現実はオワコンという認識からはじめませう。その4。

なんで数学は救いにならなくてゲームは救いになるんだろう?ってことを考えてしまうのもさ、ようはゲーム並に数学に集中できたらなぁー・・・とかって考えちゃうのも現実ベースの考え方だよね。ようは数学に集中できれば何かしらの現実に対するスキルを磨けるってことになるわけじゃん?だから社会的に有用なことに時間を使ったほうが良くてゲームなんて時間の無駄だ!っていうまぁこれはみんなそう考える考え方だけどこれが誤りなんだよね。数学にはそこまで集中できなくてゲームに集中できるというのはもう事実なんだからそれを認めなさい!ってことだよね。そこを無理やり数学をやらねば!ってことで自分を追い詰めて何か良いことがあったのか?って全然無かったわけじゃん?むしろ自分の才能のことを気にしたり結局数学なんてやってても食っていけないからやっぱり意味ないかもなぁーなんて思ったり全然建設的じゃないんだよね。それもこれも全部現実を中心に考えてるからなんだよね。


じゃあパラダイムシフトして自分の世界のために数学をやるってことになるとようはそれってもう完全に楽しみのためにやる数学じゃん?自分の生活インフラのコンテンツとしての数学になるわけで、現実の数学業界が厳しいとか教職の求人が少ないとかそんな話は関係なくなるんだよね。むしろ数学をやりたくてやってるなら自分の世界としてやらなきゃいけないのに俺は現実を軸にずーっと考えてたんだよねってまぁそれは普通なんだけどね。でもだって結局研究がしたいわけでしょ?教えたり雑事をすることに興味があるのか?って無いわけでしょ?まぁ教えるのはいいかもしれないけど雑事とか煩わしい人間関係が嫌なんだったらそれは実際はやりたいことじゃないじゃん?じゃあやりたくないことをお金のためにやるのか?って俺にはそれは無理だよね。だからこれこそ非現実的な不可能なことを考えているということになるわけだ。なのにも関わらず3流大学の非常勤とかでもいいからとりあえず職に就きたいなんて思ってたこともあったわけですよ。確実に本当の心の声とは反しているただの現実との折り合いをつけるための妥協だよね。


そういうことをやることでどんどんモチベーションが下がっていって結果楽しい研究なんてできなくなるわけだ。そんなんじゃそもそもの研究のためにならないよね。だから自分のためにならないわけだ。いや、無理をしてでも努力をすれば仕事に就けるかもしれないなんてことが仮にあってもさっきも書いたように仕事はこなせそうにないわけじゃん?だったらもっとリアルにやっていける道を探すしかないんだけど、それを現実世界でのみ探すってやり方をしてたから永遠に詰んでたわけだよね。そこをやっぱり自分で作るってことなんだよね。でも別にそれは仕事を作るってことではないんだけどね。結果仕事になればまぁそれはそれでいいんだけど仕事を作るための創造ではないわけだ。仕事を作る的な発想だと現実比が否応なしに高くなるじゃん?


R/I比みたいなさ、Real/Imaginary比なんだよね。現実的な要素を考えると現実は強いからImaginary界にどんどん侵略してきてImaginary界の可能性を奪っていくわけだ。いや、俺が言いたいのはマネタイズが目的だったりするとまぁ所詮モバゲーみたいな低俗なものになるし、お金を稼ごうとすればもうそれは無理ですよって俺は思うのね。それがもうそもそも古い発想だと言いたいわけ。そもそも実存問題の解消を模索していくなかで解消法の中でマネタイズなんてする必要ないじゃん?なんでそんな必要があるのか?ってことでしょ?前にも書いたように今は残念ながら多くのお金が旧世界で回っているからそこから金を調達するしかないにせよImaginary界の構築には金はかからないわけだから人間のエネルギーっつーか意志のパワーとかフォーカスをそっちに向けたほうがいいってことなんだよね。いや、それがうまくいけばQuality of Lifeに繋がるわけよ。金が腐るほどあるのにお金の運営やらそれをキープするためにあくせくして全然ハッピーじゃない人と最低限のものがそろってればハッピーな生活が送れる人とどっちがいいか?って明らかに後者でしょ。現実問題は生活費だけなんだよね。本当に。逆に最低限稼げればあとは自分の世界で過ごしていればそれこそ高等遊民的な貴族みたいなメンタリティで生きていけるならむしろ人間の尊厳が守られるよね。現実ってのは人間の尊厳を奪うところじゃん?雑巾みたいに使いまわされて最後は捨てられるみたいなさ、そんなの一度でも経験したらもう無理でしょ。


でもそれが現実なんだからタフになってそういう中でやっていくしかない!って考えるから鬱になったりあとは極端な例で言えばそれが現実なんだから自分が雑巾を使う側になれ!とかさ、そんな風な考え方も蔓延してるじゃん?これが俺の言う疫病の要素のひとつなんだよね。で、もうそれは治らないわけ。それは相互的などうしようもないシステムとどうしようもない人間の永久機関みたいなものだから壊そうとしても無理だし、むしろそれを変えるとか壊そうとするパワーを新世界の構築のほうに費やしてくださいってのが今回色々書いていることだよね。俺はずーっと発想が破壊側だったけど今はマインドセットを変えて創造側になってるわけじゃん?おかげで色々と気分が前向きになってるわけだ。相変わらず自分を取り巻く現実派クソだけどまぁそれはもう俺とは関係ないんだよね。関係ないって言い切れるなんて特権的じゃないか!って言われればそれまでだけど、さすがに俺が言っていることが普遍的に何でも解決する万能薬でないことは言っておかなきゃいけないよね。完全に負のスパイラルに入ってどうにもこうにもいかなくなってる人たちを救えるようなそんな強いものじゃないからね。今のところは。いや、そんなのあればとっくに採用でしょう。


ただ無視できない問題としてそういうもうどうにもならない負のスパイラルに入ってしまう人たちはどんどん増えてるし今後も増えていくわけじゃん?だからノアの箱舟的な場所が必要なんだよね。結果的にそういう人たちも箱舟に乗れるようになれば最高だよね。ただ大風呂敷を広げるのはいいけどまずは超利己的に自分の実存からじゃないですか?それは鉄則ですよね。別に慈善事業をやろうと思ってるわけじゃないわけだし。俺がイメージしている前から書いている電脳に常に繋がっていて常にハッピーみたいなさ、あとは幸福感の最大化っつーのかな?まぁ幸福感じゃなくてもいいか。まぁ普通にいられるっていうぐらいでいいんだよね。常にハッピーである必要はないよな。だからやっぱそこはギメルのアルカディアなんだよなぁー。で、まずは俺はギメルとしてアルカディアの設計を自分の家を設計するかのごとく作ると。でも別にそれは普遍的なシステムの構築とかではなくそれこそウォールデン的なっつーかソローのウォールデン的な理想的な環境で小屋を作ってそこで生活するみたいな話だよね。凄いことにソローのウォールデンのコンセプトと同じわけですよ。まぁそりゃそうだよな。俺ってほぼソローとメンタリティが一緒だからね。だからまぁ昔からこれがウォール伝なわけで。隠居したいってのをもう10年以上言い続けてきたと思うけどなんか面白い形でもっと積極的な形でそれが可能になりそうだよね。で、それは消極的な嫌な世の中と離れるための隠居なのではなくて、自分の家を理想的な場所に作り上げるっていう創造としての移住だよね。で、そのためにはもう移住するんだ!って決意が必要なわけだ。フロンティアスピリットですよね。


この世に居場所がなければ自分で作ればいいわけだ。で、それが今は可能になりつつあるから現実に悲観するのはやめて、あと全てを現実を軸にして考えるのはやめてもっとフリーに考えて創造的になろう!ってことだよね。でも別にベンチャー企業立ち上げるとかそういうデカイ話ではなくあくまで自分へのSalvationとして、この世にいたら消えてしまいそうなぐらいヤヴァいっていう切実な実存問題を解決するための解決策だよね。それは実存の問題なんであって他人から現実逃避だのなんだのって言われる筋合いはないじゃん?普通の恋愛よりエロゲーのほうがよっぽどいい!って言っているオタクに普通の恋愛を強要する権利なんて誰もないでしょ。まぁ普通の恋愛とエロゲーっつー対比をするとなんかイメージがあれだけどさ、でもまぁ認識したもの勝ちっていう話なわけだから完全にハッピーな自己完結してるオタクとかニートはもう勝者ですよね。ましてや実家に余裕があって親が死んでもやっていけるなら勝ち組でしょう。でもそんな勝者は限られてるからやっぱりフォーカスしたいのは先が不安なニートとかフリーターとか無職とか常に実存的な葛藤に悩まされ続けている人たちだよね。


実家が金持ちなニートが勝者って誰も認めたくないんだよ。批判とかみんなこれで怒るのはそれが事実だからでしょ。だから不公平すぎて認めたくないんだよね。逆にどうしようもなさすぎたら誰も相手にしないじゃん?ましてや今ってアンハッピーな人が多いから妬みとか嫉みとか半端じゃないよね。負のパワーが凄い。で、それを正のベクトルに!ってのがまぁ「変える」って発想ですよね。でもまぁそれは無理ですよってことね。人は変わらないからそういう人たちはオワコン側として眼中から消さないと駄目だ。そんなのにフォーカスしてたらそれこそ現実に飲み込まれちゃうからね。そんなに悲観することでもないのはさ、俺みたいな問題を抱えている人たちが大勢いるってことだよね。だからこそ可能性があるんじゃん?勝手な俺の問題なんじゃなくてそれこそグローバルな世界の問題なわけでさ、それだったら絶対なんかあるはずだよね。相当な数の人間がそうなっていてしかも色々な形であれ違う世界で過ごす時間が多くなってるってのはもうなんつーか生物学的っつーのかな?ある方向に行くと凄く熱い!と感じるようになればそれを避ける道を考えるじゃん?で、それを俯瞰図みたいな感じで一人一人をドットみたいにしてさ、で、それをAIとして生存本能がある人間として振舞うようになれば自分が破滅するような方向には進まないはずなんだよね。それこそ座標でこれ以上北に行くとどんどん温度が上がっていって最終的に死ぬみたいな場所があったら誰も北上しないわけよ。だから熱くない生きていける場所に安住しようとするよね。


で、それを俯瞰図でドットとして見るとかなりの数のドットが現実という修羅場を避けるようになってきて別の方向に移動しつつあるっていうもう普遍的な抽象化された人間という存在が本能的に生存のためにそちらを選んでいるという厳然たる事実があるんだよね。それはもう逃避じゃなくて生存本能でしょう。生きようとしているからそうなるんだよね。誰も火には入らないわけだ。まぁあとは火の熱さは変わらないよね。そこにいたら死ぬという事実も変わらない。で、超人の発想というのは「心頭滅却すれば火もまた涼し」っていう話だよね。やれる人はやればいいけど俺はもう無理だからやめますよってことなんだよね。そんなのを一般的な解決策として提示するなんてまず無いよね。本当に反省してますよ。一番辛くなったのは何を隠そう自分ですからね。


我慢しろ!負けずに頑張れ!って全部この類の話ですよね。そりゃ心身燃え尽きますわな。燃え尽きて普通です。だって人間なんだもの。もうそういうのをやめていかないと駄目だ。辛くても先があったりビジョンがあったりどうしてもやりたいことを成し遂げる上で耐えることも必要なときがあるってのは当然ですよ。そういうのはもう逆に公理系ぐらいの話で良いよね。自明の理過ぎるからそんなものをいちいち確認のために書かないってことだよね。で、今悩んでる人たちの多くは意味も無くやたら辛い状況におかれてやたら旧人類や旧世界側から古い精神論みたいなのを聞かされて凄まじいマゾゲーに耐えているみたいな感じじゃん?マゾゲーに耐えてすげー報酬とか何か約束されることがあればいいけど何にも無いじゃん?ただ解雇に怯えるだけで解雇されるのが嫌だから我慢するみたいな生き地獄ですよね。人質のシステムと同じだよね。そんなんで利益を出しているブラック企業ってサイコパス以上の異常者マインドを持ってる集団的異常者だよね。で、政府は何もしないじゃん?明らかに違法なことに何もせずにひろゆきみたいになぜか反社会的とされる人物を国家権力を利用して邪魔だからっつー理由で書類送検したりとかさ、まぁそういうことやってるわけだから現実は無理ゲーですよ。後期KOFのラスボスみたいな感じでまず普通にやってても倒せないよね。たとえが古くて恐縮だけども。攻撃しても全然ヘルスが減らなくて一発何かかまされると即死みたいなそんな敵に立ち向かう人なんていないよね。そんなのもう諦めるでしょう。そういうのを無理ゲーって言うんですよ。現実はもうそうなんですよ。だから期待するほうが損をするわけです。


まだ続くんでまた明日。あとちょいコメントをはさみたいんだけど、ギメルとかアルカディアってのは誤解を生むからやめようかなと。いや、誤解も何もそんなに有名なキャラじゃないだろ!って言われればそれまでだけどギメルとかアルカディアって現実/非現実の対立の中で非現実のほうを現実と思うことにしよう!っていう話じゃん?だから体から何から全部非現実にコネクトされていて主観的にはそれが現実としか考えられないぐらい非現実が彼らにとってのリアルになっていると。でも俺が言いたいのはそうじゃなくて非現実とレッテル張りされるようなファンタジーの世界とか空想の世界とか仮想世界とか自分の世界とかも同じくそれは精神に顕在化しているという点で認識している側から見ればそれは現実の一つなんですよってことなんだよね。もしくは現実/非現実の境を無くすわけだから何が現実か?というのを決めることすらナンセンスになるっていう。そういう現実の優越性というのを無くすってことなんだよね。いや、完全に電脳世界に繋がっちゃったらさ、例えば俺は犬が大好きだけど犬が存在するのって現実世界じゃん?まぁ実家ですよね。で、んじゃあその実家の大好きな犬を捨てるのか?って捨てないじゃん?


現実にだって現実にしかない良いところとか現実でしか体験できないということもあるわけだから現実の全否定なんてのはナンセンスなんだよね。ただでもそれはあくまでそりゃ仮想世界にだって仮想世界でしか体験できない凄いことがいっぱいある!っていうような話とあくまで同じレベルなんだよね。そこを一般的には仮想世界でのことなんて全部嘘なんだからそんなところに体験も楽しみもクソもないだろうってことになるんだけど、自分が楽しい!とか好きだ!とかっていう感じたい現実に対してイデオロギーなんて必要ないのよ。それがようは個々のヴァーチューなんだよね。犬の命は有限だからかけがえのないものだってまぁ正論ですよね。別に俺は仮想世界に時間を費やしすぎて犬と接する時間が無いみたいなわけじゃなくてどれもこれも自分の現実としてのone of themなんだよね。思えばそんなone of themの中に数学の世界ってのが存在してるんだよね。だから俺には数学しかない!なんて考えるのは馬鹿馬鹿しいわけだ。まぁ従来どおりの実家での生活と最高に楽しい仮想世界での生活とズッポリ浸れる抽象的な数学の生活と全部俺の生活圏なわけですよ。どれがどれを否定しあうわけでもなくつぶしあうわけでもなくどれが本当の現実なのか?なんて考える必要も無く・・・。やっぱり仏教っぽいよね。別に俺は仏教意識してなかったんだけど(笑)


ってことでまた明日。