最近読んでる本とか読んだ本を一気に貼る。

いや、いつもの濫読なんすよね。金融工学っつーか金融そのもの=悪みたいなスタンスで書いてるものから金融側からの視点で書いてるものからまぁ色々なんだけどまぁようはとりあえずまともに読むに値しそうな本だったら片っ端から濫読だよね。本当にこれに尽きますよね。数学のときもそうだったけどまずはエンタメっぽい一般書から入ってんである程度読んだら教科書なんだよねっつってもまぁ相変わらず一般書を読みながらテキストも平行して読むって感じなんだけども。あ、んでテキストはあれですよ、あ、テキストは今度にしようかな。一般書はあれよ、なんか買うじゃないっすか?で、「こんなのもありますよ」っつーお勧め出てくるじゃん?それを片っ端から読むって感じだよねっつってもまぁちゃんと選んでってことなんだけど。


で、あれなんだよね、一昔前の投資家のバイブル!みたいなやつもあくまで世界観を見るためのサンプリングの道具っつーのかな?だから投資家向けに書かれたような本も読む対象になるんですよね。そういうのを片っ端から読んでからテキストに行くと面白いことにテキストでoverviewみたいなのを復習するみたいな感じになるんだよね。より体系的に頭に定着させるために読むみたいなそういう感じになるんだよね。めっちゃ楽っすよね。これ。強いて言えばやっぱ一般書を読むにしても最初は大変だよね。知らないことだらけだから。っつーかもう7月なんだよな。色々と読み始めたのが5月中旬ぐらいなんで結構時間経ってんのね。だからまぁ色々と分かるようになったし頭に定着するようになったんだなーって思いましたね。これはなんつーか量をこなすことの強みだよね。あと日々そればっかやるっていう膨大な積み重ねっていう。自ずと頭に入っちゃうっていうような感じだよね。無理やり詰め込むというよりかは。


あ、んで読んでて思うのはさっていうか疑問がね、サブプライムローンなんだけどさ、いやね、なんか水を浄化するような感じで債権のリスクをヘッジするとかって言うけどさ、一概に「リスク」っつってもどっかの企業がダメになるのとさ、サブプライムローンが飛ぶのとではわけが違うじゃない?水で言えばあれなんだよな、元が井戸水なんだけど浄化したんで飲めますっつーのとさ、元が放射線による汚染水なんだけど浄化されてるんで飲めますっつーのとではリスクが違うじゃん?前者は仮に浄化がちょっとダメでもまぁ腹を壊すとかさ、まぁ最悪感染症になっちゃうとかだけどさ、いや、それでも十分嫌なんだけど放射能による汚染水じゃまず死ぬじゃん?浄化がイマイチだったら死にますよね?なのに井戸水のリスクと放射能による汚染水のリスクを同じ「浄化がイマイチだったときのリスク」として扱うのは何なの?って話なんですよね。ましてやどっかがダメになったら連鎖してダメになるっていうものを計量的に同じ数値としてのリスクとして扱うのはおかしいっすよね。


単純にダメになる可能性ってファクターだけを見てたら何のヘッジにもならないじゃん?ダメになってもまぁそれだけっつーのとダメになったら連鎖してダメになってとんでもないことになるっていうリスクって同じリスクでも別ものじゃん?いやさ、住宅価格が上がり続けているから大丈夫だっていう安心感をベースにしてるローンなんてそんなのバブルになったら絶対だめになるに決まってるしそもそもそういうバブル的なものに依存したローンなんてさ、そもそも人が殺到するわけだから余計にバブルが加速するわけじゃん?これってすげー原理的な話だよね。精通してる人しか分からないややこしい金融商品についての話でもなんでもないんだよね。で、なんでこんなことを予測できなかったのか?ってことが言いたいんじゃなくてそもそもこういったバブルに依拠したような金融商品を開発してた連中はなんでリスクに気がつかなかったのか?ってことなんだよね。いや、金稼ぎのために金融工学を悪用したっつってもこれっておかしくてさ、悪用っつってまぁ儲からなきゃ意味ないじゃないですか?ダメになったら自爆するようなものって悪用って言えるのかな?っていうさ、焼肉えびすみたいなもんなんだよなって前にも書いたっけ?


生食用じゃない肉の表面をアルコール消毒して出してましたっつってさ、まぁなんだろうな、コストの面で言うと生食用の新鮮な肉を出さなきゃいけないところを普通の加熱用の肉を出してたっつーことでまぁその仕入れ値の差をちょろまかしていたっつってもさ、これって金儲けのためのテクニックでもなんでもないんだよね。だってさ、すげーリーサルな部位をアルコールで表面だけ消毒してたら絶対いつかは食中毒起こるじゃん?そうしたら食品を扱う業種なんてのはそれだけで終わりじゃないですか?なんつーか危険な賭けでもなんでもないんだよね。これって。破綻は時間の問題っつーことを目先のちょっとした利益のためにやってるってことで大局的な利益で見ればそもそも破産が目に見えてるわけだからそれ自体に合理性は全くないんだよね。


ワタミとかも同じだよね。あんなやり方してたら評判落として絶対いつかはグループがダメになるわけじゃん?だから不正って完全犯罪じゃないと意味ないんだよねってまぁ別に不正を薦めるわけじゃないんだけどね、んでもなんかさ、例えば全然人件費払わないなんてことで得られる利益って長期的に見れば微々たるもんじゃん?で、人件費を払わないっつーブラックな体質で経営を続けるってことのリスクって凄まじいじゃん?評判落としたら終わりなんだからさ、んじゃあそのブラック体質ってそのリスクに見合うだけのリターンがあるのか?って無いよね。これってサブプライムも同じなんだよね。まぁただ問題はあれね、年金基金とかもまぁようはさ、運営しなきゃいけないっつーんでんでもまぁ金利なんつっても全然ダメだし運営の方法が無い!って中でヘッジファンドって金利凄いらしいよってことになればまぁ預けちゃうっつーのは分からなくもないんだよね。んでもあれなんだよね、金融商品の中身を開示する義務は無いとかなんとかでさ、あとまぁそこが込み入ってて見たところで分からないっていうことなんだけどさ、そんな中に明らかに破綻する債権があるっつってんで破綻し始めたら破綻が連鎖するなんてものがあったらさ、いや、そもそも売る時点でそのリスクって凄まじくない?売っちゃえばいいや!ってことじゃないじゃん?ダメになったらうちも終わりだ!ってものをなんで売るのか?って話なんすよね。


これがまぁようは焼肉えびすと同じなんすよね。人を騙すことでの短期的な利益はあってもそれを続けてれば長期的に見れば絶対破綻するってのが分かりきってるリスクなんだよね。それをなぜ続けるのか?ってことなんだよね。で、そんなの金融商品を開発する側なんて分かりきってたことなんじゃないのか?って思うわけ。いや、こういう金融商品を作ったことでマイホームを買えないって人にも夢を与えられることが出来たとかって思ってたとかなんとかっていうけどさ、焦げ付くって分かりきってるわけじゃん?それって最初から分かることじゃんね?いや、あんだけ頭良い人たちなんだから分かってないはずがないんだよね。そこが不思議でしょうがないんだよね。いや、逆に売る側が分かってなかったってのはあるよね。金融商品を開発するやつは分かってても売る側ってのは別にクオンツほど詳しくなくてもいいわけだから計量的な意味でのリスクを色々なテクニックでヘッジするっていう商品があればまぁ売るんじゃないかな?とは思うのね。あとはまぁ任意だからね。危ないかもしれないってのは分かってるのになんとか基金を運営しなきゃいけない年金基金とかの運営してる人たちがハイリターンを求めて買い続けたってことはまぁみんなで火遊びやってたってことなんだよね。これって誰が悪いってことじゃないよね。まぁ運営する側もさ、必死だからまぁさっきの水のたとえで言えばさ、元が放射能による汚染水だろうがとにかく水が必要だから若干のリスクはしょうがない!っつって水を調達するっていう感じだとは思うのよ。そうでもしないと基金が破綻する!ってぐらいまでいってればまぁしょうがないといえなくもないよね。


だからホント、一概に誰が悪い!とかって言えないんだよね。いや、だからこそそういう金融みたいなのに依存しない経済を作っていくことが必要だっていう帰結になるんですよね。まぁでも破綻が目に見えてる年金基金っつーのが金を増やす方法がギャンブルしかない!ってことになったらギャンブルやっちゃうんだよね。ヘッジファンドもギャンブルもお金をそこに注入する側の判断なわけだからそれって任意なんだよね。んでもそれぐらいしか方法が無かったらそれやるしかない!ってなるのもまぁ分からなくもないじゃん?人の金をギャンブルに使うなんて!っつってもまぁ運営に必死なんだったらしょうがないよねって面はあるよね。だって普通にしてたらどの道破綻するわけだから。


なんかこういうのと表裏一体なんだよね。誰も好んでリスクを取ろうとは思わないわけでさ、んでもそのリスクを取ろうとするってのには理由があってさ、ようはそのリスクを取らないともうどうにもならないっつー切羽詰った状況があるんだよね。それは証券会社も一緒で普通にしてても今まで通りに商品が売れるってことじゃなくなったから新しいのを作るしかないってことで作ってたわけだよね。それがまぁ暴走の引き金になったっつっちゃーそうなんだけど売る側にしても買う側にしても共通してるのはお金が無くてなんかやらなきゃどうにもならなかったっていう状況だよね。新しい商品を作らなきゃどうにもならなかったって側とリスクを取らなきゃお金の運営が出来なかったっつー側とね。んだからこういうのをただの「強欲」として片付けるのって危ないよね。それは単純化し過ぎなわけよ。


いや、結局はあれなんだよね、すげーざっくり言っちゃえば資本主義が行き詰っててギャンブルぐらいしかお金を生み出せる方法がなくなってるって中でみんなギャンブル始めちゃったみたいな話なんだよね。まぁそりゃそうだよね。仕事も無いし産業が増えるわけでもないしお金の流れが良いわけでもないって中で莫大な富を生み出す方法ってギャンブルしかないだろうってまぁそんなことはないけどまぁでもなんつーか相対的にギャンブルの地位が上がってきちゃうよね。そんなギャンブルに依存している経済構造ってのは大いに問題があるよね。んでもこれって現代の独特な金融に依存した経済構造っつーよりかはただの資本主義の末期症状の一つって気がするんだよね。マルクスが資本主義はどの道いつかは破綻するって言ってたそれですよね。もうそういう構造が内包されちゃってるんだよね。かといってもそれって走ってる車のエンジンみたいなもんでずーっと車を走らせなきゃいけないって中でエンジンを交換ってわけにもいかないからんだからどこも自転車操業みたいになっちゃうんだよね。で、永遠と負債が増え続けるっていうさ、これがどの国でも共通してるじゃん?だからまぁこれって資本主義の宿命なんだよね。


自転車操業の特徴って結局なんかその企業の従業員とか自分の家族とかそういうのも含めてまぁ負債で成り立っているっつってもチャラにするってことはできないからそれでやっていくしかないっていう現状維持をしなければいけないっていう宿命を背負わされてるってところだよね。一見成り立ってるように見えるけど実際はすんげー負債の上に成り立ってるっていうさ、んでも現状そうであろうがそれでやってくしかないわけだからしょうがないんだよね。出版業界とかもそんな感じじゃん?で、これって別に証券会社だとか年金基金だとか出版業者とかに限らず根本的には似たような自転車操業でやっていくしかないってのが多いと思うんだよね。まぁ国家がそうじゃないですか?マクロでもミクロでも似たような負債と自転車操業っつーセットでやってくしかないっつー現状があるんだよね。もうこれはなんつーか症状としか言いようが無いよね。資本主義の症状ね。


んでもまぁ別に普通の人でもそうだけど資産とか無い限り何らかの借金をして生活しないとダメじゃん?そもそもデフォで教育費とか払わなきゃいけないし家を買うにしてもどっかに住むにしても金かかるじゃん?だからデフォで生きてくだけで金が自動的にどっかに流れちゃうんだよね。血が流れてるみたいな感じで。で、それはなくなっちゃうんで輸血し続けるしかないわけだよね。で、どこも余裕がないわけだ。大量な血液を持ってるのはジジババ世代と団塊勝ち抜き世代だよね。若者は常に貧血状態っていう。じゃあ若者に血が流れれば良いのか?ってまぁジジババ世代が金を持ってるよりかはいいでしょう。ほぼ死滅した細胞より若い細胞が活性化したほうがそりゃオーガニズム的に良いに決まってるよね。でも若者に血が行けば万事解決なのか?っていうとそうではないよねっつーのはそもそもの資本主義自体が言わば癌みたいなもんだからね。根治は不可能なんだよね。でもそれ以外の方法が無いからそれしかないんだよね。だからそれと付き合っていくしかないんだよね。夢が無い話だけどこれが現実なんだからしょうがない。それを認識した上で最善を尽くすしかないよね。ポール・ウィルモットっていうクオンツは世に出てるリスクマネージメントとかをやってる人間の無知っぷりに最高に腹が立っていてクオンツを再教育すべくCQFっつー講座をやってるんだよね。


http://www.cqf.com/


まぁ再教育っつーよりかは新しく出てくるクオンツを古いタイプのクオンツに汚染されないようにちゃんとした理論を教えてるって感じなのかな。ウィルモットってまぁ本読んでればよく名前が出てくるクオンツなんだけど本が面白そうなんで買ったんだよね。



金融工学がダメなんじゃなくて無知なやつらが無責任で超リスキーなことばっかやってるからダメなんだってことでまぁなんつーかそもそも金融って外せない要素だもんね。なんかだからあれなんだよな、「金融工学の暴走!」みたいな理解ってのはすげーダメなんだなってのを痛感してるよねっつーかそんなんで済ませたらまた同じようなことが起こるってことになるわけで。まぁでもあれだわな、すげー適当な古いモデルのままのやつが永遠と大学で教えられてるってのはこれ自体がリスクそのものだよね。やっぱり学問的に再検討されなきゃダメだろうっていう。


で、まぁこんな感じのを読んできましたとかあとは読む予定ですっていうようなものなんだけどね、まぁ中には経済とか金融と関係ないものもあったりするけどまぁ「最近読んだやつ」って意味で貼っとくってことなんですね。あとまぁちょっとタイトルが「アレ」なのとかあるじゃないですか?んでもまぁあれなのよ、例えば「何々で成功する!」みたいなタイトルの本でもさ、まぁんで実際に内容が成功について書かれてる本だったりしても同レベルで読むわけじゃないんだよね。「よしそこから成功の理論を得よう!」じゃなくてどんな風にリサーチで分かったこととか科学系の知識ってのがそういう一般書的なコンテンツで流用されてるのか?っていうのを見るサンプリングの道具なんすよね。んでもまぁ実際に得られるものもあるし、あとはそこでしか分からない事実とかもあるわけよ。あとは大量に読むことの利点はハイパーリンク的にまた読む文献が増えるってことね。参考文献とか本文中に出てくる文献を調べてんで面白そうなら買うっていうそれを繰り返してるとまぁ書籍代は膨大なものになるけど得られるものも膨大になるんすよね。まぁあとやっぱ身銭切るっていいことですよ。他何も買えなくてもさ、ゲーム買うの我慢する!とか欲しいスニーカーあるけど我慢!とかさ(笑)なんかそういうのも含めた身銭なんだよね。ある意味で機会費用的な感じっつーの?そうなるとまぁ是が非でも何かを得ようと貪欲になるからね。ただ読めばいいってことにならないのがいいんですよね。