行方不明の象を探して。その104。

ニビール。じゃなくてビニール。じゃなくてヴァイナル。英語で言うとヴァイノー。偏執的なまでのこだわりを捨てたらダメだ。音楽は配信でオッケーかもしれないけど最近またいきなりヴァイナル聞き始めてるだろ?そしたら音がいいのなんのって。いつの間にかYoutubeとかで聴く音に慣れちゃっているのかしらね。

 

もうヴァイノーいいやと思って適当にしまったからどれがどこにあるのか分からず行方知れずのものも数多く、だったら買いなおしてやろう。ギターといいヴァイノーといい音楽は生きる活力になるな。俺はラリーズみたいになりたいと言った。で、調べたらラリーズのオフィシャルリリースがヴァイノーリリースされていたらしい。

 

それを買った。というかやはりあの澁澤龍彦のようなかっこいい胡散臭い感じがたまらぬな。水谷氏。あの人は一体、どういう風に生活しているのだろう?感は水谷氏のほうが高い。あの時代に結構いただろう何してるか分からないけどとりあえずインテリで音楽の蘊蓄が豊富だったりするとにかく何をしてるか分からない胡散臭い雰囲気の人たちが大好きだ。

 

といってもあの頃は俺は生まれてないどころか両親も結婚すらもしてないだろう。いや、だから分からんよ。想像想像。そんな時代の雰囲気が濃密にパックされたような文字通り古本の香しい文学書だのレコードだのが大好きだ。といってもレコードは再発とか元々CDでしか出ていないもののレコード化とかでもかまわない。とにかくレコードは音のプレゼンスが凄い。そりゃそうだ。そこで鳴っている音をアンプリファイしているんだからギターみたいなもんだろう。

 

思うに俺はあの空気感が好きでヴァイノーに夢中だったんだ。いや、それが90年代のテクノでもあの頃の俺の知っている90年代の香りがするヴァイノーは最高だろう。なんだか俺はまだまだ生きていけそうな気がする。また音楽に回帰して音楽熱が高まって・・・そういえばタダでDJやらしてくれてたショットバーでよくかけていたようなイタリアのB級映画のサントラコンピとか、所謂、Irmaとかが有名どころだけど、そういうコンピいっぱい出てたろう?渋谷のHMVのモンドとかサントラのコーナーにはそんなのがいっぱいあったよな。

 

あの頃に買いまくっていたレコードの大半は売ってしまったので買いなおしたのが数年前にヴァイノーブームが俺に訪れた時。で、今またヴァイノーブームになったので買いなおし再開。どっかいっちゃったのもあるから俺が持ってたのも持ってなかったのも含めて買いなおしだ。あれだろうな、おっさんが若い頃に夢中だった音楽を買いなおすみたいなもんだよな。俺の場合、90年代の音がドンピシャだったというわけ。

 

バイト代のほとんどをつぎ込んでいたよな。その上で機材も買っていたんだから凄いよね。ここまで労働嫌いの俺が音楽のためなら労働できたんだから。相当メンタルやられたけどね。いや、ヴァイナルブームはもっと前にあったぞ。あ、でもギター買った頃だから5年前とかか。まだ横浜にあったほとんど倉庫みたいだったレコファンの棚を全部掘り尽くしたもんね。6時間とか掘り続けて。通ってまた買って。今は無くなってしまったけどね。渋谷のレコファンも。

 

でもあれじゃないか、マイブラとかさ、ロックの名盤みたいなのがヴァイノーで再発されたりなんかして、でもシステムがさ、5000円とかするんだよね。で、リミテッドで出すから商売が成り立つんだろうな。阿部と高柳の解体的交感の再発はCDでしか買ってなかった。調べたら元々8000円ぐらいするヴァイノーが2万になってた。でも3000円が二万じゃなくて8000円が二万なんで倍だろう。ってことで買った。もう買おう。いつ死ぬか分からないんだし。ヴァイノーを聞きつくしてやれ。

 

意外と一瞬で死ぬ人がいるのを見ると本当にそう思う。「やっぱやめておこうかな」なんていう余地はないんだ。毎日全力で生きなければ。でも頑張るんじゃないんだよ。全力で楽しむんだ。そこからまた道を自分で切り開いていく。ロッケンロールだ。DIYだよ。パンクスピリッツ。ロッカーやパンクスが老後のことを心配したらその時点でそいつはもうパンクスでもロッカーでもない。

 

プライベートでDickなMoveをしてしまってもそれはもうダメだ。音楽より生き方の比率が高いのがロックとかヒップホップだよな。でもどっちかというと生き方とかライフスタイルとかD.Oさん用語になると「ムーヴ」とかを自分とラッパーであるということに準じて考えて常に生きているっていう意味では下手なロッカーよりよっぽどロッカーだし音楽カルチャーに生き方を投影しているというのはヒップホップな人たちのほうが多いんじゃないか?

 

ロックは時代遅れってのもあるかもしれないけどロックな生き方してる人なんてそんなにいないだろう。いや、いるかもしれないけどそれは生き方がロックなんであって別に音楽としてロックをやっているわけじゃないかもしれないわけでしょう?

 

ラリーズは最高のロッカーだ。史上最強だ。どんなロッカーよりもロッカー然としている。時代も良かったんだろう。水谷氏がツイッターで何か呟いたらもうそれはラリーズじゃなくなるからな。あの謎の感じを生涯貫けたのは時代のおかげも大きいのだろうな。

 

なんでもグラスノスチしている俺はロッカーか?でもあれだ、毎日強度を究極的に大事なものとしているからロック的ではあるだろう。凡庸で平凡な生活をしていると気が狂うようにできているからロッカーだろう。選んでいるんじゃなくて生態系がそうなんだから。

 

若い頃のほうが可能性や選択肢が多いように見えてそうでもない。ある程度歳いってからのほうが選択肢や可能性が多いように思える。ってーのは単純に人生経験が豊富になったり自分のことを若い頃よりよく知っていたりある程度お金が使えたりする結果、何をやったらいいのかがよく分かるし始めるにしても勉強の仕方だの取り組み方だのが若い頃のそれとは大違いだろう。大人のマジはマジだ。大人の良さはマジってことだ。若い学生はモラトリアムも多いけど社会人学生はマジで勉強しに来ている人ばかりというのもまぁ所謂、大人のマジさ加減でしょう。

 

あと歳を取ると若い時みたいに頭がシャープじゃなくなるというけどそんなことはありえないだろう。多分、それはやりたくもない仕事を20年とかやり続けてきた結果、脳が委縮してそんな風になった人が多いだけで常に頭を使っている人はシャープさに磨きがかかるばかりだろう。だから大人はいいんだ。

 

ガキ臭い衝動を保ったまま大人の頭でロックをやる。そうするべきだ。音楽は若者の専売特許じゃない。おっさんになったらジャズをやるなんていうルールもない。おっさんが昨日楽器を拾ってきたギターでいきなりバンドを組んで音を出してもいいのだ。問題はなぜか音楽で25とか30まで成功しなかったらやめるみたいな訳の分からない取り決めみたいなのがあることだな。そもそもやめれるやつは成功するはずがない。やめられないから成功するのだ。もしくは成功しなくても永遠とやり続けてしまう。だから結果的にその蓄積が上手いだけでは出ない凄みみたいなのに繋がる。