行方不明の象を探して。その190。

「なんかでもさ、全く期待もしないでコミットもしないでも思いもよらないときに何かが来るってことはあるよね」

 

「あるけどそれは現象なんじゃないかしら?もちろんそれはあたしたちが持っているような問題意識、っていうと大げさかもしれないけどね、虚空とかボワーンについて常にそれと向き合ってるっていうところから来るものはあるんじゃないかと思うわ」

 

その時は、僕は料理をするとは思わなかった。彼女の顔が浮かぶように念頭に入れて急いでカリフラワーに心を集中する。心の炎でカリフラワーを料理するって感じ?すぐに香りがして蓋を開け、反対側に火をつけました。でもそれはキッチンと関係ない場所だったからすぐ鎮火しましたけどね。

 

塩とコショウをソルソル振りかけてサービングされ、僕はちょうど傷つけたレモンジェストを振りかけました。ソルソルってのは俺が開発した調味料ね。この文章を書いている時にもね、本当に愚かでありながら「何を読んでるの?」っていうような感じを与える文章が好きです。でもキリンさんのほうがもっと好きです。一部の人々はこれについてスマートだけど、天然製品が最善なのは間違いないよね。いつもそんな小さな話で小説を書きたい。やりたいことが多いと思う。できるだけ無意味なものを。

 

冷蔵庫を再び開き、魔法の「村上」と書かれたクリームチーズパスタを取り出した。村上は、そのような役に立たない食べ物と米を描く革新者?当初は「MURAKAMI」だったが、漢字が間違っている可能性が少ないことがわかった。先週作ったけど、ほとんど何も残っていない。今日は長い休暇だ、油でパテとピクルスを調理してみよう。これを念頭に置いて、ベケットの本の上にチーズペーストを塗る。

 

ダイイングメッセージを読みながら窓の外を見ると空は一面が重い雲に覆われていた。すっかり見慣れた古いレンガ造りの街並みは夏と冬では受ける印象がまるで違う。また今日も雪になるのだろうか。数日単位で季節が変わっている気がする。香ばしい焼きカリフラワーにレモンのアクセントが合う。人に振舞う料理は表現で自分で楽しむ料理はナルシズム。

 

例えば人通りの多い通路で肉まんを食べている男子高校生たちが、すぐそばでタバコを吸っているホームレスを今にも襲うのではないかと胸騒ぎが起こったとしても、ちょっとまて、仮にそうだとして、何ができるだろうか?喧嘩なんてしたこともないその光景を見て震え上がるに違いない。でも十中八九、仮にちょっとガラが悪そうな男子高校生だったとしても、理由もなくしかも人通りの多い通路でホームレスを襲撃するなんていうことはありえないはずだ。

 

しかし現実というものは意外と厳しい。厳しいよりも寂しさが勝つとしても、歴然と厳しさの現前性がそこにある。そのくらいの最大公約数的なことを考えるくらいにまで成長したのだ。しかし子供の頃の道のりは平坦ではなかった。母子家庭で小さいころ、母は何度も転居を繰り返した。はっきりわかっていることではないが、経済的にも精神的にも行き詰まり、一時期、兄と姉妹の一人の家に預けたこともあるらしい。

 

もしかしたら2歳で兄が4歳のときに膨大な借金をして行方をくらました父をおいかけていたのかもしれない。だとしても、結局見つけだすことはできなかった。母は時代に先駆けて自立した女性の一人だが、好き好んでそうなったわけではない。

 

子供のころは霧に覆われていて、記憶はそこから隔離された樹のようにときおり顔を出し、とって食おうとしているかのように見えた。そうしてひたすらに生きる方向性が分からないうちに、役にも立たない気分の起伏を、長い間の欲望と抑制の凝った光栄と観念の中に、全身興奮して、こういう新しい義務に飾られた虚像をただ穏やかな目で眺め、微笑して迎えるのみだった。

 

ケチのつき始めのドミノ倒し、その1枚目を自分で倒してしまったというわけだ。幼いころの最初の記憶のひとつに、創造の中で別人になったときのことがある。どこかのサーカス団の怪力男だった。東北の伯父伯母にの家に行っていたときのことだ。伯母はそのことをよく覚えていて、それは2歳半か3歳の時のことだったと言っている。

 

ガレージの隅にあったコンクリートブロックを持ち上げて、平らなセメントのセンター・リングを横切っているつもりだったのだろう。観客は固唾を呑んで見ている。離れ業は白くまぶしいスポットライトに映しだされている。観客の顔には驚きの表情がある。

 

「こんな力持ちの子供は見たことがない。まだ2歳だってよ」

 

と、誰かが呆れ顔で呟いている。そのときはまったく気がつかなかったのだが、コンクリートブロックの空洞の部分にスズメバチが小さな巣を作っていた。巣を動かされて怒ったのだろう、一匹のスズメバチが突進してきて耳を刺した。痛みはすさまじく、劇薬を注射されたみたいだった。それまで経験した中で一番の激痛だった。だが、その記録は数秒のうちに破られた。コンクリートブロックが剥き出しの足の上に落ち、5本の指をぺしゃんこにしたのだ。

 

もうスズメバチどころではなかった。病院に運ばれたかどうかは覚えていない。伯母もやはり覚えていない。伯母が覚えていたのはスズメバチの襲撃と足の指の怪我とそのときの反応だけだ。

 

「すごい悲鳴だったねえ」

 

と伯母は言った。

 

「でもあのときの声はとてもよかったわ」

 

それから1年ほどあと、母と兄弟は神奈川にいた。理由はわからない。もう一人の伯母がビール好きの陽気な夫と横浜で暮らしていたから、その近くに住むことにしたのかもしれない、いずれにせよ伯父や伯母だけでなく、その家族のこともまったく覚えていない。母は働いていたが、どういう仕事だったかは記憶にない。一時期パン屋で働いていたこともあったが、どういう仕事だったかは記憶にない。一時期スーパーでもパン屋と同時に働いていたこともあったような気もするが、どういう仕事だったかは記憶にない。

 

それはこの少し後に伯母とその夫が住む千葉に越してからだったように思う。夫のほうはあまりビールを飲まず、性格も陽気なほうではなかった。クルーカットの中年男で、愛車を自慢するのが気に障る男だった。

 

子供時代はベビーシッターが何度も変わった。兄弟が手に負えない厄介者だったせいかもしれない。あるいはもっと実入りのいい仕事がすぐに見つかったのかもしれないし、母の要求するものが大きすぎたのかもしれない。いずれにせよ全く意味のない情報である。読むこと自体に労力を要するのに、その要するもので得られる情報が全くどうでもいい情報であったとき人は怒りを覚える。

 

とにかくそんな感じでベビーシッターは次々に変わった。はっきり覚えているベビーシッターはそのうちひとりだけで名前はたしか由良だったと思うが、もしかしたら優菜だったかもしれない。山のように大きくよく笑うティーンエイジの娘だった。と、仮にこういった無意味な情報が「良い文章を書くための作法」のようなハウトゥー本に書いてあったらどうだろうか?読むのをやめるか良い文章を書くためのノウハウが書かれているところまで読み飛ばすことだろう。なんでこんなにクソが多いのか。世の中クソだらけだ。特に小説の世界は酷すぎる。

 

さて、そのベビーシッターの名前がどちらかが分からないので、優菜にしておこうと思う。優菜は抜群の、だが毒のあるユーモアのセンスの持主で、意表をつく悪さをしては手を叩き尻を揺らし頭をのけぞらせて笑っていた。本当につまらない話だ。兄がそのような悪さをされていたかどうかはわからない。少なくとも、記憶の中には残っていない。本当にどうでもいい話で申し訳ないと思う。

 

ステレオタイプな精神病患者が閉鎖病棟で意味不明なことを壁中に書きなぐっているというような光景は映画とか漫画なんかで描かれることが多いが、といっても多いかはどうかはともかく、何が言いたいのかというと、こういった凡庸な小説やハウトゥー本に書かれているどうでもいい話の狂気はいかなる狂気も敵わないということだ。

 

精神病患者は狂っているから壁に意味不明なヤバいものを書いたりするのだろう。でも小説家やハウトゥー本を書く人間は一応は普通の人間として認識されているはずだ。なのにも関わらず、そういう著者が書いた本の中にはモノホンの狂気が詰まっている。永遠とどうでもいい話をして、内容は?と言えば数10ページぐらいで済みそうなものを、余談や全く本編とは関係ない話を永遠とすることで、本自体が上下に分かれる羽目になったり、ただですら日常のクソ加減に疲れ果てている読者をさらに疲れ果てさせるというサディズムを発揮しているというのは狂気以外の何でもない。

 

読者には全く罪がない。それは一般的に売れているとか面白いとか有名な作家が書いた文章指南書だと言われて読んでみようとして買うわけである。でも中身は狂気で満ち溢れている。

 

そういうわけで兄は優菜のハリケーンの突風をまともに食らう危険はそんなに大きくなかった。6歳になって学校に居ていたので、1日の大半をその影響力の及ばないところで過ごしていたからだ。

 

ところでラノベは恐らく文学とは言われないし評価されもしないだろう。ただ漫画的な小説であるので文章に全く無駄がないことが多い。何しろ漫画的なことを文字で表現するわけだから、無駄なことを書いていてもしょうがない。だからひたすら必要な描写と飽きさせない表現に終始することで変に評価されている純文学なんかよりもよっぽど面白いものになっていたりするものだから困ったものだ。