魂のゆくえ。その26。

いやーM1凄かったな。反省会でも野クリが言ってたように確実に時代が変わってるよね。といってもランジャタイの最下位はある意味、必然でランジャタイが面白いしウケていたのに最下位というのはある意味、漫才という形式の良い意味での保守性だよね。審査員が変わればランジャタイ優勝してたと思うけど(笑)昔と比べれば今の審査員って良い意味で伝統と革新性の両方を理解できてなおかつ漫才という観点から審査できる人たちばっかりだから革新的過ぎるものに点がいかないのは漫才という伝統の保守性の必然だよね。それは形式の必然なんであって面白いか面白くないか?っていうのはまた別だよね。

 

そういう意味だとこれまた凄かったのが敗者復活のヨネダ2000だよね。女芸人だと鳥みー依頼の天才登場!って感じで衝撃受けちゃったね。あの速度と知的センスとサンプリング感覚と上手さとヤバ過ぎたね。でもなんか敗者復活も決勝と一緒で全体的にレベル高いんだよね。で、すげー新しいのが多い。かといってもベタな漫才の時代ではないのか?っていうとやっぱり安定した漫才って賞レースは別にして年末特番とか元旦の番組とかで絶対必要で差がつけられないんだよね。

 

あとまぁ真空ジェシカとかロングコートダディとか独特すぎて決勝まで上がれなさそうな連中が上がってきてるってのが良かったよね。だから来年とか「これは漫才なのか?」論争が巻き起こりそうなコンビばっかの大会になったりしたら面白いかなと。

 

まぁでもいつもネタ番組見てて思うんだけど日本の笑いって間違いなく宇宙一だよね。松っちゃんが昔アメリカの笑いとかを批判しまくっててまぁ3割ぐらいでやるのがええんちゃうん?とかって遺書だったか何の本か忘れてたけどまぁ分かりやすいんだよね。なんつーかネタ自体が一本のショートフィルムとかになってるぐらいの構造を持ってるものとかを漫才っつー形式に落とし込めるとかっていうプロセスが高度過ぎて、んでそれも年々ガンガンレベルが上がってきているっていうところからの競い合いで磨かれ切ったのが出てくるわけじゃん?

 

だからそういう意味で漫才っていう形式の頂点!みたいなインディアンスとかオズワルドみたいな、なんつーか全体的に毎年俺好みとか俺贔屓のコンビとそうじゃない好き嫌いがあったんだけど今年は特に全組好きなコンビばっかだったよね。

 

まぁランジャタイが決勝に出ている時点で時代は変わったなっつーか今年のガキ使の新年会で見て衝撃を受けて何年後に時代が追い付いてブレイクするだろうって思ってたらもうM1出てるっつーね。時代の速度が上がってる!!

 

あとまぁやっぱ俺びいきで言うと金属バットですよ。まぁ金属バットはこっちが冷や冷やするぐらいの放送ギリギリラインを攻めてほしいよね(笑)コンプライアンスの破壊者として頑張ってほしいわっつーかでもネトフリで浅草キッドやってるじゃん?あれとか見るとやっぱたけしって最初テレビで漫才やれなかったんだなーっつーかたけしの弟子のコンビのほうの浅草キッドって放送できない芸人で有名だと思うんだけど、あのあたりのお笑いの危なさってのも必要だよね。

 

金属バットがいいのは二人とも見た目がヤバくて何言いそうか分からないのに何気に毒づいてるけどモラル漫才をしてるってところなんだよね(笑)ヤバそうで言っていることはまともっていうね、あの辺の方法論の革新性が分からないと凄さが分かりづらいのが金属バットだよね。知的ネタで方法論なんだけどそれを感じさせない佇まいっつーのがね、まぁランジャタイと仲が良いらしいけど尖りまくってるっつー意味で分かるよね。

 

まぁ俺は尖った笑いが大好きだから贔屓目になっちゃうのはしょうがないにしてもまぁ異様なレベルの高さだったよね。んでもう陳腐になりつつあるアメリカンドリームっつーかオワコンアメリカと対照的なジャパニーズドリームを体現した錦鯉ね。あの中年のブルージーな感じとかといっても中年に同情して応援しているわけではないあの二人にしか出せないヴァイブスってのがあって、中年補正抜きで優勝できたのは凄かったよね。結果的に日本に夢を与えたっていうね。

 

去年は野クリみたいな世界は追い付きつつあるけど前衛的過ぎるコンビのまぁどちらかというと俺みたいなサブカル好きとかアングラ好きからは支持されるけど大舞台に出たらどうなの?みたいな、知る人ぞ知る!的な芸人がオーバーグラウンドに出て優勝したってのはシンボリックだったよね。

 

なんかそういう確実な変化の流れがある中で今年は確実のその流れが爆発しつつある感じってのがあってパワーが物凄かったと思うんだよね。漫才っつーと最初に書いたように形式的な保守性が革新性を引っ張りそうな感じがするんだけど、漫才っつー形式に落とし込める芸術みたいなところがあってさ、やっぱ凄いのって保守と革新性の両立じゃないですか?なんかそういうところがすげーバランスになってきてるなって感じよね。ある種、限界を突破したようなコンビが多かったような感じがするわ。

 

んでまぁここからあれですよね、おもしろ荘とガキ使新年会っつー登竜門があるから年末になるとお笑いが本当に楽しみになるよね。でもまぁ速度がすげーわ。ランジャタイじゃないけど今年(来年ね)のM1にもう出るんじゃないか?っていう可能性があったりするのが凄いよね。

 

ってことで続きなんだけど続きっつーかまた全然新しいのがあるんでそれ貼るわ。

 

色々と最近怪しいのからスピリチュアルなものから真っ当な古典から聖典から節操なく読みまくってる中で色々思ったことがあるんだけど、思ったことは多すぎるんで今日は一つ書くけどっつーかそのうちまた長くなったらまたそれでいいんだけどさ、あれなんだよね、機能っつーか機械とかテクノロジーとかなんだけどさ、ああいうのって人間の潜在的な身体能力の顕在化なんじゃないか?って思ったんだよね。

 

なんで人間がネットとかを自然に使うことができるのか?ってそれって元々人間に備わってる能力だからなんだよね。クソ怪しい世界で言うところの集合的無意識にアクセスするみたいな感じで(笑)情報のデータベースにアクセスしたりテレパシーでデータを送りあったりっていうさ、まぁなんかそういうのができる人もいるらしいけど逆にね、全く人間にとって異質なものって出来上がらないっつーか人間が「こうなったら便利だ」っていう機能の拡張として考えられないものは使いこなせないんだと思うんだよね。

 

全くテクノロジーを無視して現象だけで見た場合ってことなんだけどね簡単に言うと。何百年前のネットとか全く知らない人の前でスマホは見せずにスマホ操作で誰かと意思疎通をはかったらそれは超能力としか考えられんよね。グーグルアース的なものは千里眼か。

 

でもそれはスマホがあるからやれてるっつっても果たしてそうなんだろうか?って思うんだよね。人間の機能の拡張だと考えるとそもそもそういう機能が備わってるとか潜在的に使えるんじゃないか?って思うんだよね。

 

でも別にテレパシーとかが使えなくてもネットが大昔と違って今みたいにインフラ化した場合、何をネットから探そうとするのか?っていうアクセス自体が重要になるわけじゃん?例えば全く異質とか繋がりがないと思えるワード二つがあったとしてさ、でも自分の中ではそれが繋がったから類似性を示唆するようなもんがないかな?っつってネットでその繋がった別世界同士のワードを検索してみると色々と出てくる・・・とかってのもそこにアクセスしてるからなんだよね。だから出てくるんだよね。

 

情報ってあっても取り出せなかったら使えないわけでさ、こないだ太極拳の先生にあんまり特定するとどれか分かっちゃうから書かんけどまぁこういう武術があってこんなことしてるんですけどどういう感じなんっすかね?みたいな感じで聞いたらやっぱ凄いわけよね。youtubeで誰でも見れる状態になってるんだけど俺がただ見て「へぇー」って思う情報と先生が同じものを見て得る情報量って破格に違うんだよね。

 

まぁそりゃ簡単に言えば専門家が見たら情報の塊だけど素人が見たら「へぇー」でしかないものなんてまぁ専門的なこと全般に言えますよね。なんだろう、それこそCIA的なさ、スパイ的な活動に特化した人が足跡やらなんかの痕跡やらから情報を得る時ってまぁ素人がただ足跡をなんとなく見るのと全然レベルとか精度違うわけじゃん?

 

当たり前のこと書いてますけどね。でも面白いのが全く同じものでも異次元なんだよね。あまりに情報量が違い過ぎると同じ空間にいるけどそれは身体レベルで同じ空間にいるっていう三次元レベルの話で情報レベルだと異次元同士にいるってことだよね。まぁこないだのやりすぎ都市伝説でホワイトハッカーがどうのってやってたけどまさにあれよね。情報のスペシャリストから見ると素人のスマホやらネットのセキュリティなんてズボズボなわけでさ、でもそれは素人からすると「マジか!怖いな!」ってなるんだけど知ってる人からするとそんな裸の状態みたいな感じでネットやってる感覚が分からないとかってことになるわけでしょ。

 

全く異次元なんだよね。得ている情報が。ただこれってまぁ別に当たり前なことなんだけどさ、俺が最近のイッちゃってる感じで書くとまぁその三次元でもなんでもいいんだけど情報量を取る能力の精度を上げていくととんでもないことになるってある意味当たり前なんだよなって思ったんだよね。

 

例えば俺がアメリカで数学に目覚めてからさ、数理的に考えるみたいな頭のモードが出来てきてからってまぁそれまでの俺と世界認識が全く違うわけだよね。かといっても理数系に偏るわけでもなく人間臭い情緒的な部分とか人文系で培ってきた感覚とかってのもありつつ・・・って感じなんだけど音楽とかにしても作り手が聞く音楽とリスナーが聞く音楽って違うよね。

 

トラックメーカーはどんなクソレコードからでも音楽を作れます!とかってなんかの動画であったんだよな。ハードオフにあったクズレコードだけで音楽を作ります!みたいなやつのアメリカ版的な?これもまぁ情報の抽出能力の違いだよね。まぁそれ言い出すとレアグルーヴ的な感覚ってこの情報感覚の違いだったわけでさ、一般的にB級と言われるジャズファンクとかのレコードを積極的にダンスフロアに持って行ったっつー感覚とかって全くその辺に二束三文で売ってるレコードってのがこの世に存在するっていう物理空間の次元での客観的な情報レベルは変わらないのに情報を得る主体の抽出能力が高いとそれがレアグルーヴとして抽出されるわけだよね。

 

これって昔はDJ的な感覚だったんだけど今こうやって書くとアルゴリズム的じゃない?まぁそんな機械的な冷めたものではないんだけどさ、なんとなく今俺が思ってるマシン的なことの全般が身体能力とか知覚とか人間が持っている能力のなんらかの拡張であるっつーところから逆算してんじゃあその機械とかテクノロジーが無いバージョンを考えた場合どうなるのか?っつーと情報へのアクセス全般がある種のテレパシー的なもんなんじゃないか?って思ったんだよね。

 

お笑いの話からテレパシーか(笑)とかって貼って思ったけどまぁいいや。時代は変わってきてるってことで続きはまた今度。

 

んじゃまた。