行方不明の象を探して。その3。

ありがたいことにまたnnさんから返信をいただいた。

 

ありがとうございます! ますます楽しみになりました。 「私」がない小説だったんですね、興味深いです。「空港にて~」はさっそく購入しました。ベイカーは白水社から出てるやつ読んだことあるんですが気づかなかったですね。佐藤友哉も高橋源一郎もぶっとんでて面白いですよね。

 

佐藤友哉のサーガものは学生時代大好きでした。 こんなに早く小説に織り込んだ形で第2話が読めて嬉しい限りです。ありがとうございます。ただあくまでも飽きずに掲載をしていってもらうことが最優先だと思うので、元ネタ的なことを開示することに飽きたり大変だったら遠慮なく元ネタ開示なしにしてもらって大丈夫です。応援してますので、がんばってください!

 

今後、この話でも色々と出てくるように、例えばnnさんの書き込みや話とは関係が無い手紙や他社とのやり取りなども小説に取り込んでしまうという手法は小島信夫の必殺技だ。もちろん敬愛する小説家の保坂和志さんの著作から得た知識なのだが、保坂さんは最初に小島信夫の寓話という小説を読んだときに「小説ってこんなのでいいのか!」と衝撃を受けて手元にあった読みかけの雑誌やもしかしたら小島信夫の寓話そのものも投げ出して走り出したくなるような気分になったそうだ。

 

そんな気分になる寓話とはどういう小説なのか?と思って探してみても相当マニアックな部類に入る小説らしく寓話は新装版が中古で8000円近くしたと思うのだが、もちろん躊躇することなく買った。俺も保坂さんのように本を投げ出して全裸で走り出したくなるような気分、というより全裸で街を走りたかったのだ。

 

最近、Youtubeでエロゲーや恐怖ゲーをやりながらワイプで自分のちんこを見せるという海外のYoutuberを見つけたのだが、それと似たようなものだと思う。自分でも何を言っているのかよく分からない。

 

何かを飽きずにやり続けられるのは良いことだ。俺の場合、無理な努力は続かない。気が付いたら小説を書いていた、だとか音楽を作っていた、だとか中国武術をやっていた、というようなことばかりで、逆にこれの弱みと言えばプツンと何かが切れて飽きのようなものが来てしまうと一切やらなくなってしまうということだ。

 

今は中国武術の中のさらにマイナーなとあることに夢中になっており、小説どころの話じゃなくなっている。それどころかこの半年で買いあさった本の数々が身の回りを埋め尽くし始めて足場が無くなってしまったので、未読のものも含めてまとめて部屋の段ボールに入れて物置に入れてしまった。段ボールに入れて物置に入れて、という言い方ってどうなのだろう?と考えて推敲するのが小説だったりもするだろうに、もはやあれだけ燃えていた文学愛も「小説を書きたい!」という意欲もなくなってしまった。

 

「小説を書きたい!面白いものを!」と思って書いているときが一番楽しいはずなのに、今のように何のこだわりも野心もなくなった状態で書いているほうがよっぽど筆が進む、というより筆が進むという感覚すらもない。ただひたすら書き続けているだけで、執筆の悩みなんてありゃしない。

 

なにしろこの話はリアルタイムに生成されつつある話であり、すでにストックが100万字以上あるものなので、俺がやっている弱小ブログに載せるだけなら簡単だ。まさにコピペするだけでオッケーなのだから。

 

ところで今日は練習ができなかった。例のハマっていることの。フラストレーションが半端じゃない。ハマっていることに比べると他のこと全てが色あせて見えてしまう。運動の快楽に目覚めたというのもあると思う。「スマホ脳」で有名なアンデシュ・ハンセンの「運動脳」という本には運動に抗うつ作用があるとか、ランナーズハイの時に分泌されるのは多幸感を感じる脳内麻薬が分泌されているとか、そんなことが書いてあって、つまりはそれが事実であれ半分ぐらい事実であれ運動が多幸感をもたらすのは間違いないということだ。

 

ずーっと座りっぱなしの俺が言うのだから間違いない。陰気に部屋に籠って小説を書いているより俺は運動しているほうがいいのだ。いや、でも村上春樹はランニングをしながら小説を書いていなかったっけ?ってことは俺は村上春樹ということか。ランナーが小説を書いているのか、小説家がランニングをしているのか、よく分からなくなってきた。そう言えばコンビニで何を買おうとしていたんだっけ?ランニングで思い出した。買いたかったものはスポーツドリンクだ。

 

「ふぅ、スッキリしたー……っつーか俺、なにしてんだろ」

 

相変わらずつまんねぇーとか思いながらスポーツドリンクをレジに置く。

 

「見せしめに殺った感がすげえ!」

 

さっきまで泣いていた店員さんが目をキラキラと輝かせて彼に言った。彼女は返り血を浴びて血まみれだった。彼もそれは同じだった。

 

「店員の目の前で堂々と人殺しするって万引きよりタチ悪ぃ……」

 

「すまん。血まみれになった商品全部買い取るから」

 

「ああいや、あなたが殺した奴と商品はこっちで回収するから弁償しなくていいよ。助けてくれてあんがと」

 

「……いいのか?」

 

「いいっていいって。あんな人間が生きてたって社会に悪影響しか及ぼさないから」

 

もし君がものに怯えているならあの本を読みたまえ。誰も知らない物語を。だがその前に聞きたまえ。もし笑い出せば怯えている証拠でもある。物語は君の目に生命の無い品物に見えるだろう。無理もない。だがもし読み方が分からなかったら?恐れる必要があるだろうか?君は孤独か?絶望しているか?人間はどれほどまでに君自身であるか?愚かで?そしてすっぽんぽんであるか?

 

立ちんぼを買うことにした。俺は彼女を選んだ。ホテル代を払いたくなかったので公園でやることにした。彼女がおしっこするというので俺はそれを飲んだ。

 

「あたしは神よ」

 

彼女は放尿しながら言った。

 

「気が狂ったのか」

 

彼女の小便を飲みながら俺は言った。

 

「いいえ、正気よ。見なくちゃダメ。見て!」

 

彼女の言う通りに俺はおまんこを見続けた。

 

「ああ、いい気持ちだった!」

 

彼女は満足げだった。

 

このあたりから文章は判読しにくくなっている。二人の登場人物は発作的な乱痴気騒ぎの中に滑り込む。だが作者は極めて露骨な描写と原稿の書き出しから用いてきた婉曲法とのあいだで絶えずためらっているよう思われる。

 

メモの形の書入れも該当箇所がはっきりせず、またいくつかの章句はカッコでくくられてはいるが消されてもおらず曖昧である。巻末の部分の清書らしいものはまったく見いだせないために、いずれかの文章を選んで作者にかわって独断的に決定するわけにはいかない事情を了解してほしい。

 

「マジカルドミカル黄金るるる!貧乏人はうんこを食え!スカトロ系魔女っ子ナース便所便所ガール兼マネージャーチャーミーゴールデンがきたからには、これ以上のオイタはゆるさないわよっ!性的な意味で去勢するっ!」

 

「ぶるるるーぶるるるー。現れたなチャーミーゴールデン!今回もうんこを食わせようとする魂胆か?」

 

「かかってきなさい、スカトロ怪人スカムトロン!このチャーミーゴールデンがスッキリとうんこ食わせてあげるわっ!」

 

「ゴールデン、きみは……」

 

「ごめんなさい。耳蝉さん、あたしの正体はチャーミーゴールデンなのっ!」

 

「な、なんだって!」

 

「隠すつもりはなかったの。でもあたしがスカトロ系魔女っ子ナース便所便所ガール兼マネージャーチャーミーゴールデンってことが知られたら、ただのスカトロマニアってことがバレてしまうから……。ねえ、あたしのこと嫌いになっちゃった?」

 

「そんなはずないさ。たとえきみがスカトロ系魔女っ子ナース便所便所ガール兼マネージャーチャーミーゴールデンでも僕の愛は変わらないよ。職業に貴賤はないから」

 

「耳蝉さん……」

 

「ぶるるるーぶるるるー。スカトロごっこは俺サマを倒してからにしたらどうだ?」

 

「頑張ってゴールデンちゃん。いや、チャーミーゴールデン!」

 

「ありがとう耳蝉さんっ!さあスカムトロン、イクわよ!マジカルカルカルスカトロスカトロ!スカトロ魔法、回し下痢!」

 

ブリリリリリリリリリッリリ!!!!!!!!

 

「くーっくっくっくっ」

 

「な、なんですって。全部食べたというの?」

 

「苦い、全く苦いよチャーミーゴールデン!俺サマが下痢程度に屈するはずがないだろう。まだだ!まだ終わらんよ!」

 

「それなら……これはどう。ゲル状腸壁放出弾!」

 

ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅ!!!!!!

 

「うっぎゃっあああああ!なんという臭いだあぁ!くやしい……でも香ばしい!」

 

小説とは何なのか?というのを調べてもこれといった「それ」っぽい定義が無い。散文で書かれた物語だとかなんだとか、物語ですらないただの散文ですらも小説足りうるわけで、国語の授業とかで無理やり読まされる小説は小説のひとつの形態にしか過ぎない。

 

「やぁ」

 

と男は言った。俺のライフワークとも言えるこの作品で「男」が何人出てくるか分からない。スキルがないからぼやかして「男」って書いておけばそれっぽくなるという安易さが凄く気に入っていて、登場人物は男と女とその他諸々ぐらいでいいかなと思っている。

 

ちなみに女のおしっこを飲むあたりの話はバタイユだ。バタイユのどれとは言わず気になったらバタイユの小説を読んでみるといい。何しろバタイユの小説は彼が残したエッセイや論文に比べてとてつもなく少ないからコンプリートするのが簡単なはずだ。彼曰く小説から悪を取り除いたら凡庸になる、とのことだった。だから冒頭で彼はコンビニ強盗を一刀両断したのだ。

 

一刀両断したあたりの剣術の描写ももちろん、才能のかけらもない俺が1から書けるはずもなく、元々持っていた時代小説や新しく買った時代小説からコピーしたものだ。

 

そして男はこう言った。

 

「話をしたいと思っていたのですが、お邪魔でしたか」

 

俺はその男を見つめながら何も答えなかった。答えるというより意味が分からなかったのだ。

 

「仕事中でしたか?」

 

「ええ、まぁ。閑職ですがね。だから仕事といった仕事はないのです」

 

男は「何々と言った」とかの小説っぽいやり取りが嫌だから、すでに書いてしまったようなものは消していっているようだった。でも本の表紙は黄色がいい。え?なんのこと?

 

「そうなんですか。でも仕事であることにはお変わりないようで」

 

「いいえ」

 

「どうも失礼」

 

と彼は言った。

 

「仕事と言えばなんでも済ませられるような風潮にアゲインストな感じなのですよね。一体なんだと言うのです?仕事とは。仕事って言っておけばいいとでも思っているのですか?」

 

「君の名前は?名字はないのか?僕たちが現実世界の振る舞いに慣れていることを除けば、非現実的なものは気づかれずに通り過ぎていってしまっていて、でも髪は伸びる一方なのだろう?で、切るつもりはないと。床屋が潰れるぞ。でも美容院にしかいかない。床屋と美容院の差は?」

 

「これはよくあることです。わかるか?そして、格子が野蛮だと思ったんですね。物体も同じです。つまり、大きなモノも小さなモノも、オブジェクトという名前すらありません。 それは何か他のものに対して認められなければならないのです。その何かとは、大きなモノの重要性の例で言えば、たいてい人間です。具体的に見ることができないんです。一緒にいろいろなことをやって、よく笑いましたね 」

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、というのはありふれた言い方だ。で、Who Knows?とかって続いたらそいつは話す価値が無い人間だ」

 

と落ち着いた声で言った。

 

「こういう不毛なやり取りやめにしませぬか?」

 

「なるへそ。そう思っていらっしゃる。」

 

相手がどういう体勢でどういう風な口調で言ったということが書いてあったらしいが、ありふれた小説臭い描写だったので削除した。誰がこれを書いたのだ?前の作者は酷いものを残していったものだと思う。しかもそれを推敲しろという話で、だったら白紙から書かせてくれと言ったのだが、あくまで推敲というのが条件だった。

 

「お仕事は何をしていらっしゃるのですか?」

 

「さっき言っただろう。この馬鹿が。閑職だと。」

 

「どうやって生計を立てているのです?」

 

「なんとかなっているというだけです」

 

男、すなわちメンは机の上で肘を支え、黙って僕を見守っていた。その時、彼の顔は違って見えた。霞んでるようなね。変な表情。信用できる感じじゃない。カギ括弧の最後に丸をつけるかつけないか、正しさとは何なのか、正義とは何なのか?結局、永遠とオマンコしながら射精しまくっていればいいんじゃないか。

 

「あなたがやっていることは意味がないように思えます」

 

「ええ、インディード。意味はないんじゃないですか?」

 

彼はドアを開けてちょっとの間、待っていた。ベースラインとリズムだけで音楽が構成されていて何が悪い!そんなに怒らないで!世の中があなたの思う通りになるなんて思わないで。でも間違ってないだろう。ベースライン、リズムだ。ハンバーガーだってようはミンチになった肉をパンにはさんでいるだけだろう?ハンバーグじゃない。ハンバーガーだ。だから人間ハンバーガーとか言うとグロテスクなイメージが浮かぶのだろう。

 

「お帰りですか?」

 

彼は動かなかった。少しは動けよと思った。そういう演劇っぽい作為的な動かなさをしてほしくないから俺は彼に伝えたんだ。結果的に「彼は動かなかった」とされるような動きになっても一向にかまわないのだけど、台本にそう書いてあるからそう実行したみたいな感じで動かなくなるのはわざとらしいからやめてくれと。

 

「僕はすぐに彼と話したかった。彼はあなたの意見に従うでしょう。要するに、僕はあなたと恋に落ちた。しかし、もちろん、このような関係が嫌なら、無理をしないでください」

 

彼はテラスに座ってテーブルの上の雑誌も開かず、コーヒーやパンをお金も払わずに食べ、頭を空にし、無秩序に象を待ち続けた。注意の流れの中でゲストは疲れて見えるようになり、彼らは物事を明確に区別しなくなった。それに全面的な推敲というか書き直しが必要だ。小説っぽいものを書こうとしているところが多すぎる。削除するのは忍びないのでっていうか忍びないの忍びないは忍びないで合っているかい?

 

初老の英語教師は

 

「さぁお前らの最高傑作を提出したまえ」

 

と気障な口調で宿題を回収した。俺は目をつけられていた。英作文が下手糞すぎていつもキレられていたから。でも優しかったな。チャンスを与えてくれて合格させてくれた。大学ぐらいは出ておけばよかった。

 

しかし彼は手が早い人間なんです。ダラダラ毎日過ごしているようで非常に凶悪で暴力的な面を持っていてべらんめぇになったら危険なので彼が生活に困っていないというのは本人が気づいていないところで金銭以上の破綻を防ぐ役割を果たしているのだということを彼は知らないようです。

 

暴力は過剰なコンプライアンスによってこの世から消えたかのようなものになりつつありますが、彼は必要な暴力もあると信じていて、例えばネットニュースでブラック企業に勤めていたチェーン店の雇われ店長が本部から来る人間にパワハラを受け続けて心身ともに病んでしまい自殺してしまったというニュースを見るといつも俺だったら初期の段階で殴り殺しているなってなんの道徳的呵責もなく思う人間なんですね。

 

その主張はシンプルなものでアメリカのような銃社会だったらそこまで執拗に追い詰めてしまったら追い詰められた側はウォールマートで銃を買ってきてそいつを撃ち殺しているだろうということでした。

 

今ではウォールマートで銃を買うようにエレクトロ・キットとかを買ってきて、もちろんネットでですよ。で、それを切り貼りするだけでそれっぽいのができます。音楽の手慰み。作った気になっているだけでしょう。それは。切り貼りしているだけなんだから。

 

句読点や区切りが無い感じは吉田健一に影響を受けていると言えばかっこいいが、実際は元々の俺のスタイルがそんな風なのであって、例えば今打った句読点などは小説っぽくするための小細工である。だから不細工である。男が出てきて話し合うところはモーリス・ブランショの「私についてこなかった男」だったと記憶しているが、本のタイトルに「私」が入っているところは俺が書いた「私」ではないので私ではない。シュールなやり取りの大半はブランショが元ネタだと思ってくれてかまわない。

 

「でもそれではせっかくのオリジナルな部分もブランショになってしまうじゃない?」と彼女は言った。でも俺は「一向にそれはかまわないさ」と答えたけど実際はそう答えなかった。

 

そのブランショに影響を受けたリディア・デイヴィスの短編かなんかも混ざって入っているように思う。ちなみに「ブランショになってしまうじゃない」と言った彼女の名前はリディアだった。ただの偶然の一致だ。DJ的な感覚で言うと元ネタをプレイした後にその元ネタが使われている曲をかけるようなものかな。俺の頭はミキサーだ。それ以上でもそれ以下でもない。だからそんな仕事しかできない。

 

そんな感じだから小説を完成させる前にまた武術に没頭してしまっているのだろう。今までは居合や剣術や弓道をやってきた。しかし今やっている中国武術は道場で習っているのとはまた違う、全身を使うもので、アクロバティックな中国武術の演舞ほどではないものの全身のフィジカルを強烈に使うもので、恐らくその快感に目覚めてしまったのだろう。

 

でも俺は書くべきなのだろうか?ちなみにこの書くべきなのだろうか?とか書くことに対するメタ発言を永遠に繰り返す手法はロジェ・ラポルトの模倣だし、今後、ラポルト本人の小説からコピーして改変したものも出てくるのだが、ラポルトの小説のほとんどは邦訳が無い。だからフランス語のペーパーバックを買って頑張って読んだ。自分でもありえないようなパワーが出ていたと思う。自分のフランス語なんてたかが知れているのに。

 

ちなみに「書くこと」を題材にしたラポルト自身もブランショに強烈な影響を受けて小説を書き始めた。「も」ということは俺もブランショの門下生ということになる。ラポルトは少ないブランショ公認のお弟子さんだったそうだ。だから俺は自称「弟子」だ。

 

ちなみに今はハマっているとある中国武術の文献が非常に限られたものでなおかつ中国語のものしかないので頑張って中国語で読んでいる。「知りたい!」という意欲が超人的なパワーを生み出すのだ。だから苦労を苦労とも思わなくなる。本人はただ知りたいからやっているだけだから苦労しているつもりなんて微塵もないのだ。

 

こうやって武術の練習ができないときに手持無沙汰になって色々と書いていると書くことに快感を覚えるようになる。そうなると逆に武術の練習をしなくなるのでは?と思ったりする。恐らく理想は今の俺の小説や文学に対するスタンスのような、全く愛も執着もなく、ただ書くだけ、というような領域なんだと思う。

 

作者は死に向かっていると言ったのはブランショだ。俺の小説はブランショの影響に塗れている。その結果、小説自体が無に還ってしまった。だからこのような状態になってしまった。下にはなるべく行かないように注意された。起こすといけないんだそうだ。でも誰を?

 

俺は階段を見続けた。でも降りる気にはなれなかったのでまた椅子に戻ってきた。練習の時にぶつけた左のテンプルのあたりがズキズキと痛み始めた。左に寺院があったら毎日参拝できるのに。脳内出血は?そんなことを言っていたら武術はできませんよ。痛いのはお好き?デビットまたはクレジット?

 

デビットが真っ二つ。デビーが真っ二つ。ほら、あそこを見てごらん、テントで若者がバリバリセックスをしているよ。このあたりはヴァージニア・スリム・ワンの影響だろうか。正しくはヴァージニア・ウルフだ。彼女は最終的に自分に石を括りつけて近所の池に入水自殺した。俺は自分が可愛いから小説を書き続けて最終的に自殺なんてしたくない。

 

保坂さんは小説=ネガティヴなヴァイブスがデフォルトという図式に疑問を持って、彼の作品の中で一切、ネガティヴなことが起こらないというルールを作った。初学者ながら俺も思ったことがある。確かにネガティヴなことはとにかく安易で簡単だ。悲惨なことはセンセーショナルだ。だから何かを起こせる。それでまたそれが何かに繋がる。逆に保坂さんのような、何も起こらない日常系の小説を書くのは恐ろしく難しい。

 

しかし保坂さんが「プレーンソング」でデビューした時はもちろん「日常系」などという概念すらも無かったので、本人曰く理解されるのに10年かかったそうだ。こういう雑学の合間に関係ない話を織り込んではまた脱線するというのはローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ」が原型だろうが、俺がもっぱら参照したのはデイヴィッド・マークソンの「ウィトゲンシュタインの愛人」だ。といってもベケットのマーフィー以上に出版社に出版を断られた「ウィトゲンシュタインの愛人」より参照したのは2000年以降の脱線スタイルを突き詰めたマークソンの諸作品だった。もはや小説の体を成していなくてもそれこそが小説なんだろう。

 

この辺が現代音楽に似ているという話も腐るほど出てくるし今まで俺は考えてきたと思う。突き詰めると原型が無くなってしまうのだ。「頼む!物語はやめてくれ!」と顔のない作家は叫んだ。「もちろん。そんなブルシットなことは絶対にいたしませぬ」と俺は答えた。いきなり「男」が出てくるという手法はベケットが作ったのか、そもそもこういう意味のない話や思念をそのまま書くというのはベケットの手法ではないのか。

 

でも俺がベケットを知ったのは小説を書くようになってからだ。その前から俺は考えたことをそのまま弱小ブログに書き続けるという生活を送り続けてきた。最近は中国武術にハマっているのでブログが更新できなくなってしまって、だったらもう執着が無くなった小説そのものをアップロードしてしまえばいいじゃないか、と思ってアップロードを始めたのだった。

 

でももしそれが終わったらどうする?そのような問いは愚問だ。来年どうする?5年後はどうする?そんなものは定住化するようになった人間が抱えるようになった心の病だ。今生きていればそれでいい。今はこうやって書いていて明日はまた一人稽古をしているだろう。それでいいじゃないか。それ以上、何を望む?

 

ってことで続きますんでんじゃまた。