行方不明の象を探して。その183。

じっと映画を観ていると、どうしても自然にその上に置いた鬼滅の刃のフィギュアに目がいってしまい、映画に集中できなくなっていた。でも思えば鬼滅の刃も人間とは何か?を問うような実存的要素がある作品であるし、神という題材はないものの、神なき世界の神の不在を描いたものと言えなくないか。鬼殺隊は言わばサタンを滅する天使の集団というわけだ。

 

そんなことを考えていたら「冬の光」はマルタの手紙のシーンまで進んでしまっていた。何度も見た作品なので、鬼滅の刃について考えていた間に映画に集中していなかったことなどそこまで気にならなかったものの、でもそれ以降もあまり映画に集中することが出来ずに、マルタが画面に向かって喋っている途中でDVDを止めて、あとはビールを飲みながらぼんやりとテレビの上のフィギュアを眺めた。

 

じっと眺めているとそのフィギュアに何かしらの愛着のようなものを感じてきた。でもそれがどのような愛着なのかはまったく分からなかった。そのフィギュアを手に取り眺め、そしてそれを机の上に置き、「冬の光」の続きを観た。それでやっとマルタの手紙のシーンに神経を集中することができた。

 

つくづく思うのは、物語と主体の在り方についてはもはや物理的現実としての存在を許さないものになったということだ。それがただの個人とそのテキストなり映画や表象されたもの全般との関係性や文脈的なものに還元されてしまい、それまでの表出の基礎となる概念的カテゴリーの中身は問題化されて相対化されてしまう。この概念は音楽や表現の解放において重大な影響を与えるものだと思う。

 

音楽の中にある音ではなく、静寂の中にある音の振る舞い、もしくは音の中にある静寂の振る舞いについての聴取のプロセスは聴取者なしには語れない。この定式化された自然法則は、もはや音を規定するものではなく、音と静寂に関する我々の知識を扱うものになっている。特にそれは相互関連性や不連続性、相補性や、その音楽が鳴っている場所における音楽以外で響きうる環境音といった不確定性において顕著だと思う。

 

私がナオミを引き取り、今の家に引っ越したのは5月下旬だっただろうか。日当たりのいい屋根裏部屋からは海が見渡せ、家の前の南向きの空き地は花壇に便利だった。ただ、家と家の間には小さな田んぼがあったので、それほどうるさくはなかった。

 

「すぐに入りなさい。すぐ左に椅子がありますよ」

 

普通の人が住むには不向きな家だったので、家賃は思いのほか安かった。私は彼女の趣味を洗練させるために、自分から買い物に行くのではなく、彼女の意見を述べさせ、できるだけ彼女のアイデアを採用するように努めた。 したがって、彼らは自分で自由に選択し、自分の好きなように家具をデザインすることができた。

 

ナオミが言った。

 

「ありがとう。私はただここにいるだけなんだけど、どうしてパパが私をここに来させてくれたのか、ちょっと不思議に思っているの」

 

私たちは安いインド絨毯を見つけ、それをナオミがおぼつかない手つきで縫って窓掛けを作り、芝口の西洋家具店からは古い籐椅子、ソファ、安楽椅子、テーブルを見つけた。壁にはメアリー・ピックフォードやアメリカのムーブメントに参加した女優たちの写真を2、3枚飾った。寝具もできるだけ洋風にしたかったが、ベッドを2つ買うのは出費がかさむだけでなく、寝具を田舎の自宅から送ってもらえるという便利さもあったので断念せざるを得なかった。

 

ところが、ナオミのために田舎から送られてきた布団は、メイドが寝るための寝間着で、それはお約束の唐草模様の粗末な木綿のせんべい布団だった。これではかわいそうなので

 

「ちょっとひどすぎるので、私の布団に替えましょうか?」

 

と私は言った。

 

私は彼女の隣の部屋、同じ屋根裏部屋の4畳半の部屋で寝た。毎朝、私たちは他の部屋とこの部屋で目を覚まし、布団に寄り添って声を掛け合った。口が乾いてねばねばしていた。

 

「不十分な唾液の音を立てているよ」

 

「寝息の間違えじゃなくて?しかも不十分って、まるで機械翻訳みたいな言葉遣い」

 

「ナオミ、もう起きた?」

 

「うん、起きたよ」

 

「今何時?今何時?」

 

「今朝はご飯を炊いてあげるよ。話をしに来たんだろ』

 

「昨日炊いたから、今日は炊いていいよ」

 

ご飯を食べようと思えば、小さな土鍋で炊いて、櫃に移さずに食卓に運び、缶詰などをつつきながら食べる。ナオミは缶詰の味にご機嫌なようで、そのご機嫌な調子のままこんなことを言った。

 

「ケベック州南部で現在起きている州内危機全体とあなた自身の関係を、私たちが徹底的に調査していないとでも思っているのかしらね?ウフフ」

 

ナオミは何でもお見通しなので、時々、パンと牛乳とジャムを食べたり、洋菓子をつまんだり、その割には夕食をそばやうどんで済ませたりした。ちょっとご馳走が食べたいときは、近所の洋食屋に出かけた。

 

「でもね、私は幻覚を見ることがあるんですよ、最近。3時からのチャレンジマッチで、真っ白なドアの前に佇んでいる切手コレクター達と会話することになっているのに、どうしてママたちはこんな坂道を風に逆らって私にペダルを漕がせるのだろう?って」

 

朝食が終わると、私はナオミを一人残して仕事に出かけた。午前中は花壇の花をいじり、午後はカラッポの家に閉じこもって英語と音楽の練習に勤しむ。英語はネイティヴから習ったほうがいいと思い、目黒に住むミス・ハリソンという年配のアメリカ人女性のところへ1日おきに通って会話とリーディングを習い、私は足りない部分を時々家で復習したりしていた。

 

「私にサポートスタッフがいないとでも?私の言いなりになる研究者?」

 

音楽はどうしたらいいのか見当もつかなかったが、数年前に上野の音楽学校を卒業した女性が自宅でピアノと声楽を教えていると聞いた。

 

「お父さん、あと12分くらいでシャハトとの挑戦者決定戦があるんだけど、下り坂の背中に風が当たるか当たらないか。口腔泌尿器科の医者がブライトン・ベスト・セービングの外にいて、5時に指定されたネクタイをして待っているんだ。あ、17時ね。朝ではなくて。

 

このインタビューのために、私は1カ月間彼の芝刈りをしなければならない。その付け鼻で床を指差しながら、私が無言だと思い込んでいるのを黙って見ているわけにはいかない。

 

「パパ、私の話聞いてる?」

 

ナオミは銘仙の着物の上に紺のカシミアの袴をはき、黒い靴下を履いて、かわいい小さなジョーダンを履いていた。帰り道で彼女に出会ったとき、私はもはや彼女が洗足の町で育ち、カフエでウェイトレスをしていた少女だとは信じられなかった。

 

「私は話していて楽しいわ。私は完璧なプロよ。みんな、私のパーラーを出て行くんでしょ?あなたはここにいるんだから、なんていうか、暫定的な会話タイムよ。さて、ビザンチン・エロティカについて語り合いましょうか」

 

彼女の髪はリボンで結ばれ、最後に三つ編みにされ、おさげにして垂れ下がっていた。以前、「小鳥を飼うような感覚」と言ったことがあるが、彼女を引き取ってから、顔色はますます健康的になり、性格も少しずつ変わって、本当に生き生きとした明るい小鳥になった。普通、蔑称の句じゃないですか。こんなのって?

 

広いアトリエの部屋は、彼女にとっては巨大な鳥かごだった。5月末になると、初夏のような明るい天気が訪れた。花壇の花は日に日に長く色鮮やかになっていった。

 

「自分が予約してお金を払ったのなら、その時間は私のものでしょう?君のじゃない」

 

夕方、私が仕事から、彼女が練習から帰宅すると、インド絨毯の窓ガラスから漏れる太陽は、真っ白な壁に塗られた部屋の四方を、まだ昼間であるかのように鮮明に照らしていた。アマチュアであろうとなかろうと、恐怖で終わらないたった一度の会話を祈るだって?あなたが見つめて、私が理解という、他のすべてのような結末にならないように?

 

彼女は素足にスリッパを履いて床を踏みながら覚えた歌を歌ったり、私とかくれんぼ鬼ごっこをしたり、スタジオの中をぐるぐる走り回ったり、テーブルを飛び越えたり、ソファの下にもぐったり、椅子をひっくり返したりした。

 

一度、私が馬になって、彼女を背中に乗せて部屋中を這い回ったことがある。

 

「ハイ、ハイ、ドゥ、ドゥ!」

 

ナオミはハンドタオルを手綱代わりにして、私に噛ませた。ナオミが笑いながら元気にはしごを上り下りしていて、とうとう足を踏み外しててっぺんから落ち、突然泣き出したのは、そんな遊びの日のことだったに違いない。前述の交際の写真がシュピーゲル誌にリークされた結果、オタワのパパラッチとバイエルンの国際問題編集者が、それぞれアルペンストックの幹部とカクテルオニオンの誤飲で猟奇的な死を遂げたことについてはどうなのだろうか?

 

私が彼女を抱き上げて抱きしめたとき、彼女はまだ鼻を鳴らして刺繍を捲っていたが、転んだときに右腕の爪か何かに触れたのだろう。

 

「会話のプロなの?」

 

転んだときに釘か何かに触れたのだろう、彼女の右腕の皮膚は肘のところで裂け、血がにじみ出ていた。

 

「ケベック州南部で現在起きている州内危機全体とあなた自身の関係を、私たちが徹底的に調査していないとでも?」

 

こんな些細なことで泣くなんて、どうしたんだ?軟膏を塗り、おしぼりを裂き、ドレッシングを調合して作った軟膏を貼っている間、ナオミの顔には涙が溢れていた。鼻水を垂らしながら洟を垂らしているその顔は、まるで子供のようだった。

 

ナオミは泣きながら言った。

 

「南部ケベックの州内危機って?キザなモザイクの話がしたいんじゃなかったの?」

 

傷口は不幸にも化膿し、56日間治らなかったが、ドレッシング軟膏を替えるたびに彼女は泣き出した。ドレッシングの調合が間違えていたのか、そもそもドレッシングを傷口に塗ること自体が間違いだったのか。

 

「父さん、あと12分でシャハトとの挑戦者決定戦があるの。口腔泌尿器科医が5時にブライトン・ベスト・セービングスの外に指定のネクタイを締めて来るのよ。そう、17時ね。朝じゃなくて夕方。

 

このインタビューのために、私は1カ月間彼の芝刈りをしなければならない。その付け鼻で床を指差しながら、私が無言だと思い込んでいるのを黙って見ているわけにはいかない。

 

「パパ、私の話聞いてる?」

 

しかし、そのとき私がすでにナオミに恋をしていたかどうかはわからない。たしかに恋はしていたが、それ以上に、彼女を育てて立派な女性にすることを楽しみにしていた。高弾性グラファイトで強化されたポリカーボネート・ポリブチレン樹脂の超極秘配合材料が、ジャイロバランスセンサーとミセと有機化学的に同一であること。 ジャイロバランスセンサー、ミセシーンカード、プリアピスティック・エンターテインメント・カートリッジは、無残な一連の解毒手術、畳み込み手術、胃切除術、前立腺切除術、膵切除術、咽頭摘出術を受けた後、ナオミの偉大な父親の大脳に移植された。

 

私はナオミを浅草の実家に残し、大森の自宅のドアに鍵をかけて田舎に帰った。

 

「アルバート秘密警備隊の戦術音楽隊に所属する、ある無名の両性具有のファゴット奏者との、ある週刊誌で言うところの母性的な交際を、私たちが会話上容認できないことを、あなたはあえて想像できたのですか?」

 

私は初めて

 

『あの子がいなかったらどんなにつまらないかわからないし、これが愛の始まりなのかもわからない』

 

と思った。母に優しくしようと心に決め、予定より早く東京に着き、いきなり上野の停留所からタクシーに乗ってナオミの家に向かった。ナオミが難解なニーモニック・ステロイドを、あなたの父親が毎日皮下注射している「メガビタミン」サプリメントと立体化学的に似ても似つかない、ロサンゼルス中南部の盆地のジバロ・シェイメンが蒸留したある有機テストステロン再生化合物由来のサプリメントを、あなたの無邪気に見える朝のラルストンの器に移したこと、それは僕とナオミの間の秘密だった。

 

彼女は私を格子の外で待たせると、小さな風呂敷包みを抱えて出てきた。とても蒸し暑い夕方で、ナオミは薄紫の葡萄模様の入った白っぽいふわふわしたモスリンのモンクロを着て、髪はトキ色の幅広の派手な紋付きリボンで結んでいた。

 

ナオミはそれ以来、依頼を受けて盗聴器・盗撮カメラを見つけ出し、取り外す仕事をしている。ある日、ナオミは単身赴任で地方に異動することになった会社員のAさんから、引っ越し先のマンションの調査を依頼された。内容はマンション部屋に盗聴器が仕掛けられていないか確認するというものだ。そう、失神したのだと人々はずっと思っていた、彼は起き上がったと言うか倒れた場所から自分の寝室まで這ってきたのであり、街から帰ってきた女中は応急処置をしながら子供に呼びに行かせたドクターを待っていた。

 

象との会話も象が言うように役に立ってるのかな、分厚い手が襲い掛かり、押さえつけ、力づくで頭を下げさせ、ひざまずかせる、そこにいるくだらぬ男、会う人たち、デンタタみたいな化け物とか象とかも含め、「それ」に至るための道具にしたくないなって。

 

あいつらを踏み台にして何かを得るんじゃなくてあいつらと共に歩むんだなって、相手が人間じゃないとやっぱり上目目線になっちゃうものなんだよ、所詮象だろ、所詮オマンコに歯が生えたやつだろ、みたいな、でもそうじゃないんだよ、みんなで手を取り合って歩むっていうことなんだよ。

 

身動き一つできない、俺は「あれ」とか「虚体」とかいろいろな呼び方をしているけど、あれに至るなり掴むなりして表現することにしか興味がない、自分の内部にある内気な反逆の下心、別に内気ではない、攻撃的過ぎる性格を改めねばなるまい。

 

正直まぁどうしたらいいのか分からない、要するに物事をあるがままに見ることを承諾しなくてはならない、集中的な思考から生まれる創作、この半年に読んだものの中では一番いいって言ってくれたんだ、かったるい答え、ナオミはうなづく、陳腐な言葉、ひどく悲しい思いをさせられて、今にもわっと泣き出しそうな子供の哀れっぽい顔、カフカの出版社も同じことを、紋切のリボン、いや、紋付きだ、表現の限界、タイプライターの前で文字を捕まえようとしているときはそういったことは一切浮かばない、ボルヘスのバベルの図書館みたいなところがあれば「それ」って思っているものはあるんだろう、無限の文字の組み合わせの中だったらそれはあると思う、でも時間が問題だ、まったく彼らしいやり方だよ、いいかい?カフカ殿、貴殿の作品は小生がこの半年間に読んだ最良の作品であります、ハッハッハッ、おもしろいでしょう、こいつは、そう思わない?

 

クリアすることが不可能なゲームをやり続けることはできない、掠った感じの再現性は無い、アルゴリズム的な方法論もない、つかみ取る技術はある、すてきな話だろう、そうだろう、この話にはむしろ勇気づけられるよ、彼女は微笑する、偶然性。待つしかない、彼は逃げ出す、遁走する、野蛮な叫び声をあげる。そう語る彼の周りで起こっている至高の終わりのない相互作用には淀みが一切ない、彼の身体が暗号とかテキストという感覚を与えているようである、しかしその感覚は永続することはなくその流れが止まってしまう、彼はまた逃げ出す、得体のしれない塊が彼の心を終始押し付けているかのようで、その原因が彼にあるのではなく、その塊にあるのだからしょうがないと考えるしかなかった。

 

その日は夕方前に仲間たちと別れて、一人でアパートに戻った。僕はベッドに腰掛け壁にもたれた。部屋を照らす蛍光灯の光が妙にうら寂しく見えた。最初は本を読んでいたが、脳が疲れたので閉じた。明らかなことと言えば僕はそろそろ眠るということだ。この行動の原理はこの上なく単純だ。

 

どこから考えてみてもそのためには多くの時間が必要だろうと思われるにしても、とにかく何もする気は起きなかった。ただ、じっとしていた。遠くで犬が咆えている。上の部屋のベランダで洗濯機がまわっている音がする。壁越しに隣の部屋のテレビの音が漏れ聞こえてくる。お笑い番組だ。

 

身体のいっさいのぐにゃぐにゃを減らしてただ一か所に仙骨のような個所に集中させる必要があるだろう。身体はこの瞬間先ほどの静かな統一をもう全く示さない。事実、四方に伸び広がるのだ。足の親指なり腿なりを中心に連れ戻そうとする、ところがそのとき、そのたびに忘れている規則がある。隣の部屋に三十代の夫婦が住んでいるということだ。

 

彼らは毎日同じ時刻に同じチャンネルを見ているのだろう。同じ箇所で笑い、同じ台詞を言い合うのだろう。世の中にあるものはみな運命のシナリオ通りに動く機械。同じ時刻に同じ場所に行き、同じことをしている。百万遍も繰り返し上映される映画のエトセトラ。気がつくと、煙草の空箱を丸めていた。いつのまにか吸いきってしまっていたようだ。電子タバコってどうなんだろう。なんでも電子だな。電子電子。

 

はぁー名声は空虚であり、何の役にも立たない、それは確かだ。そして今、彼はまた道に迷ってしまった。虚体は影に問う 「で、どうすんの?」安らぎの場所を探しているのなら我が家はいつでも避難場所だ。でも目の前にはタイプライターがある。彼はそれに向かわずにはいられない。

 

今日まで藁をも掴む思いで書いてきた。いや、書いてないのだけど。紡いできた?紡いできたにしよう。でもなかなか進まない。でも焦らない。これしかやることがないし他にやることがないということの強みは凄い。ずーっとそれに向かうことができる。少し休んだところで大した時間の浪費にはならない。

 

暗い屋根裏部屋で空虚に飲み込まれそうになっても全くそれに動じない。もっと間接照明を増やして明るくすれば?いや、そういうことではない。最上級のホテルのスイートルームでタイプライターに向かっていたって気分は変わらない。彼の人生の残りは言葉に値しない。だから探す必要がある。それを達成したうえでの言葉に値しない人生なら彼は一向にかまわないだろう。