初めてマッシュアップってのを知ったのがこの人のCDだったんだけど大抵無茶してるんだよね。ペリキンにラップ乗っけたりR&Bとモンドだったりしてすげーズレてる感じがあるんだけどその違和感が面白いんだよね。でもこういう感じのがツベに上がってても評価されないどころか文句ばっか言われるんだよね。恐らく。全然合ってない!みたいな馬鹿みたいなコメントばっかになるよね。


ヤフー知恵袋とかヤフー系の連中の衆愚感って凄いじゃん?で、ツベもすんげーレベル低いんだよね。まぁ日本人に限って言えばね。なんか独特の狭い世界観があってヤフー系の馬鹿がそのままつべに流れてきてるんじゃないか?っつーか恐らく知能が同等の連中がいるんだろうなーっていうさ、こういう層がネットで多くなっちゃったからネットってレベルが下がっちゃったんだよね。


ちゃんと使えてる人はいいけど当然馬鹿なコメントを書くのは馬鹿なわけで、90年代中盤なんかインテリしかやってなかったわけよ。それこそいたずらとかしたらIPで判断されて完全に無視されるとかね、とにかく民度が高かった。ネチケットも半端じゃなくて俺がちょっとまずいことを書いたら管理人からわざわざ丁寧なメールが来てディスった人に謝罪してくださいみたいなさ、そんなのが来てたぐらいだからね。でもそんな昔じゃないんだよなっつってももうかなり昔の話か。



無法地帯になったのはやっぱ大衆が増えたからでしょう。誰もが大学に行くようになって大学生の質が下がったとかっていうそういうのと同じだよね。だからなんかあれなんだよね、アングラなもんでもネットで発表する機会があって人目に触れる機会ができるとかってさ、そういうの無いよね。結局ネットでも安易なやつばっかが流行ってるって感じがするね。同人音楽的なのとかボカロもそうだけどあとはマッシュアップとかリミックスとかもすんげー大衆臭いやつばっかだよね。俺はアングラのつもりでやってるわけじゃないんだけどそういう薄っぺらいのと比べるとすげーアングラになっちゃうんだよね(笑)


で、あげくの果てに原曲が台無しだ!とかって薄っぺらいのばっか聞いてるやつらから言われるとかもうやってらんねぇーよな。まぁだからつべでやらなきゃいいんだけどっつーかまぁ作らなきゃいいんだよね。いや、まぁ自発的に作りたいやつはアップするけどさ、でもなんかメジャーどころのやつをやるのが嫌になっちゃったんだよね。結局そういう薄っぺらいやつらばっかが聞くわけでさ、そうじゃない人もいるかもしれないんだけど数で言えば圧倒的に後者が少ないんだよね。だから評価とかも完全に分かれてたりするしね。10対10みたいな。


ポップスの世界怖いね。マジで。っつーか大衆怖い。そして俺はそういうやつらが心底大嫌いです。っつっても全部じゃないけどね。やっぱあんま良くできてないやつにも低評価がついてたりさ、それはなんか分かる低評価なんだよね。厳しいけどやっぱ微妙だったかぁーって思えるしそれってなんか切磋琢磨できる材料になるんだよね。去年作ったやつは今思えば酷いのが多いからな。特にミックスのバランスが酷いのが多いから。まぁすげーハイペースで作ってたからね。1日2曲とかそんなペースだったから。ただまぁなんつーかつべが面白かった時期もあったんだけど、そんなこんなですげー嫌になりましたってことなんだよね。結局は大衆カルチャーなんだなと。軽チャーだよね。


で、あとさ、衆愚性で言えばさ、宮台真司小室直樹について語ってるやつがあってさ、小室先生は大衆批判なんてするわけがないとかって言ってたわけよ。ようは小室先生自体が貧乏で街のいろんな人たちに助けられて大学に行けたりしたから大衆を批判なんてするわけがないみたいなさ、まぁこれにはあきれかえったよねってどういうつもりで言ったのかは分からんけどさ、いや、それは違うじゃない?まず小室直樹は大衆批判をしてますよ。っつってもそれは人格攻撃じゃないのよ。あくまで主権者としてディスってるわけよ。


民主主義の中では隣の優しいおじさんも父親も母親も主権者なわけだ。で、隣の優しいおじさんが主権者としてどうか?というのはその人の人格とは全く関係がないわけだ。色々と困ったときに世話をしてくれて良い人であっても政治的には凄まじく無知でとんでもない政策を支持してたりするかもしれないわけで、それは主権者としてはダメなわけじゃん?そこが批判される大衆なんだよね。それは政治的に批判されてるわけで、人間的に批判されてるわけじゃない。逆を言えば人間的に糞でも超リアルに政治を考えていて現実的に社会を変革しなきゃダメだ!って思ってたらそれは主権者としては最高じゃん?でもすげー嫌なやつなわけだ。人間としては全く付き合いたくないけど主権者としては良いわけだよね。これを混同するなって話ですよ。


そういう意味で俺が大衆批判するときでも同じなんだよね。別にパフュームが好きな良い人だっているでしょうっつーか音楽のセンスとその人の人格なんて関係ないじゃん?パフュームを聞いてるからセンスが悪いと俺が言ったところでその人に対しての人格攻撃ではないわけだ。仮にその人と人間的に付き合うことになったら音楽の話はしないようにするとかさ、それはまぁ映画とかも同じだけどさ、まぁそういうことじゃん?そこでやっぱり俺はセンスとか趣味とか話のレベルとかも合う人ってのがやっぱ理想的だなって思うんだけどまぁ滅多にいないんだわな。これが。


アメリカでもミックス渡したからっつってお礼に色々と曲が入ったCDRをくれたやつとかがいたりしてさ、んでまぁその場では「おー!ありがとう!聞いてみるね!」とかって言うじゃん?で、帰って聞いてみるとまぁーその酷いセンスといったらまぁ無いよね。こんなゲテモノ聞いてるのか!と唖然とするわけだ。あとはかわいい女の子にミックスとか渡してさ、で、「聞いてくれた?どうだった?」みたいな話するじゃん?で、どんな音楽を聞くの?みたいな展開になった時にまたその返しが酷いんだよな。そんなの聞いてるのか!って一気に冷めるんだよね。どんだけかわいかろうが音楽のセンスのなさでもう凄まじくげんなりする。


ギンギンでベッドインしていざパンツを脱がせたらヴァギナから異臭が漂ってて冷めるみたいなそんな感じかもね。童貞だから分からないけど。童貞conjuctureだね。いや、だから音楽のセンスも良くてさ、で、お気に入りの映画とかも「おー!それ好きなの!」とかって感動できるレベルで、んでなおかつ学問好きとかだったら最高じゃん?っつってもそんな子いないわけだ。あたかも自分のセンスが絶対だって言うみたいになっちゃうけどまぁでもそりゃーそうでしょ。


やっぱりレベルってのはあるよね。で、俺はフェリーニはそんなの好きじゃないけどでもすげーフェリーニ好きがいたら理解できるじゃん?そういうレベルでの好みの問題とか違いなら断然オッケーだよね。でも踊る大走査線が好き!とかさ、韓流ドラマが好き!とかさ、そういうレベルだと無理じゃん?吉高由里子でも冷めるレベルだよね。音楽はB'zが死ぬほど好き!とかね、X-Japanとか、もう無理ですね。


で、話を戻すと、でも別にそれはその子の否定でもなく人格攻撃でもないわけだ。ただ凄く大衆的なセンスが凄く嫌い!ということなわけで、そこをさ、さっきのね、人格と主権者としての人間ってのを混同するような言い方ってのは本当にアウトですよねっていう。少なくとも小室直樹は主権者としての大衆には嫌悪感を感じていたし、大衆に政治なんて勤まるわけが無い!って明確に言ってたしそれは生涯変わらなかったからね。


ちなみに鈴木大拙なんかも民主主義なんてのは個々が賢者じゃないと成立しないんで無理だみたいなことを書いてたんだけど、かといって別にそれが鈴木大拙パンピーを嫌悪していたってことにはならないじゃん?大衆は賢者ではないという自明のことを言っていただけなんであって、それは小室直樹も一緒なのよ。もちろん両者ともに大衆なんてのは人間的に糞なんだから滅びるべき!なんて一切思ってなかったわけで。


ちなみに三島由紀夫も大衆嫌いだったらしいけどまぁ三島のが俺と同じような感じなんだよね。ようは大衆的なものがとにかく嫌いで嫌悪感を感じると。まぁそれだよね。でもだからといって三島がんじゃあ聖人だけの国を作ろうとしていたのか?って違うでしょ。大衆を敵だと思ってたわけじゃないのは自明なわけで。ただ大衆的なものが大嫌いだったわけだよね。大衆を嫌悪したことなどない!みたい意見って保守系のやつらに多いんだけど凄まじい間違いですよ。なんつーか神格化されるようなタイプの知識人とか学者とかイデオローグをね、彼らは大衆を軽蔑したことなど一度も無かった!みたいなことを言うわけよ。「は?」って感じだよね。


まぁそういったほうが便利だからそういう風にするのは分かるけど、お門違いもいいところだなと。オルテガとかだって明らかに嫌がってるじゃん?ギュスターヴ・ル・ボンなんかも。それは俺が大衆嫌いだから全部そういう風に見えるんだって言われればそれまでだけどそこまで読書してるときに主観のバイアスを介在させないよね。どう考えたって彼らは嫌ってたでしょうっていう。そこをなんで曲げるのかな?なぜ大衆批判論を肯定論として捉えようとするのか、本当にこんなの考える側のご都合主義でしょうっていう。


いや、でもじゃあなんで俺が食えてるのか?ってご両親のおかげでしょう?とかさ、店だって繁盛してて、でもお金を払ってくれているのはみなさんでしょう?とかさ、こういう言い方って必ずあるじゃん?典型的なすり替えだよね。大衆批判とこれとは全く関係がないわけだ。音楽のセンスなり主権者としてなりの大衆的なものをとか大衆そのものを批判したらじゃあ世の中のみなさんを敵に回すことになりますよってそれはある程度は合ってたとしてもおかしいでしょう。凄い良いお客さんとかさ、凄く優しい近所の人とかが超訳ニーチェとか持ってたりするかもしれないわけじゃん?


でもそこは別だし、ようは本の話をするぐらい関係を深める必要はないじゃん?良い人だったらそれでいいわけでさ、んでも超訳ニーチェ持ってるからくず人間だ!とかってことにはならないじゃん?がっかりはするけどね。昔の気違いマルクス主義者と考え方は同じだよね。反革命的なものを読んだりしているともうそれだけでリンチだ!みたいなさ、イデオロギーと人格とか個人の好みとかっていう違う次元のものをごっちゃにしちゃってるっていう、こういうのをcognitive errorって言うわけでしょ?


頭が良い人とか学がある人でも平気でこれやるから怖いよね。まぁ宮台真司に関してはいいんだけどね。あの人はなにより超頭が良いしどのみち何か意図があって言ってるんだろうしあとは俺の解釈が間違っているのかもしれないし、まぁその宮台さんの発言という固有の話に関してはいいのね。ようは俺が言いたいのは個人の人格と主権者としての人間みたいなのをごっちゃにすることのマズさってのを言いたいだけなわけで。


んでも結局大抵の人たちは大衆なわけで、そういう人たちとやっていけないならそりゃーマジョリティの法則で俺は社会不適応者になるよね。大衆が支配してるし大衆的なものが文化も支配してるからそれはしょうがないわけだ。まぁもちろんマジョリティーvsマイノリティーみたいな単純なdichotomyではないんだけどさ、なんかでも俺みたいなやつらは結構いると思うんだよね。これで資産があると貴族になるけど資産が無いとただの不適応者だもんね。


で、その排除が嫌なのね。大衆が支配してるからそれに合わなければダメですよっていうような排除ね。それと合わない人がやっていけないじゃん?まぁそれにしても俺は度が過ぎてるとは思うけど、なんかでも色々と大衆的なものに対して迎合したり我慢を強いられるって凄い苦痛だよね。俺は見下して言ってるんじゃなくて本当にそれが辛いから言ってるわけね。本当に凄まじい齟齬を感じるわけよ。もう大抵の人たちとはやっていけないなっていう孤独感を感じる。


あ、またこうやって書くと孤高の天才ぶってるとかって言われたりするからすげー嫌なんだけどね(笑)大衆からこういう文章を見ると「痛いブログ」だもんね。分かるよ。その感じ。何しろこの俺の辛さってのはそういうやつらには絶対伝わらないからね。見下そうと思って書いてるわけじゃなくてなんとかしたいと思ってるし、でも無理そうだとかどうしよう・・・っていうマジな悩みなんだけどさ、それそのものが分からないから辛さとかそもそも何を言ってるかが伝わらないじゃん?だからもう無理なんだよね。


だからやっぱ何らかの形で大衆を付き合わなくてもやっていけるようにしていかないとこないだ書いたみたいにただ詰むだけだよね。バイトなんてできるわけないし。俺がやれるようなところでの職場なんてほぼ馬鹿でしょう。まぁ俺のバイト経験から言うとそうだよねっつっても渡米前のスーパーでは奇跡的に違ったけどね。すげー良い大学生とフリーターがいて俺の面倒を見てくれたんだよね。ダメだなーとか分かりつつも優しく接してくれて色々とサポートしてくれたりして。んでも超レアなんだよ。いや、でも俺が大衆っつっちゃうと彼らまでも入る感じになっちゃうじゃん?


数学の存在記号みたいな感じで「すべての」って属性がついちゃうから彼らまでも批判するのか?ってことになるじゃん?でも俺が言いたいのは個別の話じゃないんだよね。大衆的でもいいやつもいるに決まってるし、んでもバイト先でそういう人に巡り会える確率はきわめて少ないわけだ。だってバイト先の人格破綻者とか店長とかが原因でそれがトラウマになって社会恐怖症みたいになって引きこもりになっちゃってる人とかいっぱいいるわけでしょ?そういう引きこもりを作ってるのってそういうやつらなのに問題視されないんだよね。実はすんげー害悪なんだよな。友達でもいたからね。色々と探しててようやくバイトとしてそこに勤めるようになったんだけど頭がおかしいやつがいてそいつのハラスメントで続けるのが不可能になってしかも深刻な心的ダメージを食らったまま辞めることになったっていう。


これが俺の言いたい大衆なんだよね。とにかくどうしようもないやつらっていうね。まぁその場合、人格否定も含まれるから今回書いたことと同等に語るとまたややこしくなったり矛盾が生まれちゃうんで難しいところではあるんだけどね。んでもそのハラスメントをしてきたやつも主権者としては良いかもしれないわけだよね。職場では極めて大衆的で下世話なやつなんだけど主権者としては洗練された意見を持ってるかもしれないわけで、まぁなんたら=なんたらって言えるほど簡単な話ではないんだよね。音楽とか映画のセンスが良くても人間的に糞じゃどうしようもないしね。でもそいつが消費する音楽や映画に関しては良いんだよね。


ちゃんと本質を分かったちゃんとした映画や作品に対してペイされてるから流れ的には良いっていう。じゃあAKBのCDを買ってるやつらはみんな死ぬべきか?ってまぁーそりゃー違うよね。あとああいうやつらがみんな最低なやつらか?ってそれも違うでしょ。すんげーAKBファンだけど後輩の面倒見が良いフロアマネージャーとかいるわけじゃん?なんかそこまで批判したくないわけっつーかそこがようは一緒にしないってことなのよ。AKBのCDを買うとかセンス自体は大衆的だと思うから凄く批判するんだけど、人格面に対してまでも批判するわけじゃないんだよね。まぁそれで人格も糞だったら本当に救いようが無い最悪の人間なわけだけど。


だからまぁその文化的には俗悪なやつでもバイト先では面倒見の良いフロアマネージャーだったらそれはなんつーか人格は良いわけだしさ、いや、だから結局のところさっきの話に戻るわけね。主権者としてのその人と人間としてのその人をごっちゃにするなってことになるわけよ。あ、あと話は変わるけどさ、ファン最強説みたいなのあるじゃん?カスタマー最強説ね。ようは内容とかに批判があった場合、それを参考にしてまたよりいっそう切磋琢磨して良いものを作れるようにがんばっていきたいと思います的な言い方あるじゃん?意見が凄く大事っていう考え方ね。


まぁフォーマルなただのポーズとしてのやり方ってのもあるんだろうけどさ、とにかく映画とか音楽とかなんでもそうなんだけど無知なやつらのくだらない印象とかなんて参考にならないじゃん?作り手は色々と考えて作ってるわけじゃん?で、それが伝わってないっつーか分かる努力もせずに、あとは単純にオツムの問題で理解できないってのをさ、分からない!とか分かりづらい!とか全然意図が伝わらない!とかさ、作家側はそんな意見たまったもんじゃないと思うんだよね。それこそ著書とか出してアマゾンでそんなレビュー書かれたらやる気無くすだろうなっていう。


でもそういう素人の意見ってなぜか目立つじゃん?で、もっともらしく見える。あれなんだよね、スカイリムで検索すると「何が神ゲーなんだ」的な意見とかを結構見かけるんだけどああいうやつらってみんなガキじゃん?実際書いてるのがガキだと思うし。で、ガキ側も「これの良さが分からないなんて」っていう態度がまたムカつくとかっていうじゃん?これってもうただ子供が駄々こねてるだけだよね。そんなもん意見でもなんでもないでしょ。ああいうロールプレイと世界観に特化したゲームにバトルの楽しさっつーか派手さを求めるとかさ、それこそデビルメイクライみたいな派手なアクションを期待するとか馬鹿でしょ?でもそんなやつも意見も意見だもんね。


で、それを制作側は意見として捉えなきゃいけないのか?ってそりゃないよね。そんな意見聞いてたらどんどんゲームはダメになるわけで。あくまでああいうウィザードリーがめちゃめちゃ進化したっつー路線を行かないとダメじゃん?馬鹿の意見を聞いてたらゲームが劣化するわけで。でも馬鹿の意見って目立つんだよね。馬鹿ほど批判的な書き込みとかやるからとにかく目立っちゃうんだよね。


なんかああいう想像力の無さっつーのかな?戦闘がつまらないってそりゃーあれでしょ、普通に戦うことしかやってないからじゃん?それじゃあつまらないから魔法使いを作って魔法縛りでやるとかね、まぁこれは散々前にも書いたけどさ、アサシンモードでスニークオンリーで倒すとかさ、あとは逆にスニークの弓矢だけで全部いけるじゃん!とかって思うならスニークやめて重装備で正面からハンマーとかでたたき殺すみたいな派手なプレイをすればいいわけでさ、「これでやればこれで進めるからつまらない」とかもうアホの意見の最たるもんだよね。


ポーションがぶ飲みでいけるならポーション無しにすればいいわけで。だから自ずとすげー防御力とHPをあげなきゃいけなくなるじゃん?こういう縛りをかけた不便さもまたロールプレイの醍醐味じゃん?で、こういうことを言うとあげくの果てにキモいとかって言うやついるんだもんね。なんでゲームにそこまで熱くなってるの?ってもう論点がめちゃめちゃな意見があったり。いや、こういうのもあれなのよ、俺が大嫌いな大衆的なものなのね。


やっぱだからゲームにせよ音楽にせよ排他的であるって重要だと思うんだよね。一見さんお断り的な深さとかハードコアさっていうのかな?それが無いと深さがなくなるでしょ?ユーザーフレンドリーにしていくとようは馬鹿に対してもフレンドリーってことになるわけですんげー馬鹿っぽいゲームになっちゃうじゃん?そこはハードコアファンオンリーとかっていうさ、なんかそういう路線も無いとダメだと思うんだよねっていうかそういうのがいろいろあるってのが文化だと思うんだけどな。全部がユーザーフレンドリーってそりゃないだろっていう。あとスカイリムってすぐ死ぬゲームじゃないからね。本当にすぐ死ぬやつに比べたら全然楽なんだよ。あんだけヒール使いたい放題なんだから工夫すればなんとかなるに決まってるわけで。fallout然り。


まぁそんな感じで結構書いたなぁっつーかずーっと書きたかったことなんだよね。特にYou Tubeのあの気持ち悪さに関してはずーっともやもやしててさ、ようやく書けたからなんかすっきりしたね。んじゃあなんでまだつべにアップするのか?ってことになるんだけど(笑)あとまぁその大衆批判の話とかね、主権者とごっちゃにするなって話とか。


ただまぁーやっぱあれだよね、閑古鳥のmixcloudにせよなんにせよ俺がなんと言ったところで聞かれなきゃ意味ないもんね。アップしてる意味もないし、だったら自分で作って自分で聞いてればいいわけで。だから断じて違うのは、なんでこれを聞かないんだ!みたいなことは絶対言ってないってことね。そういう価値観の押しつけみたいなのはむしろ俺がそういうのすげー嫌いだからそういうつもりではないんですよ。あとそこまで自分が作ったものに絶対的な価値を感じているわけでもないし。


ただまぁ色々とね、you tube見てると思うことがあるのね。だから他は見ないのがベターってことになるのね。良いのもたまにあるけど大抵イライラするのばっかだから見ないのが一番なんだよね。ただとにかく大衆的なものはとにかく俺をイライラさせるってことなんだよね。本当に気分が悪くなる。それで言うとこないだまた例のごとくテレビつけっぱなしにしてたらレッドカーペットやってて質の低さに呆然としたね。あまりの質の低さに唖然としてしまってチャンネル変えるどころかどこまでやるんだ!と思って最後までつけっぱなしにしててんですんげー気分悪くなっちゃって安定剤を飲まずにはいられなかった。そのぐらい精神を揺さぶられるものだったよね。


まぁレッドカーペットって初期は結構面白かったからM-1とかと同じでまぁ内容の劣化に唖然とするっつーのもあるんだけど、まぁ放送事故みたいなのを永遠と9時台の時間に流すってテレビってここまで来たのかぁーって思ったよね。you tubeの低俗な感じと凄くflavorは似てるのよね。だから例として書いてみた。もちろん!嫌なら見るな!で済む話なんでそれはいいんですよ。あんなものを放送するな!みたいな意見ではないので。


そんな感じでいろんなものとシャットアウトするともう本当に本を読む位しかやることがなくなるのね。you tubeとかは予想以上に糞だったし、本当にやることなくなっちゃってるんだよね。でもやっぱ外界とつながってはいたい!っていう意識はあってやろうとするんだけど結局シャットアウトっていう方向性になっちゃう。そんな中でやっぱウォール伝と数学だけはつながりがあるなとは思うよね。数学はまぁ使いこなせるようにならないと社会的なものとつながらないんだけど、ただまぁインナートリップの世界ではあるけど極めれば社会性が出てくるじゃん?社会性のために極めるわけじゃないし社会性なんて必要ないと思うけど、でもそこは俺の欲求なんだよね。やっぱつながっていたいなという欲求なんですよね。


ウォール伝と哲学と数学無くなったらもう完全に俺はアノミー状態になるね。デュルケルムが「これぞ!」と言わんばかりのぴったりなアノミーになる。あ、でも哲学は社会性無いんだよね。自分で考えるわけだから。あと極めたところで社会性につながるとは限らないじゃん?あと別につなげようとも思わないし必要性も感じないし。でも数学はそれ自体が社会的行為だもんね。ようは何かに貢献できるぐらいの良い仕事ができるようになればそれ自体が社会的行為じゃん?だからそれを求めてるんだよね。ベタなところで言う自己実現ってやつか。


もちろん根本はインナートリップなんだけど、好きなことと社会性をつなげるって前から書いてる方法論あるじゃん?で、それは哲学だと難しくて数学だと実現可能性が高いってことなんだよね。それはもう単純に学問の違いという意味で。で、実現性が高いっつってもそれは俺の可能性じゃなくて客観的に哲学が極まった人と数学が極まった人が二人いればその「極まった」という要素だけ見れば数学のほうが社会的ってことなのね。まぁ別に今漠然と思ってるイメージの話なんだけど。


あと数学ってこれをこうしたい!っていう夢があると現実と違って実現可能性が高いもんね。数学の夢ってのはそういう意味で能動性があれば現実的で良いよね。極めて人生という実存に根ざしたものとして生活の中に組み込まれるっていうかなんというか、それ自体がパワーを生み出す根源になるっていうかなんていうか。それこそ数学の世界には衆愚的なものって介在しないじゃん?数学業界にはいくらでもあるだろうけど数学そのものには存在しないもんね。だからそういう意味で数学業界とかアカデミアに興味があるわけではないんだよね。そりゃ当然だよね。特に日本なんて終わってるよね。学閥のヘゲモニーだらけで最悪じゃん。あとアカハラね。どうしようもないのが大勢いる証拠だよね。ちゃんとした人たちがやってればこんなことにならないわけで。


まぁそんな感じで今日はこの辺で。あと最後に付け加えたいけど庶民=大衆ではないですからね。言わずもがな俺も当然庶民ですから。


PS


You Tubeの自分のページの統計見てみたら過去1年ぐらいのやつでdislikeをつけてる人の8割ぐらいがが日本人でした(likeは全体の3割。総like数1248、dislike数268内)主観的かなぁーと思ってたけどやっぱそうなんだなぁーと実感。他でも特に日本人同士のdisり合いとか馴れ合いがyou tubeで酷いとかって言われてるんだけどそれもそうだと思うよね。いや、でもとにかく唖然ですね。アクセスも日本からのが多いからある程度は理解出来るにしてもほとんどのdislikeが日本って異常だよなぁー。で、海外の場合、like率がめっちゃ高いというかdislike率が低いのね。いや、like率が高いわけじゃないわ。いや、だからさ、これが動かぬ証拠なのよ。パフュームみたいな歌謡曲系のやつには今回書いた大衆が混ざるんでこんな数値が出るんだよね。で、所謂「よーがく」のものはアクセス数が少ないか、大抵は好評なのが多い。でも個人的に見ると別にそんなに邦楽と洋楽の差は無いと思うから単純にリスナーの違いなんだろうなぁーって普通に思うじゃん?


実際、ジョンケージと池田亮司ヲノサトルマッシュアップのやつなんかアクセス数たいしたことないのにlikeが17でdislikeゼロだもんね。で、ケージの4:33のコンサート映像にトラバしてあるからようはゾーニングがされてるんだよね。バカが来ないという(笑)それが評価に顕著に出てるわけよ。俗悪な音楽が元になってるやつほどバカっぽい書き込みとか低評価が多い。で、中にはちゃんとした低評価もあるんであまりに評判悪いやつは消したりしてるんだけどね。でもパフュームとかのやつはもうそういうメッセージ見るだけでも嫌だから評価が低いやつは自分でそこまで悪くないって思ってても消してるわ。今回はめちゃめちゃ消したもんな。ようはパフュームとかバカが聞くような音楽のマッシュアップをやるとバカが聞きにくる可能性が高くなるので、そういうやつらと接したくなかったらアップするな!ってことになるんだよね。これがようは俺が最後のほうに書いたシャットダウン原理なんですよ。


だから学問とかそういうので社会と繋がったほうがいい。それこそバカが入ってこれないような高い世界で活躍してちゃんとした人達に評価されたほうがいいわけだ。で、そうなるとバカもなんだか分からんけど高名な人ってことで評価するんだよね。そういう人を。特に分かりやすい人ね。その典型がアインシュタインなんだけど。実際はどんだけノイマンゲーデルのほうが凄くてもアインシュタインだもんね。まぁそれはいいか。


まぁその学問の話とようつべのマッシュアップを同等に語るのはアレに見えるけどでも俺がいいたいのは一般的な話だからね。ようは「バカが入ってこれない世界」に入れるぐらいに自分を鍛えて、そこで認められるようにすれば自分なりに社会にアプローチ出来るってことなんだよね。それ以外やりようがないからそれをやるしかないよねってのが今回書いた話の一部でもある。


で、それが無理ならいつかは大衆とやっていかなきゃいけなくなるときが来るわけで、そうなったら無理だからようは詰むからだからまぁバカが入ってこれない世界に入れない=もうやっていけないってことになるわけね。こないだ書いた数学の話はそういうことね。


まぁそんな感じで追伸終わり。