行方不明の象を探して。その10。

続き。

 

「僕が死ねばいいと思った?」

 

「少しね」

 

「本当に少し?」

 

「・・・忘れたわ」

 

二人はしばらく黙った。象はまた何かを喋らなければいけないような気がした。

 

「ねえ、人間は生まれつき不公平に作られてる」

 

「誰の言葉?」

 

「ジョン・F・ケネディー」

 

「なんだよ。動物の分際で」

 

「レイシストかこの野郎。シバくぞ」

 

陰毛にブラシを通すと、性器に電気が流れ、金色の景色が永遠に輝き続けた。性器の電気は、この黄金の世界を永遠に照らし続けるだろうと女は言った。小さいころ、ひどく無口な少年だった。両親は心配して知り合いの精神科医の家に連れて行った。

 

医者の家は海の見える高台にあり、日当たりのよい応接室のソファーに座ると、品の良い中年の婦人が冷たいオレンジ・ジュースとにこのドーナツを出してくれた。ただコーラのほうが良かった。

 

ドーナツの甘さによって、最初は甘く感じられたオレンジジュースが相対的に酸っぱい味になってしまうからだ。こういうことってあるよね。気が利いてるのはいいんだけど、細部が惜しかったなっていう。そこに気がつくか気がつかないかで人生変わるよね。気がつかない方が幸せだし、気がつくことの幸せもある。

 

でも大体、鈍感なほうが神経に障ることが少ないから長生きできそうな気がする。人間は少なからず自分を鈍化させて生きているようなものでしょう。ガラス細工のような心では壊れてしまったら修復が利かないですからね。

 

膝に砂糖をこぼさぬように注意してドーナツを半分食べ、オレンジ・ジュースを飲み干した。ファンタとかの合成甘味料バリバリのオレンジなら甘いのに、変に自然志向な味がしやがる。ドーナツとの相性が最悪だ。レモンジュースみたい。

 

「もっと飲むかい?」

 

と医者が訊ね、首を振った。酸っぱいからいらない。ファンタならよかったのに。二人きりで向かい合っていた。正面の壁からはモーツァルトの肖像画が臆病な猫みたいにうらめし気に睨んでいた。その位置が悪かったから、すぐ位置を変えたんだけどね。よくあるでしょう?

 

深夜の音楽室に行くと作曲家の肖像画が動き出すとか喋りだすとかね、じゃあ、各学校にいるモーツァルトとかベートーベンはみんな同じなんですか?違うものが笑っているのだよね。言わば肖像画そのものがですよね。そういえば、ヴィヴァルディもそうだった。そしてそれは静かな夜であることを知るには十分だった。しばらく、僕は家でサボることを考えていたことを認めよう。

 

彼は救貧院で死んだんだったね。バッハの未亡人のアンナ・マグダレーナもそうだ。そして、その子供たちとも。そのうちの何人かは当時、実際にバッハ自身よりも音楽で成功した人たちもバッハ以上に音楽界で成功した人もいる。しかし、ロベルト・シューマンも精神病院に入院し悪魔から逃れていたんだよな。その中にはフランツ・シューベルトの亡霊もいた。でもまだ肖像画はなかった。シューベルトの幽霊もいた。

 

それにしても可哀想なフランツ・シューベルトの亡霊。かつてアメリカを訪れたチャイコフスキーは、最初の夜をホテルの部屋で泣きながら過ごした。ホームシックにかかり、ホテルの一室で泣きながら過ごしたこともある。少なくとも首が外れなかったとしても。哀れなジェイムズ・ジョイスは、雷が鳴ると家具の下にもぐりこんでしまう誰かであった。


雷が鳴ると家具の下にもぐりこむような人だった。かわいそうなベートーヴェン、子供の簡単なかけ算を習わなかった。ベートーヴェン。

 

「昔ね、あるところにとても人の好い山羊がいたんだ」

 

素敵な出だしだった。目を閉じて人の好い山羊を想像してみた。

 

山羊はいつも思い金時計を首から下げて、パブリック・エネミーの時計を想像すると分かりやすいね。オールド・スクールのブリンブリン。プッチンプリンとプッチーニ。ところがその時計はやたらに重いうえに壊れて動かなかった。そこに友達のウサギがやってきてこう言った。

 

「ねえ山羊さん、なぜ君は動きもしない時計をいつもぶらさげてるの?重そうだし、役にも立たないんじゃないか」ってさ。「そりゃ重いさ」って山羊が言った。「でもね、慣れちゃったんだ。時計が重いのにも、動かないのにもね」

 

医者はそう言うと自分のオレンジ・ジュースを飲み、にこにこしながら見た。いけ好かないやつだなと思った。その時、自分の頭を開き、そこにある真実の言葉を発した。つまり頭の中にある場所から医者のところまで、医者はそれを受け取るために待っているように思えた。医者の顔は熱心に受け入れる様子を映し出していたので、全ての労力を注いで、世界の舞台でのデビューに向かって、ゆっくりと動いていくことにした。だから黙って話の続きを待った。

 

「ある穂、山羊さんの誕生日にウサギはきれいなリボンのかかった小さな箱をプレゼントした。それはきらきら輝いて、とても軽く、しかも正確に動く新しい時計だったんだね。山羊さんはとっても喜んでそれを首にかけ、みんなに見せて回ったのさ」

 

そこで話は突然に終わった。

 

「オチは?パンチラインは?」

 

医者に尋ねた。

 

「パブリックエネミーNo.1の誕生というわけだ」

 

「殺すぞテメエ。お前こそパブリックエネミーNo.1だろ」

 

と怒鳴った。その場にいた人たちの中には、ある種のパニック状態に陥っているのが見て取れた。その背景には実験室の助手たちが、犬の糞を片付けたり、器具の構成をしたりしている。ラットやマウスは、白と黒、そして数種類のグレーがある。100個のケージの中で、車輪の上でカタカタと動いている。

 

ポイントマンはここでただ一人、平静を保っている。彼は平静を装い強そうに見える。しかし無口な少年が「殺すぞテメエ」なんて言ったものだから、あくまでそれは平然を装っているようにしか見えなかった。彼の白衣は最近、サヴィル・ロウのような落ち着きさえ感じられるようになったのに、それが無口な少年の一言で台無しになっていた。ウエストは絞られ、通気口は大きく開き、素材はより上質で、ラペルはやや無骨なノッチ付きだ。この干からびた時代に彼は豊かさを謳歌している。喧騒が静まってから

 

「危険はない 」

 

と、なだめるように話す。

 

「冗談ですよ。未成年でも捕まりますから。本当に殺したらね」

 

と、なだめた。

 

「危険はない?」

 

二人は互いを見つめた。どちらかが嘘をついているのか、ハッタリなのか、あるいは両方なのか、あるいはそのすべてなのか。そのすべてか。しかし、それが何であれ、ポイントマンの方がわずかに有利である。

 

自分のプログラムの消滅に正面から向き合ったことで自分のプログラムの消滅に正面から向き合うことで、彼は大きな知恵を手に入れた。自然界に生命力があるとすれば、官僚制にはそのようなものはない。神秘的なものは何もない。

 

すべては、そうでなければならないように、個々の人間の欲望に帰結する。そうです。もちろん、女だってそうだ。しかし生き残るためには、十分な欲望を持つこと、つまり、他の人よりシステムをよく知ること、そして、その使い方を知ることが必要だ。そしてそれをどう使うか。それは仕事であり、それがすべてである。人間離れした不安は、意志を弱め、女性化させるだけです。人はそれを甘受するか、勝つために戦うか、そのどちらかです。

 

んじゃまた。