行方不明の象を探して。その186。

絶望というのは闇属性だし、ネガティヴな属性のものだろう。良いものだとは思わないが、心の闇から収穫できるものはたくさんある。変な話、そこから養分を得て表現活動に活かしたり何かを書いたり何かを表現できたりするのだろう。ただ観念的にはライト・ワーカーだ。常に身体は光に包まれている。しかしそこに生きる喜びはなくて、ただひたすらニュートラルな存在そのものが屹立する。何もないというのは絶望より恐ろしいものだ。かといって死のうとは全く思わない。そういう類のものではない。

 

ビヤホールにはほかは二組の客しかいなかった。若い男女と帽子をかぶった小柄な老人だった。老人は帽子をかぶったままひとくちひとくちビールを飲み、若い男女はビールにはほとんど手もつけずに小さな声で何事かを話し合っていた。こういう光景を見るとうんざりしてくる。ビールはひとくちずつ飲むような代物ではないし、あんなものは清涼飲料水で酒ではない。ヘビードリンクを前にちびちびやるのはまだマシだと思うのだが、ビールをちびちびやるとはどういうことか。あの若い男女にしてもビールに手をつけないなら炭酸が抜けないようなものを頼めばいいのに、なんのためのビールなのか。

 

そもそも外で飲むことが大嫌いだ。体に悪いアルコールというものをわざわざ市場価格の何倍もの値段で買って飲むのだから、これほどの無駄遣いはない。友人と一緒に飲むなら別だろうけど、友人がいないので分からない。普通に生活してたら交際費のようなものが一切かからない。

 

そういえばビヤホールではどういうわけかルイジ・ノーノの「断片-静寂、ディオティーマへ」がかかっていた。ビヤホールでルイージ。なおかつ、ノーノがかかっているなんてはじめてだ。そんなことを忘れて適当なもの飲みたかったのに、ノーノなどを聞いてしまうと前衛音楽のみならず近代音楽の終焉のいうなものを感じてしまって、小説なんて書けるわけがないのも小説はもう終わったメディアだからというような観念が頭をよぎるし、そんなことだったら飲むものはおしっこでいいじゃないか?という気にすらなってくる。

 

それと書けない理由は関係ないしても、どうせ書いたところで何かをなぞるだけになってしまうものを書いて一体何になるというのか?ノーノを聞きながら五個のカキにレモン汁をかけ、時計周りの順番に食べ、中型ジョッキを飲み干した。生ガキにケチャップがついてくる場合があるが、そういう店には二度と行かないようにしている。センスが悪すぎる。

 

このビヤホールは花の園であり、その恩恵と楽しさと美しさが等しく感じられる場所だ。もし一度でもこの店を訪れたいとの思いがあれば、たとえ五十里、百里、三百里の筑紫の海の果てにいても、短時間でもここに来て虚空に降り注ぐバーの景色を見ることができる。恋する者は、主の柔らかでしなやかな手にしがみつき、主の胸に抱かれるかもしれない。

 

バーの上空に漂う雲は町の上空を低く吹き抜け、汚れた灰色の細片が、急いで集まった邪悪なもののように威嚇していた。翌日、神父たちは慈愛の心でグウィヨンをロバに乗せ、谷底まで連れて行った。マノムエルタ神父は彼に祝福と戻るよう勧めた。凄惨な旅の後、グウィヨンはこの国で最高のホテルに運ばれ、そこで療養することになった。

 

私はよく狂人になって帰ってきたものだ。戻ってくると気が狂いそうになったものだ。あなたは職務に忠実な立派な人だ。冷静な口調で褒めてくれるだろうか。私はまだウイスキーをぐびぐび飲みながら、くだらない連想の糸をたぐり寄せていた。

 

夜、マドリードで彼の窓だけが開いていた。彼の周りには、100万人足らずの人々が、外の雨戸やサッシ、中の雨戸やカーテンを閉め、鍵のかかったドアや閂のかかったドアに身を隠し、重苦しい夜が過ぎていくのを無意識に感じていた。その開け放たれた窓から、彼は稲妻に起こされた。稲妻そのものに起こされたのではなく、稲妻が突然なくなったことに起こされたのだ。

 

彼は面長で目鼻立ちがはっきりし、前髪をきれいに分け、頭にはパナマ帽をかぶり、白い足袋に雪駄を履き、とても軽装だった。私は何か犯罪でも犯したかのように驚き、

 

「ちょっと大阪に行く用事がありまして」

 

と口ごもりながら答えると、おかしそうに笑った。

 

「ああ、なるほど、いつぞや聞いた徴兵制のことか」とK氏はすぐに理解し

 

「今日も用事があるので伏見に来ます。ちょうどいい場所ですね。途中までご一緒しましょう」

 

と言った。

 

「書斎の窓は閉めただろうか?納屋のドアは?何か・・・雨の中に忘れ物はなかったか?ポリー?」

 

ポリーとは40年前に持っていた人形で、午後の日差しが照りつける白樺の木の下の家の女主人だった。サン・ツヴィングリの丘では、門の上に石で磔にされた踊り子のように両手を広げた姿が雨に打たれていた。白いストッキングをはいた十字架のような目をした少女がカミラのそばで待っている、その名前と哀れな年月の上に飾られた額縁のと壊れた茎と割れたガラスが、ボベダ、丸天井に打ちつけ、水は空の丸天井に流れ込んだ。

 

そして、また別の、また別のばかげた考えが頭に浮かんできて、笑ったり、怒ったり、腹が立ったり、一人で悩んだりした。実際、真剣に考えた結果、死ぬか、発狂するか、当分東京に留まるか、それ以外に道はなさそうだった。死にたくなければ、発狂したくなければ、一刻の猶予もなく直ちに大阪へ発たなければならない。

 

「でも、もし大阪に間に合わず、電車の中で卒倒してしまったら」

 

私は深くため息をつくと、ベンチから立ち上がり、恨めしそうに電車の影を見つめた。電車の影が囲んでいる外には、長く伸びた草がぼろぼろと生い茂り、目立つところから沈んでしまった塚の上に、木製の三角形と十字架があるだけだった。私は突然の驚きでベンチから飛び起きた。冷たいタイルに足を取られ、マドリードにいる自分に目覚めた。意識をマドリードに飛ばせるのになぜ電車に乗る必要があるのか?

 

私はその事実に戸惑いながらも、不審な点に気づいた。二年前に引っ越したはずの家族のバッグが、いまだに屋上に残っているということは、何か問題がある可能性がある。

 

「それなら、二年も前に引っ越したと言われていたのは、なぜですか?」

 

グウィヨンは再び顔を背け、唇を噛んでからこう言った。

 

「実は、あの一家、突然の出来事があって引っ越すことになったんです。でも、どうしても部屋に残していかなければならないものがあった。それを取りに戻る間もなく、引っ越し先で亡くなってしまったそうです」

 

ポリーとマノムエルタ神父は大木の語る話に驚きを隠せなかった。管理人の言葉からは、あのバッグの持ち主が亡くなる前に、何かしらの理由で急いで引っ越さなければならなかったことが伝わってきた。

 

「それなら、なおさら問題ですね。持ち主が亡くなっているなら、このバッグはどうして屋上に残っていたのでしょうか」

 

大木は沈黙し、ポリーとマノムエルタ神父をじっと見つめた後、一歩後ろに下がりながら語り始めた。

 

「実は、あの一家が引っ越しの際、何者かが手を入れてしまっていたんです。部屋はもちろん、このバッグも。持ち主が亡くなった後、家族が探しに戻ったときには、もう何もかもがほかの人の手によって変えられていたそうです」

 

ポリーとマノムエルタ神父は驚きを隠せなかった。亡くなったはずの持ち主が手を入れられたものを取りに戻る間もなく亡くなり、その結果、屋上に残されたバッグ。一体誰が何のために手を入れ、なぜここに置かれたのか、その謎がますます深まっていった。

 

「でも、それってどうしてバッグが屋上に残されていたかの謎とは関係あるんですか?」

 

ポリーが尋ねた。

 

「ええ、それがですね。亡くなった一家の方たちは、このバッグが欲しいもので、何度も探しにこられたそうですが、結局見つけられなかった。そして、このマンションにはもう住んでいないはずの彼らの気配が、今でも時折感じられると言います」

 

ポリーとマノムエルタ神父は、大木の話を聞きながら不安な気持ちを募らせた。亡くなったはずの家族が、なおもこの場所に引き寄せられているような気配がするというのは、どれほど不可解で怖いことだろうか。

 

「それに、もう一つ気になることがあってね。そのバッグ、この前までここにはなかったんですよ。いつの間にか屋上に現れていたんです」

 

ポリーとマノムエルタ神父は再び驚きの表情を浮かべた。どうしてそんなことが起きるのか、理解できないまま、淑美は神谷に感謝の言葉を述べ、バッグを持ち帰ることに決めた。

 

「これからも何かあれば、お知らせくださいね」

 

と大木が言うと、ポリーはマノムエルタ神父とともに管理人室を後にした。バッグを手に持ちながら、いつものように着替え、コニャックを飲み干し、外に出た。雨は上がっていた。巨大な門が開かれると、ポリーは冬のレティーロ公園の荒れ地の中に入っていった。

 

夜明け前の光の中で、花崗岩のベンチは、それに見合った大きさで、子供たちの埋葬されていない棺のように見えた。その背後には、葉のない木々が立っていた。生命を待ち望みながらも、その違いはまだ冷たく露呈していた。まるで、グラスを構えて注目する人々の一団が突然振り返ったときの沈黙の瞬間のように、形式的に整えられた状態で待っていた。

 

そこでは、台座の上にバランスよく置かれ、決して屈服することも打ち消すこともなく、欠けた空洞や風化、白い石の無頓着な曲げ伸ばしに吸収された時間の重みに抗して、自重を突き出しながら、未曽有の過去の人物を待っていた。

 

グウィヨンは腕の下の棒に指をかけ、棒を伸ばして葉を打ったが、それは外れた。彼はもう一度見た。家族のように、彼らは待っていた。そして、彼は血の費やすあらゆる瞬間に、彼らの中のよそ者として立ちすくみ、自分の中にある生に罪悪感を抱いていた。石像のように、それぞれのブロックが他のブロックから離れて溝を作り、脚は実体となり、手甲をつけた胴体は別のものとなり、頭部は別のものとなっていた。彫像が四季の流れを背負うように、彼の家族は時の流れを岩のように軽視して生きてきた。彼らは彼にも同じことを期待していた。

 

先斗町に遊びに行こうか、それとももう少しここにいて気分が落ち着くのを待つか、迷っている。結局、夕暮れ時に終電が出るまで手と膝をついてしゃがみこんでいたら、欲しいものは手に入らず、木屋町に戻らなければならなくなる。あきらめてほっとする。

 

愉快なことはすべて、断じて悪ではないにせよ、もっと悪いことに、時間の浪費であると考えることができた。感傷的な美徳は長い間、彼らのシステムから根絶されていた。貧しい人々が必ずしも神の友であるとは考えなかった。精神的に貧しいことはまったく別のことだった。懸命に働くことこそ、神が望んでおられる感謝の表現であり、物事が整うにつれて、付随的な証しとして金銭がもたらされることが期待された。