行方不明の象を探して。その5。

nn

 

更新ありがとうございます。 段々と視点も話す内容もうつろったり戻ったりを繰り返していっているのが心地よかったです。リズムがいいんですかね。びっくり箱みたいで新鮮でした。私の少ない読書経験だと、mimisemiさんも前に記事の中で言及されていた「充たされざる者」に近い楽しみ方でいいのかなと勝手に思いました。意味を求める必要がないという解釈であってますでしょうか。

 

ただ「充たされざる者」は意味を与えようとすれば主人公の幼少期から現在までが別人として何度も現れる構造になっているとか解説に書いてあって「へー」と思ったり「本当かよ」と思ったり、なんだか妙な感じで、ディック感覚に近いものを感じました。 とにかく更新を楽しみにしていますので、がんばってください!

 

nnさん、いつもマジで激励ありがとうございます!意味はないともいえるのですが、全く共有不可能な形での個人的な意味はあったりしますが、どう解釈するか?とかどう読むか?とかは全く読み手の自由ですので、深く考えずに読んでいただけると幸いです。「充たされざる者」は参照にしたわけではないのですが、正直、その解説は微妙な感じがします。ああいう小説にそういう考察を入れて読むこと自体がすでにもうつまらない行為だと思うからです。あえて言えばイシグロはカフカ的なものを書きたかったという長年の夢を「充たされざる者」で叶えたという感じだったとは思います。

 

構造が無いものや意味が無いものに無理やり意味づけをして認知をすると途端にそれは自然に流れているようなものが人工的なものの介入によって固形のようなものになって、途端につまらなくなってしまうと思います。僕が習っている太極拳でも師父は一か所に留まることがなくて、止まっているようでも常に動き続けている意識が重要だということをよく言います。でもそれは恐らくこれは太極拳に限らず何にでも言えることなのでは?とかって思ったりしています。

 

だから大げさに考えてしまうと太極拳という拳法に物事の在り方の普遍性のようなものが現れているとかって言えなくもないのですが、それもそう解釈した時点で固定概念になってしまうので、考えない、流れを感じるような流動性が必要なんだと思います。僕が心地いいと感じる小説はそういう小説です。

 

と、このようにnnさんからの激励のコメントをいただいて、半年我武者羅というよりキチガイのように書いていた甲斐があったなと小説への情熱を失くした今の俺が思っても、そこに強度と嬉しさの妙なタイムラグがあって、書いていた時は「傑作を書いてやる」と思っていた時期もあったし、だんだんと「そもそも傑作なんてありゃしない」ということになって、だんだんと小説が自己分解するようになってから、自分のリアルの領域で風向きが変わり始めて執筆一辺倒だった生活から一気に武術一辺倒の生活になった今の俺は生をやめたい、生をやめたい、生をやめたいと思うようになって、生をやめたい?その他の無謀な策略については、アヌスとして、すべての出口を閉ざしてからにしたほうがエチケット的に得だからそうしたほうがいいわけで。

 

この得は徳も兼ねているわけだから。こうして俺は脱出の希望を持ち続けた。それを捨てられたら生きられない。彼女もそれに気づいていないようだった。その、俺がチラチラと見ていることについて。

 

俺はいつもの家の中とは違う場所にいた。でも家の中なので見た目にはあまり変わりがない。俺は気まぐれに動き回り、いつも家の中のいるべきない場所にいることに気づかず、彼女はその様子を見て後ずさりしてしまった。

 

「しまった!」

 

と俺は思った。悪手だろう。恋愛的に。恋愛の駆け引きが得意なほうではない。俺は。いや、そんな駆け引きしたことがないから経験値がない。経験値が無いとアルミラージとかに殺されたりする。殺されたりはしないけど魔法使い一人だと死んだりするのは、RPG史上において魔法使いは常に不遇だったからだ。

 

アルミラージにメラが効きそうなのに効かない場合、アルミラージの緑色の皮膚の表面はさぞかし硬いのだろうと思いきや、レベルを上げたフィジカル系の、例えば良い武器を持った戦士の一撃で絶命してしまうのを思うと、魔法とは何なのか?威力とはどういうことなのか?ということを考えずにはいられなくなる。

 

鳥山明のイラストで僧侶がバギを使ってモンスターをバラバラにしているものがあったのをよく覚えている。ドラクエ3の攻略本だったか。バギって怖いのだなと思った。バキの登場人物はそれに比べて硬い。何をやっても死なないから

 

「いやー!死んじゃう!」

 

と思わなくなる。そんな俺を見て彼女は泣いていただろうか?もし子供時代にふさわしい唯一の日が、比類のない精度を持つ素晴らしいストップウォッチの発明者であるアルミラージが、自分の発明に取り組む機会を与えられた日であったとしたら……。お願いします。子供の頃、僕は泣いていましたか?

 

センチメンタルジャーニーだ。彼女との駆け引きはどこに行った?Whereを「ホエア」って発音するやつは俺の学生時代にはいたと思うけど、さすがに英語教育も現在では若干マシになっていると信じたい。何しろWhereからホが発生する余地はどこにもないわけだから。世界中の誰もがどれを知ることがなかったとしたら、つまり彼の目に涙がなく、彼の額に泥がなかったら、そしてもし彼が青年期からまっすぐ成人に達していたなら、アルミラージの子供時代は、きっと何ら変わることなく平和に過ごすことができただろうに。

 

だとすれば僧侶が放ったバギが問題だ。アルミラージをバラバラにしたのは誰だ!引用困難川ひよこよりガンダムへ。

 

アルミラージのマブダチの44マグナムを持った男はおうちでは良いパパでした。娘は小学校に入学したばかりで奥さんは才色兼備でした。お父さんが大学の時に出会った人で、学校のマドンナ的存在でした。そんなマドンナのハートを射止めたお父さんはナイスですね。大学卒業後に就職が決まり奥さんも就職が決まり最初は共働きでした。しかし愛を育んでいるうちに奥さんが子供を授かりました。お父さんの仕事は安定しているので奥さんは退職をしました。その次の歳、赤ちゃんが生まれました。健康な女の子でした。

 

そして、我々がお互いに物事を表現する方法についてもっと知っていれば、最終的に彼の手を理解し、説明できるかもしれないわけで。 そして、一つの星から別の星へと跳躍するかのように、最終的には正確に記憶された経験の蓄積が、無限の可能性をすべて使い切る前であっても、それは知恵となるだろう。 つまり、スナップショットメモリでのみ奪還だ。

 

お父さんは一家の大黒柱になるべく頑張ってお仕事に励んでいました。そいつが現れたのは入社してから9年目のことでした。今回のお話で標的になる極悪人Aでした。極悪人Aは上層部の命令でやたらに社員たちを時代遅れなハラスメントで追い詰めました。Aののせいでやめていく社員が多い中、お父さんは家族を養うためにAのハラスメントに我慢していました。

 

「あなた、最近疲れてるようだけど、会社で何かあったの?」

 

お母さんはお父さんにそう言いました。お母さんは学生時代と変わらない綺麗さでした。それどころか歳を取ったことによって大人の女の色気が出てきてさらに綺麗になったと感じるほどでした。

 

「いや、大丈夫だよ」

 

とお父さんは言いました。でもお父さんは精神的に限界でした。抑うつ状態が表れていてエッチをしても勃起しないことがありました。そうしたことが余計にお父さんの精神を追い詰めることになりました。ある時、アルミラージを余裕でソロで倒せるレベルの魔法使いが現れました。そしてこう言いました。

 

「アメリカのことを考えてみなされ。やつらはほとんどカウボーイの末裔ですぞ。ネイティヴアメリカンを大虐殺してきた連中の国ですぞ。言わば大陸が血で染まっているといっても言い過ぎではない国ですぞ。そんな国では銃の携帯が認められているのですぞ。銃自体の利権やらなにやら銃反対運動もあるのじゃが、銃を持つのが当たり前という意識の人間も多い国なのじゃ。だからそなたに44マグナムを与えよう。カウボーイのように好きなようにぶっ放すといいぞ。射撃をしたくなったらまた俺を呼び出してくれ。射撃場に連れて行ってやる」

 

お父さんは喜んで44マグナムを受け取ってその場で射撃場に行きたいといって射撃場に行きました。お父さんは日頃のストレスを発散するかのように44マグナムをぶっ放しました。反動が強いことや下手に撃つと肩が外れたりする恐れがあるほどのものなので、撃ち方や注意点については魔法使いから厳密に、そして恐ろしく丁寧に教わりました。魔法使いはお父さんに射撃の才能があると思いました。そのくらいお父さんの射撃は大したものでした。お父さんが西部開拓時代のアメリカに生まれていたら伝説のガンマンになったかもしれませんのでしたよ。

 

お父さんはAをやれると思ったので次の日の出社が楽しみで仕方なくなりました。興奮して寝れなくなってしまったので、魔法使いを呼び出してまた射撃場に連れて行ってもらい、出社まで射撃場でずーっと練習をしました。

 

いよいよ出社の時がやってきました。お父さんはバッグの中に44マグナムを仕舞いこんで出社しました。お母さんはお父さんが少し元気になったように見えたので安心していました。娘さんは

 

「パパー。お仕事頑張ってねー」

 

と言ってお父さんを見送りました。目に入れても痛くないという言葉はこの子のためにあるのではないか?というぐらい可愛い女の子でした。女の子の名前は優美ちゃんでした。才色兼備の奥さんと西部開拓時代に生まれていたら伝説的ガンマンになっていたかもしれないDNAを受け着いた娘さんです。可愛くないはずがありません。頭もとびきり良いのでした。「とびきり」という表現方法は本来の僕の表現ではありませんが、村上春樹がよく使うので感染してしまったようです。

 

俺は朝、オナニーした。他の男たちと同じようにね。一人でいるとき、俺は時々歩くことを忘れる。俺はただ動くだけだ。時には触れ、時には触れない。そして、その間にあるものすべて、俺は話すことと考えることを組み合わせることを忘れて、ただ考えているか、話すフリをするか、なぜかは誰にもわからない。すぐ外にあるものとの切断の仕方は、予測可能でしょう?だから、謎で終わることはないんだ。

 

挨拶。それは、人が覚えているどんな方法とも、猫が出す音と同じくらい異なっている。僕はこの点では珍しくはない。僕は自分が絶対に住めないと思うような、ありがた迷惑な陣取りに憧れる。例えばそこではすべての子供が武装している。で、どこに行くんだ?陣地への脅威と思ったんだ、大きな町へ来ないか? 遠慮しとくよ。今思えば、上も下も分からなかった。どうして見逃したんだろう。しっかりしろ、と。 

 

点が極端に多い文章は途端にキチガイ臭くなる。高尚な本のレビューにやたら句読点が多いレビューを書いている人間を見ると、こんな高尚な本を読んでいてちゃんと内容も理解しているのにこんな気が触れたようなキチガイみたいな文章しか書けないのか、と愕然とする。俺は人間が怖い。そういうのを見ると意味が分からない。

 

洞窟に居たとする。いや、目の前に凄く大きな洞窟があって奥から妙な物音か鳴き声なのか、とりあえず何かが潜んでいるからその洞窟には入りたくない。でも虎穴に入らずんば虎子を得ずとは関係ない理由で洞窟に入らなきゃいけないわけで、そりゃ怖いだろう。チビっちまうだろう。もうチビってるんじゃないかい?ベイベー?

 

でもね、そんな洞窟の恐怖よりも凡庸な人間への恐怖のほうが途轍もなく大きいんだ。だって洞窟の奥にいるかもしれない化け物は、いないかもしれないけど十中八九化け物だろう?でも人間は化け物じゃないんだ。なんなら俺と同じ種だ。なのに狂ってやがる。大半のやつらが普通の顔をして内面に狂気を潜めていやがる。だったらまだ普段から狂気じみているほうが分かりやすくていい。

 

「ああ、あいつはキチガイなのだな」

 

って詮索しなくてもキチガイだと分かるから楽だろう?でも潜在的なキチガイは大勢いるわけで、そんなのが街を歩いているわけだから、俺はシェルターを作って、そういう化け物から身を護るためにそこに籠り続けたい。でも別に人畜無害な人間に襲われたことは一度もない。ヘッドフォンの話が先に出てくると思うけど、それこそ気の持ちようだ。他人は他人。自分は自分。ありふれた言い方だな。もっとなんか無いの?言い方。

 

時間に逆らって仕事をするのは、また別の話だ。タイプライターは、会社の好意で朝食のルームサービスという簡単な依頼を書き出すと、かなりぶっ飛んだ。これは単なる記録だ。ベンチに座っている自分の横で、言葉の形が木から降りてきて、男のように戦っている。男ってのはメン的な意味でジェンダーは関係ないっす。

 

僕は自分の隣にあるベンチに座っているわけではない、それがどんな意味であれ、 ここは習慣の街である。ここでは僕はあらゆる方法で完全に言葉を知ることができる。そして言葉の怒りが、自分という夢の中で自分を壊す。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。