魂のゆくえ。その10。

最近は視野を広げるというのと偏見をなくすという意味でニューエイジだの占いだのの本とかも積極的に読むようになったんだけど、「ニューエイジムーブメントの危険」っつーまぁ古い本なんだけどさ、まぁ同時にニューエイジとかスピ批判とかのも読んでるんだけどニューエイジムーブメントの危険に関してはこれ自体がすげーエクストリームな本で途中までしか読んでないけど基本、聖書以外に帰するもの以外は全部悪魔的なものだとかって中世の魔女狩りかよ!みたいな言い方をしてるんだよね(笑)

 

キリスト教に東洋オカルト主義的思想が入ったものだとか何しろ気とか気功すらも悪魔的なものというか、そういうものがあると思いこませてるサタンがいるみたいな、なかなか香ばしい本なんだよね(笑)スピ以上に香ばしいだろこれっていう。

 

恐らくキリスト教の本当に原理主義みたいな人たちのファンダメンタル具合ってこういう感じなんだろうなって思うんだよね。だから信者は離れるし信者は減るわけだ。でもさ、仮にそれがニューエイジであれスピであれ何らかの癒しとかリーディングをしてもらってそれがめっちゃ当たっててそれで人生救われたならそれで良くない?って思うんだよね。それが神によるものでなければ全部サタンだ!とまでは言わないにしても邪教だ!とかっていうのってどうなのよ?っていうね。

 

聖書を持ち上げるのもいいんだけどさ、もっと危ないのは排他主義ですよ。俺なんかはサンプリングのマッシュアップ人間なんで色んなものを読んで良いエッセンスを吸収して自分に落とし込むということをするけど聖書ガチガチ人間って「それ以外ダメ」という思考停止が働いてるから本当に危ないよね。だから根拠で聖書でアウトとされているからっつってもさ、例えば口寄せとかイタコの類はダメだ!みたいに旧約に書かれててもそういう世界ってあるわけですよ。ユタさんとかね。

 

そういう世界はあるって認めた時点でファンダメンタルすぎる場合、もうクリスチャンじゃないんだろうな(笑)でもそれ言い出したら聖書自体がスピリチュアルそのものなんですけど・・・っていうね。奇跡だの神霊だの旧約に至っては凄まじいハリーポッターも裸足で逃げるような話のオンパレードでそれを原理とするのは如何なものか?って感じだよね。逆にああいう世界観がアリならスピとか精神系なんて全部ありでしょう。

 

もうその時点で矛盾してるよね。いやね、一般的な感覚から言うとまぁ所謂いかにも!って感じのスピ系にはアレルギーがあるとしても読んでみると意外と良いことを言ってるやつって「へぇーそうなんだ」ぐらいのものだと思うんですよ。神に帰さないからサタンだっつーのは頭悪すぎだよね。

 

というか宗教学者とか全般そうだけど、そもそも宗教ってスピリチュアルなもんですよね。聖書に唯物論的な世界観ではありえない超自然的なことが起こっているわけだから、その時点で科学性なんてありえないわけで。でもそこに科学だとか厳密性を求めるっつーのはどうなのかね?っつーか文献学としてはありえるにしても、だとしたらまぁ結局その結果、神秘主義とかはやっぱオカルト扱いされてあんま学術対象にはならんわけでしょう。

 

だからスコラ的な霊性を欠いたものばかりになる結果、肝心の宗教の精神性とか霊性ってのが無くなっちゃうっていうね、それだと本末転倒だよね。だからやっぱオットーとか凄いわけですよね。あのぐらいの時代の人ですんげー広いパースペクティヴを持っていたっていう。

 

あとまぁなんか霊的世界みたいなのってあるなしは置いておいて見える人はいるわけだし意味不明な能力を持った人たちっているわけですよ。でね、そこを見えない側が見えない世界観で断罪するのって傲慢すぎるよね。逆に断罪できるなら見えててなおかつそれは本人がHigher Beingみたいに思ってるのが実はサタンですよってのが完全に証明できたらでしょう。あとは完全にそれが見えてるとかね。まぁ見えてたって分からないけどねそういう世界のことは。

 

ただまぁ俺は最近も言ってるように「そういう世界のことは分からない」って思ってるとマジで分からなくなるっつーかセンサーが閉じちゃうから実際にあるに決まってるって思うようにしてるし、そうじゃないと霊性もクソもないんですよね。あとまぁなんだろうな、科学的に証明できないから信用に足らないっつっても科学って今は万能じゃないですよね。そのうち超能力めいたことも全部分かるようになる時は来ると思うけどその時は逆でさ、今はオカルトとか超能力とかって言われていることが科学になってるよね。将来では。今は分からないからニューエイジとかオカルトって言われるだけで。

 

そのレッテル貼り酷いよね。特に気とか気功をやってる身からするとさ、気功もサタンの仕業とか頭涌いてんのか?って思うよね。まぁ気功自体がサタンというより気功みたいなものを媒介にしてサタンに操られるみたいな話をさっきの本ではしてるんだけどさ、まぁニューエイジをぶったぎる!っつってそれ自体がトンデモ本になっちゃってて、カウンター系のトンデモ本もあるんだなって思ったんだよね。

 

いや、そんなパリサイ的ななんでも聖書に帰するみたいな考えを人間に強いたら息苦しくてしょうがないですよ。極論言えば救われればなんでもいいんだよね。それが悪を成さなければね。ただ風の時代の話でもよく書いたように金稼ぎのスキームが前提にあるようなもんは仮に効果があったとしてもサタンはともかく(笑)そういうのはやめたほうがいいって話だよね。

 

逆なんだよね。こういうことができるとかできるようになったっつー結果、それを実利にも活かせないだろうか?っつってある種のビジネスになるんだけど、俺のイメージだとやっぱそういうのって紹介が無いと見てくれないガチのユタさんとか能力者の人たちっていうさ、ガチすぎるから前に出てこないんだよね。

 

少なくとも俺が言えるのはキリスト教とか福音ってのは心を開放する自由を与えるもんなんであって、律法的な束縛を与えるもんじゃないんですよ。それこそ悪徳の占い師とかがいたらキリスト教に帰依してるからこそあいつは邪悪なやつだなってのが分かるぐらいの霊性のセンサーの感性を磨けるようなものだよね。あとキリスト教を信奉してて占いに行くのは占いって魔術の類なんじゃないですか?っつっても占いってキリスト教以前にあるものでさ、手相とかはインドとか中国でしょ。魔術じゃないですよ(笑)

 

魔術だって言いきるならそれは勝手に原理主義者が決めたか、あとはまぁ中世の暗黒期とかにそういうのをやるやつは全員魔女だとかサタンの使いだ!なんつって火あぶりにしてたのと同じなんですよね。クリスチャンが神社行ってもいいしお寺行ってもいいしパワースポットに行ってもいいわけですよ。逆に聖なるものに帰依することで「これはダメ」ってことが増えるとしたら悪に繋がるもの全般だよね。つまりは倫理ってことになるわけ。あとまぁ前に書いたか分からんけど今の俺がアウトになっちゃったのはただひたすら残酷なだけの映画とかゲームはダメなんだよね。

 

でもそれは一般的にダメなんじゃなくて、ただ俺はダメになっちゃったってことなだけで人に「それはダメだ!」なんて言うことでもないのね。基本的に視野が広くないとダメですよね。スピ系の言う人の世界観も一理あるしそれも一個の世界を形成していて、その中での善があってより良い生き方ってのがあって、それは福音に通ずるものがあるって感じるものに関してはキリスト者的に聖書を介してなかろうがオッケーじゃん?スピという世界観で善ならオッケーよね。

 

それは無宗教の人だって同じよね。別に聖書とかキリストに帰依してなくても利己的ではない善い生活と行いをしている人は善いに決まってるよね。何もキリストや聖書を最上のものとして置く必要は全くない。というか置いた時点で原理主義とかパリサイ的律法主義っつーキリストが忌み嫌ったものに陥る可能性があるから、やっぱDivercityだよね。

 

だって古臭い聖書をルールブックみたいにしちゃったらゲイとかもアウトでしょ?中絶アウトで不倫したら死刑とかさ、倫理とは程遠い危ない宗教だよね。そういうことにキリスト教どっぷりな人が気が付かないってのが本当にダメだよね。なんかあと完全にリテラシー不足なんだと思うわ。その世界だけのことか本を読んでて全然他のことを知らないから乱暴なことをあたかも正義のように平気で言っちゃう。

 

風の時代のキリスト者とは俺のことだ!ってな感じですよ(笑)超リベラル・超寛容・ある種なんでもありで人の自由を縛る律法的なこと基本的にアウトみたいなね、アウトつってもまぁ本人が好き好んで守ってるものならいいんだけど権力的なものに強いられて守るように言われてるものなんてロクなものないですよ。

 

何しろそういうのって時代に合わないでしょ?いや、プレモダン的な感覚こそ普遍に近いというところもあるにしても、例えば全部聖書通りってことにしちゃうと同性愛ダメとかさ、ようはそれがソドミー的な変態行為だからとかね、いや、別に変態行為も悪じゃねーしっていう(笑)女王様にアナル開発されようが黄金食べようが聖水飲もうがいいんですよ。それと神は全く関係ないからね。勝手な個人の快楽なので。

 

そもそも女王様のおしっこを飲むということについてなんで神が怒るのか?って話でしょ(笑)なんか本当に俺はキリスト者だと思うけどまぁね、さっき書いた本は凄まじい原理主義的な偏った本だとしても、あんな風に考えてるやつも結構いるんだろうなって思うとキリスト教とは関係ないなって思うよね。仮にあれがキリスト教なんだったらね。そりゃニーチェも邪教だって言うよ(笑)

 

あとここがキリスト者であることの難しさでもあるよね。言う必要はないけどキリスト教のパブリックイメージがそういうケツの穴が小さい細かいことでサタンだの神だのってガタガタ抜かすような思考停止の輩の集まりっつーイメージがあるからダサいんだよね。かといっても「自分はそういう意味のキリスト者ではないんです」っつってもそんなの話す機会もなければ溝を埋める努力を毎回する必要もないわけでね、それは個々が帰依してればいいだけの話なんだよね。

 

キリスト教なんですか?といったら復活とか信じてるんですか?とかそれってガチガチのスピ系よりヤバい世界観だよね(笑)ヨハネの黙示録みたいなのが聖典として載ってるようなもんを最上級の絶対的なものとしてスピ系とかを下級のものとして見下して断罪するな!って話だよね。聖書のほうがよっぽど電波文章だよっていうね(笑)

 

だから俺は聖書というよりキリストの言葉っつー福音に帰依するんだよね。あとまぁ部分的に自分がキリスト的だと思う旧約聖書の詩編だとかっつーところだよね。だから全面的に聖書が正しい!なんて当然思わないわけですよ。旧約も含めて全部正しかったら包茎者ってアウトなんでしょ?(笑)ホウケイモノと読むのかホウケイシャと読むのか知らんが皮被りだからアウトとか意味分からんでしょ。割礼とかも意味分からんし。

 

まぁ俺の理解としては包茎のやつのちんちんが臭すぎたり包茎のやつがファックすると女性の調子が悪くなったり感染症みたいになったりする率が高いから、今ほどの衛生って概念がない中でも皮は切っておくに越したことはないっつーただの生活の知恵だと思うんだよね。まぁこの辺はユダヤ的なもんなんであんま知らんけど。

 

あとまぁスピ系とかニューエイジでも真摯な人たちは下手な原理主義者よりよっぽど広く色々読んでるし読み方が正しいかともかく本当に月並みな言い方になるけどより良い人間の生活や世界のために考えてるわけで、そういう真摯な人たちをもキリストに帰依してないからなんていう乱暴な理由で否定するなんて逆にキリストが許さないだろうって思うんだよね。

 

あとキリスト教にしたってそれがプロテスタントなのかカトリックなのかでもだいぶ違ってくるし、んじゃあそういうプロテスタントなりカトリックのやつらがスピは悪魔だ!ニューエイジは悪魔だ!っつったところでその人の正教の理解はどうなの?ってところになるよね。もっと言っちゃえば他のカルトとされないちゃんとした宗教の教義体系とかどこまでご存じなの?って思っちゃうよね。

 

プロテスタント神学だけで自己完結しててそれ以外は認めないなんてケツの穴が狭いどころかケツの穴が塞がってて腸がうんこ塗れになってパンパンになってるようなもんだよね。別に便秘の人をディスるつもりはないんだけど。

 

ぶっちゃけちゃうと本当にキリスト教を広めたいんだと思うならまず今俺が書いたことなんて当たり前レベルで必須だし、あとやっぱ見えない世界を朧気ながらあるのではないか・・・ではなくて昔の神秘主義者のように祈りと観想の生活の中でそういった世界を見れたりインスピレーションが得られたように、そういう霊性なしでは語れないと思うんだよね。

 

キリスト教は書の宗教だっけ?書の民だったか忘れたけど、実際はやっぱ啓示宗教なんだよね。それは聖書によるっつっても聖書から啓示を受けるってすでに霊性なんであってさ、アカデミックな世界であやふやな霊性ってのがオミットされたり扱ったら「波動」という言葉並にアウトなのは分かるけど(笑)それ抜かしたらただの文字の羅列ですよね。霊性ありきのものだよね。あれは。

 

あとまぁ人には見えないものが見える人たちにとっては霊性の重視とか宗教関係なく物理現象と同じレベルで見えてるんで別にそれは「ただある」ものとして特別な意味はないんだよね。そこに尾ひれつけて金をむさぼり取ろうとする輩とか見えるということを特権的に感じで「自称霊能者」とかって名乗ったりする人はいるけど、別にそんなに特別なことじゃないんだよね。凄い人ってのはその能力をフルに善のことに使えている人だよね。そんな人間に俺はなりたいってミヤケンじゃないけど(笑)こればかりは体現するしかないからね。言語に情報量の大半があるのではなく行いに情報量の大半があるようなバランスね。それが今のところの俺の目指すところだわ。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。

 

追記。

 

「ニューエイジムーブメントの危険」の著者である尾形守なんだけど予想してた人と違って逆にスピ系も驚くぐらいの(?)祈りによるヒーリングを自分で経験した人らしいので、本当かどうかはともかく、霊性ゼロのファンダメンタルな人ではなくて、むしろ体験があっての「偽物に気をつけろ」という啓発なんだなという意味でちょっと見直したけど、やっぱりその排他性は気になるものの、面白いのがむしろ本人が言い方悪いけどキリスト的ヒーラーなのが面白いんだよね。出てる本もあんま聞いたことない出版社ばっかりで逆になんか興味が湧いてきたね。一通りこの人の本を読んでみようという気になったわ。もしかしたら危機神学的に超絶的に神との繋がりを体験とその自身の能力によって分かっているからこその啓発だった場合、評価変わるよね。だとするとああいう排他的な考えは勿体ないなと思うんだけど。

 

あれよね、本にもレアグルーヴってあって(笑)本屋でまず見かけないようなものでもアマゾンのなんでもカタログにしちゃうデータ化によって色んな本が手に入るんで色んな本を読むのはマジで楽しいですよ。尾形守氏はすげー文章は敬虔どころか原理主義的であるのに出している本は異端臭い本ばっかでそこが面白いんだけど(笑)なんかバカにできないところがあるなと思って尾形氏の別の本を読むのが楽しみだなと思っていますね。祈りでぎっくり腰が治るとか香ばしいけどどんなもんなのか?って気になるよね。

 

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