新作出たのでっつーのとあと長い宗教雑談ね。

というわけで今日は宣伝で。

 

A Study of Plunderphonics 2

A Study of Plunderphonics 2

  • 発売日: 2021/03/19
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
Works 1998 - 2018

Works 1998 - 2018

  • 発売日: 2021/03/19
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田川健三の本を読んでてっていうか神学学び始めた初年度にだいぶ読んだはずなんだけどまぁ今の方がよりちゃんと理解できるようになってんのかな。まぁ色々発見があってさ、例えばヨハネの黙示録なんだけど、あんな怪文章無視すべし!なんて書いたけど田川健三によるとその怪文章的な部分が編集者Sっつーサディスティックな変態が原文に付け加えたものらしくて黙示録の6割の電波じみた内容がその編集者Sによるものらしくて田川訳の新約聖書だと編集者Sの手が入ってない黙示録と手が入ってるやつってのが別々になってるんだけどなんだろうね。

 

認知的整合性が得られるから安心するとか思っちゃいけないんだけどあの異様な内容は編集者Sによるものだったのか!っていうか統一教会の今のボスとか歴史とか見てもまぁコーランにしても聖典の一部の部分を強調してそこを根拠として虐殺の正統性を唱えるみたいなイデオロギー的な利用はされてきてるんだけど黙示録って旧約っぽい感じの復讐だの殺すだのっつー話が出て来ててまぁ歴史的に悪用されてきたっていうか黙示録ってなんか一つの世界観じゃん?

 

全く魅了されないSFみたいなっつーかSFの先駆けが旧約聖書とか黙示録なんだとするとずいぶんと罪作りどころかヤバいもんだよなって思ったんだよね。まぁ聖書を批判的に分析するとか色々とねつ造されたりコピペだったりするっつーのは分かってても田川が言うように元の著者のギリシャ語が下手くそとか文章自体がヘタだったり表現に乏しかったりってのがあっても良いところはあるわけだし全てが台無しになるようなものじゃないからこそまぁ逆に批判的な研究が魅力的になるんだと思うんだけどさ。

 

まぁ色々と読んでてコーランはまだ最初のほうしか読んでないけど印象としては異教徒は殺せ!みたいに極端な解釈をされてる部分ってまぁコーランはそんなにっていうかコーランは・・・なんて言えるほど読んでないんだけど(笑)仮に数ある神がいたとして個々がその宗教に帰依して神を讃えてるならいいし他宗教へのリスペクトはあるんだけどダメなのが無宗教というか神を信じないものってことになってるんだけどこれが「異教徒」とかって解釈されて異様に攻撃的なイデオロギーとして悪用されてるんだろうなっつー予想が勝手につくんだよね。

 

ようは当時神を信じないってことは道徳なんてどうでもいいとか逆に神を信じてたら不信行為全般の略奪とか殺しとか姦淫とかはできないわけで信じてないやつ=キチガイっつー図式なんだよね。恐らく。そう考えると凄く真っ当で今の言葉で言えば「サイコ野郎は許されない」みたいな感じなんだよね。

 

いや、非常に当たり前だ(笑)神を信じる=表面的ではない本質的に道徳的であるってことなんだとしたら神を信じないやつはとんでもないやつってことになるよね。それを今の言葉で「神を信じないやつに災いあれ」なんて言うと偏屈な宗教だなって思われるけど当時のコンテキストではこんな感じなんで現代で言えば別に神とか宗教に帰依してなくてもいいんだけど道徳的なルール違反するやつは死んでくださいって話でそこは大いに同意するところだよね。

 

まぁキリスト教でもミュンツァーとかキルケゴール全集読んでて衝撃だったのが瞬間っつー雑誌に最晩年に書かれた強烈な教会批判とかっていうかキルケゴールってナヨナヨしたメンヘラ寸前の哲学青年かと思ってたらすんげー闘志なのねっていう真のキリスト者だったからエセキリスト教がよほど許せなかったんだろうという凄まじい怒りを感じるんだけどミュンツァーもキルケゴールも所謂、生臭坊主としてカトリックとかプロテスタント関係なく見た目だけの道徳を守って良いキリスト者のように振る舞ってるかのように見せて私腹を肥やしてるだのキリスト者にあるまじきメンタルを持ってるやつらが多いだのってすんげーお怒りなんだけどミュンツァーはルターも批判しててルターは宗教改革をしたのはいいけどあの見た目通りすんげー性格悪かったみたいで敵のミュンツァーに対してありもしないデマを流したりだとかとんでもないことをしてたんだよね。

 

あとまぁペストが流行ったのはユダヤ人のせいだとかQアノンもびっくりなデマとか陰謀論を唱えたりだとか、ロクなやつじゃないんだよね。だからまぁ真のキリスト者は常に異端だろうって前も書いたけどルターもロクなやつじゃなかったわけでミュンツァーの真摯さを思うとルターもカトリックと同じく憎たらしく思えてくるんだよね(笑)

 

なんか勉強すればするほどカトリックもプロテスタントも無いだろうって思っちゃうよね(笑)歴史的にホントにロクでもないよなっていうさ、キリスト教は真のキリスト者である以外、方法は無いなって思ったね。シモーヌとかも教会批判してたけど所詮は教会って社会の産物だからね。当然キリストの時代にキリスト教会なんて無かったわけだし。

 

まぁそんな感じでディープにディグしていくと・・・ってほどじゃないんだけど俺みたいな初学者レベルでも既存の正統とされるキリスト教のダメっぷりってのがどんどん露呈してきて逆に学問的に真のキリスト教とは?ということをより知りたくなるんで学べば学ぶほどどんどん知りたくなるっていう最高のサイクルに入ってるね。

 

それにしてもまぁあれだわ、こないだふしキリについて調べててまぁくだらない俗流の物とかを調べてるとキリないし俗流の世界はかなりの時間を持っていかれる泥沼だから一切読んだり考えたりするのをやめようと思ったんだけど、あ、んでふしキリ批判のまとめサイトの関連のまとめでなんでこんなやつが日本の有名な宗教学者なんだ?とは思ってたけど島田裕巳の文章とそれを巡るツイッターのやり取りが本当に酷くてまぁ詳しく書いてる時間すら惜しいんで詳しくはググってもらうとして、まぁその宗教的なものの扱いの雑さですよね。

 

宗教学者なのになんでこんな雑なんだ?って唖然としたんだけど島田の文章でアゴラっつーサイトに載ってるやつなんだけど池田信夫もどうしようもないやつだと思うけど島田裕巳もなかなか香ばしいことを言っていてアメリカ人はセックスを罪と考えているとか言ってるのね(笑)

 

なんでか?っていうとアメリカ人の9割以上が神を信じててキリスト教を信じてる人が多いんでそれがそのままセックスは罪だと思っているっつー話になるらしいんだけどまぁアメリカ人ほどあんなスポーティーにセックスするやつらもなかなかいないだろうっていう現実と乖離した話なんだけどさ(笑)んで理由はっつーと原罪ってのがユダヤ教っつーよりキリスト教だと蛇に性的に誘惑されたイヴっつー全く聞いたことが無い解釈がなされたらしくて(?)その原罪がつまりはセックスに目覚めたっつーことなんだそうでだからそのままそれが原罪の解釈になってるからセックスは罪なんだろうだけど突っ込みどころ満載過ぎるけど(笑)原罪ってそんな簡単に語れるものじゃないですよね。

 

把握できないぐらい厳密に分かれているカルト認定されてない分派を入れればその数だけ原罪の解釈とかオフィシャルな見解があるわけで正教系とかだとミステリアスなものとかっつーあやふやっていうか実際に旧約聖書が支離滅裂だから(笑)現代的な感覚で解釈するのが無理なのも当然だろうって思うんだけど特に解釈を決めてなかったりするんだよね。

 

カトリックだと所謂一般的に言われてるような神に禁断の果実を食べるなって言われているのに食べたという神への不服従が原罪だと言われてるけどまぁこれがどう考えてもスタンダードだろう。まぁ俺は旧約の世界観はどうでもいいんで全く気にしないんだけど(笑)なんつー大雑把な現在の解釈なんだろう!って唖然とするよね。

 

神学を勉強してもう10年!みたいな人がいってるわけじゃなくてまだ初学者の俺でも突っ込めるレベルのことを専門家が言ってるわけでしょ?んでそんなのが載るわけだからただですら曲解されてるのにまたさらに曲解されるよね。

 

あ、んで俗流宗教の話はいいんだけど田川健三の訳を読んでてこれはフルの訳と注を読まないとダメだなと思ってっつーかまぁ井筒の話でも書いたけど古典とか聖典をそのまま読んだんじゃ厳密な読み方なんてできるわけないんで読むための膨大な予備知識を必要とするっつーところなんだけど新約は田川の執拗なぐらいの注がついてたほうがいいなと思ってまとめ買いしたんだよね。

 

知識が浅かった頃は注なんつっても文献学的なトリビアだらけなんでしょ?って思ってたんだけど成立の背景とか高等批評的なこととかも含めてそもそもの原文を理解するのに膨大な注を必要とするわけで今後も色々と読むだろうけどとりあえず田川の訳と注をフルで読んでみようってことになったんだよね。

 

まぁ特にそう思ったのが最初に書いた黙示録の話なんだけどさ、逆に知らないままでいるとヤバくない?と思ったんで最初に読まないとダメだなって思ったんだよね。かといってもいきなり読むには敷居が高いんだけど今の俺ぐらいほどほどの知識がついてきたら読めるだろうってのもあって読もうと思ったんだけど本屋に行くと「これ一冊で分かる!聖書!」みたいな本がすげーあるじゃん?ああいうの見てると本当に反吐が出るんだよね。キリスト教のコーナーに行ってるのに俗流の本が多かったり学術的に見せといて実際はゴリゴリの信者が書いてる場合、まぁ信者っつーバイアスがかかってるから当てにならないじゃん?

 

カトリックの教義とかルールの外をはみ出たら干されて食えなくなるからっつー理由でカトリック思想家とかだったらカトリックっつー枠内で全部おさめたり都合よくまとめたりするのはまぁマルクス主義思想家とかジジェクみたいなラカニアンというところに異様にこだわる人とかってまぁまず無理よね。還元主義になるから論理が前提としてる全く科学的根拠が無かったり知的価値が無いようなものに依拠してる場合、論理がめちゃめちゃになったり論拠としている理論の護教になるから結局はマルクス主義は形を変えたキリスト教だなんて言われるのもそういうところだよね。

 

なんでも何かが絶対的に正しいって価値観は置いておいてそれは科学とか数学以外ありえないですよね。白人の思い上がり的な知らないうちになぜか白人を至上でスタンダードとする価値観になっちゃってるような初期ロールズみたいなリベラリズムとかも文化の多様性ガン無視じゃないですか?

 

行き過ぎのPCとかもそうよね。なんかさっき読んだんだけど海外のコスプレイヤーが日本のキャラクターの恰好をすると文化盗用になるとか(笑)なんでそこにヒエラルキーが存在してるの?って話だよね。日本人がスーパーマンの恰好をしてもいいわけでしょ?でも逆だと文化盗用になるっつーとなんか有名ブランドがどっかの第三国の民族衣装をサンプリングしたとかで文化盗用とかっていう風になるのも勝手なヒエラルキーだよね。

 

サンプリングされた側が騒いでいる場合はヒエラルキーを認めちゃってるんだよね。サンプリングされた側が仮に映画とかでアメリカ風の演出を取り入れても文化盗用にはならないわけでしょ?

 

あ、んでなんか話逸れたから話し戻すとこれはヒエラルキーってわけではないんだけど自国の文化とあんまり関係ないものの扱いをぞんざいにするってアウトですよね。まぁファッションとかの場合、盗用だ!って言う場合はまぁ伝統衣装っつー民族に根差したその民族にとって重要な意味を成すものを勝手に使うな!ってことなんだろうけど、まぁそれはともかく日本の場合、ヒエラルキーは無いけど似たような雑な扱い方よね。

 

あーでもこれ前に書いたからいいか。まぁようは今はさすがに違うかもしれないけど一昔前のアメリカ映画の日本レストランとかのオリエンタリズム満載の東洋エキゾ感満載の偏見だらけの東洋ってだけで色々と一緒くたにされるっつーようなね、まぁそれは彼らにとっては属国だったりどうでもいい国の話だからいいのかもしれないしまぁ気をつけろよとは思うけど騒ぐほどのことでもないよね。まぁアホなやつらだなって日本人は思うわけで。

 

ただ宗教の場合、デリケートじゃん?それでほぼ問題は起こらないんだけどただふしキリとかさっき書いた島田みたいな適当なのが全くチェックされずにってまぁチェックはされてるんだけどあまりに適当すぎる宗教の扱いの問題性だよね。まぁ信じるやつがどんぐらいいるのか分からないけどアメリカ人はセックスを罪だと考えているって逆エキゾだよね(笑)キリスト教っつー日本人にはエキゾな宗教を信じてるやつらはどうやらそうらしいぜ!っていうような理解だよね。

 

まぁこれはヒエラルキー云々は抜きにして仮にそうだとしても今は国と国の距離が近くて世界の何パーセントは宗教離れが凄まじいにしてもキリスト教だったりイスラムだったりするわけで、そういうデリケートなものの扱いがそんなに雑では軋轢を生む原因になりかねないぞ!ってことになるよね。

 

まぁ別にそれは他の国でもそうだけどね。アメリカ人がじゃあヒンズー教についてどのくらい理解してるのか?っていうと平均的な理解は低いだろうしやっぱ関係が深いものの理解がより近いのはしょうがないにしても、今の世界だと最低限の理解とか理解してなくても配慮が必要なんだよね。問題が起こるレベルの無理解はやめようぜっつー話だよねっつーのがまぁ偏見に満ちてるとリベラルになれないってこないだ書いたことなんだけど。

 

まぁ最たるものがイスラムだよね。誤解される原因を作ってる過激派が元凶にしてもバカなアメリカ兵とかがコーラン燃やしたりとかさ、アメリカの牧師だか神父がイスラム教は邪教だ!とかって言ったりだとかね、宗教の浅い理解がようは歴史的に戦争とか殺戮を生み出してきたんだよね。

 

 

近代だと明らかに喧嘩を始めたのはアメリカでどちらかと言えば異教徒というより「ムスリムを殺せ!」的なプロパガンダを世界的に流布させてムスリムを悪者にするっていう構図があって、でもそれは率先してやっているアメリカみたいな国も相当悪いけどそれをそのまま無批判的に受け入れちゃう側も悪くてそれはようはムスリムへの無理解なわけだよね。

 

まぁムスリムというよりイスラム理解か。だからまぁ今回書いてるような宗教に対して極端な無理解の状態でいることはできないってのはそういったプロパガンダに踊らされてムスリムを悪者にしてしまうような危うさがあって、ようは喧嘩を仕掛けている側の一種のデマみたいなものをそのまま信じて「アメリカの言うとおりだ!」って言っちゃうのは戦争に加担するようなものなんだよね。

 

あとやっぱり過激派っつってもなんで過激派が出来上がるのか?っていう構図の理解も必要でそれはようはなんでやくざが出来るのか?っていうことと似てる部分があると思うんだよね。ようはヤクザは被差別部落出身とかが多くて育ちが荒れた場所ということもあるにせよ社会に出て差別されるからヤクザになるぐらいしか道が無いってのはまぁ貧富の格差で貧する側がギャングになりやすいっていうのと同じなんだけど過激派にしても一方的な宣戦布告をされて世界も宣戦布告をした側の論理でしか理解をしていないから直接行動!ってことになるのは別にテロがイスラムの特権なんじゃなくてテロ全般がようは鈴木邦男さんが定義するような言葉を届けられないものの最終手段ってことになるんだよね。

 

まぁようは直接行動というロゴスよね。右翼で言う肉体言語ってやつだわ。テロはダメだ!っていう単純な理解ではテロは理解できないしイスラム過激派は過激派だから極端にしても少なくとも礼拝中のムスリムを殺すようなユダヤの過激派とかとは違うわけで過激派でも色々あるからね。IRAとかパレスチナ解放機構とかはまぁそんなに詳しくないけどロジック的に独立運動とか無理やり統合させられそうになっていることに対する反対運動だったりするわけでやたらテロという方法論とか武装蜂起をしているっていうところが目立つけど各テロリストにロジックがあるからそこをアンタッチャブルなものとして扱ったらダメで同調するという意味ではない理解が必要なんだよね。

 

まともなテロリストとそうじゃないトンデモ系がいるってことだよね。テロリストっつって一緒くたにするのは簡単だけどそうじゃないのは例えば極右組織なんてのはトンデモの宝庫でテロリスト認定されなくても実質事件を起こしている白人至上主義団体とかネオナチとかカハネ主義みたいなようは選民系の思想を持ったやつらって頭おかしいじゃん?

 

でも独立系は方法に問題はあってもそんなのと一緒にするなよ!っつーところだよね。まぁ自分の極左バイアスが働いてるのは認めなきゃいけないにしても(笑)少なくとも極右系は「ゲリラ」とは言われないですよね。偏屈な民族主義なわけで。

 

んでまぁイスラム系の場合でもタリバンだって強硬派と穏健派がいるぐらいだから一概に「イスラム系の過激派」とか「テロ組織」とは言えないんだよね。一番危ないのが「テロ組織だから壊滅させろ」っつーような単純なロジックだよね。これがまぁようは受動的に戦争に加担してしまうというところなんだよね。

 

なんか久々にウォール伝らしいはてなブログのシステムチェックとかから警告が来そうな感じのこと書いてるけど(笑)悪のレッテル張りって楽だからね。ただまぁ完全なる悪ってのはあってそれはネオナチとか白人至上主義とかカハネみたいな選民・民族主義だったりするんだけど同じテロリストでも繰り返しになるけど独立のために武装蜂起をしてるだとかテロリストのレッテル貼りをされてるけど実際は権力側の抑圧が凄いから抵抗運動をしているっていうことだったりするわけでしょ。

 

パレスチナで抵抗運動してる人をテロリスト呼ばわりするのも簡単だけどこれは問題が明らかだからレッテル張り感半端じゃないけどタリバンとかは微妙だよね。何しろタリバンの設立者みたいな人が元はソ連の侵略戦争に抵抗した英雄だったわけでさ、ムジャヒディンよね。んでまぁ色々あってデカくなったらまぁタリバンつっても強硬派ばっかりじゃなくて内部でも色々あるとかってことも含めてまぁ一元的じゃないんだよね。

 

宗教音痴過ぎるとこの辺の宗教絡みの連中はみんなイッちゃってる人たちっていうファナティックなイメージしか湧かないし俺もかつてはそうだったし今ほどネットが復旧してないっつーかあと学も無かった911以降なんてまぁそりゃアメリカ応援してたからね。

 

ただまぁISISとかに関して言うと仮に好意的に見たとしてもただのチンピラ集団だしトランプの空爆で死んだボスってあいつギャングみたいなやつじゃん?(笑)北朝鮮には北朝鮮のロジックがある!なんつってもそりゃもう無理っすよ人権的にっていうレベルのものはやっぱり国際的に無理よね。

 

その辺のラインよね。論理は分からないけど完全にイッてるやつらとそうじゃない連中もメディアは一緒くたにするからその辺の道理ってのは宗教音痴だと分からないし今回書いたような低いレベルの宗教学の理解とかでも無理だから相互理解とかも無理にしても一方的なプロパガンダに洗脳されないぐらいのリテラシーは必要ってことだよね。

 

ただまぁ宗教をある程度理解すれば普遍的な論理とか倫理とかはありえないってことが死ぬほど分かるし無宗教の考え方ってのもようは相対化すると一瞬の独特の考え方なわけで、「ありもしないものを信じるなんて」っつっても宗教の質はともかく何らかの形で神を信じてる人たちが世界人口の相当な割合を占めてるって事実があるんだったら日本人的な文化として神道とか仏教とかがあるけど宗教としては・・・っていう無宗教ってのはそれもある意味宗教みたいなもんだし無宗教だから宗教的なものを胡散臭く思うとか軽く扱うとかってのも一つの行動様式とか考え方を産むわけでね、ふしキリの話とか島田の話とかはしないけど(笑)ああいうのが普通にまかり通ってるってのはやっぱヤバいよね。でもそれはある程度宗教の中の人にならないと分からない感覚なのかな?とは思ったよね。

 

まぁ俺は学問としての宗教全般が面白いとは思ってるけどそれ以前に真のキリスト者でありたいっていう動機づけのほうが強いからそういう意味で中の人なんだよね。逆に中じゃないと他の思想とか信じようとは思わないけど文献的な知識はあるぐらいの外から見た宗教の感覚とかだと肝心なところが曲解されたままとかね、相当適当でもキリスト教信者で居続けられるみたいなファジーさとかさ、まぁだからハードコア化しろ!って話ではないんだけどハードコアな人が正統のっていうかそれはカトリックとかプロテスタントっていう意味ではなくて学問的にも宗教的にも正しい正統性を持って説明できる必要があるよね。

 

あらゆる分野に優れた知識人がいるってのは社会のバロメーターみたいなもんだから日本の宗教音痴は放っておけない状態なんだなってのが本当に分かるよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。

 

んじゃまた。