シャワーを出て仕事着を身につけるとスマホが鳴った。
「はい」
「あたし」
「ああ、きみか。今ちょっと忙しいんだけど」
「じゃあそっちに行っていい」
かごめかごめ。かごの中の鳥はいついつ出やる。夜明けの晩に鶴と亀とすべった。うしろのしょうめんだあれ。そして光が落ちた。その遠く高いところで高貴な光が涼しく、しかし寛大で均等に照らされているように、それでも僕は自分がこの瞬間に強い力で結びあわされていながらもこの瞬間に依存するかのように徐々にその瞬間から離れながらも、その光の景色の涼しさを感じていた。
世界は明るく終わりがなく、常に揺れ、簡単に動き、神聖で怖い場所だと感じるような気がするだけで実際はやや甘い香りがした。自然界のスモーキーな緑の匂いと何かのスモーキーな匂いが後ろから流れ出てきたが、まだ僕は気づかない甘くて香りのよい匂いがしているようで、まるで小説のようだった。
その喫茶店は大通りからやや外れたところにあり人はあまり入っていなかった。彼女は火をつけただけの煙草を弄んでいる。席につくと彼女はやっともの憂げな顔を上げてじっと見つめてくる。いつもこうだ。なぜだか彼女の前ではときどき子供にかえるような気がする。
「何だ、話って」
「ねえ、なんか飲む」
「あ。コーヒー」
ウェイトレスに注文した。
「寝てないの。目が赤い」
「忙しいのか?」
「違うわよ。あなたよ」
彼女は人々に尋ねるときはっきりと終わらない。どこまでが質問でどこまでが彼女の主張なのか。僕はそれが古い習わしだということが分かっていたつもりだったのだが、間違ってました!周囲の騒乱と騒乱が全く聞こえないように落ち着いたトローンとした目つきが一箇所に向かっている。
「最近ますますひどくなってる」
誤謬が勝手に生まれる。何かの本で読んだのだが忘れた。知らない大陸に行って見かけた人間の髪の色が赤毛だったので、その大陸に住んでいる人間の全ては赤毛だと書いた人間がいた。でも誰も彼を咎めることはできない。我々は知らないうちに、そういうことを色々なところでやってしまっていて、それがこの歪んだ現実世界を作り出している、ということに気がついているのにも関わらず、それをやり続けてしまうということに関して、一切、反省しようとしない。
「え?」
「前はそんなんじゃなかったもの」
床の上、別々の場所い散らばった沢山の原稿用紙。書いているときだけ自由が得られるのであって、他はと言えば色あせた世界と惰性と倦怠のみだ。
「何が?」
「あなたのその様子。身体も心も。小説は元手が掛からないからいいけど、あたしたちはどれだけ投資してると思うの」
「医者みたいだな」
彼女は深い湖の底にひそむ真珠でも探すかのように見つめた。
「何かあったの。このところ何かに怯えているように見えるけど」
「何もないさ」
彼女には表情はきっと虚ろに見えるのだろう。
「というと、明日までに書かなきゃならない原稿が、まだあるのかしら?」
書くことは「僕の苦しみは僕のもの」と言明する権利を僕から取り上げた、と言うよりも僕を権利と隔てたのだが、僕と「自分自身」とを根本から切り離しはしなかった。実際、言うほど苦しんでいないし、何かを書くというのは倦怠という死に至る病から逃れるための生存戦略だ。人は退屈を感じすぎるとリーサルな行為に出やすくなって相対的に早死にしやすくなるのだと言う。
例えばつまらないからアルコール漬けになるだとか、ジャンクフードを食べながら横になって永遠と映画を観続ける生活を続けた結果、不摂生になって心臓を悪くするだとか、ただ僕に言わせれば見る映画があるだけマシだと言うことだ。時間を潰せるというのはある意味、退屈から逃れるということができているということだ。
彼女が変なことを言うので僕は首を傾げた。他愛のない言葉だけど胸に強く刻まれるような感じだ。同時に僕はバーに入るまでの緊張がほぐれているのを感じた。彼女の話には人をリラックスさせる効果があるようだ。なるほど。
「お待たせしました」
コーヒーが運ばれてきた。
彼女は酷く心配していた。。
彼女は執拗に
「話したくないのはよくわかるわ。きっとこのままお別れするのが一番いいのよね。今のあなたはなにをしようかなどといったことを考えられるような落ち着いた状態ではないわ……。でもやっぱり聞いておきたいの。だってとても不安になってしまうんだから……あなたこれからなにをするの」
およそ頼りげなく彼女の目を見つめたがきっと錯乱しているように見えたに違いない。まるでなにかの強迫観念を逃れようとしているのだがどうしても駄目、といった様子だったのだろう。彼女は顔をそむけた。
「酒を飲んでいると思ったんじゃない?」
「別に。どうして?よくそういうことがあるわけ?」
「そう、よくね」
結局、誰もが「あの瞬間」を求めている。いったん「あの瞬間」を味わってしまったら、その歓びから逃れることはできない。それほどに、「あの瞬間」には完璧な、至高体験と呼ぶしかないような快楽があるのだ。
「知らなかったわ。ただ、本当に疲れているという感じがする」
「先のことを考えた方がよさそうだね」
「本当に疲れているのね。座っていても今にも倒れこみそう」
「そうなるかもしれないね」
こうして一人で食事するときは、たいていなにかを読みながら食べる。そして僕はたいてい、家でも外でも一人で飯を済ます。必然的にほとんどいつも、食事は読書とセットである。
このごろでは、片手でページをめくりやすいことを基準に外食時のメニューを選ぶようになった。フォークとナイフを使うような洋食は駄目だ。和食も、茶んやらお椀やらを頻繁に箸を持たぬほうの手で持ち替えねばならないから避ける。結局、酒のつまみと酒ばかり口に入れることになる。
「本を読みやすい」ことを第一に食事のメニューを決めるのと同じく、「食事時にふさわしい内容の本」を吟味するのも、またなかなか難しい。
「どうしたの?」
関係ないことを考えていたのがバレたらしい。
それは体外離脱のことだ。でもあれは離脱しているわけではなくてエーテル体が体の主導権を握っているだけで「離脱」しているわけではない。本当の離脱は死後の世界を見るとかいう離脱だろう。エーテル体で鳥の声を聞くとはどういうことか?まだまだエーテル体の操作が曖昧だったのだけれど空耳ではない鳥の鳴き声を聞くというのには感動した。エーテル体で。
幼少期にエーテル体というかアストラル界というか、そっちに行ったときは物凄く身体が回転して当時住んでいた家を上から見ていた。でもその前に覚えているのが白い影を見たことだ。ドアから白い影が出てきて帽子のようなものを取った。その後にアストラル界にぶっ飛んでいった。
幼少期にそっちの世界にぶっ飛んで行った記憶は今でも鮮明に覚えている。それは物理世界での記憶ではないから記憶の仕方が違うんだろう。クジラのようなものが目の前に現れてそれが爆発して虹色の雨が降る。でもそのスピードが凄まじくて小学生ぐらいだった俺は怖くてしょうがなかった。その時に俺は所謂、夢遊病状態で歩いていたらしいのだが、両親は夢遊病の子供に声をかけたら死ぬという迷信を信じていて見守っていたらしい。
この夢遊病はシリアスな問題だった。いつか両親に
「その時、どんな感じだったの?見た目は?」
って聞いたら
「誰かに連れていかれそうになっているのを必死で嫌がっている感じだった」
らしく、何かに呼ばれていたんだろう。でも当時は今ほど霊性などを意識していなかったし、そういう世界に精通している師匠もいなかったから、ああいう時に変な力に開眼しなくてよかったと思う。ただ「繋がる」能力はあるわけだから、子供の頃の恐怖心を、まさにインナーチャイルドを癒すようにして、頭のブロックを取り除いていけば自然と開花するだろう。
当時は身を護るために必死でブロックせざるを得なかったんだろう。ブロックしないとまた怖いことが起こるから・・・って思っていたからブロックしていたのだけど、3次元世界に飽き切った今、その力を必要としている俺がいる。
頭の中はそういうことでいっぱいだ。目に入るものなどに感動することは本当になくなった。今日もまた夢に誰かと会うのだろうか。神様がいいな。でもやはり62歳で全てを失って死ぬのは嫌だな。夢を思い出すどころか夢のことで頭がいっぱいだ。実際に見てきたような記憶で、昨日何を食べたか?みたいな記憶よりよっぽど鮮明だ。
明晰夢を見過ぎると霊力がコントロールできなくなるなんていう話があるが、普段から瞑想をしていたり霊力を使えるように身体を鍛えておけば全く問題ない。なにしろ疲れることがない。3次元世界ではもうほとんどのことの興味を失った今、楽しみは「あっちの世界」のことだけである。