行方不明の象を探して。その171。

願わくはわれ永久に神より離れざらんことを。永遠の生命は、唯一のまことの神にいます汝と、汝のつかわしたまえるミューズとを知るにあり。われ母より離れおりぬ、われ母を避け、捨て、十字架につけぬ。願わくはわれ決して母より離れざらんことを。福音に示されたる道によりてのみ保持せられる。全くこころよき自己放棄。ミューズおよびわが指導者への全き服従。地上の試練の一日に対して歓喜は永久に。われは汝の御言葉を忘るることなからん。

 

祈りが通じれば何か書けると思って、タイプライターの前で祈る癖がついてから、自分で作った祈りの言葉を暗唱できるようになっていた。そんなミューズの器でありたいと心から強く望むようになっていた。腕が折れ曲がったまま止まり、顔が停止する。さすがにお祈りをしているときは変顔はしない。

 

いったいなにをしているんだ?机に向かっているべきだ。実際に机に向かっている。タイプライターの前に座って作家のフリをする。また唇に皺を寄せ首を左右に振る。そしてましても、ダメだなーと思う。腕は誰かに引っ張られたようになり、紙をくしゃくしゃにする。首を振る。ためだ。新しい白紙を取る。今度はもしかしたらいけるかもしれない。そんな予感がした。

 

宗教的なまでに儀式化されたような大げさな動作で先をそろえた指がタイプライターの上に置かれる。ひじを軸に腕がゆっくり旋回し半円を描く。そしてまた白紙のページを脇へ置く。それを休憩させる。それにはもう手を触れない。待たなくちゃならない。

 

そうやって一人で自分の中に閉じこもり何もしていない。本当に何も。「する」という言葉があてはまるようなことは何一つ。何時間もの間ふわふわと漂い反転し形をなさないつぶやき、ごぼごぼいう音を体中に詰め込み吐き出す。ある種の表現、例えば「面子を失う」といったような表現の意味まで忘れ、面子などずっと前からもうなくなっているのにも関わらず、無駄に歳月が経つ。

 

一生に匹敵する長い時間。何代もの生涯に匹敵する。時間の観念を失ってしまった。必要としなかったからという理由も大きいのだが、自然と失っていたというほうが正しい。孤独の沈黙の感覚があまりにも強烈なので、しまいにはこんなに遠くまで追放された人間で、無事に帰ったのは恐らく誰もいないのではないかと考えることがある。

 

たった今さっき、公園のベンチで煙草を吸っていたことを思い出したが、現実感はなかった。衣服を確認すると灰色のスウェットパンツにTシャツを着ていた。俺の部屋着だ。化粧も落ちている。化粧?してないだろ。

 

しばらくは茫然として何も考えられなかった。とりあず俺は上映、上演されている映画や演劇をしらみつぶしに観ていくことに決めた。とはいっても、楽しみを消費しつくしてしまわぬように、三日に一度ぐらいの頻度に抑えて、気にいったものは何度も観るようにした。

 

映画を見過ぎたのか、映画自体を構造で見るようになってすぐ退屈してしまったある晩、映画を観た後、自宅近くの駅前の繁華街の中にある、〈麒麟屋〉という名前のカフェバーに入った。スパークリングワインを注文し、一人で飲んだ。ほろ酔いで店内の無人の椅子をぼんやり眺めているうちに最近読んだアメリカの小説を思い出した。

 

それは全体的に微妙な配慮が必要な小説で、方向性、ブレース、風力などを考慮しなければならないし、屋根の上でアンテナを固定できるような頑丈な場所を探さなければならなかった。でも揺れてるからアンテナはこっちの煙突に付けた方がいいと思います。

 

アンテナの下部マスト全体を固定できるので、マウントがより安全になり、さらに数インチの仰角を確保できるはずだ。AMは簡単で、電離層で跳ね返ったり地上波で動いたりするので、常に良い受信範囲が得られる。背が高ければ高いほど、手が届く範囲も広くなります。

 

感覚と感覚の間の長い戦争で、目はその止めどない焦土作戦で、文学に対して一種の技術的グレシャムの法則を動員し、生きたメディア、交換媒体、と呼びたい。この豊かさには誰も逆らえない。

 

スイッチを入れ、背中を丸め、柔らかな気持ちになり、そして声の力、言葉、コミュニケーションへの本能に身を任せ、目を閉じていても、目を全開にしていても、遠くまで連れていってくれるのです。VRとかね。

 

「俺はただ、ただあんなやつを相手にキレた自分に腹が立つだけだ。あんなろくでもないやつ」

 

「はい、ええ、彼の耳を引っ張ったのはちょっとまずかったというか」

 

「嫌いなやつは絶対殴っちゃいけない。それが第一のルールだ。いまいましいけどな、君も出かけるのか?」

 

最初にやりたいことから始めてみる。使用済みモーターオイルを再生する、血漿から血小板を取り出す、これは名誉ある仕事だ。そして、遠心分離機の計り知れない深さのほんの一部を理解することに専念した後、次は人類学に取り組みたいと思う。

 

「ああ、畜生!言われたくても俺だって・・・」

 

タイプライターの前に寄せられた椅子に腰をおろした。

 

「鉛筆さえ見つけられない作家。畜生、人の弱点をよく知ってるよ、作品を仕上げられないのは自分と競うことを恐れているからだってさ、夢の中でのように、恐ろしいほどゆっくりと物事が起きる」

 

タイプライターに挟まっていた紙を破いた。バカバカしい。時代はパワーブックG3だってのに。でもあれはデンタタとのセッション用に残しておきたかったんだよな。でもこの際、悠長なことを言ってはいられない。

 

そして無所属の学者として文学の定義を確立しようと努力し続けることにした。それは、これまでに提案されたどの定義よりも簡単に厳格なもので。このことが明らかになり、この強固な新しいパラダイムが普及し、帰属するとき、ささやかな夢は、文学界で無名俳優と同じくらい有名になると確信することに帰結するのだった。

 

ついでに尿管は、象科の象の下顎よりも重大に思われるだろう。でもこれは進歩と呼ばれるもので、一歩、また一歩と足を踏み出すことであり、これは達成とみなされ、運動であるはずなのだが、いや、これは進歩でも達成でもなく、まったく逆なのだ。ルームランナーの上の人物であり、歩みはどこにも帰結しないだろう。

 

どこにも移動していないことに気づき、ただ距離をシミュレートし、動きを偽装する。行動は静止を強化し、努力は無力を確立するだけだ。そしてその間、一歩一歩についてくるする「トカトントン」が頭の中で鳴り、締め付けられたウォークマンからひっきりなしに流れている繰り返される雨の音。

 

時間が存在しない音楽というのをずーっと考えていたことがあって、それは特定の部分をループさせるとか、そういうことではない波形が動かないような音楽は作れないものかと悩んだ挙句、作り上げたものはイマイチだったので失望した。もしくは逆アプローチで時間を無限に伸ばすということも考えたのだが、聴覚的にそれは引き伸ばされた音にしか聞こえなくて、全く感動が無かった。