いつかの続きなんだけどいつのか忘れたので。

あ、んで恒例のディスクレビューなんだけど書くの忘れてたんで後に書いたのを最初に貼るけどThelma Gracenっすね。ジャズボーカルでは本当のお気に入りの一枚で俺が持ってるのは70年代の日本版のリイシューなんだけど

 

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まぁ本当にシンプルな真夜中サウンドですよね。Night Owls達が一番活発に活動している時間帯の音楽ってカンジ。手に入れたのはまだバリバリジャズ掘ってる時期で藤沢のレコード社だったかな?女性ジャズボーカルものは売らないで取っておいてあるのが多いんだけどこれはまぁその代表的な俺ディスクですね。

 

女性ジャズボーカルモノとか言い出すとキリないんだけどもう一枚はBeverly Kenneyっすね。これまた真夜中サウンドでこれ以外にもほぼ持ってるんだけどツベでフルあったんで貼っとくわ。俺が持ってるのは恐らくこれまた70年代の日本版のリイシューだと思うんだけど。

 

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よく言われるのが日本ではカルト的人気があってまぁ俺が思うに美人薄命の典型というかね、幸薄ながらもキュートなボイスで歌い上げるミッドナイトサウンドにおっさんとかがうっとりしてるんだと思うんだよね(笑)ただまぁ普通にいいっすよ。これもジャズガチ掘りしてたときに集めたやつでまぁーすんげー頻度で聴いてた気がするね。

 

あと蛇足だけどミッドナイトサウンドと言えばこれだねっていうか20年近く前のヘビロテでしたね。

 

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薬飲んだ後にウィスキー飲んでサイケになりながらこれを聴くとまぁ今で言うストロングゼロ的な効果っつーんですかね。おすすめはしないですけどね。マジで死んだりするらしいんで。ただまぁ本当にいいアルバムよね。そんなに中古高くないと思うんで見つけたらマストバイで。

 

ってことで今日のエントリーね。

 

どっからの続きなのか分からなくなったんで続きだけ貼るけど(笑)なんか脚ムズムズ症候群ってあるじゃん?たまにあれあるんだよね。脚というか下腹部あたりに凄まじいムズムズというか発散しないといけないパワーみたいなのがあって下半身を暴させないと気が済まないっていうそれで起きたりすると最悪なんだよね。ドーパミンとか鉄分がどうたららしいんだけどあとまぁずーっと同じ体勢でいるってのもダメなのかもね。

 

まぁそれにしてもあれだわ、Last of Usやっと終わったんすよ。去年とかに大学のドアをどうやって通ったらいいか分からなくてそっからやらなくなって(笑)んでまぁ数か月前に再開してんでクリアしたんだけどありゃまぁなんか本当にやっといたほうがいいねっつー傑作ですよね。なんか改めてゲームっていいなっていうかゲームじゃなきゃ得られないものってあるよねっていうかまぁLast of Usは格別すぎるんだけどね。

 

あと一気にゲームやらなくなっててCode Veinとかも恐らくもう最後の方まで来てるんだけど終わらせようかなと。っつーかCOD出たんすよね。ぶっちゃけやりたいんだけど(笑)また同じことの繰り返ししてるなーっていう後から来る虚しさを考えるとあんまやりたくないね。キャンペーンだけやりたい感じだわ。

 

あとハロウィンセールでEnd of Eternityってのを買ったんだけどなんたらエタニティってタイトルのゲーム多いような気がしてその一派だろうと思ってたんだけど全然違うどころか世界観がドストライクでドはまり中ですね(笑)雑魚相手でも嫌にならないあの慣れてしまうと別ゲーになるシステムは画期的だわ。

 

あとあれだわ、シュレイダーの魂のゆくえ見たんですよね。ちょうどまぁアート系映画のDVD買いまくっててこの本読んでるんだけど

 

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まぁ今のフォーマットでああいうのを作ったってのは大いに評価できるんだけどこんなクソみたいな世の中に子供を送り出すなんていうことはそれ自体が罪ではないのか?とかまぁなんつーかこの世の中と実存っていう話なんだけど切り口が超絶左翼の環境保護だったりして実存部分の共感の部分がすげー下がっちゃうってのがあるよね。ネタバレになるけどその環境汚染をしているエネルギー会社が教会のサポーターだったってのを知ってショックを受けるとかナイーヴ過ぎるだろって話だしそれ言い出すと我々の生活全部そうですよね。

 

環境破壊なりブラック企業なり第三国の労働力搾取なりイスラエルなり息のかかった企業のものを避けようと思ったら生活できないわけですよね。だからなんかそういうのじゃなくてクシュナーの人生論のような、立場は違えど生きるって何なのよ?っていう実存の深い悩みみたいなのをもっと表現してほしかったよね。あれじゃあ浅すぎるんだよな。それでラストのアレで終わりだとそりゃ台無しと言われてもしょうがないかなと思うわ。あれで救われるということではないんだけど仮にあれが愛のアレゴリーだとしてもぶっちゃけ辛いことの大半なんて人間関係だったりするわけでそういうところスルーなの?っていうね、人間との愛に落とし込めてるのがまた浅くて残念ですよね。

 

そこでだからベルイマンとかと比べられちゃってベルイマンとかブレッソンの深遠さに寸分も敵わないとか言われちゃうのもしょうがないよね。いや、終わり方はブレッソン的にそのまま絶望的に「で?どうすればいいの?」っていうそこで終わっててよかったと思うんだよね。神の不在がテーマじゃないにしてもああいうメロドラマ的な話に落ち着かせるんだったらコンスタンティンとか見てるほうがまだ楽しいでしょう(笑)

 

あ、クシュナーの本貼っておくわ。是非。

 

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

 
私の生きた証はどこにあるのか――大人のための人生論 (岩波現代文庫)

私の生きた証はどこにあるのか――大人のための人生論 (岩波現代文庫)

 

 

日々楽しかろうが寂しかろうが全く根本的な絶望とは関係が無いという深さだよね。生活さえ楽になればなんとかなるだろう!っていうそうでもないっていう実例がいくらでもある中ではもはや実存の悩みというのは普遍的で強力過ぎて太刀打ちできないっていうね、だから落としどころなんてないんだよっていうところだよね。その辺をブレッソンとかはリアリズムとして描いてるよね。前後関係の中で不幸だの犯罪だの幸せだの色々あってもあんま関係ないという恐ろしさだよね。

 

彼女を作ればいいんだ!とか成功すればいいんだ!とかツイッターのフォロワー数増やせばいいんだ!とか全くそういうのは関係ないっていうね、気は紛れるかもしれないけどむしろ虚しさは如実に現れるっていう、何かがダメだからそうなんだと思いたいんだけどそうじゃないっていうところの難しさだよね。

 

ただまぁそんな中ですんげー気に入ったレコードを良いオーディオで聴いたりしている時の多幸感とかまぁ風呂上がりのビールとかでもいいんだけどそういう小さい幸をうまく忍ばせてやり過ごすしかないよね。誤魔化しではなく楽しさで虚しさに抗うというかね、まぁそれも限界あるんだけど(笑)

 

あと実存の悩みって生活の質とかも関係ないよね。まぁあまりに酷すぎる場合はアレだけど日本に生まれているだけで恵まれているという考え方もあるんだけど確かにまぁしょっちゅう空爆とかは受けたりはしないけど空爆を受けるような国ではないなりにそこでの実存の悩みってのがあるんだよね。日本の自殺率が高いってのも社会的なものもあるけどある種悟ってしまって解決方法はないんだってのが分かりやすいっていうところもあるよね。だからどうしていいのか分からないってまさに俺もそうなわけでね、まぁだからこそ俺は前衛を張り続ける甲斐があるってもんなんだけどね。

 

ただまぁ物質的なことだとか満たされるというところから来る幸福感というのは一時的なもので人間は意味に生きるわけだから意味から来る幸福感などを得るなんてのは並大抵のことではないよね。不可能ではないけど相当難しいことだよね。ただまぁ俺みたいに単純にレコードが好きっつーところから来る収集癖っていうかあとまぁレコ屋に行く楽しみとか旨いものを食べに行く楽しみとかそういうのは必要よ。ただそういうところから根源的な幸せは得られないということだよね。

 

意味に生きるというのは因果なものだよね。人間に生まれてきたからには宿命的に意味に生きさせられるということを意味するんだよね。んで世俗的な楽しみとか快楽とかってのも欲が強ければ強いほど若いうちにどんどんと消化しちゃっておっさんになるぐらいには何が何だか分からなくなっているというね、まぁずーっと楽しい人はそれでいいんだけど悩んじゃう人もいるということだよね。ただその悩みというのは病理ではないと思うんだよね。意味に生きるからこその無意味に悩んでしまうわけで。

 

まぁそれは肯定的に言えば才能なんだと思うよね。悩むという才能というかそれは契機が与えられているというチャンスでもあるよね。ギフテッドのギフトが悲劇的なギフトなのと同じ意味で意味に生きるということもまた悲劇的な宿命というかね、でもひたすらマイナスなことばかりでもないというね。

 

馬鹿になって生きるのか気苦労は多いけど精神的に深いところに到達した認識をまたさらに高めていくといった生き方をしていくのか、前者の方が楽なんだけど実際の前者を街で見たりするとああいう風に生きてこなくて本当に良かったと思うわけで結局、精神的に大変なんだけどでもこれでいいんだよね。辛かったりもするんだけど間違いではないというね。

 

まぁそんな感じで特にこれといった処方箋なんてあるわけないんで話は続くかとりあえず終わるかのどっちかでとりあえず今日は終わるけどまぁこういうトピックに関しては今後意識的に色々と書いていくと思うんでよろしく。

 

ってことでどこからのか分からないけど残ってた続きね。唐突ですが。

 

まぁそりゃテクノとかもそうだよね。ナムコとかのサントラを聴いたこともないDJなんたらみたいなのがリミックスしました!みたいなテクノリミックス版!なんつってそのしょーもなさといったらありえない感じで行き過ぎると逆に後世でモンド的な評価を受けるのでは?っていう感じで実際にブックオフとかの100円コーナーサウンドとかって一種のカルチャーなわけで薄っぺらいものでもそれがカルチャー化する可能性もあるっていう文化の多様性だよね。今の言葉で言うとダイバーシティですよね。

 

おっさんがジャズだったらこれ!クラシックだったらこれ!と若者に強要するのはただの押し付けでそれはただのスノビズムなんだけど元々音楽好きのあんちゃんだった俺みたいなやつが「これやべーよ」って薦めるっていう教養とか関係ないただヤバいから聴いてみなっていうそこよね。そういう意味で世の中っつっても現在は少ないけど過去のものにフォーカスすればヤバいものっていっぱいあるんだぜっていうのがさ、ある程度ヤバいのを知ってる人からすると当たり前のことなんだけど知らない世代にとっては道の領域で知りようもない領域だったりもするわけでやっぱりそこへのガイドって必要だと思うんだよね。

 

その言葉にできないヤバいという感覚すらも分からなかったり芽生えてないっていう場合もあるからそれを芽生えさせる必要もあるかもしれないしね、ただ感性があるやつだったらいくつか紹介したら勝手に開眼してあとはもうそこに突っ走りますよね。ほんのちょっと押してあげるだけで進んでいけるっていう、ただそのほんの少しが難しいってことだよね。

 

あとまぁ余暇と多少の金銭的余裕だけど今の若い世代に限らず貧困というのがリアルになってるからそこに落ちるのが怖くて悪い意味での堅実にならざるを得なくてなんでもコスパ優先でコスパが悪いものにお金をかけるのは悪ですらあるっていうこれってただ貧困のデフォルト化というか恒常化よね。別に俺は金があったからレコードとか映画を見れたわけじゃなくてバイト代全部注ぎ込んで音楽やら何やらに全力投球してたんだよね。でも今の世代で言うとそれが貯金になるんだよね。あとなぜか形而上学的不安とも言える何年先の話をしてるんだ?っていう老後の不安ね(笑)

 

着倒れ方丈記って本あるじゃん?名著過ぎてプレミアついちゃって去年だかに復刊されたんだけどっていうか今回のシリーズのタイトルとかそれからつけたんだけど着倒れ方丈記に出てくるHappy Victims達って中にはブランドの世界観にあったインテリアとか家とかだったりもする人もいるんだけど大半は普通の会社員とかOLでただそのブランドが好きだからっつって毎シーズン100万かけるとか部屋が好きなブランドの洋服だらけなんだけどそれが最高の癒しで生きがいだっていうようなまさにHappy Victimsなんだけど仮に老後なんて考えてたらこんなお金の使い方できないよね。

 

まぁ一昔前の本だから当時はまだそういう勢いはあったのかもしれないっつっても就職氷河期の人たちだったりするからね。やっぱりポイントは金があるからそういう道楽生活をしてるってことじゃないんだよね。普通に働きながら全額それに費やしているっていう男気よね。まぁ女性もいますよもちろん。でも載っている人たちの大半っていうか全員といっても過言じゃないけどそのブランドを持っているからステータスになるとかっていう顕示的消費じゃないんだよね。好きだから買うというその「好き」が結果的に文化を生んでるんだよね。

 

もちろんまぁそのブランドってのが国際的なデカいブランドでその人が給料のほぼ全額つぎ込もうがあんまり影響ないってのもあればそういう人がいるから成り立っているっていうブランドもあるわけでそこでやっぱりそのブランドを愛して大事に着るっていうのはもうそれだけでカルチャーですよね。ファッションはカルチャーだけどファストファッションになると見栄えだけ一瞬よく見えるものを着てダメになって捨ててまた買って・・・っていうまぁさっき書いたただ消費するだけの音楽と同じだよね。そうじゃないんだよね。気に入ったのを大事に使ってシルエットが崩れないように体型とかにも気をつけて(笑)そのブランドと共に生きるってことだよね。

 

いや、まさにさっき書いたそれと共に生きるということが文化だっていうそこにたどり着くでしょ?だからいかにコスパコスパって言ってても観点がコストということになるともうそれは経済という尺度に雁字搦めにされた奴隷的生なんですよ。全然自由じゃないんだよね。ブランドとか必要ないしコスパ悪いしどうでもいいっつー意見もそりゃあるしその結果まぁあらゆるものの○○離れを加速させてるんだけど離れすぎてませんか?ってことだよね。

 

何か他のものに没頭するために車買わないとか酒やめるとかタバコ吸わないとかっていう離れなら他の自分にエッセンシャルなものに没入するための他からの離れじゃん?それは大いに良い離れなんですよね。何しろ軸が「好き」でしょ。言わばキリスト教が普遍とするところの中心思想の「愛」ですよね。何もそれは人間に向かわなくてもいいわけだ。というより人間に向かうのは大変すぎるよね。んでまぁ中世とかのアレもあってあとジーザスが色々と富とか所有について否定的で清貧っつー概念が美徳とされているけどそれより重要なのは愛だからね。

 

だから例えばレコード買い過ぎて他が不可避的に清貧にならざるを得ないという生活は対象への愛が中心になっている言わば生きた生を生きているわけで奴隷のそれとは程遠いところにあるんだよね。真の自由だよね。自分が見出した愛にコミットし続けるっていうことでしょ。

 

ってことでここで終わってるんでそんな感じで。あともう一個ストックが残ってるんで今後それ貼りますわ。んじゃまた。