レコハン記。その10。

ういっす。ミックスアップしたんで。

 

soundcloud.com

soundcloud.com

soundcloud.com

 

いや、最近知ったんだけどカニエが急進的にキリスト教にコミットしてるらしいんだけど本人曰く「もう世俗的な音楽は作らない」とか言っててめっちゃ世俗的な本人はゴスペルのアルバムだと言い張ってるのをリリースしてたりしてなかなか笑えるなと(笑)

 

www.youtube.com

 

自分はジーザスなんだ!と言い張ってYeezyと名乗ったり「双極性はつらいよ」みたいなアルバムを出したり完全なるナルシストを拗らせすぎたかまってちゃんなんだよね。んでこないだ調べてたら「ヒップホップは悪魔の音楽だ」とかって本人の牧師さんにラップを辞めようかと相談してたらその牧師さんから「ラップでも神ついて語ることができるから」とかって励まされたらしいんだけどヒップホップが悪魔の音楽とか相当考え歪んでるよね(笑)

 

こいつ音楽への愛がマジでないんだなって思っちゃったよね。キリスト教的に言えば愛こそが本質なんであってそれが悪魔云々なんてのは相対的でボンフェッファーなんかも現世での善悪なんてのは恣意的なものだってキリスト論とかで語ってるわけだし本当に世俗的なキリスト教ってのはキリスト教をダメにするなって思ったよね。

 

まぁいつも書くけどキリスト教の世俗化はしょうがないにしてもまぁ例えば仏教だと日蓮がとりあえず南無妙法蓮華経って唱えてれば救われるぜって当時は文字読めない人とか高尚な理論とか教えを理解できない人が多かったからそういうキャッチーなマーケティングで信者を増やした的な世俗化の手法だったんだけどそれで言うとまぁ仏教も本質は難しすぎて万人に開かれているといっても難しいから開かれてないんだよね。

 

だから簡略化するしかないんだけどそこで勘違いするやつが多くなって宗教自体が歪なものになっちゃうんだよね。もうそれはどの宗教も同じでイスラムにしても過激派の思想の元となったサイイド・クトゥブの思想なんかを見てみてもそこまで物騒なことを書いてなくてそれを色々と書き換えたり曲解して異教徒は皆殺しだ!みたいになったりとかまぁ大体大元に責任が無いのよね。

 

後世で世俗化されて裏ビデオのダビングみたいにガンガン劣化していくことで歪なものになるっていうね、キリスト教にしても聖書読んだだけじゃ全然分からなかったり読んだだけでは文字通りで解釈してしまって違う理解になっちゃうとかっていうことがあったりなんかしてだからまぁ神学的理解というのが必須なんだけどぶっちゃけそんな時間かかるようなジャンルに手を出すことができないから思想は簡略化されてやたらセレモニーとか決まり事みたいなのに重点が行くんだよね。

 

宗教の形式化と形骸化だよね。「キリストは律法を終わらせるために来た」のにも関わらず後世の裏ビデオのダビングに次ぐダビングでキリスト教が律法化されちゃうっていうまぁキリストが見たら自分はキリストだけどキリスト教徒ではないって言うだろうね的な話だよね。マルクスが自分はマルクス主義者じゃないって言ったのと同じことだわ。

 

まぁただ結局カニエみたいなのがキリスト教!とか言い出すと業界的に利点があったりしてまぁより多くの人が宗教離れしてるんだけどまたキリスト教に立ち戻るきっかけになるとかっていうようなまぁコマーシャリズムですよね。でも本当に必要なのはキリストが伝えた福音を伝えて理解するということなわけでカニエの歪なゴスペルアルバムをばら撒くことじゃないわけだよね。

 

自分はキリストだ!とかって言ってたやつのゴスペルアルバムなんて大川隆法のイタコ芸のラップバージョンじゃねーか!って感じだよね(笑)ただなんかやっぱさ、宗教が危ないのって曲解されて暴走したりさ、ソースには一切そんなこと書いてないのにテロやっちゃうとかさ、オウムとかもそうだけどね、だからこその正統の理解ってのが必要だよね。それこそプリンシパルとなるようなものだよね。

 

そうじゃないとまた神の名のもとに戦争とか始めたり異教徒を排除だ!みたいなとんでもないことになるわけでそういう意味で宗教の安易な世俗化は凄く危険だっていう認識を世界の宗教者はどれだけ認識してるのか?っていうところだよね。それがエホバみたいなあからさまなカルトだったらいいんだけどカニエみたいなのがキリスト教だ!とかって言い出すと本当にヤバいと思うんだよね。

 

まぁアメリカの田舎のエヴァンジェリカルズとかは映画のジーザス・キャンプみたいな様相なわけで助けようがないんだけど宣教っつーところにフォーカスし過ぎてもっと信者を増やさなきゃ!っつーんで増やしたところで信者の民度とか福音なり教義の理解が浅すぎたらそれは宗教の劣化を産むわけじゃん?

 

だから安易に宣教するべきじゃないよね。小乗仏教みたいに人を選ぶべきだと思うんだよね。本当にガチの正統なものをフォローできる人だけが信者として宗教をエクササイズできるっていう感じじゃないと暴走を招くよね。これって構造的に民主主義の暴走と同じだよね。結局はまぁ衆愚化してしまうっていうことなんだけど。

 

まぁでもカニエが湯水の如く私腹を肥やすために散財しまくってるのを全額寄付するとか貧困層のコミュニティとかに寄付するとかね、そういうのをやれば思想はともかく行いはキリスト者らしいものになると思うんだけど本人がやってる音楽のミサとやらは招待生でセレブばっか招待されてるとか行くにもめっちゃ金かかるとか(笑)自分の苦悩をキリスト教にぶつけるってのはまぁ俺も同じようなもんだから分からなくもないんだけど結局まぁカニエって典型的な田舎の中流の白人の思想なんだよね。だからトランプ支持!とかになるわけでしょ?もっとコモンとかを見習ってほしいよね。

 

 

www.youtube.com

 

コモンって初期のアルバムとかだとやっぱ共産主義じゃね?みたいなことも言ってたと思うんだけど思想的に相互扶助なんだよね。まぁそういう思想を持った人だから特にキリスト教!みたいなのを前面に打ち出さなくても見た目とかオーラが良い牧師さんみたいになってるじゃん?んでまぁすんげーリリックにpersuadeされるっていうね、だから別にキリスト者であるということはなにも宗教を必要としないんだよね。ただもうその生き様とか行いとか日々の振る舞いよね。

 

本当にカニエはこれ以上さらに下品を極めてキリストすらも冒涜するのか!とか呆れちゃったよね。ヒップホップが悪魔の音楽っつーよりあんた自体が悪魔だからやることなすことサタニックでそれが心を蝕んでるんだから心から悔い改めない限り本人の悩みは一生解決しないよね。まぁ周りがイエスマンだらけだからそういうことを言う人もいないんだろうけどまぁ本当に惨めな人だなって思うよね。あんだけ金と富と名声があってもあれだからね。

 

ってことでまぁ今回のディスクレビューは噴飯物カニエのJesus is Kingと(笑)

 

JESUS IS KING

JESUS IS KING

  • 発売日: 2019/10/26
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

コモンの名盤Resurrectionなんでした。

 

www.discogs.com

 

www.youtube.com

 

って全然ディスクレビューしてないけど対極的な二人ってことでまぁいいんじゃないですかね。一方は個人の悩みをかまってちゃんみたいにぶちまけているある意味暴力的なラップより暴力的なアルバムで片方は凄くコンシャスでスマートなアルバムっていうことでね。

 

ってことでレコハン記の続きです。

 

完全にオカルトになるけど霊感ある人が「ここダメだわ」って感じる場所とかもまぁネガティヴだったり負の何かがあるわけでしょ。怨念やら残留思念やら何やらね。まぁ霊能力云々はともかく何かが発生する場自体に何かがあるっていうかそれはその場がトリガーしているのか集まった人がトリガーしてるのか分からないけどまぁなんかそういうのってあるよねって話だよね。あと逆に外見のレベルでは盛り上がってたりちゃんとしてる感じなんだけど寂れてる感じがするとかっていうその「感じ」よね。ようは。

 

その「感じ」とは何か?ってのがなんか音楽とかの良いグルーヴ感みたいな客観性ではない主観性としてしか捉えられないんだけど厳密な客観性がそこにありそうな確固たる言語化できない「何か」だよね。

 

つまりは俺は学問にせよ宗教にせよ音楽にせよその「何か」を求めているんだなっていうのに最近気がついたよね。分野は別でもディープでドープな部分では抽象的なんだけどその抽象の性質が繋がっているというか類似性があるっていうのかね、まぁ言語化できないものだから言葉で言ったところで何にもならないんだけどね。

 

だからまぁ言語化できる話をするとこないだ毎回貼る度に書く序文(笑)みたいなので和辻哲郎の風土の話を出したけど昔の宇田川町レコード三角地帯の場の磁場ってのがグルーヴなり音源への飢えによるものだったってことなんだけど結局まぁ当然ながら人間の志向性が行動を規定しますよね。

 

ただまぁ「これがレア!」とかね、「誰々プレイ!」みたいなのに踊らされる的な面もありつつ根源的に音源への飢えがあの独特の雰囲気を醸し出していたっていうところから言うと変な例えすると食い物が無くて飢えてた時代っつっても戦後とかじゃなくてFallout的な感じを想像してほしいんだけど資源が無さ過ぎてジャイアントなゴキブリとか核の影響で頭がいくつもある牛を食べちゃうとか(笑)それ食うの?っていうか料理とかでスープにするんですか!っていうようなのもまぁそういう風土が作り出している行動だよね。

 

その資源が無いっつーところですよね。んで食えるもんなら食わないと生存できないっていうね、で、ここが人間の面白いところでそれが例えばロボットみたいな存在が資源の取り合いなり普通そんなの食わないよなっつーようなのを食ってたりってロボットはモノを食わないか(笑)ただまぁそこで何が言いたいのか?っていうと人間の場合、当然ながらそこに感情が介在するでしょ?あと志向性が介在してそれが規定する行動というのが何も食に限らず見えなかったり気がつかないところで色々な要素に絡んでいるっていう。

 

一人そういうやつがいるっていうことならともかくそういう世界で大体の人がそんな感じになってるっていうともうそこで雰囲気が出てくるでしょ?食うか食われるか?って人肉食うかはともかくまぁ資源の追いはぎとかですよね。北斗の拳的な世界というかね、ポスト・アポカリプスモノとかの雰囲気って退廃した文明みたいなのもあるけどそこに住まう人間が醸し出すヴァイヴスってのもあるわけじゃん?数年前に大流行したゾンビものとかもそれの応用よね。

 

局所的だったらバイオとかみたいにバイオテロだのウィルスだのを巡る群像劇ってのはあってもまぁ基本的に軍なり治安維持的なものが介在して街自体爆破するとかクリーンにするでしょ?でもまぁウォーキングデッド的な世界観ってマッシュアップよね。マッドマックスとか北斗の拳的なポストアポカリプスモノとゾンビもののマッシュアップっつーかさ、なんかともかくゾンビ感染の度合いが半端じゃなくて文明自体がそれで滅びかけちゃっているっていう中で出てくる雰囲気よね。

 

Last of Usなんかでも敵で北斗の拳に出てくるような「ヒャッハー!」的なアウトロー集団とかさ、とにかく資源が無いから弾薬もさることながら生存のための資源全般に関してそれでもうドラマが生まれちゃうっていうね、まぁそれがヴァイヴスなのよね。基本あんま人信用できなくなるとかね、何しろ余裕がなくなるわけだから身を守るために攻撃的にならざるを得ないというところもあるわけでさ、そこの根源というのが言わば生存への渇望っていう飢えですよね。

 

食うものが無い以外にも身を守るものとかしばらくやっていけそうななんつーか普通に生活してる中では当たり前にあったようなものが無かったりするとそういうありふれたものの価値がめっちゃ上がるとかそれを巡って銃撃戦が起こるとかなんとか今ちょうど便意を催して「ブレインストーミングの時間だ!」っつってあーでもないこーでもないって考えて戻ってきて若干断絶してますけど(笑)

 

まぁようはそういう飢えとか渇きが生み出すヴァイブレーションですよね。そういう意味でまぁまた別のトピックになって話が広がっちゃうから広げないけどまぁ少なくとも人は飢えるべきではないですよね。最低限の生活は保障されるべきだわ。まぁそれはともかくあれだわ、んでまぁ貧困化とファストファッションって安易に結びつけるべきではないのかもしれないけどそういうファスト的なものとかミニマリズムというよりかは諦めから来るような生活全般のノームコア化とかってのもヴァイヴスなわけですよね。

 

画一化という意味だと日本は右に倣えなんで流行ったらみんなそれ着るとか聴くってのがあるにせよ90年代懐古になっちゃうけど裏原系だのなんだのって「は?」っていうようなTシャツに行列ができてみんなそれを買いあさるっていうんでまぁ高いわけよね。

 

そんなファッションに金かける余裕なんてなかったから現場の雰囲気分からんけどまぁすんげー恰好だな!っていう人が渋谷なり原宿を歩いてたっつーのがまぁ今はクリーン化したと言えば聞こえはいいけどノームコア化してんのよね。渋谷なのにファストファッションの店があるとかね、なかなかありえねーだろとか思いつつこないだ新宿ユニオン行ってきたときもそれこそ久々の新宿だったけどめっちゃ綺麗になってんのね。驚きだわ。

 

まぁそのノームコアってのも経済が安定して人々も消費とかに無駄に走らなくなった結果、めっちゃ地味になったとかならいいんだけど金が無いからノームコアになるしかないみたいなさ、だから若者の街っつっても若者のニーズに合わせられるからファストファッションの店があって当然なんだよね。

 

んでまぁそういうファストファッションを着ている若者が街を歩いているっていうただもはや若者の街という感じすらもしないけどね。だいぶ前に書いたけど全部通り道っつーかさ(笑)恐らくまぁ世界的に都市が並列化してつまらなくなってるとは思うんだけど音源への飢えにしろファッションへの飢えにしろがっつきが無い草食系の若者が醸し出すヴァイブスなんつったらまぁかつての渋谷のそれと対極にあるものなんだけどまぁでもニーズに合ってるってのは合理的ではあるよね。

 

何しろ音源に関してはその音源への飢えが宇田川三角地帯の磁場を生み出してたっつってもそれ言い出すと他もそんな熱狂の時代だからこそあったような局所的な異様とも言える磁場の感じってのはあるとは思うんだけどストリーミングとか定額で大体聴けるってのは言わば音楽のベーシックインカムみたいなもんよね。インフラよね。だからレコードなんてコスパ最悪じゃん!っつー意見は全くその通りで何にも反論できないよね(笑)

 

でもまぁしつこいようだけど音源への飢えがあったからこそ、あとそういう磁場の中に巻き込まれていたからこそ得られた知識とか感覚とか何より体験だよね。それはもう一回性のアウラ的なものだけど結局ネット的なもので並列化すると例えば音源にしてもいつ書いたか忘れたけどアンティークとかにしてもネットでカタログ化されてて閲覧できるって意味で別にその場に行かなくても見るだけならできるっつってもそりゃ現物見ないとなんとも言えないだろうってところはあるにしてもそういう消費されるものってのがネットを介するようになるとリアルの小売店が形骸化するよね。

 

それはよく書店で言われることだけどほとんどアマゾンでしか買わない俺なんてそういう意味でも恩恵に与ってるわけでなんとも言えないんだけどさ(笑)まぁその結果、例えばポスト・アポカリプス的な世界観でもベーシックインカム的なものが保証されればあとまぁ治安維持隊みたいなのがあればだいぶ文明っぽくなるでしょ。少なくとも飢えによる食うか食われるか?みたいな胃がキリキリ痛むような雰囲気はなくなるよねっつってもまぁそれプラスゾンビもいるからなんとも言えないか(笑)

 

でもまぁ飢えが生み出す良い部分もあるってことだよね。ある種の熱狂というかなんというかまぁそれは前にも書いたけど活字が手に入らなかった戦後とかに知的なものとか文化的なものに人々が飢えてたっていうさ、そこでまぁ今の活字離れというか本離れの世の中だったらまず売れ無さそうな大著みたいなのがバンバン売れたりとか、かといってもまぁそれでそれが精読されて吸収されて人々の血肉になってるか?ってのはまた別の話なんだけど飢えが生み出すものってまぁそういうものだよね。西田幾多郎全集が刊行されたときはドラクエ3みたいな時の書店への徹夜並び組がいたっていうそれってすげーな!って思うわけじゃん?

 

なんだろうね、言い方は乱暴になるけど今はオンラインでなんでも手に入ったり音源にしてもフィジカルで高い金出して買う必要無くてましてやHDとかも出てきて音源の劣化すらもないような中で音源への飢えなんてのを求めるのは時代錯誤なんだけどさ、でもそこでそんだけ音が大量に聴けて溢れてる中で例えばまぁ選択肢が多すぎると逆に困るっていう社会学とか社会心理学のリサーチとかもあるけどそんだけ溢れると聞き流すよねっていうか俺も聞き流すからそれはよく分かるんだ(笑)

 

んでまぁ実際ちゃんと聴いてるの?ってのを今回自問し直す機会があってんでまぁ懐古もあってレコードに戻るとまぁ前にもレコードに戻ったことはあったけどあの頃はまだ今ほどの深い絶望は無かったからね、今はマジでもう他に何もないから音にフォーカスするしかないだろう!っていう風に戻ってるっつーのがなんかレコードを熱心に聴いていた昔の自分と重なるところがあってね。

 

んであと実感としてレコードで聴いた方が集中できるっていうところもあったりして、まぁんでレコードに関する本とか結構最近読んでるんだけど所謂surface noiseとか音楽以外の要素で実際にレコードのほうが音に集中しやすい要素ってのがあるわけで「なんとなく」ではないんだなってのが分かったりもして面白いんだけどまぁただ枯れた盆栽的な趣味であることには違いないかもしれないよね。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。