聴き倒れ方丈記。その10。

ってことで今日は雑談なしで貼りオンリーで。

 

俺らみたいな世代にとってはノイズと現代音楽の橋渡しをするようなAlga Marghenみたいなレーベルが無かったら知りようが無かったわけでこういうレーベルが現代音楽の異端中の異端みたいなのを現代的な観点でモダンにリイシューしてたっていうところとかもまぁようは今回俺が書いてるような文化なのよね。そういう橋渡しをしているレーベルがあってそういうのを入荷するタワレコアヴァンギャルドのコーナーとかがあってそういうのを買いあさることができたというありがたみだよね。それがあるから知ることができたわけだよね。まぁんでRobert Ashleyヤバい!と思ってオペラとかのを買ってみて失望をしたのも良い思い出だけど(笑)

 

Automatic Writingなんかは寝る前に聴く寝る前の定番だったけどジョンレノンだかなんかとにかくアシッド系のヒッピーっぽい有名なロックバンドの人がLSDキメてAutomatic Writing聴いてぶっ飛んでたなんてエピソードを読んだことがあるけどジャケなんかもモロにビーチボーイズだったかアシッド系のオマージュだったりするぢゃん?(笑)

 

アカデミックだけどアカデミック過ぎないSonic Arts Union系の人たちって良い意味での俗っぽさがあるんだよね。それで言うとやっぱりサイケカルチャーとかケージショックとかがごっちゃになったフルクサスとかもすんげー重要なムーヴメントだったんだなって改めて思うよね。アカデミックに語られることが多いんだけど別にその辺の社会に馴染めない兄ちゃんとかが変なコンセプトで音遊びしてますみたいなのがカルチャーになりえた時代というかね。

 

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あとまぁイタリアの極左実験音楽レーベルCrampsとか。

 

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Demetrio Stratosのヴォイパフォのレコードとかハイテンショングランプリかよ!って感じなんだけど声がジャンポケの斉藤っぽかったりして(笑)前に現代音楽とザコシってまぁようは変なのって振り切り過ぎると似始めるっていう俺の理論があるけどまさにそんな感じなのよね。

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で、我が国ではやはり巻上さんの例のアルバムが個人的に名盤過ぎると思うし一家に一枚だと思うんだけどヒカシュー自体がポストモダン的でインテリ的だからまぁ巻上さんのヴォイスソロなんかもそういう感じなんだけどでも難しく考えずに面白いアルバムとして聴けるのがいいかなっていうやっぱりまぁ音の魅力があるっていうことですよね。

 

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Kuchinoha

Kuchinoha

 

 

ヲノヨーコとかが適当に変な声を出してるのと違って声を楽器として使うという技術の卓越性が凄いんだよね。その訓練の賜物っていうかまぁバカテクヴォイパフォっていうかね。アホがこんなの誰にでもできるとかっていうけど誰にでもできない超絶ヴォイスなんだよね。で、音楽性も高いというね。あとまぁフェイクで色んな音楽とか節をサンプルするっていう音楽の視野の広さっていうか言わばその辺はリアルタイムサンプリングなわけでサンプリングってモロにその人の音楽性とか視野が見えるじゃん?その辺の広さよね。

 

あとDiamanda GalásのThe Litines of Satanも凄いよね。

 

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んでまぁついでだから現代音楽からリゲティ貼っておくけどね、言わずもがなだけどBarbara Hannigan女史はヴォイスもそうだけど指揮学も学生時代に大学で勉強しててそれを同時にやるという超技巧を披露してて何かと言うとつい見たくなる動画の筆頭ですなこれは。

 

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で、これはリゲティのLa Grand Macabreっていう二時間ぐらいのオペラの中の一曲を単独でも演奏できるようにしたやつなんだけどまぁ演奏映えするっていうかパフォーマンス映えする曲だからリゲティのコンピとかでもこの曲だけ入ってたりするよね。

 

んでまぁこれがWergoから出てる元のオペラのやつね。

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 Barbara Hannigan女史のドキュメンタリーがどっかにあったと思うんだけど忘れたんでツベで検索して出てきたのがあったんで貼るけど。

 

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まぁ凄いんだよね。ヴォイスを楽器にするということの凄まじさだよね。楽器ももちろんめっちゃフィジカルで大変なんだけどヴォイスとなると音源そのものが人体なわけでそれを楽器とすることの大変さだよね。クラシックとか聴くようになってから合唱曲とかオペラとかも聴くようになるじゃん?んでまぁ改めてその声を楽器とすることの凄まじさに感嘆するっていうかね、まぁんでこの系譜ってクラシックだけじゃなくてホワイトハウスだのっていう声をノイズ化するっていう身体性なんかと繋がっててっていうかまぁ実質同じよね。ただコンテキストがハイブローなやつのほうが評価されるんだけどそれがノイズであれ前衛的なヴォイパフォであれとにかく声を操るってのは凄いことなんだっていうことよね。

 

あ、んでリゲティのLa Grand MacabreだけどMacabreってのが邦訳しづらいものでなんとなく死を連想させるアブストラクトなものっていうような意味合いなんだよね。作品自体にはユーモアがあるんだけどリゲティ自身が家族をホロコーストで亡くしていたり自身も死にそうになったりとかっていう壮絶な人生を送ってきた人がこういう作品を書いているっていうところがまた凄いでしょう。でもそこで絶望じゃなくて希望なんだっていうような、ジャン・アメリーはホロコーストサバイバーだったけど結局は絶望に落ちて行かざるを得なかったわけで結局晩年自殺しちゃうんだけどヴィクトール・フランクルなんかはだからこそ生きるんだよ!的なね、んでも人生にイエス!って言うんだよ!っていう精神だとかってのがようはリゲティもそういう感じだったんだろうなっていう深みを感じるんだよね。

 

リクールなんかもホロコースト後で宗教観なりなんなりが全部覆されたっていう中でそれでもいかに考えるか?とかっていうのを模索していたわけでそこでの生へのベクトルよね。生きるということが即聖性に繋がるような、もちろんそれは善く生きるということが聖なる生ということなんだけど全てが否定されるようなことがあっても善く生きるということを諦めないっていうパワーですよね。

 

んでこの先書いてないからもう終わりでいいかなっていうか前の続きがあるから次それ貼るわ。んじゃまた。