行方不明の象を探して。その30。

巨大な覗き窓の中では、繊毛と振動のエネルギッシュな塊が、疲れ知らずで水を叩いているように見えたことだろう。僕は今いる場所に背を向ける決心をし、小さな森に入り、そこでしばらく歩き、そして横になった。一日はほとんど終わっていた。昼の光はほとんど残っていなかった。しかし丘から見える風景は、夕暮れから解放されたように、のびのびと輝いていた。しかし、その風景もつかの間で、また早く終わって欲しい平凡で辛い日常の光景のイメージがあたまを占領することとなった。

 

例えば目の前にある木。これは木であって木ではない。光り輝く空気の中に虚しく浮かんでいる何かだ。葉の茂みは、きらめく太陽の光に撃たれながら、その日の悲しいイルミネーションに追従するかのようだった。空気は重くなっていて、居心地が良いわけではないのにも関わらず、動こうと思えなくなっていた。

 

そんな退廃的で主体性の無い生き方なんてけしからん!と言われてしまいそうだけど、令和元年に生まれたこの気分が行動の哲学になっている。野菜や肉を買うなら盗むのが一番いいし、前にマン引きGメンズに捕まった時は永遠にGスポットを責められて、生物学上まだ分かってないことが多い潮吹きの原因を特定するために、宗教法人を立ち上げたまだお怒りであるだろうキリンさんが、やっぱり象さんのことが気に食わないみたいで。しかし、しばらくして眠りについたのでしょう。キリンさんの寝顔は可愛いものでした。

 

景気がいい六本木と銀座を比べてみると、学校の子たちと一緒なら、代官山とか乃木坂のがいい気がする。象の友達の知り合いの純一郎と一緒の時は少し上品に立ちんぼとファックするのではなくて、普通の風俗に行ったりする。そのほうがゆったりする。

 

おしっこしたいからトイレに行ってきた。夜中に景気がいい街を彷徨うのであれば、青山三丁目のオリジナル・キャンタマンというギャングがやっている24時間営業のカフェを基点にして動くと、誰かに襲われそうになったときにキャンタマンのギャングが1ターン防御するなりしていれば加勢に駆けつけてくれるので、治安が良い日本でさらに治安の良さをマンキツすることができる。

 

報酬はブロー・ジョブで。あ。キャンタマン達への報酬ね。手コキのことではなくて、手の仕事という意味で、端的に言えばキャンタマンで働いてその賃金で報酬を返すというシステムになっている。キラー通り沿いにあるサンフランシスコ・レバーのお店で拷問の果てに肝臓を肥大させて作られたトリュフという世界3大珍味を頂く。

 

「お腹を壊さないといいけれどね」

 

なんて洒落こみながらしゃれこうべが野ざらしになっている辻を辻斬りに会わないかどうか警戒しながら歩くことを考えれば、やはりキャンタマン達にオプションで家まで送迎をつけてもらったほうがブロー・ジョブ報酬は高くなってしまうけど、こちらのほうが安全極まりない。

 

何しろ辻斬りの大半は気違いのストリート・キラーか、新調した刀の切れ味を試したいアブないやつらなので、キャンタマン達の銃火器の前ではひとたまりもない。宮本武蔵のような剣豪だろうが、銃火器を前にしたら手が出ないのは当然のことだ。そういった意味でもキャンタマン達とホーミーのような関係性を築き上げつつあったのだが、現在ではそれは黒い交際とか反社との交際などと言われて、関わっただけでも法的な問題があるらしい。

 

じゃあなんで青山でカフェを営業できているのか?という話になってしまうのだが、そんなキャンタマン達のクルーと共に特別な日にはフランス料理を食べに行く。六本木なら古い株料理を中心に出すお店、サーズデーなら、天現寺橋の名前は忘れた料理屋さん。お魚屋さんだったと思う。聖心や女学館の横をニヤニヤしながら散歩していれば、職質の後、即、現行犯逮捕。

 

象さんが講演旅行から帰ってきた暁には、スペシャルを振るってみせよう。そうすればキリンさんとの紛争の解決の糸口になるかもしれない。築地で仕入れてきた生きのいい女の子を使って、女の子の白いワイン・ソースを作ってしまう。ガンジャのきざみでお皿の回りは緑に。LSDで風景は黄色に。これでは抜きすぎで太陽が黄色く見えるのか、セックスのし過ぎなのか、いずれにせよ射精し過ぎなのに変わりはないが、どの道、白いワイン・ソースとの色合いがとても素敵になりそうで、今から楽しみにしているよ。

 

崖からダイブと呼ばれるベルギーで流行っている危険な遊びで、ビタミンたっぷりのサラダもYoutubeにアップすればアクセス数が稼げて少々のマネタイズなら可能かもしれない。食前には必ず部屋を冷やしておく。絶対零度の中で食べる料理の味は格別だ。生きるか死ぬかのスリルの中、食べ物が口の中に張り付いて窒息して死ぬ人もいる。

 

デザートのケーキが出てくる頃には誰一人として生き残った者はいない。原宿の竹下通りにいる、洋服を押し売りしてくる外国人はしょっ引かれたのだろうか。聞いた話では、その外人について行くとぼったくりバーならぬぼったくりの洋服屋で無理やり洋服を買うように脅されるという。試着をしただけで

 

「それは買わないとダメだ」

 

と言われて、4000円ぐらいのジーンズを4万ぐらいで買うことになる。それがやくざのビジネスなのかは知らないが、やくざを締め付けすぎるとやくざがよりやくざっぽい商売をするという悪循環になってしまうので、無駄に締め付けてもしょうがないと思うのは自分だけではないはずだ。

 

チャイニーズマフィアとか韓国マフィアとか他国のマフィアがシマを争うとするときには武力行使することで、結果的に街の治安が守られるというような皮肉めいたアンダーグラウンドの世界の秩序が、現実の世界の秩序に影響を及ぼしているのを考えると、例えば昨今、半グレのような集団がやりたい放題できるのも、やくざがそういう連中をシメることができなくなって無法状態になっているからだと言われている。

 

テニスの練習がある日ですらも半グレに襲われないかどうかビクビクしながらテニスコートに行くことになる。だからより多くのブロー・ジョブ報酬を払うことになっても、キャンタマンの24時間護衛サービスというのを利用せざるを得なくなった。実際に襲われることはなくて、ただそれは形而上学的な不安なのだ。

 

半グレも何の理由もなく彼らに利益がない一般人をただ襲うというようなことはしないので、キャンタマンの護衛サービスなんて本当はいらないのだけど、普通の日なら気分によってボート・ハウスに行ったり、リーマン・ブラザーズの社内見学ツアーに参加するために渡米したりもする。

 

護衛サービスのインターナショナル対応はしていないので、日本ほど平和ではない海外では常にビクビクしながら行動することになる。スカートもそれに合わせて重武装することにしている。原宿の武器屋で買った重厚なハンマーは見た目はただの金づちで、持っていても軽犯罪にはならない。力が強いほうではないが、ハンマーを重厚派生にすることで、筋力補正というものがハンマーに乗ることになって、例えば軽くそのハンマーを振っただけでも、怪力の男がフルスイングでハンマーを振るぐらいの威力が出る。

 

いつも鍛冶を頼むのは青山のヒューグか渋谷のイジーだ。イジーは普通のハンマーではないようなユニークなハンマーの鍛冶が得意だと聞いたことがあるが、実際にユニークなハンマーを鍛えてもらっても、体感的にヒューグとあまり変わらなかったので、ガセネタか浜野純なんだろう。

 

でも一番振っていて気分がいいのは、どうしてもサンローランのものになってしまう。未強化でもそこそこの筋力補正がついており、なおかつ若干の技量補正があり、派生によっては信仰や知力などの補正もつけれるというオプションがあるので、値が張ってもサンローランのハンマーを買うことが多い。

 

いつ振っても飽きがこないオーソドックスで上品な感じが魅力になっていると思う。六本木に遊びに行くときは常時、このサンローランのハンマーを携帯している。鍛冶で鍛えすぎるとOPになり過ぎて人を殺しかねないので、未強化のままにしている。ディスコ・パーティーがあるときはディオールのハンマーを使うことが多い。

 

ディオールのハンマーはドラッグやアルコールでグデングデンになっていても命中率の補正がかかっているので、適当に振っても当たる確率が高い。「マヌーサにかかっても大丈夫」というネットCMがYoutubeでよく流れることがあるが、それは幻に包まれていても適当に振ってれば相手が雲のような形態をしていても大体当たりますということだ。

 

ベンチに二人の男がいることを想像する。二人のやりとりを見ることはできない。しかし、フィルムは曇る、あなたは1つの重力を含み、季節であればプルーンの皿を追加することを知っている。言わば男性自体が、公園である。2人の男が話したとき、彼らは永続と無常について話した。 二人は、あるものは無常であり、あるものは無常という言葉が当てはまらないものであると指摘した。陳腐過ぎてどうしようもない内容だったんでどっかにダイヴしよう。