ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/Rockstaによる日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

根底は変わらないニヒリズム。

何気に気がついたっていうか結構デカいことだから書くけど最近書くっていうかまぁ昔から書いている虚しさなんだけどゲームやった後だとか最近だとまぁギターに熱中の後、燃え尽き症候群みたいになって虚しいってまぁこれはまた別の虚しさだけどあれじゃんね、ちょっと前に書いたけどまぁ賢者タイム的なね、幼少期に感じるディズニーランドの帰りだとか祭りの後的な虚しさってのはようはそのハレとケの落差を感じるっつーことでまぁ落差なんだけどさ、それってまぁようはディズニーランドが虚構だから虚しく感じるわけじゃなくて現実に戻されるから虚しくなるわけだよね。まぁようは普段特にまぁそんなに幸せを感じるようなことをしていない場合、なんでもないような日常が俺みたいな刺激ジャンキーの場合、刺激が無くなると虚しくなるっつーのは元に戻されるから虚しくなるんであって刺激を受けられる物自体が虚しいわけじゃないんだよっていうことなんだよね。些細なことのようでめっちゃデカいっすよこれ。

 

ゲームやった後に虚しくなるのはゲームが虚構だからとか無益だからとかってことじゃなくてゲームの世界から現実に戻されるからだよね。古いけどあまロスと同じですよ。逆に日常がロスを感じる余地が無いぐらい充実してる場合、朝ドラごときがロス症候群を生み出すわけがないんだけど生み出すわけだよね。アニメファンだとまぁ今期のフェイバリットのアニメが終わったら生きてられなさそうなんつって頑張れ!来期にもまた神アニメが来るぞ!みたいなやり取りあるじゃん?ああいうのってマジでバカにできないんだよね。すげーオントロジカルなんだわ。

 

構造は一緒だよねっつってもまぁその例えば今期の気に入ってるアニメが生きがいっつーかそれがあるから生きていけるみたいな人の場合、別にそれだけで生きてるわけじゃなくてまぁ最低限の衣食住とかがあったりアニメ以外にも適当な娯楽があったりするわけなんだけどまぁとりわけ楽しみだな!っていうようなものってのがまぁぶっちゃけそれしかないってのは例えばその適当な娯楽ってのがゲームだった場合、多分もうクリアしてて適当にやり込み要素とか惰性でやってるだけだったりするよね。

 

それ言い出すと俺の場合、エロサイトを見てる時間が凄まじく長いと思うんだよね。ゲームは飽きるけどエロは抜かない限り飽きなくてズリネタに凄まじいこだわりを持つと半日ぐらい探してたりして完全に終わってるよね。まぁポルノ中毒というやつなんだろうけどまたんで一気に性欲無くなったりしてアンバランスなんだけどこれもまぁ別にイッたら虚しいっつーよりかはまぁポルノサイトを見ている時間はムラムラして探していて虚しくはないんだよね。それは欲にドライブされてるからね。

 

でもまぁイクことでそれが終わると賢者タイムになるんだけどまぁ賢者タイムは独特過ぎるけどでもまぁイッた後の感じって大体同じだよね。そのイッた後の感じが永遠に続くのが日常だよね。で、また精子が作られるとムラムラしてポルノサイトに行くっつーすげー動物的なサイクルなんだけどまぁ刺激全般そうだよね。スキナーっぽいようなbehaviorismになっちゃうけどまぁもちろんそういう条件付けだけじゃなくて心ってものがあってもちろん意味ってものがあるわけなんだけどそもそものその意味の喪失というか喪失でもないんだよね。元々意味ないんだけど意味があるって思ってたようなものがそうでもなかったということでどんどん意味を失うっていうことだよね。

 

それがまぁ結果的に無関心とかアパシーとかニヒリズムを生むんだけどまぁ最悪の場合、ネット社会になって多感な子の場合、10代でそれが分かっちゃって自殺するとかあるらしいけどまぁとりあえず色々やってからにしろよって思うんだけどまぁでもあれだよね、自殺対策だのなんだのってまぁ全般的に意味ないよね。そもそもその意味に殺されてるようなもんだからね。まぁ病苦とか借金苦とかそういうものは別としてまぁ実存的なやつの場合、対策というより意味が無いといけなかったり基本的に空虚じゃいけないんだけどそれが無理なんだよね。

 

いやさ、オデッセイの序盤はまぁこんな感じかーってそんなにハマらなかったんだけどスキルが充実してきてサクサク殺せるようになると一気に楽しくなるじゃん?で、あんなに世界が広いからまぁ本当にVRですよね。いつも書くようなギメル的なヴァーチャルの世界に没入している間は幸せでそれで幸せで何が悪いんだい?っていうことになるっていうそこがなかなかいや!違うんだ!リアルなんだよ!って言いたいんだけど実際にヴァーチャルの世界に癒されているという自分がいる場合、そうとも言えないというね、難しいよね。

 

この「難しいよね」っていうのもそもそも考えなければ問題ですらないようなものを考えているから問題になって悩むんだっていうことになるんだけどじゃあ考えなければいいじゃないかっつーのがまぁある意味での宗教というか変な世界観だよね。考えないかあるわけがないものを信じてそこに意味を見出すっつーやっぱりデフォで意味がないから宗教って無くならないんだよね。

 

結局ただ自分の場合、考えてもしょうがないっつーことができないし常にこれが問題としてあるから向き合わなきゃいけないんだよね。冷静に考えれば今こんな風に考えてるのも一時期のギター熱が冷めて別に辞めるわけじゃないんだけど没入感が無くなって日常化してギターの音にも飽きてゲームもまぁ今月の頭からずーっとやりっぱなしである程度現実に戻ってきて改めて色々考えて見ると・・・っていうところで考えるとこんな感じっていうことなんだけど別にだからゲームなりギターの練習が虚しいわけじゃないんだよね。現実が虚しいというただそれだけだわ。

 

ただなんかやってるときは紛れるよね。ゲームの場合、ヴァーチャルな世界だったりギターの練習っつーのもある種不毛なことに意味を見出して没頭するっていうことだから現実逃避っぽいっていうか修行っつーかただの現実逃避でしょう的な修行に似てるよね。宗教とかに限らずだけどね。なんだろうジムとかもそうなのかな?走ってる時はそれに集中できてまぁなおかつあれの場合、フィジカルなベネフィットと単純に脳に良いから体を動かすって良いに決まってるんだけどそれと虚しさは別だよね。まぁただなんかしらの何かに没頭するっていうようなことを必要とするのは所謂魔が差すっていうところの魔ってのがつまりは現実なんだよね。魔が現実とは凄いことですよね。

 

まぁそれへのカウンターがまぁそういうのって生産的であらねばならない!的な思い込みから来るものでもっとスローに生きようっていう別に一日中寝転がってたっていいじゃないか的な犬儒派的な発想もあるけどまぁそれができる人はそれでいいんだよね。考えないことが出来たり考えもしないっていうことができれば問題ですらもないから全然いいんだよね。問題は考えちゃうっつー常にその魔に追われる身のやつはどうすれば生き延びられるのか?っていうところなんですよね。

 

なんかそこで自分の場合、快楽を悪魔払いの一種みたいに考えて楽しいことをすれば魔が差さないだろうと思ってなるべくこれだ!って思うことに没入する!っつーことをしてきたけどそれも限界があるんだよね。没入できたりすることは有限なのに魔は無限ですからね。無限湧きする敵と限られた弾薬みたいな状態ですよ。

 

何かに没頭出来て楽しい!っつー日々を送れているときはCODのゾンビモードのinfinite ammo!とかが発動している状態なんだけどあくまでそれは一時的なものだからね。ゾンビは湧いてくるからねっつっても無限湧きじゃないけどねあれの場合。まぁそういうinfinite ammoはありえないってのがまぁ諸行無常っていうことなんだけど無常だからこそ変化があって楽しいってのもあるんだけど魔に追われて追い付かれそうになるっていうときが本当にヤバくて本当に最近は追い付かれているなって感じるんだよね。その都度悪魔払い的なものは発見するんだけどあくまで一時的なものだったり圧倒的な魔に敵わなかったりね。

 

よくメンタルをやられるっていうけど俺の場合、メンタルが正常すぎて普通なんか錯覚してたり自分が何者かみたいなアイデンティティがあったり自負があったりとかよく考えれば空虚なんだけど別に気にせずにそれをやって時間を過ごせるみたいなものがあったりっていうものが全然ないっていう状態なんだよね。ある意味究極的に正常と言えるでしょう。そんだけニュートラルに世界を見れているってことだからねっつってもだったらそのニュートラルな目で世界情勢を見て・・・とかそういうことではないんだよね(笑)あくまで日常っていう意味でっていうことなんだわ。

 

まぁだから鬱とも違う気がするんだよね。「そういう世界観だから」としか言いようがないというか、逆にデフォでハッピーな場合、ドラッグやってるか酔っぱらってるかぐらいのもんだろうって思うのね。デフォがハッピーってことはまずないよね。それは分かり切っているんだけど刺激のなさに耐えられないんだよね。別にそれは環境が悪いとかってことじゃないんだよね。別にそれはニューヨークに居た頃でも感じてたことだからどこ行こうが全然それは同じだわ。だから何々してみれば?的な処方箋が一切ないっていうところがね、強敵過ぎるよね。もはや敵というより同化してるような感じさえするんだけど。

 

それに抗い続けるのか受け入れるのかっていうところがまぁニヒリズムロマン主義の違いって気がするんだけど今書いてて思ったのは言い方の違いで一緒なんだよねってことだよね。いや、これがいいんだよ!オワコンだろうがギターの音はいいんだ!って思い続けるのがロマン主義でそう思ってても心の底からはそうは思ってないのがニヒリストだよね。ただの気分の違いというか(笑)ロマン主義的なベクトルってのが異様に極端なのも根幹に強いニヒリズムがあるからだよね。そうじゃないとなぜロマンなんだ?っていうことになるからね。意味ないからロマンなんだよってのがロマン主義だよね。ニーチェで言うところの能動的ニヒリズムだわ。能動的か受動的か?なんてのはその時の気分で変わるからね。まぁどの道、根幹がニヒリズムだから常に危ういよね。自分の心の浮き沈みにしても元気な時は能動的で調子悪くなると受動的になるっていうシンプルに言えばそこだよね。根底は変わらないニヒリズムだよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。