行方不明の象を探して。その98。

それから僕は酒を飲みに行き、彼女としばらくそのことについて話し、それからベッドに入る。もし彼女が毎日、朝コーヒーを飲みながらでも見られる場所にそれを置いたら、どんなにも良かっただろう。ラフな服装で行ったので、煙草を吸わせてもらえた。うちはクレイジーなんですよ。基本的に。全体の交通の便がよくて何より。

 

なぜそうしないのか?何が違うのだろう?それは何なんだ?じゃあ?起こり続けること。すみません、話がそれてしまいました。僕は友達のことを、どれだけ愛しているかを考えていた。だから叫ぶ、歌う話、どう伝えるか。時には小声に近い声で、時には大きな声で、ちゃんと伝わるまで。

 

車に怒鳴る男が法学部に行けると思うのか。絨毯を持っている友人は絨毯を売ることができる。すべての不可逆性、それは逆転される可能性がある。僕たちは間違ったことを考えます。足を何本か失った友人と、なぜか彼らの逆転の発想に間違いない。足は生えてこないんです。だから、彼は力を超えた一種のヒーローなんだ。彼の逆境はリアルです。彼は、ちょっと意志を働かせれば変えられると思わなくていいんです。自分のことを愚か者だと思わなくていいんです。彼には足がない。

 

しかし一向に証がふ化する気配がない。もう中学生になってしまう。卒業は間近だ。母親は何をタオルに包んでいるのかと訝しげに質問をしてきたので、それは証だと答えた。結局、卒業する数か月前に

 

「もう無理なんだろうな」

 

と思って母親に頼んで証がふ化するかどうか、その証を割って開けてみてくれと頼んだ。もしふ化しかけていたら怖かったので、ビビりだった僕は母親に頼んだのだ。母親はふ化するわけがないと言いながらも、若干ビビりながら証を割った。出てきたのはただの黄身だった。1人焼き茄子。もっと食べたいな。冗談じゃない!。ただの黄身じゃないの。だから足りないのか?足りないことはないんだけど、ここに来ると何か懐かしい感じの食べ物が恋しくなるんだろうなぁ。

 

「証はふ化しなかったよ」

 

と彼女に伝えると

 

「そんなのあたりまえでしょう。あれはふ化するものじゃないんだから」

 

「じゃあなんで俺にあれをくれたの?」

 

「だって欲しがってたから」

 

「いや、俺が欲しがっていたのはそんなのじゃない」

 

結局、それからなんの進展もないまま、我々は小学校を卒業し、別々の中学校に進学した。以降、この証のアーキタイプは様々な形で僕の人生の中で繰り返されることになり、僕は一切、証を求めないようになっていた。もしかしたら最初から証なんていうものは存在しなかったのかもしれない。そして腸をとってほしい。また食べたい。彼女は鮎の塩焼きの骨抜きが得意。僕もそうしてるよと強がっては見たものの。僕は魚を食べるのが苦手だから、強がりだったってことがバレたね。でもそれに意味が無かったとは思わない。

 

冗談でしょう。マスビーキディン。ほとんど想像もつかない。まずはそれからだ、全員が同じ方向を向き、腕を上げ、アイデアを表すために自分のイメージをスナップさせる。彼らは動きたいのにも関わらず、じっとしている。偉い。 

 

僕はそれを伝えようとした。他の人が「それは大きな間違いだ」と言おうとするのも聞きいた気がする。でもそれは言いようのないことだ。閃光のようなものが一度でも起これば昼も夜も暗闇に包まれ滅びるだろう。もしその可能性を認めたら。 

 

次に来るのは、最初にあったものか、少なくともシステム上では、遡ることができる限り、昔、学校でよくやった、クラスが新しくなった時、順番に教室の前に出て、みんなの前で自分についていろいろと喋る。僕はあれが本当に苦手だった。いや、苦手というだけではない。僕はそのような行為の中に何の意味を見出すこともできなかったのだ。僕が僕自身についていったい何を知っているのだろう?僕が僕の意識を通してとらえている僕は本当の僕なのだろうか?

 

ちょうどテープレコーダーに吹き込んだ声が自分の声に聞こえないように、僕が捉えている僕自身の像は、歪んで認識され都合良くつくりかえられた像なのではないだろうか?例えばね、こりゃマスターピースだ!って思ったとするじゃない?で、「いいですねーじゃあこういう感じで新しいのを作ってみましょうか?」って言われたら銃を持っていなくても俺はそいつを射殺してしまいそうだ。僕はいつもそんな風に考えていた。

 

僕は笑いをこらえながら、その日のうちに何度もこの思考を繰り返した。この文章が何の意味もなさないことを、僕は知っていたのだ。だってそうだろう、マスターピースだって思ってたんだぜ?で、それがあたかもデモテープとかさ、デモ用の作品擬きみたいな扱いされたらどーよ?

 

返事を書くのを忘れるとタイミングを逃した感じがするけどそれは主観的にそう思うのであって相手にとってはさほど重要なことではないし、返事を返さないより返すほうがよっぽどいいに決まってらぁー。大体年中暇で退屈な俺が返事を忘れる時は何かを書いているときかゲームにハマっているときか、それぐらいしかない。気がつくと外は冬になっていたり夏になっていたりするのだが、あんまり関係ない。読んで書いたらまた寝よう。で、起きたらゲームやって読んでたまに書いてまた寝よう。

 

しかし創作の動機は全くの虚構というわけではなかった。問題は虚構を許容するべきかどうかというところなのだが、我々が生きる現実がこれ以上ないぐらいの虚構である限り、許容もなにもないという、もはや判断の余地すらないことは明白であるように思われる。でもそれは考えすぎじゃない?そんなに真剣に考えなくてもいいんだよ。と、男は言ったって言っておこう。例の出すと小説っぽくなる男だ。メン。女性でもいいのにメンだと男。独白に「男が言った」って言うだけでしょ?そんなんで30年もやっていくつもり?頭が痛くなってきた。

 

しかし、虚構文学の申し子である俺が虚構をリアルに表現することに苦心しているわけだし、それが現実であろうが虚構であろうが架空のことが勝手に起こりうるわけだから、そこまで苦心する必要が無いということに気がつくのに時間がかかり過ぎたと思う。いいじゃない、それで。根はまじめって証拠よ。と彼女が言った。彼女も出してくるだけで小説っぽくなる。もはや小説とは何か分からなくなっている。それでいいのだと思う。小説だって言い張れば何でも小説になる。

 

事実と虚構の関係性を考えると、何が事実で何が虚構か?などということを問題にしている考え自体が、そもそもの問題なのであって、虚構が心の中に広がっていくように感じられる感受性こそが虚構も現実もそのままあるものとして受け止めるということに繋がるわけだ。

 

素材を完全なものにしようと考えると一気に話がつまらなくなる。勝手に表現しようと思えば勝手にそれは起こるのであって、現実との整合性があるから優れた物語であるということなどありえないのだ。そんな感受性で生きていたら現実のつまらなさと倦怠に耐えられるわけがないし、いつか発狂して自殺しようとするかもしれない。

 

その意味で文学におけるフィクションの本義は素材を完全な表現に変えることにある。素材が現実であれ虚構であれ妄想であれ何かのコピーであれ全く関係が無い。問題は表出である。だから中身がすっからかんな人間が何を書いても出てくるのはすっからかんなね、冷めたピザみたいなものしか出てこないわけさ。書くよりも溜めることが大事。

 

溜めキャラが溜め過ぎで自分にダメージってのがあったら立ちまわりも変わってきそうだよね。カフカのように書けなければいけない!って命題のように言っていたか、今後出てくるか、順序が分からなくなってるからどうでもいいんだけど、カフカの時代だから塔から昇ってくるとかね、塔なんて生活の中にないんですけど?っつったら俺たちのリアリティは?溜めキャラが……とかが塔みたいなもんなんだ。