小説を聴くことにハマる。

もうね、腰ヤバくて。全治一か月レベルのやつだったんですね。外は杖をついて歩いてるレベル。ただ原因が分からん。まぁあれだよね、蓄積だとは思うんだけど、ずーっと書いたり読んだりしててずーっと座ってて腰がガチガチになってる状態でなんかでひねったりなんかしてぎっくり腰になったんだと思うんだけど、腰痛のヤバさというのを身をもって体感しているわけだけどね、痛すぎるとやる気が削がれるんだよね。

 

痛みってのがもうやる気がなくなるっつーかさ、だからまぁ腰痛くなってから無理して書かないようにしようと思ってもやることないじゃん?だからモンハンのサンブレイクとかオロチ無双とかやってるんだけど、なんか結構いい感じで書くことから離れられたなっていうか、あれなんだよね、結構頭の中で完成しちゃってるんだよね。膨大な作業が残ってるけど話的に終わってるというか。

 

だからその残りの膨大な作業の要素を止めちゃって新しいのを書くぐらいの要素追加でなんかできないかな?と思って、まぁこのきっかけを活かす感じよね。大体今できることはやっちゃってるから、もうそれの繰り返しになっちゃっててつまんなくなってるからっていうか話自体がつまらないっていうわけじゃないんだけどさ、なんか無いかな?って思ってるんだよね。

 

まぁだからあれなんだと思うわ、断片的なイメージの継ぎ接ぎってのを繰り返せばいくらでも書けるけど、もうそれはいいんじゃないか?ってことで、なんかあえて物語っぽい要素を入れてみようかな?とかって思ってるんだけど、そういうのって全く書いたことないからすぐ書けるもんじゃないよね。っつってもコピーのやつで結構そういうのもあるんだけど、書きながら進んでいくっていう従来のやり方じゃなくて、考えてから書くってのをやってみようかな?とかって思ってるのね。どうせつまらないだろうけど(笑)

 

なんかでもやっぱスタイルって確立されるもんだよね。だからもう繰り返しになってんなーって思うとまぁそれでとりあえず終わりまで書いちゃえば?ってのもあるんだけど、俺的に最近はムージルの特性のない男とか埴谷雄高の死霊みたいに永遠と終わらないで何十年も続いてるみたいな、そんな感じがいいんじゃないかな?って思ってんのね。

 

アラスター・グレイのラナークとかも25年ぐらいかけて書いたらしいし、ディミトリス・リアコスのPoena Damni三部作も30年かかったとかなんだとか。読んでみてなんでそんな時間かかるのか分からなかったんだけど(笑)作家デビュー!みたいなことを忘れて永遠と取り組むってのも一つだなと思ったのね。なんかその辺が曖昧だとダメだなと思ってさ、まぁ本出したい!ってのはあるけど、それが先行し過ぎるとなんかやっぱ違うじゃん?じゃあ本出せそうなフォーマットにするの?ってことになるわけだし、その辺は永遠と表に出ることがないんだけど、日々書き続けてるみたいなのが永遠と続くっていうほうが実は持続力があるんじゃないか?と思ってるんだよね。

 

完成させなくては!ということがないから分量も気にせずに膨大になっても書き続けられるし、終わりっていう概念がないわけだから、なんかが脳内でアップデートすればそれがアウトプットとして現れるわけで、それを繰り返せばいいんじゃない?っていう、究極的には書き続けることが目的でもあるわけで、本出しました!ってのはただ作家デビューした!って言いたいだけなんじゃん?っていう承認欲求の部分だよね。

 

だって音楽では俺ってそういうのないわけでさ、で、なんで文章になると急にそういう肩書とか欲しくなるわけ?っていうとアイデンティティが欲しいわけだよね。書くことに対して。でもそれは俺の本来のコンセプトと全然違うじゃん!ってことなんだよね。それって書き続けたいのか作家デビューしたいのか?っていうところだよね。前者が満たされてれば別に後者は結果なんであって目標じゃないよね。

 

ただ歯がゆいのはネットにアップできないから出したい欲求を満たせないっていうところで永遠と悶々としながら書き続けるしかないってことなんだけど、逆にこの悶々の中で書き続けることができたらずーっと書き続けることができるってことだよね。

 

ようは書くことを人生の主題にするわけだよね。だから他は全部サブという考え方ですよ。まぁただすんげーブランショの思想の影響大きいなと思うわ(笑)でもまぁ俺が音楽で思ってたことと同じで、それが商業的に成功するとかネットでアクセス数を稼げるとかじゃなくて、やりたかったことが表現として成功してればそれでいいんだよね。

 

逆にまぁなんつーか内容もそうなんだけど一作に25年取り組める根性だよね。25年っつったら還暦過ぎて完成って感じだけど(笑)そんぐらい書き続けられたらマジでヤバイってことだよね。まぁそんなんで図書館も利用しつつ古今東西の小説を読んで目を養っておかなければ!っていうさ、自分で面白いと思っててもこんなのもうとっくの昔にあるんだよとかさ、似たようなやつがあるとかなんだとかっていうことも含めて知っておくって重要だからね。

 

んでまぁ書店に行くと目につくのが前にぼろ糞書いた美少女スナイパーのベストセラー小説なんだけど(笑)そういえばAudibleで小説を聞くという行為にしたらまたフィクションに対する考え方は変わるんじゃないかな?と思ってさ、いや、アメリカのAudibleでは小説を英語で聴いたりはしてたんだけど、日本語のやつって英語に比べて高いじゃん?まぁ小説自体に興味が無かったってのもあるんだけど、Audible日本語版の無料体験に入ってみたらさ、それこそ春樹先生のやつとかよく名前を見るような作家のやつとかあとなんとね、例の美少女スナイパーのやつとかが聴き放題で聴けちゃうんだよね。

 

これってヤバくない?と思ってさ(笑)んで最初に試しに聞いてみたのが春樹先生の東京奇譚集なんだけど朗読がイッセー尾形なんだよね。いや、こりゃずるいぞ!と思ってさ、声のテイスト良すぎだろ!と思って、他見たら結構あれなのね、俳優とか声優が朗読してんのねっていうか俺的に衝撃でさ、ってのはさ、例の女スナイパーのやつのAudibleだとただですらラノベ感凄いのにAudibleだとアニメのドラマCDなんだよね(笑)風のリグレットとか思い出しちゃったよ。

 

で、登場人物のセリフの部分がさ、英語版の小説とかだとずーっとおっさんが読み上げてる感じなんだけど、女スナイパーのやつはヤバくてっていうか他のもヤバイのがあるんだろうなって思うんだけど、完全にアニメの声優みたいな声質の人がセリフの部分喋るんだよね。だからもうアニメ見てるみたいなの。アニメを聞いてる感じか。もう文学臭ゼロ(笑)

 

でも文字を読むという負荷が頭にかからないからずーっと聞いてられるんだよね。んでなんか話はどうでもいい話が多くて(笑)スナイパーライフルの雑学とか主人公が兵士育成みたいなところで育成されるんだけどその座学の話だとかなんだとかが永遠と続くんだけど、これ文字じゃ途中でやめてるなっていうのが普通に聞けちゃうんだよね。モンハンの音声をオフにしながらモンハンやりながら聴けちゃうの(笑)

 

でもこれって凄いよなって思ったんだよねっていうかガチのドラマCDとかにしたら文字だけだと全然凡庸なもんが結構面白くなるんだなってことに今更気づいたのね。それこそなんだろう、BGMとかさ、あと戦場だったら銃声とか戦場の音とかさ、まぁサウンドノベルですよね。サウンドノベル仕立てにしたらさらにエンタメ性上がるから、なんかもはや文学というよりサウンドノベルなんだなって思ったのね。ようは金がかかるからそこまでやらないだけなんであってさ、ただ需要があるアメリカの聖書全部読み上げてるやつとかドラマ仕立てになってるのが音楽とか音声も入って100時間越えとかのやつがあるから、結局、まぁそういうことなんだよね。

 

まぁ音声ドラマというジャンルは昔からあったにせよ、音で聴くってことで小説が化けるってのは凄いなって思ったのね。つまらないところも聞き流せるっていうかさ、まぁ小説も読み飛ばせばいいんだろうけど、そこはなんか元々のあれなんですよね、隅から隅まで読まないと気が済まないからなかなかそれができないんだけど、音声って全然それがいけちゃうんだよね。

 

だからなんかいつの間にかすんげー物語の中に入っててさ(笑)文字じゃ読めたもんじゃないと思うけどAudibleヤバいなって思ったのね。逆説的にというとあれだけど、朗読したらさっぱり意味が分からないようなものがむしろより文学的なんじゃないかとも思ったのね。例えばベケットとかを朗読してもなんじゃこりゃ?だけど散文として読むと抽象的な場面が勝手に思い浮かぶっていうね、ただ俺が今でも逆に苦手なのが具体的な二階からお姉ちゃんが上がって来てどうの・・・みたいな日常の描写とかをいちいち文字で追うのが苦痛でしょうがなくてさ、まぁただあれなんだよね、トムとジェリーを異様なディティールで文字にしたミルハウザーみたいな手法もあったりするんだけど、J文学は素で逆をやっちゃってるんだなと。

 

元々は一応文学として書かれたんだろうけどまともに読めたもんじゃないんだけど、アニメっぽい感じの朗読にすると、ああいう風に声優を当てて台詞を読ませるとかっていう前提になってるものとして考えると一概に馬鹿にできないんだよね。まぁそれは音声版の制作者の手腕でもあるんだけど、例えばまぁまともに読めばバカみたいな話なんですよ。

 

あの時代のロシアの少女がその辺の深夜アニメで出てくるようなキャラクターで(笑)「あなたは動物を殺すことに躊躇しないの?」とかそんなセリフが普通に出てくるんだよね。別にリアリティ小説ではないにしてもさ、量産される深夜アニメに出てくるキャラクターみたいなのが一応シリアスな本当にあった歴史を舞台にしてるっていうだけで、まぁようはラノベなんだよね。

 

シリアスさを求めたら当時のロシア人の考え方とかさ、リサーチが半端じゃなくなるでしょ。そこをまぁなんか深夜アニメのキャラだから考え方とか喋りとかも日本人のそれだし「いやいや、でもロシアなんでしょ?」っていう突っ込みは無しでっていう感じなんだけど、でも文学的にダメなはずのところがAudibleになることで完全にアニメ化されてエンタメ性がより高まって聴けるようになっちゃうってのは凄いことだなと思ったんだよね。

 

ようは文字だけで勝負するのが文学だろう!みたいな考え方が古いっつーかさ、弓と言ったら伝統的な竹弓だろう!っつっても実際に当てるとか機能性ってのを重視したらアーチェリーみたいなサイトもついた高性能の弓がいいに決まってるし、殺傷性ってのを考えれば弓なんてのにこだわらなくても銃でいいわけで(笑)文字以外認めん!ってのはもはや竹弓以外認めん!って言ってるようなもんなんだなって思ったのね。

 

柄谷行人とかが近代文学の終焉なんつって特に政治的な思想とかが入ってるものだったら表現形態は映像のほうがより優れた方法で表現できるとかって言ってたみたいだけど、まぁ考えてみれば文字だけって相当なアナクロだよね。なんでこんなに色々ある中で文字だけに固執するのか?ってことでしょ?

 

それは昔から文学と言えばそうだったからっていうことだけなんであって、そのうちあれでしょ、金書けなくてもいい感じのテイストで読んでくれるAIがいてさ、任意の小説ぶっこむと解析してBGMとか間とかセリフを中年風男性とか少女とかって切り替えたりなんかして、んで場面は牧歌的な田舎だから鳥の鳴き声がするみたいなさ、そんなのも自動でやるようになると元は文学なんだけど、文学を元にしたマルチメディアよね。

 

まぁそれ言い出したら元が小説のやつを映画化するってそういうことなんだけど、それを自炊みたいな感じでやれちゃうようになるってことだよね。読むと大変だけどこのソフトにぶっこんでこの設定で解析するとめっちゃ面白くなる!とかっていう異化が余裕で可能になるよね。

 

んで思い出したんだけそ小学校の頃にさ、寝る前に星の王子様のドラマCDを聴きながら寝てたんだよね。森本レオが朗読してて、ばらの花が岸田今日子さんだったりとか異様に豪華なCDなんだけど、ようは小説を聞くってこういうことだよなっていうか、小学校の時に毎日聞いてたじゃん!とかって思うと、寝る前に聴きながら星の王子様を頭に浮かべて寝てたわけでさ、小説が読めないと思ってたけど、そういえば聞いてたし、聞く分にはすんげー話が入ってくるんだよなってのも思い出したりなんかしたら、なんだか文学観が変わってしまったんだよね。

 

まぁようはインターフェースよね。文字なのか音声なのか。でも音声もアメリカのAudibleみたいにおっさんが永遠と読み上げるんじゃなくて、少女のところは少女役の人がちゃんと読んで、地の部分も内容に合った人をキャスティングして、んで音楽とかも入ったらなんかもう別ものじゃないですか?でもそこで朗読されてるのは文字で書かれたものだし、実質的に同じなんだよね。でもそれが文字なのか音声なのかドラマ仕立てなのか?っていうので全く印象が変わっちゃうっていうね。

 

最初に聞いた春樹師匠の東京奇譚集もイッセー尾形が味のある声とトーンで読み上げると地で読むと春樹臭がして「くっさ」ってなるところがなんか味が出て絶妙な感じになってるんだよね。春樹師匠のやつはサンプリングしまくったから書き始めた当初に全部初期から今のやつまで隅から隅まで読み倒して頭に入ってるから余計にその異化がすげーな!って思ったのね。

 

まぁでもイッセー尾形って一人芝居する人だし、もうそこでアクトが入ってるよね。女優とかが読み上げるってのも読んでるんじゃなくて抑揚をつけるとか、その女優の独特の声色っていうところでもうそれは演技なんであって、別物なんだよね。その異化作用たるややべーなと思ってさ、んでAudibleはストリーミングで聴けるやつが結構あるからストリーミングで聴けるやつは全部聴こうかなって思ってるのね。

 

芥川とかのクラシックもあるし、あとカフカとかもあるし、こりゃなんだかすげーことだなっていうさ、Audibleっつーと俺の中でデフォが英語の実用書とかばっかだったから全く味気が無い感じっていう印象しかなかったんだけど、あんなに音声バージョンに力入れてるのか!ってビビったんだよね。

 

イッセー尾形が朗読するってのももはやもうそれがキャスティングで演出だもんね。何回も同じこと書くけど別物なんだよな。だから文字だけでは判断できないっつーかさ、逆に文字だけのほうがいい場合もあるんだろうけど、でもなんか別物過ぎて比較にならないんだよね。映画版とアニメ版と原作の小説を比較してもあんまり意味がないようなのと同じことかもしれないね。

 

でもなんかそう思うとさ、アメリカのドラマ仕立ての聖書じゃないけど、文字離れなんつって文学がオワコンとされてても、いくらでも蘇らせることができるじゃん!って思ったんだよね。今じゃ読むのがキツいやつもドラマ仕立てにすれば聞くのは楽だしさ、結果的にそれが古典との出会いになったりさ、あとまぁ長すぎる場合、あんまいらないなってところはオミットしちゃっていいわけだから、ドストエフスキーとかもドラマ仕立てにすれば相当聞く人増えるんじゃないか?って思うんだよね。まず普通じゃ読もうと思わないからね。あの分量は(笑)

 

日本のお家芸のアニメ化とかキャラ化ってのが文学に全然適応できるってのが知ってる人なら当たり前だったんだろうけど俺的に衝撃だったんだよね。あとまぁ人って読むタイプと耳で聞くほうが頭に入ってくるタイプがいるらしくて人によるらしいんだけど、ただでもまぁ目に負荷がかからないし、実用書とか学術書とかの場合、書かれた内容を理解すればもうそれは頭に入ってくるっていうか俺は頭に入ってくるんだけど、フィクションの場合、ありもしないことを文字から想像して場面をビジュアライズするってことが必要になるからそこが音声だと文字から映像へっていう難しいプロセスが端折られるからすげー理解しやすいんだなって思ったのね。

 

怪談が怖いのもそうだもんね。語り手が上手いと下手に映像化とかするより話だけのほうが怖かったりするじゃん?つまりはそこで語り手の話芸のスキルってのが出てくるじゃん?そこがあれでしょ、Audibleの読み手の場合、俳優とか女優とか声優とかっていう、元々声を使って演技をするっていう人たちはそういうスキルがあるから、そのスキルをもってして文学作品が読まれるととんでもない味わいになる場合があるってことだよね。

 

あ、んで今試しにカフカの変身聞いてみたらね、最初の自分が虫に変わってたっつーところで雨の音とか入ってる!とかってテンション上がりましたね(笑)なるほどねー!って感じ。ただモノにもよるんだろうけど、ただ日本製のものって音声に関わるもののクオリティが高い傾向にあるよね。英語のAudibleだと棒読みが永遠と続くみたいなのが結構あるけど、そういうのが少なそうっていうか、だから値段設定が高めなのかな?とも思ったけどね。実用書とかだったら別に棒読みでもいいんだけど。

 

ってことでしばらくご執筆はなさらずにモンハンやりながらAudibleで小説を聴きつつ積読になってる何百冊もの小説を読破していくって感じになりそうだわ。思わぬところでゲーム復活!だね。でもまぁサンブレイクのボリューム凄いけどずーっとやってるからさ、すぐ終わっちゃうからワールドからやり直してるんだよね(笑)んで全く使ってなくて使う気すらも起こらなかった操虫根でやってるんだけど、ほとんど竜騎士じゃん!とか思いつつ、聴きながら永遠とやれるゲームを探さねば!って感じになってるね。

 

ただまぁプルーストとイカじゃないけどさ、読むってことが脳に及ぼす影響は凄いから実用性っていう意味でもやっぱ読むのは基本よ。ただ俺は小説を聞くという元々は小学校の頃に毎晩聞いてたものが今になって「それがあったか!」って感動しててハマってるっつーところでさ、あとまぁ圧倒的に文字だけだったら読まなそうなやつが読めたりするのは原作読む気無くても映画化されたやつなら見れるかなってのがあるのと一緒で、そういう意味での異化を楽しんでるんですね。

 

ぎっくり腰からの展開凄いよね(笑)我ながら持ってるなーって思うわ。それで流れが変わって色々なものが進化したり変わってくるっていうね。

 

まぁそんな感じでんじゃまた。