ブラックメタルとか配信についてとか。

昨日のサーストンムーアの発言の引用だけど前に池田亮司について書いたやつと同じなんだけどさ


http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20101129


っつってもまぁあれなんだけどね、インスタレーションとか行った人の意見も聞くと圧倒的な空間の素晴らしさとかがあったらしいからそういう意味で池田亮司を音だけで判断するってのは良くないかもね。まぁただあれなんだよな、サーストンムーアの例のブラックメタルについての発言ってまぁなんかやっぱ所詮はアングラとは言えメジャーでやってきた人の上目目線なんだなっていう気はしたんだけどさ、it doesn't existって意味だとそれこそがまさに俺が言うモンド感覚なんだよね。デジタルを表現しましたっつってもそれはその人の主観なんであってデジタル的なものを表現しましたって何よ?ってことになるじゃん?それをさかのぼるとモンドになるのはレスバクスターとかがオリエンタリズム的な観点で「未開の地ってこんな感じでしょ?」っつってあえてこういう言葉を使うと土人っぽい音ってのを西洋音楽で表現してみましたっていうさ、まぁレスバクスター自体がほぼドビュッシーとかあの辺の人たちの音のコピペなんだけどね、それとまぁエキゾっつーコンセプトを混ぜてああいうのができたっていうね、で、まぁそういう意味でブラックメタルも同じなんだよね。



↑ちなみに好きすぎてオリジナル盤二枚持ってる(笑)



11分あたりの話だけどTGっつーかジェネPのエキゾ系への傾倒とか本当に示唆的だよね。元々構造的な親和性があるからだよね。



まさにこれってのがオリジンはモンド的であったってことなんだよね。あくまでイメージとかアイコンとか記号って意味で本当にSpace Age Bachelor Pad Musicなんだよね。その「Space」が悪魔に変わっただけ。



で、ノルウェーでガチ化っていうね(笑)



で、まぁdoomとかって話をするとまた別のブラックサバスとかのオリジンがあるからアレなんだけどまぁでもburzumが一人ブラックメタルの元祖かどうかわからないけどオリジネーターの一人だよね。あとまぁ狙ったわけじゃないんだろうけど天然でかなりノイズ音響的な要素があるんだよね。



で「あいつができるなら俺にもやれそうだ」っつって始めたのがXasthurなんだけどより純化されてるのと稚拙な極右思想とか真という意味ではない見せかけだけの悪魔主義とかを排除してより純化された本当の闇にフォーカスしてるっていうのかな?まぁそれは Xasthurの本人によるところが大きいんだけどひたすら絶望とか鬱とか自殺っていうメッセージ性を発し続けるってブラックメタル純化された結果だと思うんだよね。表層的だったものが純化されて本当の闇に繋がったっていう一つがdepressive metal系だったりするわけね。


あ、んで一人メタルの良いドキュメンタリーがあるから見てみてください。



あ、んでこないだアップした曲はLeviathanのTrue Traitor, True Whoreのコンセプトにシンパシーを感じて作ったものです。


https://soundcloud.com/mimisemi/


リアルJKの従姉妹に聞かせたら「結構良いんじゃない?」って感想いただきました(笑)今のリアルな若い人が聞いてどう思うか?ってやっぱ知りたいところだよね。


で、まぁエントリーに戻るけどね、っつってもまぁ歌詞とかがあるからモンドとは違うっつってもまぁでもなんつーのかな?ってあ、ブラックメタルね。音の差で言えばどれもこれもメタルじゃないですか?違いと言えばジャケとか歌詞とかビジュアルってことになって所詮は装飾的なものの差ってことになるよね。いや、そうなっちゃうんだけどね、だからこそまぁ俺が思うリアルブラックメタルってのが重要になるんだよね。そこがまぁ音質とか本人たちの態度とかコンセプトってことになるんだけどまぁそりゃ色々ありますよね。色々あっていいと思うんだけどやっぱり結果的にほぼノイズとか音響みたいになっちゃってるっていうエクストリームなやつがブラックメタルって気がするんだよね。まぁでもそれは好みの問題か。あ、まぁそれはいいや。何がロックで何がロックじゃないか?みたいなジャンルの話してもしょうがないからね。まぁそこで表現ってことについての話になるんだけどそこがまぁ前にも書いたように明日にでも死ぬみたいなことをただのファッションとして書くっていう表層的なもんに反吐が出るって話でまぁそれはブラックメタルに限らずそういうもの全般そうなんだけどさ、そうなるとガチの人って圧倒的に少ないんだよね。ブラックメタルというニッチでアングラなジャンルですら実際は商業寄りのもんばっかなんだよね。んでもまぁそんな中でアングラで良くてなおかつ結構有名でっていう絶妙なバランスのやつがあるからいいんだけどね。


だからまぁそこで一概にモンド的と言えないってことになるのがブラックメタルなんだよね。っつーのは本人がマジで怒ってたりとにかく許せなかったりムカついてしょうがないとかむなしくてしょうがないってことをリアルに心から思ってるってことを叫んでるとかさ、まぁそれってでも誠実さなんだよね。表現としての。反体制!って言ってるポーズだけのロックじゃなくてマジで反体制とかね、それって重要だよね。音楽っつーファクターだけ見れば問題は音楽の良しあしで思想なんて関係ないって意見もあるとは思うけどそこがまぁなんかある種俺がロック的なものに目覚めたってのがようは歌詞ってことなんだよね。あと別に歌詞じゃなくても叫びにしてもそこに表現したいものがあるっていうことだよね。ただ叫ぶんではなくて闇とか虚無の表現っていうさ、そこをやっぱマジでやってるのとやってないっていうのって誠実さの違いってことだと思うんだよね。だからやっぱなんかメロディアスになるとか違うよなーって思うしいかにも!って感じのシンフォニックな感じとかようはただのステレオタイプじゃないですか?あれこそまさにイメージの音楽だよね。モノにもよるけどまぁ質が高くても薄っぺらくなっちゃうよね。


そういう意味で何もかもがアーカイヴ化される中で情念みたいなのってすげー重要になるよねっていうかそこだよね!って思うんだよね。それは何もかもがアーカイヴされてるからこそ凄く重要に思えてくる部分なんだと思うんだよね。まさにそこがなんつーかね、攻殻機動隊で言うところのゴーストの部分だよね。ゴーストが囁くんじゃなくてゴーストが叫ぶんだよね。何もかもが並列化されてまぁそれに追いついているかっていうデータベース的な差はここにあれど何もかもがアーカイヴ化されるってのはそういうことだよね。「あ、それは知らなかった!」っていう情報の差が生まれる率が低くなるっつーかそこでようは電脳化するための媒体であるパソコンってのがあればどこに住んでても同じような感じになるっつーかさ、辺境の地で音楽やっててもまともになればなるほど欧米スタンダードみたいになってくるってことなんだよね。別に質が良ければいいし欧米スタンダードが悪いってわけではないんだけどね。


だからまぁ辺境の地から面白い音楽が出てくるっていう期待はないわけだよね。「地」という場がもうネットなんであってさ、まぁそりゃでも辺境の地で面白いことをやってる人はいると思うけどそれもデータ化されるじゃん?ようは辺境の地でこんなことをやってますっていう音源なり活動の様子をネットに上げた時点でそれは並列化されるもんね。まぁもちろん現場じゃないとわからないことはあるしその場じゃないと感じられないことがあるからそういうアウラはあると思うのよ。だからなんでもネットで済むなんて思わないけどね、ただまぁ並列化って結構な悪夢ですよねっていう感じなんだよね。面白いのがあるかもしれない!的な発掘的なこともすぐデータ化されるからスピードが速いじゃん?だからそこにロマンはないよね。それでもまぁ色々探すのは面白いんだけどまぁでもそうかそこは個人の情報というレベルだと探しやすくなってるわけで自分が第一発見者である必要はないってことだよね。


だからやっぱそこでいつも書くような価値ってのが大事になるんだよね。アーカイヴ化されてるからこそ何にフォーカスするのか?とか何が面白くてそれにハマるのか?とかそれを評価するのか?っていうところになるんだよね。んでもね、作ってて思うんだけどだからこそ凡庸になっちゃうと本当につまらなくてさ、あと色々と参照できるから「あーいい感じだなー」って思ってても色々と調べて聞く中でそういうのがすでにあったりするっていう発見率が高くなるよね。まぁ別にそれは良いんだけどさ、だからまぁ作るのが大変だよね。一昔前のほうが楽観的に作れてた気がするんだよな。今は情報量が多いから普通に作っただけじゃ大体ありふれたサウンドになっちゃうんだよね。だからあれだな、soundcloudとかに上げても埋もれるんだなって思ったね(笑)


情報量が多いってことはそれだけリスナーの耳が肥えてるってことだもんね。一昔前なら音に限らず書くものとかにしても過去のマイナーなやつとか高価な翻訳書とかから情報抜き出してきてそのレア度とか認知されてない度で勝負できたみたいなところもあったと思うけど今ってアーカイヴから抜いてくるだけじゃなんにもならないんだよね。で、アーカイヴから抜いてくるとか過去を参照しつつプラスアルファを入れていく・・・ってのすらも当たり前でそれでようやく埋もれるけど発表するに値するぐらいのものになるよね。でもそれだけでも凡庸なんだよね。実際にそうだから色々とアップロードされてても凡庸なのが多いわけじゃん?


いやーだから本当に作るということの敷居が高くなってるなーって本当に感じますよね。いや、最初は「まぁこんな感じでいいかなー」って感じでやってたけど最近の音も含めて色々とリサーチしてる中で「こんなの作ってもマジで存在意義全くないな」って思えるようになってきちゃってさ、それこそただの自己満足になっちゃうよなって思ってだから自分なりに世界のスタンダードと競争っつーとアレだけどそういう基準の感覚は持ってないとダメなんだなって思ったよね。そういう意味で世の中に出ている音とか歴史を知るってことだよね。まぁそういうのを気にし過ぎてもしょうがないんだけどただ自分では手ごたえがあるつもりでもさ、同じような手法とかアイデアでさらにより作り込まれたものとかが世に出てたらそれってまぁ結局「手ごたえがあった」っていうことがただの無知から来てるってことなんだよね。ちょっと調べればそれは分かることなんだけど調べてないからわからないっていうさ、まぁそれ言い出すと何も作れなくなっちゃうし雁字搦めになっちゃうとは思うんだけどその辺のバランスって難しいよね。


ただでもmixcloudにしてもsoundcloudにしてもプロがただで音源提供してる場に自分も出すってことになるわけだからそりゃ厳しくもなるよね。別にただの置き場だから競争というわけではないんだけどただでも聞かれようと思ったら自ずと競争が生まれちゃうよね。膨大に音がある中でなんでそれを聞くのか?っていう必然性がある音じゃないと意味ないもんね。まぁローカルな知り合いに聞いてもらうためにアップロードしてるならいいんだけど色んな人に聞いてもらいたい!って思うんだったらやっぱり他を意識しないとダメだよね。いや、それは普通の音楽やってれば当たり前だけどさ、ただ俺みたいに音置ければいいやって思うやつには関係なさそうな話じゃん?いや、でも逆なんだよね。いや、逆っつーかあれか、昔みたいに置いてれば少しは聞かれるっていう感じになってないってことなんだよね。置かれてる音源の数が指数関数的に増えてるから埋もれるというよりかは自分の音だって思ってても色んなバリエーションの音が色々と存在しているっていうデータの海みたいなところに自分の音源も投げ込むわけで必然的にほかのデータの多さという意味から類似する部分が増えちゃって結果的に差異があまりなくなって凡庸なものになっちゃうんだよね。だからあくまで相対的とは言えるんだよね。そこがまさに一昔だったらニッチだったり変わった音だったかもしれないけど今ではありふれたものになってるみたいなことだよね。


そんな中で「オリジナルな音を!」ってことを追求し過ぎると病的になるよね(笑)ただの奇を衒ったものとか音楽的にやる動機づけがゼロなものをやるってことになるよね。ただそれはやっぱ違うなって思うよね。だからまぁそういう意味でもブラックメタルっつー鋳型でやるってすげー俺の中で重要なことでさ、ある程度の様式みたいな中でいかにやるか?っていうことなんだよね。まぁそれで結果ありふれたものになっちゃってもそれはもう情報量が多い世の中だからしょうがないって割り切るしかないよね。これを作りたい!って思ってて出来上がったら結構普通になっちゃったって感じのが多いけどまぁでもそれでいいのよね。「こんな音聞いたことない!」なんてこと自体が情報量が多くてそれに浴びるように接してたらそんな機会自体がなくなるじゃん?まぁあれだわ、ハイパーニートクリエイターのラッセル・ハズウェルはそういう路線だよね(笑)全く聞いたことがないサウンド!っつって結果があれだもんな。で、ラッセル・ハズウェルの悲劇ってまぁ出力がゴミって意味でクソなのはチャーミングだからいいとして、本人が「聞いたことない音」としているものが実際はすでにありふれた音なんだってことだよね。それは本人が知らないだけでしょーっていうまぁ本当に情報の差ってことになるんだよね。それが音楽活動にまで影響するってまぁ本当に情報が支配してるなって思いますよね。


まぁんでそんな中で色々とこじらせてて軽い気持ちで「一人ブラックメタルやります!」って言ってたらどんどんマジになってきちゃったわけだけど(笑)マジになってくると音もシリアスになってきて結果、自分の手癖が出るんだよね。で、いつもの自分の音になる。まぁでもそれでいいんじゃないか?って思うけどね。それが俺の限界だしなんか下手に新しいことをやろう!とかってことをやってダメなの作る必要もないしかといっても開き直っちゃいけなくてさ、それなりの質は保たないといけないよなってことでまぁそこが俺なりのあれなんだよね、元は80分超えのアルバムの流れとして作ってた流れの構成をsoundcloudにアップして単体の楽曲として聞けるものにするっていうシングルカットっつー発想なんだよね。流れだったらこの程度でいいかもしれないけど3分にしても単体で出すとなると単体で聞けるようなものにしなきゃいけなくてそこがまた結構大変なんだけどそれを意識するってのが俺なりの「今やる」っていうことだったりするよね。昔だったらそんなの気にしなかったけど今は気にせざるを得ないし音の聞き方が変わってるし80分の大作です!っつって付き合ってくれる人がいないわけだから音という意味ではなくフォーマットを聞きやすくしなきゃいけないよね。そういう努力は最大限までやるべし!ってことなんだよね。結構偉いでしょ?(笑)


まぁそれがでもモノとして80分でしか表現できないものなんであれば聞く人がいなくても妥協せずにやるべきだと思うけど、俺のは別にそこまでじゃないからね。だからこそサウンドって意味ではなくて長く付き合わなくてもそこそこ聞けるっつーフォーマットでアップロードする必要があるってことになるわけね。本当は5分かけたいところの展開を早くするってのもそこじゃないですか?5分かけてたら今の時代はその展開のところまでスキップされるかその時点でもう「長い」っつってストップされちゃうわけだからね(笑)だから付き合ってもらえるようにしないといけないんだよね。でもそれは音の妥協をしなくても単純に展開を早くするとかなるべく曲を短くするっていうことでできるからそれはやるべきなんだよね。


あ、俺が言いたいのってそういうところも含めた時代性ってことね。時代の流れとか前後の流れとかさ、あとまぁ自分がやってるジャンルの他の音とかをなるべく研究するってのはそこだよね。研究して戦略を考えるとかっていうことじゃなくて最低限それは知っておくべきってことなんだよね。そうすれば工夫の余地が生まれるし無知からくる「お!凄いのができた!」っていうのもなくなるじゃん?そんなのありふれてんだよっていう突っ込みを自分で入れられるじゃん?だからもうクソみたいにシビアになるってことだよね。自分のものだからっつって甘やかしてると本当に甘っちょろいのが出来上がるしそこはストイックにこだわるべきだよね。


まぁあと当たり前だけどプレイリストとかにほかのクオリティが高い似たようなものとか同じジャンルのものと自分のを混ぜてそれで聞けるか?ってことだよね。それで聞けなかったらそもそもアップロードする価値すらないものだからね。それで聞けるってのが最低限の条件だと思うよね。まぁそれは別にアップロードに限らず表現全般そうだけどね。勝手にやるということと矛盾するようだけど何気にこれは勝手にやる上で重要なことなんだよね。勝手に一人でやるからこそ色々と気にしなきゃいけないことが多いってことなのね。いや、それが結果的に作りたいサウンドを歪めちゃうようなものだったらそこは自分を貫くべきだけど単純に時代と合わないっつーかフォーマット的なことも含めて見向きもされないっていうものだったらそれは考え物ってことだよね。あ、えげつなさ過ぎて見向きもされないのは大いに結構なんだけど、フォーマットも曲の長さとかにしても何にしても色んな意味で見向きされないっていうそういうもんは意味ないなって思うってことね。そういう意味ではもう究極的にポップでいるべきだと思うわけ。音は凶悪だったりしてもインターフェース的にあとは時代とかも含めて気楽に聞きやすいっていう形にするべきなんだよね。まぁもちろんそれ自体が結果的にサウンドに影響もするってことにもなるけどそこはやっぱ手腕だと思うんだよね。こういう完全になんでもデータになる時代にどうやって迎合という意味ではない良い意味で適応するというのはどういうことか?ってことじゃん?


で、そういう感覚は俺はちょー古いからね(笑)まじめに作ってたのが10代後半から20代前半ぐらいだったから相当昔なわけよ。で、あの時代と今は全然違うわけでさ、だから今こうやって音を作って出すんだとしたら色々と学ばなきゃいけないなって思ってまぁ俺なりにこういう考え方になったってことだよね。で、配信してみてっつーかミックスとかは配信してたけど自分のやつ(新作)を超久々に配信!ってことになって現状の状況を理解する必要があるってことで前にも書いたけど断片的には知ってたけど当事者としてそこまでシリアスに調べてなかったんだけどまぁSNS的なものはともかくこの時代に配信するということ自体がどういうことなのか?というのを見たときにねっていうか当事者になると見えることってあるじゃない?そこで見えた世界が超殺伐とした世界だった!ってことなんだよね(笑)ピリピリしてるとか熾烈な競争があるということではなくて色んなものがデータ化されて情報が早い人にはすぐ並列化されるという意味でそれは別にお互い殺しあおうと思ってなくてもある場所における電車でも部屋でもいいんだけど人口密度が高くなると人同士がピリピリするのと同じでデータ自体が情報量の多さにピリピリするようになるってことなんだよね。


そこで自分までピリピリするようになったらダメだし他を気にし過ぎてて配信できなくなっちゃうってのもアレだしその辺のバランスは難しいけどね。俺が言いたいのは音はもう徹底的に自己満足的で良いっつーかオナニー見せつけるみたいなのでもいいんだけど見せつけ方までオナニー的になっちゃうと認識的にクソになるからそれだけはやめたほうがいいってことだよね。それは認識を正しく持っておかないといけないっていうかさ、例えば全然聞かれないにしてもなんで聞かれないのか?ってのを理解したうえでそれと折り合いをつけてやってるかどうか?ってことなんだよね。そこで「なんでなんだろう?」って永遠とフラストレーションを抱いてるとかバカの極みなんだよね。それは客観的に見ればなぜ聞かれないか?なんて理由は明らかになるはずなんだからそれは知っておくべきなんだよね。その上で自己満足をやり続けるか?ってことなんだよね。それって違うじゃん?自己満足を見せつける上手いやり方とか時代に合ったやり方をしつつ淡々と真摯にやり続けるっていうのがfoundationを作ることになるからね。そこがまさに持続力ってことになるんだよね。続ける上での努力というか工夫じゃないですか?それって。


前に配信の先なんてどうでもいいって書いたけどSNS的なことに一喜一憂するのがバカバカしいっていう意味で俺が今回書いた配信するうえでの最低限の条件って「配信の先」じゃなくて「配信」の内だからね。で、その先なんてもうなんつーか出したもん次第だしあとはアウトプットを続けるかどうか?だよね。だからそんなの気にしてもしょうがないって話なんだよね。まぁんでもその続けるってことが強度に繋がるからだからまぁあんまりその考えすぎて辛くなったり下手に真面目になり過ぎずにやり続けたいって思うんだよね。強度を持続させたいのね。ただまぁ予想以上に色々と真面目に考えることに結果的になったなーって感じではあるよね。まぁやっぱ根が真面目だからかな(笑)


そんな感じでんじゃまた。あ、んで今後は俺なりのブラックメタルのコンセプトとかリベラルなブラックメタルって何なのよ?みたいなこととか書いていきたいって思ってますねってもう書いた気がするけどようは俗流の形骸化された悪魔信仰と実際のサタニズムとの違いってことだよね。で、まぁ分かる人には分かるけどサタニストという意味ではないんだけどコリン・ウィルソンアウトサイダーとか実存主義みたいなところからクロウリーみたいなオカルティストとか神秘主義者を哲学的に評価してたじゃん?あ、んでコリン・ウィルソン自体は別に悪魔主義者でもオカルティストでもないんだけどその評価の仕方ってことだよねっていうかそういう見方でもオカルティズムってことなんだよね。まぁつまりはニーチェ実存主義ってことなんだけどね。だからなんで俺がいきなりこんな傾倒し始めたの?ってのもホモロジーとも言うべき親和性があったからなんであってそれをまぁ色々と書いていこうかなっていうか書いていこうっていうかコリン・ウィルソンを読んでる最中であとまぁ最近金使い過ぎてるから来月になるけどオックスフォード出版から出てる学術的なサタニズムとかを研究した本ってのが出ててそういうのを読んで研究もしつつ色々と言いたいことが出てくるだろうからそういうのを書いていくことになるだろうっていうことね。