音楽と自然淘汰。

クソハマってますわ。作るのに。で、例によってまた最初の原型が無くなってる感じで。いや、すげーウケたのがさ、いや、病院だったんだけど「今は作曲をしているので安定してます」みたいなのをドヤ顔で言ったわけよっつーかまぁドヤ顔じゃないけどまぁ集中できることがあるんで精神が安定しているというようなことを言っただけなんだけどね、で、まぁ何がウケたかって先生が「今流行のボーカロイドとかのやつですか?」って聞いてくるわけよ。その時はウケなかったんだけど帰り道で「あーなるほどねと」。ボカロ作ってそうなんだよね。俺(笑)雰囲気的に勝ち組!みたいなクリエイタータイプじゃなくて家に篭って色々やってそうな人っていうさ、いや、前も「電子音楽などをやっておるのですが」とかって言ったら「あーやってそう!」ってすげーうれしそうに言われたりなんかしてさ、相当電子音なんだろうね。俺。でもかっこいいタイプじゃないんだよね。安いシンセで打ち込みとかやってそうな感じなんだと思うんだよね。あ、んで別にルサンチマンじゃないけどクリエイター!ってタイプいるじゃん?音楽にしても。基本的に苦手ね。ああいう人が作るのって本当に苦手なのとあと大体チャラそうでリア充っぽい感じなんだよね。作ることに悩んだりしない感じっつーか世渡りが上手くてだから成功してるみたいな実業家タイプって本当に苦手なんだよね(笑)自分と対照的なものには逆に憧れとか抱きそうなものなんだけどなんか嫌悪感しか無いんだよな。で、悔しい!とかでも無いんだよね。なんかホントに苦手なんだよね。ああいうタイプ。


自分に近い感じの人に親近感を覚えるってのはやっぱ自己愛なのかな?まぁそれはともかくさ、特に書くことはないっつーかボカロの件を書きたかっただけなんで特に無いんだけどさ、でもまぁ人間が出す雰囲気って何なんだろうね?あと別のやつだと俺が仮にラップトップ使ってライブしたらあまりにもそのまま過ぎて笑えてくるみたいなことも言われたことがあるよね。別に好意的に受け止めてはいるんだけどね(笑)あれだよ、多分、ゆらゆら帝国のギターの人のギターみたいなもんでしょ。あの人ってギター持って無くても弾きそうじゃん?ギターとかの場合、かっこいいんだけどラップトップが似合うってダサいよね。あとこれも言われたことあるな。タンテっつってもDJのターンテーブルじゃなくてクリスチャン・マークレー的な即興ターンテーブルをやるような意味でのタンテが似合うみたいなやつね(笑)なんか言われてホントに分かるんだよね。あーやっぱそんな感じなんだろうなっていう。逆に問題なのはそんな自分でいいと思っているところなんだろうなぁーとは思うよね。「いや、そんなんじゃない!」っつってリア充クリエイターみたいなのを目指せばいいのにやらないんだよねっていうかまぁやれないしやろうと思わないんだよね。そういう意味で昔からブレないよねともよく言われるな。まぁこれは良いことなんじゃないの?実益ゼロだけど。


そんなわけで前作以上に「誰が聴くねん?これ?」みたいなのを作ってるわけだけど、相変わらず作曲って何なの?って思うんだけどさ、まぁでもやっぱあれだよね、基本俺はヒップホップっつーかヒップホップ的な発想が好きなんだろうねっていうかこれが地なんだと思うんですよ。かっこいいファンクのリフとかを楽器練習して弾けるようになるんじゃなくてサンプリングしちゃうっていうようなさ、かっこよく言えば初期のヒップホップとかDIYのパンクだよね。楽器できない作曲分からないんだけど音楽作りたい!っつってやってるわけだから。ここが大事だよね。ここなんだよね。ようは。これで変に上手くなったり作曲理論とか勉強してマジで現代音楽とか書き出したら駄目っていうかそういう方向に行くと俺みたいなやつの場合、絶対上手くいくわけないんだよね。そもそもそういう意味で本物じゃないじゃん?山師的な意味では本物っぽいところがあるわけじゃん?数学にしたって論理に厳密にこうだ!ってやるんじゃなくて「こうなんじゃないの?」っていう雰囲気で理解してるからね。あと「こうなのではないか?」というのも必ずしも固い理論的な地盤があるわけじゃなくてイメージなんだよね。だからまぁある意味で一生数学者にはなれないんだよね。数学を好きでいることしかできない。んまぁでもこれも理解できてよかったんじゃないかな?とは思うよね。ガチで数学やろうと思ってたわけだから。いや、今もガチだけど、でもあくまでそういうラフな意味でなんだよね。それで名乗りをあげる!とか数学者として生きる!ってことじゃなくて前に又吉の文学の例で出したように生活の中に数学があるという道を選ぶっつーのかな?好きなものが近くにあっていつでも出来るっていうそのインフラなんだよね。これが俺の生なんだと。


んでもまぁこれだとストイックな感じはなくなるよね。やっぱり趣味的にはなってしまうよな。んだからなんか今作ってて思うのはどこまで趣味でどこまでガチでやってるの?ってことなんだよね。そもそも現代音楽をそのまま持ってきてコピペしてる時点で真剣もクソもないだろって気がするんだけど、でも作ってるもの自体はシリアスに作ってるわけじゃん?でも作り方がふざけすぎてるっていうかでもそれはふざけてるんじゃなくてこうすることでしか作れないわけだからね。あとどの道理論に忠実にやっても出来上がるものって眼に見えてるじゃん?そんなもので溢れてるわけだ。別にそれはジャンル限らずね。で、俺の場合、真っ当なやり方をしたところでまず一流にはなれんだろうってのが分かってるからだから自分のやり方でやるしかないし自分のやり方を作るしかないんだよね。その結果だよね。これってまぁガチじゃ一流にはなれないっていう自分を認めるってことだよね。ラップトップが似合うとかノイズを出すっぽい目的のタンテが似合うということを受け入れるってことなんだよねぇ。まぁ年齢もあるのかな。いや、ガチで加齢かなとは思ったよ(笑)すげー大人っぽい考え方だもんな。自分を認めつつ自分のやり方でやるって当たり前なんだけど若いときにはなかなか出来ないよね。「いや、俺はもっと凄いんだ!」みたいなのが勝り過ぎて常にそれとの葛藤っつーかなんつーか。で、今の俺はまぁ今の俺ってのを客観的に見てこれ以上でも以下でもないから現状でやっていくしかないってことを認めてるんだよね。その上での創作なんですよね。


結局なんか作り方とか音へのアプローチってこういう自分を知るっていうことが何気にすげー重要なんじゃないか?って思ったんだよね。ようは出来もしなさそうなことを頑張ってやってるとかさ、まぁ頑張ってモノにしようとするのはいいんだけどそもそも出来るわけがないのにやろうとしてるみたいなこともあるじゃない?歌上手いけどディーヴァっていうレベルにはなれないよねってのが明らかなのにディーヴァを目指すってのはまぁ若いうちはいいけどさすがに何十年もそれでやってきていい年こいてまだディーヴァになろうとしてるっつーのはやっぱ身の丈を知らなさ過ぎだよね。別にドリームキラー的な発想なんではなくてディーヴァにはなれないけど自分にやれることってあるじゃん?そういう自分の良さみたいなのを引き出す役割を自分がやらないといけないんだよね。だからそういう意味で俺は真面目に作曲を勉強して現代曲を書く!なんつーのは身の丈にあってないしそもそもスタイルも合ってないしやれるわけないし仮にやれたとしてもたいしたのは作れないだろうってのが眼に見えてるじゃん?そこで「やってみないとわからない!」っつって頑張るのもいいけど自分のことを知ってれば明らかに無理だろうなってことは分かるじゃないですか?そういう意味で自分を知るってことが大事なんだよね。で、身の丈にあったことをするっていうさ、だからすげー身の丈にあってるんだよね。切り貼りで現代音楽を作るっつーのが。いや、これが俺だよなって改めて思っちゃったんだよね。ここで変に勘違いして「よし!もっと勉強して自分で曲を書けるようになろう!」ってのが駄目なんだよね。それが本当に自分が見えてないってやつで、逆にだからあれなんだよね、そんなのは無理なんだし、むしろ今やれているところの面白いところをもっと引き出したりそれで色々と作れるようになったほうがいいわけじゃん?いや、マイケル・ジョーダンが何でもやれる!っつって野球選手になるのもいいんだけどやっぱバスケやってたほうがいいわけじゃないですか?それなんだよね。結局。


いやさ、そりゃ現代曲書けたほうがかっこいいんだろうけどそれは無理だって認めないといけないよね。むしろそのかっこよさのためだけにすげー努力して色々と勉強するのか?ってことじゃん?やりたいことは「こういうのを作りたい」っていう実現なんであってかっこよさではないじゃん?だから手軽な作り方になるのは必然的だよね。あと別にそれでどうにかなろうっていうことでもないんで野心フリーじゃないですか?「傑作を作ろう!」みたいな野心が良い意味でなくてやりたいことをやろう!っていうか「これがやりたかったんだよな!」ってのを実現するだけでいいんだよね。いや、それをやるには作曲を学ばなきゃいけないんだったらやる必要があるけど別に学ばなくても作れてるってことはこれでいいってことじゃんね?別に学んだところでどうにかなる話でもないだろっていうことなんだよね。とかいいつつ勉強というほどではないけど色々と読んでるけどね。でもそれはあくまで知識程度のものでそれを実践しようとかそれを応用してどうにかしようってことじゃないんだよね。ただ素材についてより詳しく知ってたほうが何かと良いっていうそういうことだよね。シェフが食材に関する知識を勉強するようなもんですわ。まぁそれ以前にそもそも現代音楽が好きじゃん?だからまぁ好きなことについて研究するっつーのは俺の人生そのものなわけだから基本的にゴーサインですよね。


なんかやっぱ色々とやる上で変に気負いをしないってことは絶対必要なんだよな。だから食えないから諦めるとか芽が出ないから諦めるとかっておかしいんだよね。いや、諦められるんだったらそもそも元々そんなものなわけだからさ、最初から無理だったわけだよね。よくもまぁそんな理由で諦められるようなことをやってたよねってことなわけじゃん?いや、ネット系の創作全般に言えることだけど基本的にあるのは愛だよね。作ってるやつらはそれで有名になろうとか金を稼ごうとかそんなこと考えてなくてただそれが作りたかったとかそれが好きだったんでアレンジがしたかったとかっていう動機付けが基本的に「好き」なんだよね。まぁ悪く言えばアマチュアっぽいんだろうけどさ、んでもまぁ今って別に技巧的な上手さとかで評価されるわけじゃないじゃん?荒くても面白いやつが評価されるんでそういう意味で別にプロアマの差って昔ほど無いよね。それは上手さみたいなのがそんなに重要なファクターじゃなくなったからなんだと思うんだよね。いや、上手いものなんて探せばいくらでもあるから飽きちゃってるんだよね。そういうんじゃない面白いやつを求めてるわけで。まぁでも別に自分が作ってるやつが面白いってわけじゃないんだけどね。


俺はまたそれとは違って本当に個人的な動機付けでやってるからさ、「いや、何で今現代音楽を作ろうと思ったの?」っていうこれだよね。理由が他人には説明できないっていうただやりたかったからっていうそれだけなんだよね。逆に何かをやる動機付けとしてはこれで十分だし十分すぎるほど十分だと思うわけよ。っていうようなさ、生活の中から出てくるものだよね。やっぱ。だからなんかさ、食えないとかいまいち芽が出ないとかさ、まぁ今はみんな食えないんだし、だからこそ食えないような音楽をやる動機付けって明確になると思うんだよねっていうかだからまぁ淘汰されるってことなんだよね。マジでやりたいやつしかやらないって意味で自然淘汰なんだと思うわけよ。金とか地位が目的みたいなやつらはそもそも音楽でそういうのを得るのが難しくなった今ではあんまやらなくなるっていうかさ、だから諦めたりするんでしょ。まぁ今までプロでやってきた人が音楽業界とかインフラが変わってリリースするっていうこと自体の目的が変わっちゃってリリースへのモチベーションが下がるってのは分かるんだよね。んでもまぁそれはプロの場合じゃん?アマチュアの場合、好きでやってるわけだからそういうしがらみが無いじゃん?だからアマ全盛の時代なんだと思うんだよね。それでもやっぱ凄いのを作り続けるのはやっぱり一流のプロ達だし、そういうプロの座がアマチュアによって奪われるってことは滅多に無いと思うんだよね。ただそこそこのものだったらプロでもアマでもあんま関係ないって感じにはなってるよね。かといっても別に一億総クリエイター化ってわけではないんだけど。


まぁでもこれってさ、音楽の自然淘汰として考えると面白くないっすか?ある種の生物学的な観点っつーかさ、有機的に捉えるとまぁ何らかのものの栄光とか衰退ってやっぱ必然性があるわけじゃん?で、音楽は衰退に向かってるっつーけどさ、それってあくまで産業としてだよね。そりゃバブリーだった頃と比べたら衰退したように見えるかもしれないけど今って誰でも作れて配信できるようになってるわけじゃん?これってまぁ音楽の民主化なんじゃない?とは思うよね。昔は機材があったり知識があったりっていうような特権的な人たちしかやれなかったことが今はやろうと思えば誰でも出来るようになってるわけじゃん?まぁ結果的に総合で見れば衰退はしてるだろうね。別にアマチュアが増えたことで何かが生まれたわけではないし、基本的にまぁ俺みたいなリミックスだのマッシュアップだのっていうのが大半だよね。でもまぁ別にそれはそれでいいんじゃない?って気はするのよ。凄まじい葛藤をしながら何かを作ろうとするプロってのがいてもいいけど単純に音楽を楽しみながらやる人たちってのが大勢居てもいいわけだよねっていうかむしろネット系のリミックスとかマッシュアップカルチャーみたいなのってこれじゃん?プロ顔負けっつーよりかはアイデアの一発勝負なんで面白さではプロと張り合えるんだよね。だから結果的にアマチュア的なものが市民権を得るようになったんだと思うわけよ。


かといってもまぁ俺はやっぱりプロフェッショナルがいいんだけどね。でもまぁ別にアマチュアって気楽にやるって意味だけではないからね。ほとんどプロみたいな意識でやってるアマチュアだっているわけだしさ、むしろ何かを続けようと思うなら必要なのはアマチュアのプロだよね。ようはプロってのはそれで食おうとしてるから金が回らなくなったらやらなくなったりするわけでしょ?でもそもそも作ること自体に意味があるっつってやる人たちはまぁ比較的やっぱアマチュアが多いよねっつーかまぁ好きでやってるわけだからそりゃそうだよね。プロは仕事としてやるっていう面も大きいわけで。んでもそういうね、仕事としてやる音楽みたいなのが成立しなくなってるってのは自然淘汰としていいんじゃないかな?って思うんだよね。実際に新しいのなんて何にも無いしむしろ出尽くしたからこそ絶滅に向かうみたいなさ、っつってもそれは世紀末的な意味ではないんだよね。仕事として成立するようなのは少なくなってきたんでそれでもやる人たちってのは好きで作るやつらしか残らないっていうさ、そういう意味での淘汰なんじゃないか?って思うんだよね。それは音楽自体が絶滅に向かってるんじゃなくて音楽自体が人を選ぶようになってるってことなんだよね。多分。全く金にならないし客観的に見て何の合理性も得もないですよってことをやるってのは好事家しかいないじゃん?本当に好きだからやるやつしか残らない。これでいいんじゃないかって思うんだよね。俺は好きだからやりたいって思う限りやり続けるよね。まぁんでまた飽きて他のことに興味が行くんだろうけどんでも基本的に衝動的にやりたい!って思えばそりゃやるじゃないですか?


いや、もうそういうやつだけでいいよ。音楽やるのはって音楽側が人を選択してるってことなんだよね。まぁそれでも残る商業音楽とか機能としての例えばBGM的な意味での音楽とかってのはそりゃ残り続けるだろうけどさ、でも金になりづらいって悪いことだけじゃないよねってのは凄く思いますよね。まぁそれは元々それで食ってない人の論理なんだっつーのは自覚してるけどね、でもまぁさ、仮にアマチュアであれどんだけそれに力を注ぎ込むとか悩み尽くすとかってのも自由なわけじゃん?っつーか創作について悩むみたいなことが一部の芸術家の特権じゃなくなったってことなんだよね。だからこそ出てくるような別の音楽の流れっつーのかな?で、結果的に面白いのがアマチュアから出てたりするっていう現状を見ると自然現象としか思えなくなってくるんだよね。あとお金が回収できないからあんま金をかけられないっつーのも一種の淘汰の形としてみれば面白いよね。だからこそ金がかからないマッシュアップみたいなのが流行るってことも言えるわけじゃん?


いや、俺で言えばさ、元が切り貼り的だったとしても録音するのにスタジオとオーケストラがいるとかってことになったらまず無理なわけじゃん?でも今はわざわざオーケストラに演奏してもらわなくても録音されてる音ってのは腐るほどあるじゃん?いや、っつってもね、それでオーケストラ曲を書けるようにはならないってのは分かるんだよね。そりゃ分かってますよ。そこがポイントなのよ。ようはそんなベタなオーケストラ曲なんてもう世の中に溢れてるからいらないんだってことで淘汰されてるんだよね。わざわざ金かけてもう作られてるような音楽を作るってこと自体に抑制がかかってるって考えるわけ。いや、実際いらないじゃん?焼き増しの音楽なんて。こういう新しいことをやるために予算が必要なんです!ってあんま音楽じゃ聞かないもんね。面白いことはどっかで誰かが勝手にやってるんだよね。なんかんで古いタイプのプロって「環境が変わっちゃって音楽が作りづらくなってますよねー」的なこと言うじゃん?それってまぁ淘汰されてるってことなんだよね。ようは自然淘汰で生存できないってことなわけじゃん?いや、んでプロってマインドが昔のままだから昔みたいな金のかけ方をして失敗したりしてるわけじゃん?まぁ確かにそれで食ってるミュージシャンとかエンジニアとかがいることは分かるんだけど、んでも実際に金が昔ほど回ってないってことはやっぱ淘汰なんだよね。音楽自体がもう市民のものになってるんだよね。


で、プロが金をかけて豪華なアルバムとかを作ったところで赤字になるんで誰も作らなくなるってことで結果的にそれが淘汰されたってことになるわけよ。いや、これってすげー大事なところだよね。実際のミュージシャンが演奏してます!とか何々スタジオでマスタリングしました!とかってまぁ作り手のエゴじゃないですか?でも元取れないって分かってるんだったらそれ相応の小さい規模とか自分で出来る範囲でやるっていうことになるじゃん?これ自体を自然現象として考えるとようは音楽自体が「豪華な演者で作るようなアルバムはもういらない」って言ってるようなもんなんだよね。いや、それでもそういう音楽は必要でしょう!って力説したところで実際の音楽へのアクセス数がアマチュアが半ばふざけて作ったようなものに集中してたらそれってまぁ自然の流れでそうなってるってことなんだよね。あんなのと自分たちプロがやっている本気の音楽を一緒にするな!って言ったところで多くの人がアマチュアの気の抜けたようなやつとか荒いけど面白いやつを見てるってことは結局負けてるってことだよね。あとようはwell madeなもんは求められてないってことなんだよね。もう昔に作られたからそれを今やってもしょうがないし聞いてる側も良いとは思うけど3000円出そうとは思わないってことになるわけじゃん?ってことはこれってそういう音楽は別に求められてないっていう自然淘汰なんだよね。


自然淘汰っつっても最後は資本が勝つ!みたいな話だと俺はやっぱそういうのは生理的に受け付けられないんだけど、今、俺が言ってるようなロマンがあるパラダイムだと結局、音楽が本当に好きなやつだけが残るってことになるじゃん?金があろうがなかろうが金無くても今は音楽作れるんでそういう意味で過去みたいな音楽制作の資本依存みたいなのはなくなってるわけだ。マルクス的なパラダイムで言うと生産者におけるさ、資本家は金持ってるから工場とか設備を持てるってことで資本を結果的に独占できるってことじゃん?じゃあ別に俺も生産始めればいいやって思っても大抵の人は工場と設備を買えるだけのお金を持ってないんでようは誰かに雇われるしかないわけじゃん?生産者になりたくても金が無いんで生産者になれない。だから永遠と資本があるやつが生産を独占することになって永遠とその流れが変わらない・・・っつーのが音楽では変わったってことだよね。ようは1労働者でも生産することが可能になったってことじゃん?


いや、電子音楽の歴史とか見ると本当にそうなのよ。昔なんてシンセなんてそれこそよく言われるように新車が買えるぐらい高かったわけで。んでも今なんて誰でも電子音出せるわけじゃん?だから別に電子音を出してるだけみたいなやつはプリセットとかで誰でも出来るようになってるんでそれ自体の価値は無くなってるってことだよね。それでも面白いのがあれば別なんだけどそこがやっぱアイデアってことだよね。シンセの山から出された音!みたいなのに感動があったのは90年代後半ぐらいまでだよね。ソフトシンセとかが充実してくるとシンセマニアみたいなやつしか作れなかった音が簡単に作れるようになっちゃったわけだからね。デジタルプロセス系の音楽とかもそうだよね。あれも別にパッチで誰でも出来るようになったから特にそれ自体の価値ってないじゃん?むしろベタなデジタルプロセッシングの音やっちゃうとプリセット感が出ちゃうぐらいの勢いじゃん?これも淘汰なんすよね。もうあるものをやってもしょうがないからそんなの作るなっつー音楽側からの意見なんだよね。多分。


んでもさ、やっぱり特にロックとかさ、音楽もそうだけどビジュアルとかカリスマ性があるっていう人間ってのが音楽の価値としてあるようなものってのは依然として残るわけよ。それはようは音楽っつーよりか人だよね。カリスマ性がある人が音楽をやってるわけで音楽自体にカリスマ性があるわけじゃないからね。レディ・ガガなんかそうじゃん?マイケル・ジャクソンなんかも曲はかっこいいけどマイケルが歌ってなければあそこまで良くないだろうっていうようなマイケルありきの音楽じゃん?だからそういう人間的なものが音楽の要素として不可欠なものは残るよね。それっていつの時代も同じだしまぁそりゃレディ・ガガとかはそりゃカリスマになるよね。これも音楽側から見れば生存に生き残ってるなあいつはってことになるわけよ。結果的にトラックが同じようでもそいつが歌うことでそいつしか出せないような音を出してるわけだから結局、生存するんだよね。


で、まぁ一気に話は俺の話に戻るんだけど、俺が何で作ったものを配信し続けられるのか?って今の便利な環境があるわけじゃん?あと思いつきですぐそれを実行に移せるようなインフラがあるからなんだよね。犬の世話をしながら音楽を作れるわけだから。この手軽さってのも結局作るっていう動機に繋がってるじゃん?もっと大掛かりな機器が必要になったら俺はそのために店を休んでその機器があるところに出かけて作らないといけないわけじゃん?だとしたら今ほどの時間は使えないよね。ましてやそれで金がかかろうものならそもそも無理になる。でも今はそれが可能じゃん?あとはまぁ最初に書いたような、やりたいことができちゃえばいいじゃん!っつーのと真面目にやったところで一流にはなれんだろうっていうような悟りもあって結果的に今みたいなことをやってるわけじゃん?で、それが出来上がってネットにアップされてるってことは少なからず生存してるってことだよね。勝ってはいないけど負けてはいないよね。負けるってのはアクセス数が少ないとかそういうことじゃなくてその人が作る動機付けを失ってそれ自体が作られなくなるってのが負けなんだよね。別にそれは作る人が悪いんじゃないんだよね。それはただの結果なんだよね。


結果、何かが作れててアップロードなりなんなり配信が出来てるってことはさ、凡人の子供を生むみたいなことじゃん?その子供は勝ち組にはならんだろうしスターにはならないけど80ぐらいまで生きて普通に死ぬだろうってのがようは生存ってことじゃん?だからとりあえず作ってアップしとけ!って話になるわけよ。ちょっと前に書いた話だけどね。アクセス数とかなんて全然気にしなくていいのよ。変な話、別にプロモーションとかもしなくていいし、何かしらの何かがあれば勝手にそれってアクセス数が上がったりするからね。あと別にアクセス数ってこっちが思ってるような理由でアクセスされてるんじゃなくてこっちが予想しないような理由でアクセスされたりするわけよっつーかウォール伝なんてそんなことばっかだったじゃん?今はめっきりなくなったけど前はハルヒのことについて書いたらたまたまハルヒが流行ってたっつーんでアクセス数が殺到して凄いアクセス数になった!っていうさ、でも別に誰が書いてるとか関係ないし、だからといって俺がちょっと有名になるとかそんなことでもないんだよね。まぁそんなに有名になるほどのアクセス数じゃなかったっつーのもあるけどまぁ仮にもっと凄いアクセス数があっても誰が書いてるか?なんてどうでもいいんだよね。ただそれが時事的に読まれやすいものであったということを証明したわけで、それ自体が良い悪いっていう基準になるわけでもないし、まぁようは偶然じゃん?


他人のブログでもそういうのだらけだからね。「こないだこういうキーワードでアクセス数が殺到して凄いことになっちゃったんですよ!」っていう普段は平凡なブログをやってる人がある記事によってアクセスが集中するってことがあったりするんだよね。んでもまぁ読まれるのはそれだけでその人のブログをフェイバリットにするか?っていうとそうじゃない人が大半なわけよ。なんかちょっと長くなってるから端折るけどようは音楽もそうですよねってことなんだよね。細野さんがさ、アンビエントの匿名性に憧れてたって話をしてたんだけどさ、それってまぁようはアンビエントって誰かの変名だったりただの一発屋だったり色んなやつらがとりあえず作ってはリリースしてたっつーのがあってまぁクラブ音楽全般そうなんだけどさ、そいつが誰か?ってあんま重要じゃないんだよね。その曲がその年のアンセムだったとか小ヒットだったとかなんとかそういうことだけで作ったやつにフォーカスがいくか?っていうとアンダーワールドクラスのスターを除けば滅多にないわけよね。で、それが逆に良いんだよね。ようは肝心なのは音ってことじゃん?そいつがどういうやつだろうが関係ないってことだからね。


俺がクラシックの教育を受けてようがいまいがさ、俺のかっこよく言えば作曲理論みたいなのがちゃんとしたセオリーに立脚したものであるのか?とかさ、関係ないじゃん?別に音は音だから。まぁそりゃ玄人が聞けば素人が作ってんなーって分かるんだろうけどさ、でも肝心の玄人の曲ってようはマナーだらけでつまらないわけじゃん?だから良い意味でアマチュア臭いやつのほうが逆に面白いし無知から来る荒さってようは量子的な揺らぎみたいなもんじゃん?クオンタイズされないクオンタムっつーのかな?その揺らぎから出てくる音なんだよね。それが良いと俺は思うわけ。だからまぁ今の俺が作りたいって思えるやつを作ればいいってことになるじゃん?んでもまぁ多分一年後とかにはまた興味が変わってるかもしれないしさ、だからなんか別にそれ自体が確固たる基盤の上に成り立っているしっかりとしたもんであるなんてことは必要ないんだよね。むしろそういう面だと現代音楽なんてのは特に袋小路だよね。コンセプト分からないと全く話にならないとかさ、結局インテリがやってる音楽だから音も理屈っぽくなるとかさ、まぁそういう意味での現代音楽は大嫌いなんだよね。そういう意味で理屈に終始してるようなコンセプチュアルアートなんてのも俺は大嫌いなんだよね。


なんかまぁそうじゃなくてさ、勢いで作っちゃいました!みたいな衝動性ってのがよく出てるっていうそのクオンタムな揺らぎってのがその場に写像されましたよねっていうような所産が見たいし聴きたいわけよ。まぁだからそういう意味で俺は昔から激情型のインプロは大好きだったからね。阿部薫とかアイラーが好きなのはそこだよね。コールマンみたいな理論的な即興にはあんま興味ないんだよね。それ言い出すとそもそもフリーなんてことはありえないじゃん?って話になるんでそういう前提のはどうでもいいやーってことになる。ただとりあえず音が出したかったんだ!みたいな衝動がそのまま音盤に焼きついた!みたいなさ、これじゃないですか?結局、長いプロセスを経て作られるものであってもやっぱり必要なのはそういうパッションを焼き付けるってことだよね。音楽自体はそういう物好きしか音楽作らなくていいよって言ってるわけよ。これがまぁ面白い淘汰のモデルっつーとかっこよすぎるけどまぁパラダイムなわけですね。だからまぁ淘汰とか滅亡って見方はあくまで従来の見方で見るからそういう風になるんだよね。みんなが生産者になったって見れば別に淘汰でもなんでもなくて好きなやつはやり続けるし別に金がなくてもやれるようになってるわけだからむしろやられ続けるだろうってことになるわけじゃん?まぁもちろんそれと音楽自体の進化は別なんだけど、別に進化って金がなけりゃ出来ないわけじゃないからね。昔の音楽だったらお金はある程度必要だったけど今はいらないからね。だからまぁみんなパンクみたいなノリで音楽始めちゃえばいいんだよ!っつってもまぁ大抵のやつが続かないんだよね。情熱が続かないんだよな。これも淘汰なのよ。音楽から「別にお前は音楽やらなくてもいい」って言われてるんだよね。だからやめるってことになるわけ。


好きなやつってある意味身を滅ぼしてでもやるじゃん?家族養わなきゃいけないのに音楽やってジリ貧だとかなんだとかまぁ社会的に見ればどうなの?って話になるけどんでもそれ言い出したら芸術ってそういうもんじゃないの?ってことですよね。あ、最初の話に戻るけど俺がクリエイタータイプとかが嫌いなのもまぁこういうところもあるよね。表現がどうのっつーよりかは実業家っつーかなんかさ、なんであんなに人間のタイプとか雰囲気とかかけてるメガネとかファッションとか言動が似てるのかな?ってぐらいみんな似てるじゃん?確かにまぁ世間ウケはいいだろうし世渡り上手そうだけど人間的に全然魅力ねぇーなーっていうさ、なんかあと道具が音楽だったりアートだったりすると余計に鼻につくんだよね。そういう媒体でそれやるなよ!って思ったりしちゃうんだよねっつってもまぁただの商業音楽とかただのサブカルアートって思えばなんてことないんだけども。


あ、なんか色々と書けてよかったよ。いや、ようは色々と作ってる中で音楽自体について考えるじゃないですか?だから結果的にこうやって書きたいことが増えるわけよ。なんかこれ自体も一種の生存のプロセスかもねって思ったよね。これによってまたウォール伝は文字で埋め尽くされるというような意味での(笑)「書きたいこと書いちゃったしなぁ」じゃ終わっちゃうからね。まぁいつもそういう意味で存続の危機を抱えてるわけではあるんだけど、ようは俺が何かに興味を持てばとりあえずそれについて考えるじゃないですか?でも喋る相手いないじゃないですか?だから書くしかなくなるんだよね。結果的にそれによってウォール伝は続くっていうなんかライフプロセス的なものを感じますよね。自己生成的なものをね。


ってことで今日はこの辺で。