内家拳徒然。2。

長すぎるやつは前みたいに分けるわ。

 

いつも書くことだけど趣味だけで生きてきたやつは常人なら10年かかるような趣味を数年でこなしてしまうからといっても習得系ではなくて消費系とか覚えなきゃいけないことが多いものではないこととか、あとまぁ覚えることが多くても学問をやる基礎がついてる場合、基本の方法論があるからそれを応用すれば早くできてしまうってのがあるって結果、趣味だけを十年以上やり続けると後には焼けた畑しか残らないというね。

 

だから今の俺が中国武術にハマっているのは今までやってきた数えられるぐらいの武術とは違った体の使い方ってのがあってそれはページ数にすれば数ページかもしれんけどやるとなると根本的な身体の改革が必要になるからすぐできない・・・っていう結果、もどかしいんだけどなかなか進まない・・・というのが楽しいっていうかやりがいがあるってのがあるよね。

 

人間って刺激無いと頭おかしくなるわけで日々生きられればいいっていう人も居れば日々ジャンキー並の刺激が無いと頭おかしくなるっていう俺みたいなタイプにとっては何十年後に生きていられるのか?ということより明日明後日強度を維持したまま生きていけるのか?というのが死活問題になるんだよね。

 

それは贅沢な悩みだと言われるかもしれないけど全然贅沢でも何でもなくて死活問題なんだよね。生きていられるか?ということに直結するから刺激がない=飯が無いぐらいのヤバさがあるわけよ。

 

いつもの繰り返しになるけどアシッドにしてもテクノにしても掘り始めてからもう半年以上経つけどさすがに今のペースで買ってると超ニッチな音源とか以外の定番みたいなのは大体集めてしまうんだよね。もちろんアナログはプレミアついてるんで諦めてbeatportでいいやっていうものもあるんだけど大半はアナログ買うほどでもないなっていう感じがしてくるのと集め始めた頃はアシッドってだけで感動してたけど耳が肥えてくると普通のやつには驚くほど反応しなくなるんだよね。

 

これは飽きとは違うんだよな。飽和なんだよね。ただ飽和は重要で次に行くステップでもあるんだけどアナログ聴いてるだけで幸せっつー生活ではなくなるということで飽和するということはそれの刺激がほぼなくなってるということじゃん?

 

あと避けなきゃいけないのが買い物をした!ということで得られる快楽ね。これは買い物中毒になるただのおバカな脳のビョーキみたいなもんでJKの生脚を見たらムラムラするのと同じような衝動性っつーか即物性があるよね。でも他に刺激が無いと「新しいものを買った!」とかっていう数日は続く快楽感かあとは「注文した!届くのが楽しみ!」というそれ自体に快楽を求めるようになるからこれって買い物中毒そのものですよね。

 

でもモノですらも上を見たらキリないけど自分が買える範囲のものだったら俺みたいに趣味以外の出費はこれまた趣味の飯以外は全くありません!ってやつが使える金を趣味にガン振りするというのを何十年も続けてると同じく飽和するんだよね。欲しいものが無くなるまで買い続けるってのは重要なんだよね。酸っぱい葡萄みたいな感じで色々と理由つけて我慢するより欲しいもんは買った方がいい。

 

まぁそんな生活を5年でも10年でも続けてればその都度趣味は変わりつつも買い方とかも上手くなってミニマルにお金を使いながら効果的に欲しいものを買うというスキルが身につくんだよね。あとまぁ一生モンとかなら金額なんてどうでもいいんですわ。

 

そうなるとそりゃ買うの無くなるよね。無くなって当然だわ。俺はコレクター気質みたいなところもあるけど筋金入りと比べたら全然機能的でこれは保存用でこれは使う用とかって二つ買ったりとか色違いという理由だけで買ったりとかそこまではしないしあとまぁレコードにしてもオリジナルとリイシューは音が違うから両方買う!なんてこともしないんで意外と底なし沼でもないんだよね。

 

だからまぁこの飽和して先が無い感じを打破しつつあるのが中国拳法なわけで、でもまぁこれって自分にとっての死活問題だから取り組み方が異常なのは自分でも自覚してるんだよね。他に色々あっての中国拳法でしょう・・・ってことにならんのよね。他が無いんだよ!っていう(笑)ゲームも格闘からFPSからオンラインから散々やり尽くしてきて飽きてるし超ビッグタイトルみたいなのはやるけどやり込んでも40時間ぐらいだから一瞬ですよね。んでそんなタイトル滅多にないわけで。

 

そうなると絶望的に他が無いよね。SMKでもそうだったけどアシッドでもある程度作ったからもういいや感が無いこともないっていうか同じことをやっても自分が飽きるだけだから手法を変えるとかアプローチを変えていくとかしかなくなるよね。まぁでも作るのは凄く重要なアウトプットだから飽きるということはないんだけどフロー状態を例えばもう何個も似たようなものを作ったっつー中で維持するのは難しいよね。ただの手癖でできちゃうみたいなものもあるわけで。

 

でもまぁこれって強みでもあるんだよね。ある意味命がかかってるから取り組んでることに必死になるわけだ。なんでそんなに必死なの?っていうと生死がかかってるからだよね(笑)これに取り組まないと退屈過ぎて死んでしまう!っていうのがあるから徹底的に取り組む!ってことになる。まぁ今までもずーっとそうだったしそのおかげで習得が早かったり三日坊主にならないで済んだりってことはあるんだけどね。

 

ただ武術となると命がかかってるってまぁ別な意味で本来の武術は命がかかってるんだけどやっぱりマジなの以外は習いたくないし接したくない!ってことになっていくんだよね。んでまぁ一般的にもそうだけど前にも散々書いたけど中国拳法なんて9割ぐらいが胡散臭いから(笑)本場でもヨーロッパでも自称グランドマスターみたいなのが適当な教え方して、ただまぁ素人目には分からんからカンフーに憧れる若者はどんどん入門するみたいなビジネス化が凄まじくてっつってもまぁビジネスにしていかないと食えないからしょうがないんだけどまぁ当たり前だよね。よく考えれば。

 

道場がこんだけ世界にあって全部の師範が完全なるマスターだったら世界中マスターだらけってことになるじゃん?(笑)でもまぁ本当に世界で見ても数とは裏腹にガチなのって超少ないんだけど素人がそれをガチかどうか見極めるのが分からないから胡散臭いところが儲かるっていうね。

 

んでまぁ例えば少林寺とかにしてもさ、少林寺改革した僧ってのがいてまぁ日本の高級車乗り回してる生臭坊主みたいなやつなんだけど少林寺を観光地化してブランディングを行って徹底的に金儲けしようっていうまぁ少林寺が儲けるというより国の政策ですな。んでまぁそれを上手くやった坊さんってのがいるからミステリアスな少林寺なんてのはほとんどなくてまぁ大体観光地化されてるか商業化されてるっていうね、まぁ中に入ってそこに骨を埋めるぐらいの覚悟じゃないとガチなのはやれないみたいなね、まぁそれはしょうがないとは思うんだけど。

 

なんかでも思い込みで本場は凄いんだ!ってのがあるじゃん?でも今はグローバリゼーションの時代ですよね。カルチャーが軽チャーになる時代だからカンフーもまた然りなんだよね。で、こないだ自分は中国語の本で今学んでる武術の本を読んでいるなんて書いたけどその本がガチかどうか?なんて分からないわけですよ。まぁ圧倒的に出版数は中国語圏の方が多いし日本のやつは壊滅的でちゃんとしたのを見つけるのに苦労するレベルなんだけど中国語圏でも日本人から見ると本物っぽく見えても実際は普通の書店の体育コーナーにあるような浅い本とか(笑)少林寺ブランドを使った金儲けのための本だとかってのが溢れてないほうがおかしいって思うわけよね。

 

なんかさ、例えばニューヨークにしてもそうじゃん?アートの聖地!とか音楽の聖地!っつってもしょうもないランキングに入るような音楽ばっか流してるクラブとかがいっぱいあったりアートなんつっても大したことなかったりとか街を行けばその辺でフリースタイルでサイファーしてるとかってイメージがあるけどなんでもネット化してグローバル化してると場ってあんまり意味ないからね。

 

それこそ本場じゃなくても日本でもめっちゃ上手いフリスタのラッパーと知り合ってしょっちゅうサイファーしたりスカイプとかでもやるとかってやったほうが練習になるしいや、何が言いたいのか?っていうとニューヨークは聖地だから凄いラッパーとかヒップホッパーが腐るほどいるんだろうって思うけど別に関係ないよって話なんだよね(笑)

 

ってことで続きますんでんじゃまた。