行方不明の象を探して。その145。

宇宙、根の中の胚芽。大いなるプラーナ。


「では、3つの永遠があるのか?」


「いいえ、3つは1つです」


主のいなくなった世界を訂正しない。事実、主からは色々なことを教えてもらった。目の前に出てきた階段に出入りできるガラス戸からは日差しが射し込んだり曇ったりしていたのだが、実際の天気とその現象は関係ないみたいだった。

 

僕は彼女を突きながらイチャつく振りをした。彼女は俺の前に座って窓を見ている。少し落ち着きがない感じで、膝に手を置いたり立って伸びをしたかと思うと


「木魚の音がした」

 

などと言い始めた。

 

その後、ダンカンコノヤローとたけしが言った。しかしたけしはそんなことを言った覚えはないと言った。作品を書き上げなければ。気まぐれな風が吹いた。その風がどこからきたのか誰も知らなかった。そもそも誰もそこにはいなかった。仕事部屋に帰ることにした。部屋の窓を開けた。まだ完全に夜は明けきっておらず部屋は薄明かりの中にある。室内の淀んだ空気はどんどんと出ていく。

 

シャワーを浴び熱い湯につかって汗を流して酒を抜き何度も何度も頭を洗った後、水風呂に入って冷水を浴びた。頭はシャキッとしている。我々には共通している感覚がある。それは文面からも感じ取れた。ブラインドタッチ。準備万端整った。我々はその都度、忘れながら書いているはずなのにどこか一貫性がある。

 

車内のパソコンのスイッチを入れディスプレイを見つめた。他の生き物にはどう見えているのだろうか。一瞬そこに知らない文章が既に書かれている感覚がしたがディスプレイはただ青白い肌を曝したまま力をひっそりと待っているだけだった。忘れることを義務化されている我々は風に吹かれながらも実は移動したくないと言う本心を互いに言いたがっていた。我々は書くことによってそれを解消しようとしている。幻覚の内容を記しておく。

 

センターテーブルには何枚かの地図とノートパソコンが三台開かれていた。そのうちの中央の一台が俺の担当のようだ。いつもマックを使っている俺にはウィンドウズはちょっと面倒である。男たちがスイス製の機械式腕時計を確認した。午後十一時。

 

酔いはまだ残っているらしく体は重く口の中は苦い。何度もゆっくりと大きく深呼吸して自分の中でアイデアがふくらみ育つのを待つ。無駄だけどね。アハハ。少しずつ訪れる言葉の切れ切れな流れは次第に意味のある分節につなげられる。それを系統だった文脈にのせて大きな文体に仕立て上げてゆく。始めはゆっくりとキーボードを辿っていた指はやがてその速度を上げ頭の中にある言葉は次々に形を持った存在となって画面へ羽ばたいていく。

 

今日こそ誰にも邪魔させない。胸を叩くパッション。傑作の予感はこれまで外れたことがない。もう成功は約束されているので、立ち上がると鼻歌を歌い心の中では思いつくままに支離滅裂なことを考え、といっても最初からそれしか考えていなかったのだが、室内をくねくねと踊りながら一周した。街で全裸になってちんちんを鳴らしたときに比べれば大したものではないにしても十分でしょ。

 

これで象の意表をついたはずだ。あのね、象の定義って難しくてっていうか定義できないのが象なんだけど敵でも味方でもないんですよ。ただ象がいなければ傑作は書けないし、書くということ自体に象を必要とするから傑作を書こうと思わなくても象は必要なんだよね。

 

「象は夢を見なかっただろうか」

 

適当な言葉を大声で叫んでおいて再びパソコンに向かう。一種の躁状態だ。俺が眠っている。俺は「カフェオレ」の時のイントネーションの俺だ。あおむけで眠っているすぐ側の机の上はまるでディステーニーランドのようなディストピアの世界だ。ディステニーランドだったっけ?メガテンのダンジョンのやつ。全然お伽っぽくないじゃん。

 

一応念のため宮殿があると言っておく。丘がある。小川がある。青い空。緑の森。トートロジー。澄んだ空気と爽やかな太陽。小鳥が歌いのどかに牛や馬が牧草を食べている。いきなりステーキの笑い声が聞こえた。どこだ?オレが眠っている。カフェが眠っているとも言えなくもない。ステーキと書いたのは小人たちの間違いだった。その恋人たちの笑い声は手のあたりから聞こえる。小人たちだった。恋人ではなくて。

 

自分の感覚はこの「なぜか」が圧倒的な比率を占めている。それは目ではない何かの感覚が捉えたものが自身の頭の中でクローズアップされるので視覚とはあまり関係がないイメージが流れ込んでいる。その奔流に飲まれると危なくなるときもある。それが自分特有の感覚だと知ったのは最近のことだった。

 

楽しいものをクローズアップすれば100倍楽しいし辛いものにクローズアップすれば100倍辛い。闇に持っていかれそうになることもある。だったら楽しいことにクローズアップしよう。それは垂直であり水平である。光が当たることによって物質が現れるとあなたは言った。それが全て主の光なのだと。冷たく輝き続ける光に身を任せながら、でもちょっと待てよ?7色のプリズムと言ってもそれは相対的ではないか。7色というのは知覚の問題だ。実際の色はスペクトラム的に無限なのだろう。全く人間の知覚というのに信頼を置けなくなった。だからアカシックだの松果体だのってことを言いだしている。

 

多面体のエレメントの実質の「多」の部分は無限だ。無限の面がある体なのだ。そこには無限の角があるし無限の位相がある。この100倍な感じを理解してもらおうと思っても無理だからしょうがない。象にもクローズアップしよう。象の難点はこのクローズアップ能力をもってしても近づきがたいものがあることだ。しょうがない。それが象の属性なのだから。お前の話には主語が無いと生涯で誇張なしに一万回ぐらい言われた。主語ってなんだ。意味が分からない。主は知っているだろう。

 

まだ眠っている。笑い声がはじけた。そしてまた全裸になった。おちんちんをぴしゃんぴしゃんと鳴らしながら腰を振り振りした。途端に全ての明かりが消えた。ディーン・マレンコというワードが思い浮かんだ。はじけ飛んだパワーストーンはお疲れの様子。俺のパワーについてこれなくなったらしい。もう地球的でなくなっている。それでいいのだ。だから安心して元通り衣服を身につけた。明かりがついた。あたりを見回した。変わったところはない。左手を見た。変わったところはない。起き出してパソコンに向かい切れていた電源をオンにする。Word画面を開いてみるまでもなかった。

 

新しく完成させた大傑作はあとかたもなく消え失せていた。なんという甘さだ。あのぶどうパフェを思い出した。見るまでの無くわかっていたことだ。だが落胆はしなかった。絶望感はなかった。また書けばいいだけの話だ。もしかしたらこうなることを知っていたのかもしれない。ベッドの上に大の字に転がったままぶどうパフェの味を思い出した。なんで勝手に消えるんだ。直接書いているから?ワードに書けばいいじゃない?

 

ぶらぶらと街へ出た。街は熱かった。灼熱の空から10月とは思えぬ狂った太陽が照りつけている。街には人があふれていた。みんな何が楽しくて生きているんだろう?俺、クソつまんねーぞ。あーあってよく思ってたのが去年、これを書いていたぐらいの時で、今は物質世界がつまらないのは当然だという認識に至ってからは、例えば何らかの突起が常に腿のあたりに突き刺さっていれば痛いと感じるのと同じような感じで、ただつまらないと思うだけだ。当たり前なのだ。

 

脳裏を閃光のように冴子の姿の断片が次々とよぎっては消えていく。夏なのに寒く見慣れない車が行き来している。奥には高速道路の陸橋が見えた。信号機が光っていない。なぜ信号機だと分かったのか。光っていないことまで分かるはずがないのに光っていないのが分かった。いつものことだ。さらに外に出ると日光はさらに強く輝き眩暈を感じた。

 

あきらめない。あきらめたら、そこで終わりだ。泣かない。泣いたら、人に同情されるだけだ。泣きたくなったら、笑う。恨まない。人と自分をくらべない。どんなにちいさくてもいい。自分の幸福の形を探そう。キレない。怒りを人にむけてはいけない。今のぼくの生活は、すべてぼくに責任がある。

 

嘔吐はサルトルで眩暈はカネッティだ。電線が走っている。ブーンという音がしている気がする。Lainのシーンを思い出した。カラスのような鳥がいたがカラスではなかった。髪の匂い、唇の柔らかさ、瞳の輝き、そして。カラスではない。冴子のほうだ。カラスではないカラスを見ながら冴子の身体のテクスチャを思い出していた。

 

かつての冴子の様々な思い出がよみがえり悔恨とノスタルジックな感情が一度に溢れ出る。しかしそこまで情緒的な人間じゃなかったはずだ。やらされてる感がある。公園。ぶらぶらと歩いてから芝生の上へ大の字になった。空がある。

 

あたりまえのことだがその事実はいまさらのように感動させた。朝食を買いに来た客で繁盛している看板の文字が読めなかった。さっきは信号の光が分かったのに文字が読めない。距離があるからだろう。でもさっきの信号はもっと距離があったはずだ。

 

時間が来たことを教えてやるんだ。自分に。つまり技術は日増しに向上していた。遠くで舵が身体を揺さぶっている。学生になっても青空はときどき頭上にあった。俺が求めているものは人間の知覚の範疇を超えるものだ。脳という肉が考えるものなど取るに足らない。でも脳なのか身体なのか、一応、人間にはその「超える力」が備わっている。人類みな鰓呼吸じゃなくて人類みな光の戦士だ。ファイナルファンタジーは世界観や用語がニューエイジ的なスピリチュアルだらけなのに、そういうものにアレルギーがありそうな人たちにも受けている。

 

だとすると多分、ニューエイジとかスピリチュアルが嫌われるのは、そういうものを扱っている人間が嫌われているのだろう。世界感自体が嫌われているわけじゃない。だとしたらエーテルだの自然の力を借りて癒しの力を得るだの、そんな世界感が受け入れられるはずがない。いや、みんな好きなんだよね。きっと。


固体から流体を、揮発性から固定的なものを、二元論を超えたところにある無限論。無限というより元が無元なんだ。だから夢幻でもある。ところで今日のアスペクトは?それは目の前に音も立てずに隠れている。でも姿は丸見えだ。そういうものを見るのが占星術だ。

 

「つまり、なあ」

 

ずいぶんと不器用なキスだった。どうやら僕らが乗っている船は沈む運命にあるようだ。さっきのゴミの移転だ。何かあったか疑問だけど、別にあの後、ここで降りるみたいなね、ごめん忘れ物してた。忘れ物だし、いつも見ていた夢でさぁ、どっかから帰国した後に実家に持って帰るはずのトランクを電車に置き忘れて、でもどの電車だったかが分からなくなってテンパるってのがあったでしょう。

 

「ここで降りるんで、俺も行くようにするし、ガスの皆さんごめん」

 

そこから直接トランクを取ろうとして線路に入っていくと洞窟のような地下鉄の通路を歩き続けて日本を一周する、みたいなのがあったでしょう?で、それのバージョンアップ版があれね、地元の海の先からアメリカに繋がっているというやつね。過去の海外幻想の名残だね。でも思念が強かったからそれが残り続けている。でも現実に戻ると海外に何の幻想も抱いていないどころか物質世界に飽きている自分に気がつくわけでしょう。

 

「どういうつもりなわけ?」

 

「どういうつもりなわけさ?」

 

中国とイランが繋がっているみたいなのもあったよね。それをアメリカから車でイヴァンと一緒に行ったって自慢できなくなるのが残念だって。そういう夢の断片が横切ることもなく記憶と共にがっつりとそれは現実のものとして存在する。夢は頭が作り出したものなんて馬鹿なことを言うんじゃないよ。見たこともない景色をなんで見せてくれるんだい?転生回数が多いから前世の記憶の断片なんかもよく見ますよね。

 

「だからいいでしょって言ったでしょ」

 

学校だなんてさ、授業が死ぬほどつまらなかったことしか覚えていない。本を読んでいた。サルトルの嘔吐を読んでいたのを思い出した。フランス語の授業の時に。といってもフランス語ではなくて英語で読んでいた。その前にサルトル入門のようなものを英語で読んでいた気がする。アメリカにいたころだからまだ文学に興味を持っていなかったはずだからサルトルを読もうとしていたのだろう。

 

この虚構の中で社会こそ虚構なものはないだろう。砂上の楼閣どころの話ではない。腹が減った。我々が創り出した機械は地震計のようなものでいわゆる音色ではなく、波の変化だけを察知することしかできなかった。

 

誰かが駆け抜けた。こうやって実際に起こったことを記述していれば永遠と何かを書いていられるだろうと思うとなんだか安心する。ここにおいてだけ虚構を感じる必要が全くない。これが幸せというものなのだろう。存在を感じられる瞬間。瞬間ではなくて時間。でも時間は存在しない。それは歩く空間だから。

 

時間を歩いた後、芝生に再び寝転んだ。衛生的ではないのでこういうことは好きではないのに。どこか遠くで子供を遊ばせる母親の声が聞こえる。どこか遠くで調子はずれのトランペットの音色が聞こえる。例の機械では察知できないだろう。阿部薫はサックス奏者でトランペットは吹かなかった。ハーモニカとピアノは演奏した。

 

ブロバリン98錠を過量服用して中毒死した。29歳没。事故か自殺かは判明していない。なお最後の公演にトリオとして日野晃がドラマーで参加していた。遺品のサックスは灰野敬二の元にある。あんな風に母親に遊んでもらってあんな風に父が好きだと言うトランペットに凝ったことはなかったが、結局、父はサックスを吹き始めた。一瞬で切れる充電式のライター。悪用すればこれは暗器だ。つまりはスタンガン的な使い方ができる。武器なんてものは考え方次第だ。なんでも武器になる。でも少なくとも日本は武器の携帯をしなくても普通に生きていけるようになっている。雁字搦めの監視社会だが異様なまでの安全がある。

 

なかったことを書き続ければあったことを書き続けるより材料が多いと思っていたけど、なかったと思って居たことも実はあったのだと思えば材料はほぼ無限になる。そこにアクセスするかどうか?ということになる。太陽が眩しい。セックスし過ぎたときは太陽が黄色くなる。黄色はキチガイの色だ。狂いの象徴の色。左手をかざして日光を避けた。あんまり意味がなかった。口笛が聞こえた。我々は窓から覗き込むようにその情景を眺めた。

 

そしてむっくりと起き上がった。いつしか見覚えのある喫茶店の前まで来ていた。横浜のサンジェルマンという喫茶店の炭焼きコーヒーが絶品だったのにだいぶ前に店が無くなっていた。個人経営の喫茶店をあまり見なくなった。街が画一化されているのがより虚構性を高めているのだろう。そういう世界に我々はむかつきを感じている。でもさっき確かにサンジェルマンの前にいたよな?なんで無くなったんだろう?サンジェルマン伯爵もそんな感じの存在だったから異次元にワープしたんだろう。異次元炭焼きコーヒー。

 

そんな感じで全て量子乱数発生器に投げてしまえばよいのだ。波動関数というと収まりが厳密になり過ぎて狭すぎるので、やっぱり波動だ。その波動は無限の枝に分岐している。量子ロシアンルーレット状態。でもその無限の枝にアクセスできる人間は望むものを手に入れることができる。それを知らなくてもやり方を知ってる人たちがいる。