龍神様からのメッセージで、もちろんガチの方と師匠を介して教えてくださったのだけども、俺が「霊力開眼!」とかっつって色々やり過ぎてるんで「ちょっとボチボチ休めや。宇宙由来なのは分かるけど地球人として生まれて来てるんだから地球ペースでやったほうがいいよ」っていうことだったみたいで、ずーっと身体がダルかったのです。
霊力というのは使っている使っていない、みたいなのが身体的に分かるわけではないのでって言っても今回分かるようになったから良い経験だったのかもしれない。でもこれを常にビンビンにしておくって普段からの維持の努力が半端ないなと。
だから俺はフローティングタンクで浮いたりVR瞑想をしたりしておる。しかし使うことばかりでもっと休めながらゆっくり受信をしたほうがいいそうである。隣に見知らぬ背広の男が座り、そのような励ましをしてくれた。俺はただ嘔吐した。勘定をして店を出ると、励ましてくれたサラリーマンが追いかけてきて、タクシーで家まで送ってあげると言った。足を盗んで懐に入り腹に掌底を食らわせた。暴力万歳。サラリーマンは何が起こったのか分かっていないのだろう。とりあえず気絶していた。夜風を浴びて歩いていると、毛布の温もりに包まれ朝へと跳躍した。
視覚と音は、これまで夢にも思わなかった関連性を持っていて、それは本当に図と地の問題であり、その2つを統合することを学ぶことが重要だ。風景とその中に突き出たヒノキを結びつけること、トカトントンと一緒に世界を考えること、パターンを粒子に溶かすこと。エーテル体を強化しまくること。といっても苦行じゃダメだ。ハイアーセルフ様が「もっと人生を楽しめ」と言っている。苦行をするつもりはないのに苦行をしている修行僧みたいに見えるのかもしれない。
今ここでついに存在しないことへの存在論を完成させ、実際、それを予想もしないレベルにまで押し上げた。今、この世界での唯一の役割は、取るに足らないという証明のための器官として機能することだ。積み上げるすべての経験は、deleteキーの別のストロークでしかなく、経験は無限だ。
その時、アドレナリンは急上昇し、喉はカラカラになった。ハイアー様も「水を飲め」と言っているらしかった。この突き出た興奮で、死なない未来の夢を届けるために過去を苦しめるのである。微小管は成長するために細胞質プールから浮遊分子を奪い、収縮するためにその物質の断片を実際にプールへ戻す。この絶え間なく変化する流体の中で組み立てたり分解したり、媒体に溶け込んだり、媒体から現れたり、調節するたびに豊かになったり可能になったり、この大きな相互浸透の回転に参加し、与えることと奪うことの区別を溶かし、どうするんだっけ?忘れた。散々色々と考えたのに。
なんかまるで生まれたときも一人で、ずっと一人ぼっちで、これから先も一人というような気がした。灰皿に水をつけてエアコンのスイッチを切り、ベッドに入った。
どうやら象は自分を知っているよりも多くの点で無限であるようだった。実際そこに座って静かなリビングルームを彩るすべての声を聞いている間、その状況はかつて見た映画、「羅生門」のようだった。
映画がただ進み続け、その物語の多くのバージョンを生み出し続け、より多くの登場人物を生み出し続け、象がその物語に自分の解釈を加えることを期待していた。だから、映画が結末を迎える必要性を感じ照明がついたとき本当に動揺してしまった。泣き出すのを防ぐために口に拳を当てて家に帰ったことを覚えています。最後のは嘘ですけどね。
音というものの本質的な悲しさ、音の欠陥のあらわれなのだろう。結局のところ、音というものはとても滅びやすい。それは空気の揺れに過ぎず、頂上と谷のもろい連続であり、柔らかく、波打ち、マシュマロのように丸く、その媒体に危うく依存する。それは、硬さ、梁、永遠性を持つ光とは全く異なる。音はただ溶け、空虚へと放射され、曲線を形のないものに分解して、大気を通して、方向なき空間へと通り、重力が終了するまで続く。悲しみも同じである。
「分かりました。ではそのイデオロギーが・・・どうなるんですか?」
「すみません、すみません」
「あ、そうだ。ああ、そこにいたのか・・・」
「あ、自分ですか?ああ、神様、すみません」
「この電池を交換しないと」
「畜生、俺も一瞬、半信半疑だったんだ」
「それは動いていない感じですか?」
「いいえ、大丈夫です」
「よかった」
「約束します、大丈夫でした」
「ええ、ちょうど最後の質問で出ましたね。そうなんです」
「でも、彼が出たり入ったりするので、ちょっと難しいですね」
「出たり入ったりするんですか?」
「Oh yeah」
「そうですね。あのね、背景があまりきれいじゃないということなんです」
「もちろんです。もちろん、だから見せていないのですが」
「アイムソーリー」
「いえいえ、そんなことはありません。それはいいんです。それでいいんです」
「だって、ポンポン言ってるじゃないですか」
「あ、ありがとうございます。素敵な言葉ですね」
「とても深い、精神的な意味で」
「ありがとうございます」
「OK?というのは、完全に僕をねじ伏せているんです」
「ハハハハハ」
「いいですか?それは王です」
「あなたは、あなたはただ、僕にはわかる、あなたはとても・・・」
「何でしょう?」
「あなたはとても内省的です」
「これは難しい質問ですね」
「オーケー、僕はただ写真を撮るだけだよ」
「そうですね」
「この瞬間、僕はあなたと場所を交換したいです」
「ハハハハハ」
「いつでもどうぞ」
空の空なるかな。万事空にして、風を追うが如し。空の空なるかな、その通りだ。この二つの文章だけで世界が開かれる。事物、風、子供たちの叫び声、その叫びの中で消えていった太陽。自分は自己破滅に向かっている。空の空なるかな。万事空にして、風を追うが如し。風を追う、とは自分のことだ。自分は風の属性が強い。風の時代にぴったりだし土の時代との相性は最悪である。ところで、そういった理性の陰で整理しておかなくてはならない原稿がある。やっていることは消えてゆかない。それを象は必至で止めてくれていようとしている。
霊的修行は陰の気、パワースポットに行ったり「楽しい!」と思うことをやることが陽の気。でも陽が見つからないからどうすればいいのやら。