将来への不安について。

・・・とまぁタイトル通りなんだけど俺はそういうのとは完全に無縁であるというか縁を切ったから悩むことはないんだけどっていうのは散々色々と書いてきたようにそんなもん形而上学みたいなもんだからだよね。

 

「30年後を見据えた」とか超能力者か?っていうさ(笑)なんで今の時点で将来のことがわかるのか?ってことだよね。若い世代は年金がもらえないから20代から投資をするという人が増えてるっていうのは貯金するよりかはいいと思うし金融リテラシーとかがつくから全然いいと思うんだけど仮によ、すんげー好きな趣味がありますよとかね、めっちゃギター好きなんです!とかね、変な話、へたくそなんだけどギターフェチなんです!なんつってコレクションをするのが好きとかっていう客観的にみると非合理的にしか見えないことをすべて「生きること」に捧げてそういった実際は心に栄養を与えて人生を楽しくしてくれているとか「これがあるんだから生きられるんだ!」とかっていうのを犠牲にしてまで生きる必要があるのか?ってことだよね。

 

最強なのは無趣味でそこそこ収入があって仕事も安定してて貯金もあるんだけど趣味がなさ過ぎて金の使い道が分からない・・・みたいな人が着実なタイプの投資をすることだよね。で、その投資が趣味ですってなったらまぁまさに好きなことで生きる!ってことになるんだけど投資するにしても貯金するにしても金がかかりすぎるような、家族とか奥さんとかには常に反対されるような趣味を諦めて貯金するとか投資に回すってのはどうなんだろうか?ってことだよね。

 

いつも書くけどそれって先のことを考えるという行為によって今を生きずに今を殺して先を生きようとしてるわけじゃん?しつこいようだけど無趣味な人はいいよ。んでマネーゲームが趣味とかだったらいいと思うんだけどギターコレクションが趣味!とかビートルズに関するものを偏愛して収集することに人生をかけている人!とかさ、俺は素敵やんって思うんだけど仮にそういう人がね、金があってやってるんじゃなくて全部をそのためにつぎ込んで生きてるって人が先のことを考えて生きるためにそういった非合理的な趣味を諦めて将来のために貯金をするってことをし始めたら一気に精神おかしくなるか覇気がなくなるよね。

 

やりたいこととか好きなこととかさ、好きなものって第三者に理解可能なものじゃないことが多いじゃん?フィギュアに囲まれて生活するのが好きですっつって何千っつーフィギュアに囲まれて幸せ・・・って思ってる人が先のことを考えてフィギュア趣味をやめるとかね、まぁフィギュアを集め続けるのが結果的に将来的にプレ値になるような投資とかって結果的になるかもしれないけどなんならまぁフィギュアとは言わずにリセールの可能性がほぼないようなものに囲まれて生活するのが好き!とかって人でもいいんだよね。

 

ようはその「好き!」を殺して生きるというのは自分を殺して生きるってことだよね。つまりはそれは身体的生存のために心を殺して生きるっていうある種の自殺なわけだ。だから自殺した生というのはありえないので生きていても生きているとは言えないわけだ。

 

そこそこ収入なり不労所得があって激しすぎる収集癖に若干歯止めをかけて貯金や投資に回す・・・ってのはいいよね。諦めずにただ激しすぎるからバランスを取るというのはいいと思う。でもそれをやれる人が今後どのくらいいるのか?ってことでしょ?みんな貯金したり不安ベースで投資したりするのも余裕がないっていう観念から来ている場合が多いわけでそういう場合、分けるなんてことができる余地がなくなるんだよね。

 

大した収入じゃないけど全額つぎ込んでるから幸せになれるぐらいの分量を買えるとかね、「いつ死んでもいい」って思えるぐらい今を生きているならその人が一番生きてるんですよ。ぶっちゃけギャンブルとか酒とか女でもいいよね。女っつっても風俗ね。それに狂って借金まではダメだけど貯金には一切回せないってぐらいハマっててそれが生きる理由とか生きてる!って実感できることだったらそれをやるべきだよね。

 

そこを何か不安をあおるような記事とか人とかに諭されて「ダメだ!我慢せねば!」ってことになったらもう人生が我慢と不安ベースだよね。あと意味不明な老後設計ね。何歳まで生きるかもわからないし仮に100歳まで生きるとしたら老後に必要になるお金は・・・なんて試算されてる額を余裕で超えるでしょ。

 

それを年金に頼らなくても自力でやっていける貯金なり資産を持っておくってことになったら社会に出た時点でもう死ぬときのことを考えながらヨボヨボになっても生きながらえるために自分を殺すという別な意味での人生の早期リタイアをして自分を殺して肉体のみを活かすということになるよね。

 

ただまぁ凄まじい浪費癖とか金のかかる趣味とかコレクター欲とか非生産性の塊みたいな俺(笑)に言わせると金持ちになるか親のすねを齧るかヒモになるか手法はモラルの範囲でやればいいんだけど若い時から全く我慢するということをせずに好きな趣味とかコレクションとかをやり続けると今は便利になったのもあって昔は生涯かかったものが今では数十年で終わるんだよ(笑)

 

コレクションといっても何々の何バージョンは何と違うからという微妙な差異まで気にしてそれすらも手に入れないと気が済まないという人は別として、俺ぐらいの好事家の場合、金を常に好きなことにつぎ込んでればいつか終わりが来るんだよね。レコードとか音楽にしても掘るのが好きなんだけど今はユニオンとかでもジャンル別に細分化されたものが検索できちゃうから逆に出向くというのが非効率だったり視聴できないからギャンブルで買うってことになってジャケ買いとかをして大失敗するとかね、こないだもユニオン行ってきたんだけど今はテクノ熱が異様に冷めてしまってっていうか機材を修理に出している間に神学に戻ってきて一気にフォーカスが神学になっちゃったってのもあるんだけど、だからまぁニッチな宗教題材の現代音楽を探してるんだけどまぁ大体そんなもん検索するとわかるんだよね。

 

んで有名どころなんてのは大体分かってクラシックとかって12インチのテクノを何千円で買う世界からすると激安だから一瞬で集まるよね。んで集まったけどなんかもっとないのか?っつって調べてもまぁないんだよね(笑)

 

ないのに「あるはずだ!」という幻想を求めて実際は在庫検索して気になったのを検索かければ大体定額サービスで聴けるか(笑)聞けたらこんなものかっつってCD買わないなってのが大半の中で視聴せずに買う!なんてギャンブルを楽しんでるようなもので非効率的だよね。というかこれは「買う!」ということとか「当たりだった!」という自己満足を得たいための快楽のための散財なんで意味ないんだよね。

 

でもそれ言い出すとレコード屋にすらもいく必要が無くてしらみつぶしに検索していって気に入ったのがあれば大体聞けるから聞いて本当に気に入ったら買うってことをやってると良いものは一瞬で集まっちゃうんだよね。しかも圧倒的にハズれが少ない。

 

・・・で、ここで終わっちゃうからそれが嫌だからクラシック館とかの現代音楽を探しても大体宗教モチーフのは知ってたりストリーミングで割と気に入って聞いてた時期があったけど一応盤を買っておくか・・・みたいな感じで買うんだけどただそこで買いたいっていうだけなんだよね(笑)昔楽しかった行為の反復をしたいんだけど便利になり過ぎてもう大体持っているというね。

 

山ほど買いたいのにかごに入ったCDを見ると一般的にはそれでも多いかもしれないけど俺的にはめちゃめちゃ少ないんだよね。で、クラシック系なんで高いこともないんで出費も大したことないわけで、でもそれでもハズれがあるとただの場所を取るいらないものになるからこういうのを増やしてもしょうがないと思うから買うとしてもネットで視聴するっつー石橋を叩いて渡る手法が金銭的というよりかはゴミを手元に増やさないという意味でそれが一番いいってことになるんだよね。

 

まぁだから外に出ても行くとこがどんどん無くなるわけだ(笑)あと着倒れ趣味はまだ終わってないけどこれもぶっちゃけ形がいろんなバリエーションとタイプとブランドで揃ってしまうと店頭で試着して良いと思ってもすでに持っているということが多くなって買うものが無くなるんだよね。だからどんどん単価が高くなるような一点ものとかそのブランドが挑戦的に作ったような攻めたものとかを買うようになるんだけど、モノの性質上、そういうのが毎シーズン大量に出るということはないから買ってしまうともうそれで揃っちゃうんだよね。

 

だから買いたいのが無くなったらどうしよう・・・ということになる(笑)いや、何が言いたいか?というと我慢せずにやってると限界が来て出費をする必要がなくなるということなんだよね(笑)

 

まぁこれは「モノ」の場合でギャンブルとか酒が好きとかって人は永遠に飽きないだろうけどでもまぁ飽きる人もいるんじゃないかと思う。で、結果的に意図しないミニマリストになっちゃうんだよね(笑)ミニマリストとは正反対の散財の悪魔みたいなやつだったのが買いつくしてミニマリストになってしまうってことだよね。

 

だから結果的に今を生きてるやつが常に勝つ!ってのが俺の持論なんだけどね(笑)5年後急病とか事故で死んでも最高に人生楽しんでぽっくり逝っちゃった人ってことで勝ち抜けですよね。じゃあ仮に大学在学中から終身雇用制度の崩壊とか年金制度の崩壊に震えて何もかもを我慢してやりたいことも我慢してひたすら労働をして将来の貯えにだけフォーカスするという心を殺して身体だけ生かす生き方をしてきた人が5年後ぽっくり逝ったら悲劇だよね。あんなに老後だ年金が崩壊するんだ!とか口を開けばそんなことばかり言ってたやつが老人になる前にまだ老人から見れば子供みたいな年齢で逝っちゃったね・・・っていうね。

 

人はなぜか老後を心配するレベルまで健常者として生きるって錯覚してるよね。で、その生きるということに対してそれを阻害するリスクをヘッジするということが人生の目的になっちゃう。でもじゃあ突然死に対するリスクヘッジできてますか?ってことだよね。もしくは現役バリバリの時期に難病にかかっちゃって死んじゃうみたいなことに対してリスクヘッジできてるか?ってことだよね。

 

じゃあそのリスクヘッジとは何か?っていうとずばり今を楽しんで生きることなんですよ。明日死んでもいいぐらいの気持ちで生きる。もしくはそのぐらいの生き方をしないとアル中にでもなるかヤク中になるしかないからそういう生き方しかできない人もいるよね。

 

でもそれはいつ死ぬかわからないということへの最大のリスクヘッジなんだよね。もちろん家族とかがいてお金とか財産を残さなきゃ!っていう人は別で、まぁそれは社会的責任なわけで結婚して子供を産んだ時点で発生する責任だからしょうがないし、それは自分で選択した責任なんだから全うするのは当然として、独り身かあとはパートナーがいても特に扶養がどうのという経済的に依存しあってるような関係じゃない場合、全部自己責任だよね。

 

だから好きなことをやり続けるのは自己責任で!っていうけど我慢するのも自己責任で!ってことだよね。老後という発想には全く死の概念が抜けているのに恐ろしさを感じるよね。メメントモリでしょ。これも平和ボケの一種なんだろうなと思うんだよね。

 

ほかの国ではいきなり空爆が来て死んだりテロで死んだりする人がいる中で形而上学的な老後の不安を抱えてその恐怖に耐えかねて、もしくはその生の全く生きていない死んだ生に絶望して死ぬとかナンセンスの極みだよね。空爆とか内戦がないとか治安が抜群にいいというところに感謝して今を楽しめる方法なんて内戦とか空爆がある国に比べたらいくらでもあるわけなんだよね。

 

なんで生きることは正義なんでしょうかね?楽しく生きることが正義ですよね。自分を殺してまで生きるのって正義でしょうかね?キルケゴールなんかも言ってるけど絶望って罪なんだよね。絶望を自覚してて生きているという罪ですよね。キルケゴールは下手な自己啓発本とか老後も安泰!なんつー本とかよりもよっぽど心を安らかにしてくれるんだよね。今を生きないということの罪とか自己との関係を忘れて引き起こされる絶望とかね、瞬間瞬間が聖なる瞬間で今にフォーカスすれば呼吸すらも神の呼吸になり祈りになるわけでしょ。

 

それにフォーカスせずに生きることだけを考えるってのは人間的堕落ですよね。んでなんでもコスパコスパで金を中心に考えて文化を殺すっていうね、まぁ金がかからない文化を作るとか金に支配されない生活を作るってのはある意味反体制的でそれはいいんだけど金に縛られて金っつー観念に脅されて恐怖するっての瞬間における不幸の連続ですよね。

 

それが積み重なれば絶望になるに決まってるし心が病むに決まってるんですよ。それでも観念的な半世紀先の老後を考えて今を生きるなら自己責任でお願いしますって感じだよね(笑)それが確実な老後へのお金不足のリスクヘッジになるならともかく、貯金なんつっても物価が上がれば貧乏になるわけで、今10万月に貯めてますっつーのが5年後に相対的にその10万の価値が下がったら10万貯金したはずなのに8万になりましたっつーことになるわけで50年後の物価とか貨幣自体がどうなってるか?なんてのを予測できる人なんていないわけですよね。

 

なのに今のお金が絶対だと信じてるってのはイデオロギーですよ。ましてや50年後に生きているのか?というのを生きていると思うなんてのも妄想よ。なんでそれを前提にできるのかさっぱりわからない。ただ貯金とか投資とかが趣味な人はそれでいいんだよね。通帳を見てニヤニヤするのが趣味な人はそれでいいと思うんだけど好きなことを我慢してまで生きるというベクトルの貯金をしてる人はどうなんだろう?って思うよね。

 

その貯金をするたびに魂は抜けて行ってるんじゃないか?って思うんだよね。逆に誰かに批判されようが好きなことをやってみたらさ、それが風俗でもギャンブルでもなんかのコレクションでもとにかく好きなことに金使ったら金はなくなるけど魂は満たされるでしょ。いつかはそれでも満たされなくなったら飽きたってことだからほかのことをやればいいしそれでもほかのことにも飽きたら他もやればいいんだけどいつかは無くなるわけで(笑)そうなると結果的に出費は減ると思うんだよね。

 

散財が趣味な人とか買い物中毒の人は別だと思うけどね。モノ自体は買っただけで未開封で放置されてるとかそれは意味ないけどね、まぁでも散財が趣味で満たされてるならそれもいいんだろうね。おそらく。

 

ただ逆に我慢してきた人は金の使い方とかが分からなくて仮に好きなことだけをやろう!って思ったときに一気に抑圧からの解放が振れすぎちゃって一気に借金するまで好きなこととか好きなものを買ってしまうってことにもなりかねないよね。宝くじに当たった人が金銭感覚が狂って破産するのとかと同じだわ。

 

金を好きなことに使うってバカみたいに使うんじゃなくてレコードでも洋服でも楽器でもなんでも相場はどんな感じなんだ?とかね、まぁ今は調べればわかるけどさ、でもまぁ好きなことに金使い続けてればこれにこの値段はべらぼうすぎる!とか分かるわけじゃん?消費にもマネーリテラシーはあるよね。金の使い方とか運用にフォーカスされがちだけど道楽をやることでその道楽の相場観ってのが身につくわけじゃん?で、結果的にファンクのレコードの市場感覚がプロ以上に鋭いとかってことになるわけじゃん?それってファンクのレコードに狂ってるから結果的にそうなるわけだよね。これもマネーリテラシーでしょ。

 

あとこれってあの時はああいうムーヴメントがあって価格が狂ってたけど今この価格はないよねとかね好きなことの世界にどっぷり浸かってれば結果的にそういうのって身についちゃうよね。

 

結果的にそれが思いもよらないところで役に立ったりとかね、まぁ趣味って金にもなるかも!とか役に立つかも!なんて思ってやるもんじゃないし、そういうのってなんか美的センスがないなって思うよね。下品というかなんというか。商業ノイズ音楽ってありえないけど(笑)金にならないのが当たり前のノイズ音楽でなんでちょっと稼ごうとしてるの?とかさ、そんなもんノイズに徹しろよ!っていうね、ノイズに徹した結果、インキャパみたいになるわけで、まぁそれもインタビューとかで美川師匠が言ってるようにノイズで食えるわけないから食えない音楽をやるためにもちゃんとした収入が必要になるってことなんだよね。だからまぁそれは分けなきゃってことだよね。

 

美川師匠がノイズのためだけに生きてるわけではないんだけど(笑)ただこのために収入が必要だ・・・ということで我慢するということは死を意味しないよね。あ、別に美川師匠が我慢して労働をしてるという意味ではなくてね(笑)一般的に労働で我慢しなきゃいけないことは多いけど・・・っていう意味ね。生きるためのノイズ音楽活動とかなんかのコレクションとか金のかかる趣味とかってのがあるから収入を得ねば!っていうところで生じてくる我慢はしょうがないよね。

 

ただ収入を得ねば!というところがただ「生きる」ということだけにフォーカスされたらもうそれは死んでますよね。生きてる部分がないじゃんそれって。ハンナアーレントが言う生きるための労働と自分を生きるという仕事だよね。だから俺はワーカーホリックですよ。年中仕事をしている(笑)

 

俺みたいなやつが言うと説得力がないのにハンナアーレント大先生みたいな人が言うと「名言」とか「アフォリズム」とかになるのにそれを実践すると白い目で見られるんだよね。変なのー(笑)

 

だからまぁみんな仕事しましょ。労働オンリー生きることオンリーだとただの動物ですよ。ただ動物という言い方はアレでわんことか他の人間とか自然に役に立っている人間よりよっぽど偉大な動物もいるから動物っつー言い方はあれでまぁケダモノっていうんですかね。人間としての矜持を持てよってことだよね。それを捨てたらただのケダモノだよと。

 

でもなぜか日本は特に労働が素晴らしいという社会主義も驚きなイデオロギーがあって仕事がなぜか道楽と思われるんだよね。労働が至高なんだよね。いや、活動とか仕事のための労働だろうとね。もちろん労働オンリーを強制するような社会になってるってのもあるんだけどそれに追従しちゃうのは最高にマズいよね。

 

それに洗脳されて老後の蓄えを20代から考えるとか異常ですよ(笑)自発的に好きでやる人はいいんですよ。ただ洗脳されてる人はヤバ過ぎる。そんな心すらも殺してきた人が耐えられなくなって身体も殺すことになるなんて悲劇中の悲劇ですよ。Stop自殺!とか真剣に考えてるならそういう老後の不安なんつー不安の概念を煽るようなことをやめるべきだよね。

 

人はいつ死ぬか分からないというのはある種救いでもあるんだよね。そればかりはどんな社会的地位にいようが金があろうが関係ないからね。まぁ金で救える命もあるにはあるけど突然死とか夭折に関してはどうにもならんからね。だからそれって今を生きてるやつが最強なんだよね。金はあっても色々と我慢して貯めた金だとかやりたくもないことを永遠とやって人間としての仕事や活動を全くしていないという中で早死にしたら結果的に勝者敗者って言い方はアレだけど今を楽しく瞬間瞬間を大事にしてたやつが勝ち!だよね。で、それは別に金持ちだけができる特権ではないんだよね。

 

もしくは金持ちになればそれができるんだ!っつって一番大事な多感な若い時期を我慢で過ぎ去ってしまって結果的に金持ちにはなれなかったけど確かに貯金は残ったけど長年嫌なことばかりやり続けてきたから何がやりたかったのか分からないとかね、もう長年のストレスと過労で脳とか体がやられてそのケアだけで日々が過ぎていく・・・とかそれのほうが金無いことより怖いってなんで思わないのかな?って思うんだよね。

 

時間は金で買えないわけですよ。若い多感な時期の時間と老人の時間って言い方悪いけど同等じゃないですよね(笑)まぁただ生きることだけを考えて時間の価値が死を待つ老人並の価値になってる若者とかの場合、アクティヴな老人の時間の価値のほうがよっぽど高いよね。ただデフォでは年齢というだけで時間にプレ値がついてるんだよね。でもそれを安売りしたり捨てるってのは最悪ですよね。もっとそのプレミアムな時間を有用に過ごせ!って思うよね。あとまぁ別にプレミアムな時間なんだけどぐうたらで過ごしてたっつーのもその「ぐうたら時間」というのものちに役に立ったりするから分からないものなんだよね。引きこもり然り。元引きこもりが言うんだからこれは間違いないわ(笑)今の俺の人間的資産の元は引きこもり生活から生まれたからね。

 

ってことで久々に長くなったけどそんな感じでんじゃまた。