行方不明の象を探して。その29。

饒舌はアシッドと共にサイケの果てへと境界線を越えたあたりの砂漠に立ち尽くした立ちんぼのような情景だわね。

 

「じゃあ相対的に僕と話をしよう」

 

「その「相対的に」とか言うのが似非インテリ臭いのよ。ソーカル事件って知ってるでしょ?所属レコード会社はユニバーサルミュージック。愛称は事件」

 

「今度、会うときまでにリサーチしておくよ」

 

「そうして!」

 

マッチでようやくジョイントに火をつけることができた。

 

「でも今度までに君の顔忘れちゃうと困るから電話番号教えてよ」

 

「よくいうわよ」

 

「じゃ、僕のを教えておくよ」

 

彼はそれでマッチ棒に名前を書いていったのだが、文字が小さすぎて読めるはずがなかった。書店に行くと必ず妄想することがある。いつか自身の本が書店に並び燃やされるのだと。本のタイトルはシチュエーション・インターナショナル。ガリ版刷りで、表面がマッチ箱の横に、ざらざらしているところがあるでしょう? ここについているドラッグを「側薬」、マッチ棒の先についているものを「頭薬」というの。罪を擦り付けたときの罪悪感や後悔で、火がつくようにしているわ。

 

置かれた本棚の両隣の本から焼いていくのよ。でもそんな本は置くわけにはいかないから華氏451で焼くように書店員達に通達が送られるの。で、結局、厳密に華氏451で焼くということが分からないからバーナーで焼くのよ。そうするとバーナーの勢いが凄すぎて他の本どころか書店自体が燃えてしまうでしょう?本が焼かれる伝統は何もアレクサンドリア図書館に始まったことではないわ。

 

テレビは12時のニュースを流していると思う。テレビがないので分からないのだけど。起き上がるとステレオの電源を入れて、Hans OtteのDas Buch der Klangeをかけた。もちろんECMリリースのHerber Henck演奏によるもので、Naxosのものは全く肌に合わないので持っているけど全く聴いていない。雨降りのせいか、ネグリジェだけでは少し肌寒い男がネグリジェを着るなんて気持ち悪いと思われるかもしれないが、それはしょうがない。だってそう書いてあるんだもの。その中では着てるのは女なんだけどね。

 

あたしね、最強のノイズキャンセリングの方法というのを追求し続けているの。世の中ノイズだらけでしょう?ノイズをノイズで相殺すると言わんばかりにノイズ音楽を聴いて他のノイズをかき消すこともいいんだけど、もっと耳に負担がない方法でノイズキャンセリングできないか?と考えるのよ。

 

経験的にはあれね、耳栓にさらにイアーマフをつけるのが最強ね。ただずーっとつけていると耳が蒸れるし、さらに耳栓のつけすぎで耳が炎症を起こすことがあったりして、長期的な展望は望めないのよね。

 

最強のノイズキャンセリングを求めて電気屋を彷徨っていたころに

 

「世の中はノイズだらけだわ。そう思わない?だからそのノイズを消し去りたいの。協力してくださるかしら?」

 

と電気屋の店員に助けを乞うものの、黒い目で見られたり、中には銀色の目で見られたりして、これではまるでジョン・カーペンターの世界だわ!と思って言い方を変えるようにしたの。

 

「良いノイズキャンセリングヘッドフォンはありませぬか?」

 

と。そしたら気持ち若干協力的になってくれたような気はしたかしらね。結局、買ったのはソニーの凄く人気だというノイズキャンセリングヘッドフォンだったのだけど、色々と騒音全般について熱く店員さんに語っていたら

 

「それは究極的には気分の問題ですよね」

 

と言われて失笑せざるを得なかったわ。気分の問題でどうにかなるなら、こんなに苦労しないわ。とりあえず部屋が寒いから椅子にかけてあったサンローランのセーターを頭からかぶったのだけど、耳にイコライザーがついてるとか、ボリュームの設定の機能がついていればいいのに、神様は人間を人間としてお作りになられた。

 

その理由はおこがましいけど、こういうことなんじゃないかと思う。ノイキャン的なことも含めて、克服したりイアーマフしたり耳栓したりっていう試行錯誤をしないさいってね。

 

だから今、語ろうと思う。もちろん問題は何一つ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは自体は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、ノイキャンというのは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないのだから。しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。

 

「しょうじきに」とタイピングしたつもりでも、指の場所がちょっとずれていると「djぴこじに」というミスタイプになってしまって、恐らくこれはデレク・ハートフィールドの言葉を自分の言葉のように語っていたDJのDJ名なんだと思う。DJピコジニ。ありえない名前ではないでしょう?何しろ時間が無限にあったら猫が太宰治の人間失格を書けるわけだから、DJピコジニぐらいむしろ居て然るべきだと思う。

 

このように、正直になればなろうとするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈んでいく。DJの名前問題だったら、ディスコ・イベントの情報を検索すれば出てくるから、そんなに問題ではない。

 

弁解するつもりはないし、弁護士になるつもりもない。一時期目指していたことはあるけど、英語で言うと「ロースクール」なので、なんかヒップホップっぽいなっていう言葉の響きだけで法学の世界に進もうと思っていたのだけど、少なくともここに語られていることは現在の自分におけるベストだ。それは間違いないし、アタシが保証する。

 

鏡を見ると哀れなものを発見して少し傷つく。俺は本当にハンサムな男なのか、あんまりシャキッとした感じがない。そんなことを考えながらニヤニヤしているらしい。そんな耐え難い事実を知っていながら、でもそれはそれで認めるしかない。とにかくユニークであることには違いない。でも「彼は本当にハンサムね」って言われたい。

 

それでもこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、とそしてその時は来た。

 

「象から電話で聞いたぜ。カレー作るんだってな」

 

いくらなんでも、象さんの眠りを妨げることはできないだろう。問題は、キリン君が電話を使わせるかどうかだけである。でもやっぱり象さんのほうがもっと好きだ。キリンさんも好きだけどね。キリン君は象さんがやっていることが気に食わないのだ。

 

「そうです」

 

キリン君が嫌がるようなことを言ってはいけないと思い

 

「あなたは、どうですか?」

 

と聞いた。

 

正直、どうしようかなと思った。こんな雨の降る日に象さんとキリンさんが争いごとの寸前に居ることが、ハザードマップの役割を果たしていた。考えただけでインクレディブルだ。

 

そもそも象さんが電話するといっても、それが公衆電話だろうが携帯電話だろうが、象さんサイズのものはないだろうし、キリンさんは象さんに比べれば、あくまで相対的な意味では電話しやすそうだけど、何しろあれだけ首が長いし、キリンさんの喧嘩見たことある?あの長い首で「バシン」ってシバき合うんだよね。相手がレイシストならまだしも、象さんを長い首でシバくっていうのは倫理的にどうなのだろうか?と思ってしまうのだよね。

 

講演旅行に出かけている象さんはあと五日経たないと東京には戻ってこないというのが、不幸中の幸いだったのかもしれない。直美や早苗はいないときている。堕部の連中は合宿中だし、江美子の昨日のアシッド話を聞くというのもバカらしい。こんな一触即発の状態にお股は緩々になり、マンマンからは汁がとめどなく出ていたのでした。

 

他にヘルプを求める人がいなかったので、思いついたのが例のマッチ棒に電話番号を書いていた無駄に匠な技を持っている男に電話をかけようと思って、早速、ダイヤルQ2に繋いだ。ダイヤルQ2のシステムは面白くて、えげつない電話代がかかるのにも関わらず、なぜかお安いというか、お得ですよ感を出そうとしているのか分からないけどね、電話料金の半分が振り込まれたりするケースもあるんだとかないんだとか。

 

お股が緩々でマン汁だらけの自分は例の匠君と会う前にはシャワーを浴びてから出かけたほうがいいと思って、かといっても別に同性と会うときにはマン汁だらけでもかまわないというわけではないのだけど。

 

ただマン汁だらけではない、つまりはまんだらけではない状態で出かける方が、なんとなく気分が新選組的な誠って意味で妙にウキウキしてくると思わない?そんな単純極まりない理由でシャワーを浴びた。そして、この単純極まりない点が、実に大変に重要なところなのだ。

 

語尾が「なのだ」だとバカボンっぽいから嫌なんだけど、「なんだよね」にするといつもの俺っぽい書き方になっちゃうし、「なのである」だとちびまる子ちゃんっぽくなるし、プライベート言語の開発をするしかないわよね。こうなったら。でもね、自分のスタイルってのを確立しちゃうと、それに頼りっきりになって、それから出られないということに耐えられなくなってしまうの。まるで一反木綿が人間の身体を締めている時の死に際の辛そうな人間の顔がたまらないと感じるように、髪の形が思うようにいかない日は一日中回転ドアに向かって、

 

「むしゃくしゃしてたからやったんだろう?」

 

って事情聴取をすることにしている。でも大変のが運搬で、人を殺した回転ドアを回転ドアが暴れまわっていても、それを押さえつけた上で取り外して取調室まで事情聴取のために運ばないといけない。加害者であることには変わりないのだから。それと同じでシャワーを浴びていかないと、なんとなく気分が乗ってこない。結局、こういう「なんとなくの気分」で生きているらしい。

 

だからさっきの象さんとキリン君の問題にしても、それが紛争レベルの問題になっても、シャワーを浴びたことで

 

「なんとなく解決に向かうっしょ」

 

という楽天モバイルな発想を持って変えさせていただくにしても、口の中が生ごみのような味がしていて、鈍い感じがするので、歯磨きもしたほうがいいのに、そこは歯磨きしなかった。少しちんちんの素振りをして、完全に目が覚めました。このファック野郎と同じようにね。

 

一つのことが次から次へと続くのが好きで、それでおしまい。結果は、大きな領域を広げるので好きではない。自分の頭の中は、ほとんど空っぽの状態がいいんです。でも、今、僕の頭の中には、うまくいかないことが2つあるんです。 

 

ひとつは、とても孤独な友人のために何かしなければならないということ。東京に引っ越そうか。じゃあ、何?もうひとつは、結果が嫌だということです。今まで感じたことのないような恐怖で固まっているのです。僕は動かない。恐怖で固まっているのは、今思えば、結果が嫌いの方の思いが強いのだろう。毎日、何かを学んでいる。

 

友人を助けるために、僕は動けない。僕たちは星を見続け、大きな船を見続け、機械を見続けているうちに自分の観念の海に溺れかけていたことに気がついた。雁字搦めになっている精神をいくら解こうとしても、それは無駄な動きになるだけで、ただひたすら空虚だった。僕は漠然とした、概念的な、どこでもない領域に入り込もうとしていた。そこが聖地であることを祈って。その中で僕は物質を超えた、物質そのものの中に自分を見出すのだ。今までのものはその中に完全に入り込むための痕跡のようなものだ。