行方不明の象を探して。その31。

この写真は、夕暮れ時に撮ったものです。水平線に二人の人間がいる。おまえは、彼らが他にどこにいるのかと言うかもしれない。おまえって言う言葉を使う小説があるけどイライラするよね。

 

俺の場合、数学の問題とかでも「解け」とか言われるとなんでお前に命令されなきゃいけないんだ!とかって思って解答用紙をビリビリに破いたことがあったっけ。なんて美しい物語の始まり方なんだろう。学校には恨みしかない。解けだのお前の点数は何点だの、なんであんな機関に評価されなきゃいけないんだ?俺はちょうどその機関から抜け出している。

 

輸入ドラッグを買うならやはり青山のオリジナル・キャンタマンレーベルから出ているドラッグ類が一番安心できる気がする。あくまで気がするだけで、実際に安心できるかどうか分からない。

 

しかしオリジナル・デンジャラスの異名を持つディーラーに信頼を寄せており、イカつい見た目とは裏腹に内面は超まじめなマイホームパパだったりするところが、余計に信頼を倍増させるところがあるし、彼のドラッグ論は素晴らしいものがあって、ドラッグ論の本でも書けばいいのにといつも思うのだけど、ドラッグに手を出した時点で人間じゃないという酷い差別がある差別大国日本ではそんなことは実現できない。

 

ドラッグに手を出しただけで差別するなんてある意味、人種差別より酷いことだ。そういった日本の倒錯した行き過ぎのモラルはLawルートを辿ることなくChaosルートを辿ることになる。ルシファーが物件を探しているのも日本だと言う噂をエクソシスト仲間から聞いたことがある。

 

ルシファーはそういった大して悪でもないものにやたら抑圧をかける国を気に入るようで、日本はそういった意味で悪魔に魅入られている国だと言える。腐ってもキリスト者の自分してはそんなことは絶対許せない。だからレーニンのLawルートを辿るべく、農民たちに働きかけて武装蜂起の準備を地下で10年以上行ってきた。幸いなことに日本はロシアではない。

 

プッツン大統領・頭パーン首相がいない国である。その代わり政治家の大半の頭が空っぽなのがキャンタマに傷といったところではあるが、侵略戦争を始めることに比べたら、まだ空っぽの方が人畜無害だ。

 

その瞬間から、「あ、これだ!」と思いましたね。それ以来、いろいろなものを合理化してきた。まるで重量過多になったキャラクターが、せめて中ロリを、と思ってカット率を捨てて中ロリ回避に向かうように、昭和の間、ありとあらゆるものを放り出し、そのかわりにほとんど何も身に着けないまま街を歩いてしょちゅう捕まっていた。獄中でドストエフスキーの地下室の手記を読んで物凄く感銘を受けたのを覚えている。

 

裸で路上を歩いたことが果たして正しかったのかどうか、確信は持てない。裸になったことは確かだとしても、年老いて死を迎えようとしたときに一体何が残っているのだろうかと考えると非常に恐ろしい。なぜなら、サンマを焼いた時点で焼き魚に分類されるだろうから。

 

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない」

 

死んだ祖母はいつもそう言っていた。だから裸でいて何が悪いという気にもなってしまうのだ。夢さえ見ないぐらいだったら捕まってでも裸になったほうがいいに決まっている。「裸でいて何悪い!」と警察官を罵倒したのは某アイドルユニットのメンバーが最初だと言われているが、有名ではないだけで、最初にそれを言ったのは自分だ。

 

もう一度裸について書く。これで最後だ。

 

ビッチベラ・笑福亭という落語家をご存じだろうか?DJディーオンの使いまわしのトラックのラップが「ビッチベラ笑福亭」と聞こえたことを天啓だと思い込み、落語家になった人物だ。笑福亭というのは屋号で、普通は「笑福亭・ビッチベラ」になるはずだが、ビッチベラ・笑福亭はビッチベラが屋号で笑福亭が芸名なのだ。

 

落語家なのに全く落語をせずにDJディーオンのレコード収集を生きる喜びとしている露出狂のこの男は、ルソーの告白に感銘を受けて露出をし始めたという露出界では伝説的人物だ。ルソーのようにマゾだったかは定かではないが、憧れはクライムファイターズ2に出てくる露出狂のようなコートの開き方をして実はコートの中はダイナマイトだらけで、そのダイナマイトをばら撒くというキャラクターの行動倫理だった。

 

もちろんそれは自爆テロを夢見ていたわけではなく、命をかけてコートを開くという行動倫理に憧れていたのである。倫理的ではないのに彼はそれが人間としての倫理だと信じて疑わなかった。警察に捕まるときはクライムファイターズ2のボス達がやられた時の声を模倣して

 

「ウェェェェェイイイ!」

 

と叫んでいた。捕まることを想定済みで練習に練習を重ねた雄たけびだった。ゲームセンターでは異様に音が大きいゲーム機の音が店内を支配する。ゲームセンターに通っていた頃に煩かったゲームはダントツのウルトラマンだった。

 

「エヤッ!グァァァッ!」

 

というウルトラマンの声が割れ気味なぐらいの大きな音でゲーセン中に響き渡っていて、クライムファイター2のボスを倒すことで、ウルトラマンの煩さに対抗しようと必死だった。

 

散歩をするなら有栖川公園から元麻布の西町インターナショナル・スクールを通って、オーストラリア大使館の横の暗闇坂を下り、麻布十番に出る頃には大抵ガンキマりだった。麻布は地名の通り麻の葉が自生している場所で、マリファナ・フリーの場所になっている。このフリーはスモーク・フリーの意味ではなく、誰でも好きなだけ取って吸ってくださいの意味のマリファナ・フリーだ。フリー・マリファナ。

 

マリファナ風味のハーブタバコ「カナビス・フリー」を喫煙所で吸っていると、その匂いを知っているやつがすぐ反応するのが面白い。カナビス・フリーを大量に買って、全てに質の良いマリファナを混ぜてタバコのように吸うのが風流なマリファナの吸い方だと思っているし、それが美学だと思っているので、麻布の麻広場から葉っぱを摘んできて吸ったことは一度もない。

 

一度、北海道の北部でマリファナが自生している場所の葉っぱを残らず焼き払うという仕事したことがあった。華氏451よりも狂った世界に挑戦しようと思った人間は若者ばかりで、その場に派遣された人間はマリファナ好きのする顔の人間しかいなかった。

 

燃やすときに出る大量の煙を吸ってラリることが無いようにマスクの着用が義務付けられていたのにも関わらず、派遣された人間たちはみんな薄笑いを浮かべながら大体みんなキマっている感じで、マリファナを燃やす煙を大量に吸っては、その様子をインスタグラムにアップしたりSNSに上げて「これぞ炎上!」などと書き込みをしていたのだが、実世界では炎上しなかったのが印象的だった。

 

といって、これだけが「気分」だとしたらつまらない。マリファナを吸う場所としては、駒込の六義園や古河庭園だっていいものだ。向島の百花園を見てから、言論団子なんて食べて、滑り台を歩くのもいい。

 

浅草は何度行っても飽きないところだ。DJブームの頃に宇田川町界隈に乱立していたアナログ・レコード店の大半は潰れてしまったが、6割ぐらいは浅草に移転して営業している。大黒屋のレア・グルーブのコーナーは衣が薄い店員が接客をしているということもあり、ランジェリー・パブならぬランジェリーヴァイナルといった趣があって根強い人気を誇る。

 

花電車のジェット・プッシー・アローは花電車という日本の伝統芸能を教えている数少ない花電車教室の一つだ。もちろんオマンコから矢を飛ばして風船を割るという花電車と言えばこれ!みたいなものは花電車芸の一つでしかなく、オマンコから火を吹く女とか、あとあんま思い出せないけど、とにかく色々あるから是非、あなたも試してみてほしい。

 

千駄木から谷中、日暮里にかけてのあたりも、なんともいえない良さがある。鴎外記念図書館の横にある団子坂を歩きながら、鴎外の過大評価と盗作魔だったということを考えると、日本の文豪というのは、まぁ言ってしまえば海外もそうなのだが、近年になればなるほど過大評価されている人たちが多すぎると思う。

 

例えばさっき部屋でかけていたPhutureもアシッドのオリジンだから良いわけで、仮に今二番煎じをやってもまったくウケないだろう。アシッドのオリジンとしてのアイコン性や歴史性を踏まえれば重要なのは間違いないが、音楽として優れているのか?というのは全く別問題である。

 

とあるギターを弾けないギタリストの動画で、演奏の時に変な間が空いたときの顔が小学校の頃の妹の同級生のO君の表情に似ているとさっき気がついた。社会的に有用な思い付きは天才の思い付きとかって言われるけど、俺の思い付きとか「そっか」みたいなのは大体、実はそれが結構凄いものであったとしても無用なものばかりだ。

 

今、O君はどうしているのだろうか。そもそも俺の同級生ではなく妹の同級生だからほとんど接点が無かったのだ。なのになんで思い出したのだろう。一日中ヘッドフォンをしているとヘッドフォンがおっさんみたいな臭いになる。でもそれは俺から発せられたおっさんの臭いなのであって、俺がおっさんになりつつあるという証拠なはずなのに、俺は一向にそれを自分の臭いだと認めようとしない。

 

寝るのが早すぎるので夜中まで起きていて次の日に昼ぐらいに起きたのにその日にまた18時頃に眠くなった。一日6時間しか起きていないことになる。でもその6時間の頭の冴えが物凄かったので、全く生産的ではない、ただ起きているだけの日みたいな時より全然いいと思った。

 

でも、あなたはまだ子供よ。いいや、口が達者なだけだ。子供は未来を見ることができないしシグナルを読むことができない。ただこうやって練習しているだけ。俺と他の2人はマリファナの練習をしてたんだ。あと缶ビールを2本。  

 

俺と他の二人はこの公園にいる。ソラーズ、バルト、クリステヴァ、プレイネットらによるテクストの構築を分析することになったとき、彼女はいくら忍耐力を養っても、これらのテクストが何を目指しているのか、まったく理解できなかった。

 

なぜなら木がたくさんあって隠れる場所がたくさんあって、そこで話しながら練習したのにも関わらず、分析は クソの役にも立たなかった。個人的には気分が悪くなるんだけどね。そして、この砂丘を回ってみると、男と女が本気でやり合っていて、ショックを受けた。テクストがどうのとかじゃなくて、こういうフィジカルなファイトなんだと。 

 

ケツのことは忘れていた。一瞬、すべてがクリアになり、ただこの出来事を眺めていたのだが、ショックだった。いや、衝撃的でしたね。自分がやっているときは、とても楽しいと思うから考えないけど、他のことは忘れてしまうんだ。 

 

人が食べているのを見るのが耐えられないんです。他の人たちと一緒に食事をしていて、みんな笑って話しているのに、他の人が来て、ただ見ているだけなんだ。彼はあたしを見て、人が食べるのを見ている……だから止めなきゃいけないんだ。