u.さんへの返信。

u. 2012/08/18 02:24


八ヶ月ぶりですが、お久しぶりです。仕事が忙しく、あまりブログ読みこめてませんが。まとまった時間があったときに読む感じで過ごしています。まあ、それほどの情報量の記事が多い、ともいえますね。さすがです。


ニュースの件は知りませんが、僕も「物理的な暴力がなぜいけないのか」というテーマを過去に考えていたので、コメントします。


暴力にも色々な種類がありますが、いきなり纏めてしまうと、物理的な暴力は直感的に死を連想するからだと思います。あとは、外面的な変化が大きいから、という理由もありますね。


物理的な暴力は外面上に痕が残りますが、これは精神的な暴力とは大きな違いですし、
ハンマーで殴って殺すことは可能ですが、言葉のハンマーで殴ってもその場に昏倒する事も無ければ、殺すこともありません。


見た目に変化が無い、というのは、間接的な直接的か。ようはイメージできるかどうか、というファクターに相当に影響があると考えています。


想像は本当に大切な事ですからね、自分の言葉が相手にどんな効果があるのか、ある程度は把握して使わないと、どこで人を殺すことになるか分かりませんし。口は災いのもとですね。


この物理的な暴力で殺されることは簡単に想像できますが、言葉の暴力で殺される、または、殺すことになる、という事を想像できる人が世の中にどれぐらいいるかはわかりませんが、ネットを見た限りじゃ、まあ、そうした想像力を持った人間はネットを使わない人間なんでしょう。


物理的な暴力は、たぶん、誰もが憧れていると思いますね。だから格闘技なんかがメディアで取り上げられている訳ですし、喧嘩や腕っ節が強い人間が社会から淘汰されていません。もちろん、むやみやたらに力を使ってたら社会の澱に入れられますけど。


物理的な暴力が批判されるのは、やはり理由云々ではなく、それがいつ自分に与えられるか分からない。そしてその暴力で、いつ殺されるか分からない。


外面上に起こる大きな変化は容易に想像できるからこそ、物理的な暴力は怖い、だから自分は嫌だ。自分が嫌だから、嫌なものは社会=自分の価値観から排他しなくてはいけない。


それは、つまり、生きる事への執着や、生の防衛本能なのかな、と考えました。


死ぬのは嫌だ、と誰もが感じていると思います。これは、たぶん普段はそんな感じないでしょうけど、いきなり生きるか死ぬかの選択を迫れられ、目の前にロープがあったら、たぶん多くの人間は生きる事を選択するでしょう。


全てが、ではなく、多くが、というのが一般的な価値観になっていますからね。その中で生きている人間の大多数はこの一般常識で洗脳されてしまうのでしょう。中には最初から壊れていたり壊したり、疑問を持ったり気がついたりする人も居るでしょうけど。


だから、子供は感情にまかせて叩く、蹴るといった行動をとりますが、大人は感情を殺してまで、暴力を行使しない。社会の常識に染まっているからだと思います。


まあ、子供といっても、ある程度の年齢になれば相手にどれぐらいのダメージがあるのか、自分がやられなくても理解できるでしょうから、それでも分からない人間は、脳みそを母体に忘れてきたか、想像力を遺伝しなかったか、あるいは、それが両親からの遺伝なのかもしれません。だとしたら、先天的な障害を患っているといえますね。これも言葉の暴力になりますか。


僕は、mimisemiさんのように物理的な暴力を賛美出来ませんが、それでも、根絶してはいけないものだとは思います。社会的な力を持たない人間が、唯一立ち向かえる力でしょうからね。今回のように。


これも感情論になっちゃうんでしょうねー。まあ、形骸化されたシステムで財産食いつぶしてる国が今回の件をこれ以上報道せずに隠蔽しないか、それが心配といえば心配です。言い足りないというか、これ以上言葉で表現できないので、この辺で。


いつも常識をぶち壊す記事ばかりで、本当に楽しいです。まあ、それを鵜呑みにするのではなく、噛み砕いて血肉化しないとそれこそ洗脳になってしまいますから、あえて疑問を持つように読んでいる捻くれた人間ですが。


それでは、また。


物理的な暴力が批判されやすい理由の一つとして直感的に死を連想しやすいというのは確かにありますね。他にも色々とあるとは思いますが、やはりその「イメージできるかどうか」のファクターですよね。それで言うと世の中には本当に鈍い人ばかりだと言わざるを得ませんね。少なくとも日本では暴力よりもハラスメントやいじめや言葉の暴力などで死んでいる人が大量にいるわけですよね。自殺者のすべてがそうだとは限りませんが、相当な数がいると思われます。


何気に言われた一言や職場でのいじめやパワハラなど、日本ってなぜかこういうところが凄く残っていますよね。若い人の離職の理由でも人間関係が上手く築けないというのがよくあるみたいですが、凄くそれはわかりますよね。実際、理不尽なことをやってくる上司や年長者ってかなりいますからね。あとバイトとかで言うと店長とかフロアマネージャーの類いでしょうか。ようは平社員に毛が生えたようなレベルの連中ですね。


一回与えられたトラウマというのはなかなか癒えるものではなくて、それを引きずってしまって社会恐怖になってしまったり対人恐怖症になってしまったり、結局その結果、引きこもりになったりあとは最悪の場合、自殺ということがあるわけですよね。こういうものはその場で致命的なダメージを受けるわけではありませんが、銃で言えばディリンジャのように即死ではなくても死ぬのに2日かかるような、ようはジワジワと死に近づいていくというダメージですよね。暴力で死んでしまったらそれは原因と結果でわかりやすいですが、自殺の原因というのは調べられないですよね。


仮にそれがパワハラアカハラでも個人的なことなのでわからないですよね。でも明らかにそれが原因であった場合、ようはこれは殺人だと思うんですよ。でも物理的暴力ではないので裁かれないんですよね。凄くおかしいです。僕が言っているバランスってここなんですよね。ハラスメント系やいじめなども暴力なのでハラスメント撲滅運動とかブラック企業撲滅運動があればいいんですが、そんなにたいした運動というほどあるわけではないですよね。政府も厳しく批判しているわけではない。なのでバランスがおかしいんですよね。物理的ではない暴力が有り過ぎるわけです。これって犯罪率などと相関しないので言わば見えない暴力ですよね。


あとちなみに僕個人で言えば明らかに精神的苦痛のほうが身体的苦痛よりもいいです。身体的苦痛は確かに殴られたりすればダメージがありますが、たとえばショックを受けるほどの理由ではなく殴られたらそれって別にすぐ治りますしたいしたことじゃありませんよね。でも精神的苦痛なんて一生癒えない傷になりうるわけです。想像力が無い人間にどれだけそれが痛いことなのか?って分からせるにはやっぱり暴力しかないですよね。


あと僕もいつも書いていますが、言葉の暴力やパワハラのような関係を利用した暴力は許されて物理的な暴力のみが許されないのであれば、それは言葉の暴力が明らかに優位になりますよね。権力関係を利用したハラスメントが増える理由がここだと思うんです。あまりにアカハラが酷いから教授をボコッたといったらその大学生とかって捕まりますよね。でも教授が大学生に一生癒えないほどの心の傷を残したというのは訴えたりしない限り法的には裁かれません。これはおかしいですよね。


ようは一般的にそういう議論が無いんですよね。アプリオリに暴力はダメ!ということになっているので、僕が提起しているような問題についてあまり語られませんよね。だから理念的な「やめよう!ハラスメント!」とかになってしまって実際なんの効力も無いまま精神的な暴力が放置されるわけです。ではこの教授のハラスメントも暴力だと認定されればどうなるでしょう?というかまぁ乱暴な言い方をすればあっちも暴力を振るっているので正当防衛なりお互い様ってことになりますよね。


一方的にボコッた大学生のみが裁かれるみたいな理不尽なことにはならないわけです。こういう場合は暴力が一番手っ取り早いわけです。パワハラが得意な教授も生徒にボコられる可能性が高まればハラスメントなどやらなくなるでしょう。荒療治ですがパワハラはこれで解決されますね(笑)


というか世の中のハラスメント全般に対してこれを適用すれば相当マシな社会になると思うんですよ。しょっちゅう殴られる人は増えると思いますが、精神を病む人が増え続けるということにはならないと思います。それこそファイトクラブ的な殺さない殴り合いって健康ですからね。アグレッションというのは誰もが持っていることですし。暴力も使いようってことですよね。一気に刺殺とかにいくとアレですが、パワハラへの抗議のためにリンチってのは全然ありだと思うんですよ。何しろすでに大学生が被害者なわけですから。でも世の中の道理だとこれは通らないんですよね。


あとこれって別に腕っ節の強さは関係ありませんよね。嫌味を言ってきて何も言えないので殴るとかまぁ殴るのにそんなたいしたスキル必要ではありませんからね。嫌味を言う人間って最強なんですよ。反撃されることが無くずーっと攻撃していられますから性格が悪いやつとか口が悪いやつが社会のレベルの低い階層では強いわけです。んでも嫌味を言って殴られるようなことがあればそもそも嫌味を言わなくなりますよねってさっきと同じ話ですけど。


uさんが言うように暴力に憧れている人は多いと思いますし、何より暴力を行使できるという状況に憧れている人は絶対多いと思うんです。あとそれが無理ならハラスメント系はすぐにアメリカみたいに訴訟を起こせるとか、嫌がらせに対してすぐ反撃できるという方法を作らないと病む人が増えますよね。ましてや今の社会なんて我慢している人たちが大半でしょう。そんな人たちが爆発したら凄いことになりますよね。で、リーズナブルな暴力は事件にならないのだとしたらブラック企業系なんて死傷者続出で一瞬で潰れる気がしますね。


もちろんやたらに暴力ばかりに頼りすぎたらダメですけど、今の日本ってブラック企業でもハラスメントでもいじめでも結局は放置じゃないですか?放置ってことはようは黙認ですよね。それじゃダメなわけです。で、なんとかしよう!と思ってもどうにもできないわけです。もう何十年とこういう体質は変わってない。だったらもう暴力しか無いだろ!ってぐらい僕は臨場感を持ってますね。それぐらい闇が放置できないほどに拡大して深刻化しているからです。


あと想像力を持とう!というのは絶望的に無理だと思ってますね。これって結局はロールズの無知のヴェールみたいな議論になるんですが、想像力も無知のヴェールも概念的には良いものですが、実効性がゼロですよね。それができない人間が多いから問題なので啓蒙とかストップ!ハラスメント!的なものには限界がありますよね。そもそも嫌がらせをしているという自覚が無いやつらすらもいるでしょう。そんなやつらが自分の行為を理解することになるのはやはり実際にそれに対する報いを受けたときでしょう。


海老蔵なんて二度と酔っぱらって他人に絡むようなことはしなくなったと思うんですよ。加害者がようは先生だったわけです。まぁ加害者は元々かなりのワルだったらしいのでそれとこれとは一緒にはできませんが、これは暴力が凄く有効にワークした例ですよね。それこそ死ぬかと思ったらしいので、二度とやらないでしょう。皮肉なことにどんな啓蒙活動よりも効果がありますよね。


あと最後になりますがやっぱり僕が言いたいのはいつまで我慢している側が永遠に我慢をしなきゃいけないという状況を放置するのか?ってことなんですよね。例えばいじめにしてもまぁいじめられっこは無理なんですが、暴力で対抗しても良いという選択肢があれば解決するケースも多いと思うんですよね。根っこからのいじめられっこは無理ですが、我慢してる系の子達には可能だと思います。


ただ殴ったら問題になるので、自分が殴られるのを我慢しているということですよね。あとはまぁ別にバットとか使ってもいいわけじゃないですか?あっちが3人とかなら反撃されるのでバットで応戦してもいい。そんなので人の命が救われればどんどんやるべきでしょう。いじめられっこもバットで殴られた経験なんてあるわけないですから良い教訓になるでしょう。所謂「窮鼠猫を噛む」です。これは絶対必要なことです。今回の自殺した子に可能だったかは別として、あそこまで派手にやられていたら窮鼠猫を噛むというのは可能ですよね。まぁ抵抗が容認されればの話ですが。


僕に子供がいたら絶対そう教えますね。暴力はいけない!なんてのは建前だし、世の中は我慢している人のいい奴らが損をするようになっているから、そんな貧乏くじを引く前に可能な限り抵抗し続けろって言いますね。バットはともかく殴り返すぐらいのことはしなきゃ絶対ダメだ!って教えますよね。いじめられっこは絶対良い子達ばっかなんですよ。殴ることすらできないような優しい子が多いわけですよね。多分。まぁそうじゃないいじめられてもしょうがないようなやつってのもいるので一概には言えないんですけどね。


とにかく暴力ってまぁいろんな意味で見直される段階になってますよね。で、必要性が凄く顕著になってきていると思います。そのぐらい切羽詰まった状況になっているし、いじめる側が強いという状況が長引きすぎていて恒常化していますよね。アレなんですよね、ヤンキーでもいいですしDQNでもいいんですが、なんか絡まれたら嫌な感じの奴らっているじゃないですか?ああいうのって絡まれたらそのまま何もできないって自然に思うから嫌だ!って思うんですよね。だから別に絡まれたら正当防衛としてその辺の落ちてる木の棒とかで殴ってもいいって思ってれば全然怖くないんですよ。


まぁ木の棒がその辺に落ちているかはともかくとして、あとはまぁそれこそスタンガンを持ち歩くとかやりようはいくらでもありますよね。身の危険を感じたならそれはやっていいわけですから。僕はこれに気がついたのが10代後半でした。暴力がいけない!なんてただの建前じゃないか!と。見た目はただの弱そうな坊ちゃんなんですけど(笑)


別に僕は喧嘩は強くありませんし力も弱いんですけど、ようは意思なんですよね。体が強いとかそういうのは関係ないわけです。あとそういう体の強さとかをキャンセルできるのが凶器なわけで、ストリートファイトじゃないわけですし、殺さない程度ならやり方はいくらでもあるんですよね。そこをなぜか暴力はいけないってなってるからひたすら我慢になるしかないわけです。これはおかしいですよね。自分の経験から言っても反撃していいんだって思っているだけで全然メンタリティ変わりましたからね。とにかく怖そうな人たちが全く怖くなくなりましたね。


アメリカの場合、ここで一気に正当防衛として銃がありますからね。だから襲う側にも相当なリスクがあるわけです。本来襲う側にはそれ相応のリスクがなければいけませんが日本の場合、誰も抵抗しないのでやりたい放題ですよね。で、コンビニの店員が刺殺されたりするわけです。相手がナイフを持っていても電撃棒があれば大丈夫なわけですよね。これがようは僕の言いたい暴力の強さというかキャンセル性なんですよね。身体能力などに一切依存せずに身を守っていいのだという理由さえ有れば生きる本能として身を守りますから身を守るためなら何でもやるわけです。


こういう強盗対コンビニ店員みたいな修羅場じゃなくてもいいんですが、ようは身を守るための暴力の必要性ですよね。それは暴力に対する暴力なので、それが物理的かそうじゃないかは全く関係ないと思うわけです。


ということでこの辺で失礼します。返信があればまた何か是非書いてください。