現実はオワコンという認識からはじめませう。その6。

凄い良いエントリーがあったので。


http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20120220/1329692516


Reality is Brokenに関する意見には全く同意だよね。代替じゃ駄目なんだ!そこに現実を作らなければ!オワコンの現実から軸を外すというのが俺の目的なわけで現実が軸になっているバーチャルリアリティ論ってどれも駄目なんだけど、ただまぁバーチャルリアリティの有用性ってのは色々と分かるから読んで見てほしいんだけどねっつーかエントリーの終わりに貼っておくんで。


ってことで続きです。@さんの書き込みで知った坂口恭平という人を調べていてニコ論壇での上祐さんとの対談を見てたんだけど、改めて俺の悩みというのがオウム信者の悩みとほぼ変わりないみたいなことを改めて認識したよね。上祐さんが出てる番組とかネットのやつは結構見たことがあったのでもう既知のことばかりだったけど、でもまぁ今回こういう話題を話しててさ、改めてやっぱり認識の問題だよなって思ったよね。で、上祐さんが言及していた「夢見のヨーガ」という方法があって、まぁ端的に言えば現実も夢もどちらが現実か?なんて境はないんだからそのボーダーを取り除くみたいな修行法なんだよねってまぁ間違ってるかもしれないけどまぁそういうことなわけで、だからまぁ俺が言ってることって本当に古典的な仏教の認識論だよね。


で、そこで空だとか現世は夢とかって思うのではなくて、現世も夢も仮想世界もそれが認識である限り夢だし、またどれも認識の中で顕在化しているという意味では現実なんだから優越性を作るのはナンセンスだ!って話なんだよね。ただ俺の場合、まぁある意味思いもよらないここ一年の例のゲームでの体験じゃん?前から数学の世界のほうが俺はリアリティを感じるみたいなことを書いてたけどでもそれに救われるほどではないんだよね。まぁそこまで没入してないか単に才能が無いだけなんだと思うけど、でもゲームって特にまぁスカイリムみたいな昨今のやつはもはや昔の所謂テレビゲームみたいな世界じゃないじゃん?もう完全にバーチャルリアリティだよね。で、しかもMMORPGみたいなやつだとリアルの他の人間がアバターを使ってその世界でその世界の仕事をしてたり仲間と冒険してたりするわけで、もはやゲームってオープンワールドですよね。引きこもりとか一人の世界に没入みたいな暗いイメージのものでは全然なくなってるっていう。まぁ実際はあんまりまだ知られてないだろうから暗いイメージのままなんだけどね。


今早速読んでいる「Reality is Broken」という本の中で挙がってた例がさ、プレイは自分でやるんだけど他の人も動いているオンラインの世界の中で一人でプレイをするのが好きだっていう人もいるらしいんだよね。特に人とコミュニケーションするわけではないけどとりあえず外に出るみたいなそんなことだよね。今読んでいるゲームの本とかバーチャルリアリティ論みたいな本の中でも必ず言われているのが人間は凄く社会的な動物で、放っておいてもついついコミュニケーション欲が出てくるからコミュニケーション無しでは生きていけないみたいなことは書かれてるよね。まぁ本云々の話はまた長くなるから別の機会に書くけどさ、で、まぁそういう人との繋がりとかコミュニケーションがゲームとか仮想世界を介してできるんであればリアル肯定側がバーチャルを否定するときの決まり文句である人との関係性が希薄になるみたいなことが全く無いよねっていうよりもむしろリアルがドライすぎて希薄になっているからこそ生き生きとしていられるバーチャルの世界で人とコミュニケーションしたいわけでしょう。


バーチャルな世界で人工知能と友達になっていたら不気味だけどやっぱりみんな人間なんだよね。不健全どころかめちゃめちゃ健全じゃん。Reality is Brokenではいかにそういったバーチャルな世界が人の生活を豊かにするか?ってのが書かれててまぁ本当にそうだよね。結局は偏見だけなんだよね。そんなこといったってそれってネットゲームとかの話でしょ?っていうさ、メディアなんかはあれじゃん?ネットゲームやり過ぎで死亡とかネトゲ廃人とか極端な例ばっか挙げてそれがあたかも病理のように扱うじゃん?


でもバランスって勝手に個々が取るものだよね。中にはバランスが取れなくてずーっとやっちゃう人もいるだろうけどそれを問題視するのはどうかと。そんなこと言ったら現実の世界でバランスを失ってる人のほうが明らかに多いじゃん?で、鬼の首を取ったかの如くネット系でのネガティブな部分ってのがちょっと見えるともうすんげーガンガン批判するよね。いや、そんなもん現実世界の問題に比べれば鼻くそみたいなもんなんですけど・・・って感じだよね。和民の会長がなんだっけ?社員に「無理ならここから飛び降りろ!」とかいって壮絶な言葉を飛ばして病んでしまった女の子が自殺してしかも遺族に全然謝罪してないみたいなのをニュースで見たけどさ、比較するのはあれだけどネトゲーやり過ぎて死んだ人がちょっといたってのとサイコパスが若い女の子をいじめて自殺に追い込んだのとどっちが大きな問題なんでしょうか?って話じゃん?それが現実がオワコンたる所以なんだよね。なんであんなサイコパスがのうのうと生きていられるのか?まぁそこで前はテロの話とかしたけどまぁそういうのはもういいやっつーかそれも変化の発想だし破壊の発想だからそういうのはやめにしたんだよね。


廃人ということで言えば仕事のやり過ぎで死んでる人もいるじゃん?過労もあるし好きすぎて死にそうどころか死んじゃったみたいなさ、そんなもん別に一般的な問題なんであってネットに顕著な話ではないよね。死ぬ人もいるからネットやネトゲーは危険ってそんなの今みたいな世の中に放り出されるほうがよっぽど死ぬ確立高いんですけどっていう(笑)ただまぁ別に現実との折り合いもつけつつ・・・っていうやり方でもいいんだよね。それはなんか菜食主義者に色々なクラスがあるようにマイルドなレベルからエクストリームなレベルまであるわけだよね。


で、菜食主義で例えるなら俺はヴィーガンでいく!っていう話だよね。それは俺の実存的なコミットメントの話なんで別に誰も文句を言う筋合いはないし、仮にそれで自分に問題が生じても自己責任だし人畜無害だよな。あとはまぁだんだんと仮想世界がもっとよりメジャーになっていけば勝手にみんなそっちにシフトしていくと思うんだよね。でもまぁ現実でうまく言っている人は別にそれでいいじゃん?お互いがディスり合うわけじゃないわけで。ただ現実はもう無理!って人が大勢いるから、そこで俺がとりあえずもう今からできる処方箋というかやり方として現実/非現実の優越性を勝手につけるな!って話だよね。まぁまさしく夢見のヨーガの話だわ。


でも俺は仏教の本とか色々もう読んでるから簡単なんだよね。それは。まぁでも夢見のヨーガの実践の本は早速いくつか買ったけどさ、ただまぁ俺の場合はバランスをとっていくのではなくて全ての悪い原因が現実にあるので現実は現実ではないっていう考え方を徹底するっていうのを実践するわけだよね。ここまで極端な思考法はやってこなかったからそこはなんつーか日々の修行になると思うんだよね。でもチベット密教とかではメジャーなヨーガの方法だけあって方法論がいっぱいあるし自分で考えて自分で模索していくみたいな何も無い道じゃないんだよね。もうとっくに開拓者がいっぱいいるっていう。しかも何千年も前からある方法なんだもんね。


ただまぁまずは自分の問題からだけどさ、これが仮想現実に限った話になるとちょっと話が狭くなるよね。俺はまずは仮想現実からトライするけどさ、やっぱり理想は自分の世界だよね。まぁ自分の世界を仮想世界に作ればいい話なんだけど、ようは自分の世界って色々あるわけよ。とにかくまぁ凄く臨場感が出る機器を集めて例えば森でハンティングしながら過ごしたいならそんなソフトは恐らくもうあるよね。まぁ別にあとは屋久島の映像のDVDをヘッドセットで見るとかさ、いや、でもそれって仮想じゃないよね。屋久島という現実のものをDVDとかヘッドセットという媒体を通して経験しているわけでさ、まぁそれでもナチュラリストはやっぱりその場に行かないと!っつってもまぁ色々な事情があっていけない人が多いわけだし行こうとしない人も多いじゃん?俺がそうだけど。だから手軽にDVDとかで感じちゃえばいいんだよね。で、いつかはいきたい!って思えば行けばいいし、そのいつかは行きたい!というのが一つの生きるうえでのコンテンツになるからそれは大いにオッケーだよね。


結局、仮想現実の中で疑似体験できることで色々な発見ができるっていうのは大いにあるよね。まぁこれまたReality is Brokenからの話だけどRock Bandっつーロックバンドのメンバーになれるゲームがあってさ、んでそっからロックとかが好きになって本当のギターを弾くようになったとかミュージシャンになりたいって思ったりだとか、そういう人たちが結構いるらしいんだよね。6割だったか結構な数だったと思うけどまぁ統計はともかくそう思うのは自然だよね。まぁそんな中で問題は現実と理想とのギャップに苦しむってことだよね。実際に音楽では食いづらくなってるしましてやミュージシャンなんてプロですら食えない現状があるからやたら夢だけ見させるというのもさ、それが永遠と夢の中で続けばそれはもう現実なんだけど、オワコンの現実でギターヒーローになろうとしても十中八九無理じゃん?


だからそういう幻想を与えるのが良いか悪いかは結構まぁ議論の余地はあるよね。でもまぁそれ言い出したらさ、学校なんて全部そうだけどね。音楽の専門学校とか声優とか俳優とかでもいいけど本当にプロになってそれで食える人なんてすんげー少ないわけじゃん?でもあなたもロックスターになれる!みたいなパンフレット作ってるわけでしょ?仕事ゼロの世界なのに仕事があるかのように見せて騙して授業料でビジネスしてるわけだよね。これってまさしく夢っつー幻想を売って商売してるようなもんだよね。しかもそれがたいていの場合、敵わない夢なんでようは絶望ディスペンサーじゃないですか?もう挫折するのが目に見えてるのに若い人たちを騙してるわけだから。


そういうのはエンタメ系の専門学校に顕著に見えるけどでも実際は学校全般そうだよね。学問なんつって研究者を育てるために大学院があるだとかなんだとかでも実際は仕事無いわけじゃん?でも経営しなきゃいけないから必死こいて生徒集めるわけだよね。で、甘い話で釣っておいて終わったら「あとは自分でなんとかしろ」でしょ?やり逃げもいいところだよな。そんなのが悪徳な学校だけじゃなくて割と普通の学校でデフォだっつーからもう唖然だよね。何にも若者のこと考えてないじゃん!借金と絶望だけ背負わせて捨てるとかもう人間がやることじゃないよなぁー。だったら敵う夢とか達成感があることを日々やってたほうがいいに決まってるじゃん?


1000人に1人が自分の能力を発揮できて達成感のある仕事に就けるようになるってんじゃほかの人たちどうなるの?って話じゃん?どんだけ倍率高いんだよ!っていう。それを実力社会みたいな言い方をして放置するってどうかと思いますよ。だって普通の人が大半なわけでさ、めちゃめちゃ才能ある人とか才能が現在の社会の中で経済的価値を持つ人たちだけやっていけるなんておかしいじゃん?で、また弱肉強食とかっていうそういうところだけ都合よく自然界の法則とか持ってくるじゃん?まぁようは勝ち残れないなら食われるだけだって言ってるわけでしょ?だったら食われる前にそんな場所から離れたほうがいいわけだ。普通そうするでしょ?


ジャングルに住んでて常に猛獣に食われそうな環境に俺みたいな先進国の人が急に投げ出されたらなんとしてでも文明化が進んでいる場所に逃げ込むよね。まぁその文明化が進んでいる場所でも食われるわけだからそこでまぁ俺の場合、仮想世界に移住!ってことになるんだよね。でもこれって精神世界みたいな抽象度の高い話じゃなくて端的に言えばゲームとかそういう話なわけじゃん?しつこいようだけどゲームでは食えないっつってもまぁ俺はとりあえず食える方法が無いからさ、あと食える食えないを軸に考えるのが凄く嫌になったってのもあって、まぁそれがまた絶望の原因になるわけじゃん?なんで全部金を中心に考えなきゃいけないのか?って話でしょ?現実を軸にするからみんな精神が崩壊するわけだ。それがまず凄まじい誤りなんだってことを言いたいわ。変えよう!とかなりたい自分になる!っつーのもいいけど俺みたいに一種の燃え尽き症候群みたいになる恐れがあるからそれはすげーリスキーなことだってのは経験した側から言いたいわ。


ってことで続きはまた明日。



ユートピア的ではないまさしく現実的な意味でのゲームや仮想世界の有用性という観点から見ると本当に色々と良い本が出版されてると思うっつーかちょっと前に流行ったポジティブ心理学なんかと凄く繋がってるみたいで。あ、んでこんな本もありますよってことで貼っておくね。まだ読んでる最中だけど面白いんで。なんかね、スピリチュアルっぽかったり現実逃避感がすると凄く嫌なんだよねってまぁそんな誤解を生むような書き方しかできてないんだけど、俺はゲームとか仮想世界の実用性にフォーカスしてるわけ。で、個人的には夢見のヨーガ的な瞑想を仮想世界を通じてやるっていう修行法をやろうかな?って思ってるわけね。んでもなんか宗教っぽくなると嫌なんだよね。バーチャル教みたいなそういうのは嫌なんだよな。俺がとりあえず言いたいのは現実/仮想現実というのは個々が独立して存在しているものなんであって、どちらが現実か?なんていう議論はナンセンスってことなのね。っつーかまぁ俺のディレクションの参考としてこういう本も参照しているってことで貼っておきたいのね。他にもあるんだけど本系の話についてはちゃんと消化してから書くんで。あくまで俺のアプローチが仏教臭いだけなんであって、目標は一般化なので、仏教的アプローチはその一つというだけっていうそういう感じにしたいわけよ。俺のアプローチがデフォだと嫌なのね。