久々のウォール伝。その2。

続きねっていうか思ったほど続きなかったかもな。いや、そのもうあれだよ、クソ仕事がAIのおかげでなくなるやったー!っていう感じにしておきましょうね。AIで置き換わる仕事の一覧表とかエゲつないじゃん?それは無くなるというより解放されるって考えた方がいいんだよね。そこで変な煽りでさ、無くなるから他の仕事を探しましょうとかじゃなくてもう「仕事しましょう」っていう概念自体が古いっていうかダサいって感じにしたほうがいいと思うんだよね。

 


もうそうなってる人が結構いるとは思うけどまぁ俺的今後のトレンドだわ。「仕事仕事言うやつはダサい」あと「金金言うやつダサい」それより個人の幸福度ですよ。承認欲求地獄に陥ることなくそれが人間関係であれ孤独の中であれ毎日なんか楽しいんっすよねってやっていけるやつが一番最強!ってことなんですよ。社会的地位とかどんぐらい稼いでるか?とかスピ風に言うと土の時代の価値観で風の時代じゃないっすか?今。

 


俺は未来を行き過ぎてるからデフォで風だったけどやっと俺の時代が来るなっていう。ただそれは俺が思う「うん。まぁまぁ合ってるかな」って思う世の中なんであって別に俺がジャンボになるとか個人単位の話はどうでもいいのね。それよりやっぱり社会全体の幸福度を上げるってことがいかに重要か?っていうかそれが実は個人の幸福度に直結してるっていう当たり前のことを考えなきゃいけないんだよね。だから仕事とか金とかもうやめましょーよって話なんだよね。バッチリ仕事にハマってる人はいいのよ。それは今の社会と金の流れっていう今の一時的な流れが合っている人なだけで合わない人がいてもそれは当然なわけ。

 


ただ金にならないからダメっていうことじゃなくて金になるならないじゃなくてそれをやってて楽しいのかどうか?ってことなんだよね。ヴァイブスが良いか良くないか?っていうスピ的に言えば波動どうのって話と同じですわな。だから仕事してるとヴァイブス上がる!とか金稼ぐの大好き!って人はそれでいいんだけどそうじゃない人までそういう世界に巻き込まれるって時代はもう終わりつつあるってことなんだよね。じゃあ金どうするの?ってのはもっとあつかましくていいわけで仕事なくなってんだから政府なんとかしろ!でいいんですよ。人間生きる権利があるわけでAIが仕事を「奪う」じゃなくて「解放」してくれましたってことでじゃあどうするの?ってことで政府が何にもしないってのは考えられんからね。

 


無駄に公共事業やってもしょうがないしっつーか事業みたいなもんがAI化されるからその根本の人は働かないとダメみたいな発想を変えていかないとダメね。これはもろに自慢になるが俺がウォール伝初期から言っていたことなのである!変わってないんすよ。ただ20年は言い過ぎだけど15年以上過ぎてようやく来たぜ!って感じだべよ?

 


食えないどうしよう?じゃなくて国民は生きる権利があるので悪い言い方をすると政府に集ればいいわけ(笑)そうじゃないとAI VS 人間みたいなクソ構図が出来上がるし、そういう戦争してもらったほうが都合が良いやつらがより楽になるからそういうクソ構造を壊すためにも概念の変革が必要なんだよね。根本的に植え付けられている奴隷精神みたいなのを無くさないとだめだわ。それが個だとイマイチだけどすんげー増えたらやべーぜ?マジで変わるぜ。ただそれが今まではガッツがあるやつだけが変わっていくって感じだったけど流れ的にそうなってるっていう後押しがあるから楽なんだよね。

 


むしろそういう精神じゃないと今後の時代、乗り遅れるぞってのといつまで奴隷続けんの?って話なんだよね。あ、んでもAIっつーかテクノロジー全般ね。まぁ言わばAIなんだがようはマンパワーを使うよりロボットを使った方が安いから人を使わなくなりましたってのは単純なコスト計算から来てることなんだけど結果的にそれは人間が労働から解放されてるってことなんだよね。そういう発想が重要なわけ。

 


単純労働の必要性がどんどんなくなるって中で社会構造は今のままなんてことはありえないからね。そこは変化させなきゃいけないからそっちのほうに乗らないとダメってこと。この辺の話は当たり前のことなんだけど久々にウォール伝の芸風のアジりができるからなんかいいな(笑)当たり前のことをアジるという芸風。

 


この話繰り返してもしょうがないからんじゃああれだ労働から解放された後の話をするか。いや、そこはちょっと色々悩んでるんだよね。それが今の俺の悩みと同じなんだが「やることなくね?」ってことなんだよね(笑)今は俺はギリ自分流の小説を書くという楽しみが残ってるけど他はもう壊滅的なんですよ。物質的消費はもう脳が馴化し過ぎてドーパミンが出なくなっててモノを買って誤魔化すとかってできなくなってるし、あとまぁ娯楽全般やり尽くしたからもうダメでしょ。ゲームもまぁやるゲームはあるけど一瞬で終えてすぐ飽きるかやりこみはしないからせいぜい数日で終わるからね。

 


まぁようは消費者歴が長いからもう消費し尽くしてるんだよね。だからもうやっぱなんか作るっていうことしか残ってないんだけど音楽はやり尽くしたしあとAIがあるからやっても俺ぐらいのレベルだとやっても意味ないし、小説もそうなったらいよいよやることねーなってことになるんだよね。俺が昔言ってた世界が労働から解放されて好きなことをやるっつってもそこで好きなをやる例として絵を描くとかって書いてた気がするけどAIがそれをやっちゃうって図はさすがに描けてなかったから(笑)クリエイティヴ系のことが一部のその人じゃないと絶対できないようなものとかあとあれだな、芸能人が小説出すみたいな、ネームバリューで創作したもんの価値が上がるとか、まぁーでもそういうのもなくなんのかなー。

 


なくなるのかなぁーってことはまぁなくなるって前提でいたほうがいいから、それでどうするか?なんだよね。今までやれなかったことがあるって人は余生をそれで過ごすといいと思うんだけどそのうち俺みたいにやり尽くす人間ってのが大量に出てきてみんなつまんねーって言い出すと思うんだよね。俺は前衛ですからもうそうなってんすよ(笑)

 


なんかさ、例えばキャリアアップ!とか勉強する!とかって結局、目的が金だったり社会的地位だったりするわけじゃん?本当にそれが金とか関係なくやりたいのか?っていうとそうじゃないもんをやってる場合もうやめちゃったほうがいいよね。やりたいことやるか見つけないとそっちのほうがヤバくなると思うんだよね。

 


俺がマジでないからね(笑)だから一緒に悩もうぜ。やりたい放題こんな歳までやらせてくれてる家族はマジリスペクトなんだけど、おかげで前衛張れまくってた結果、やることなくなったっていうね(笑)まぁこの辺はバタイユとか読めばよく分かるんだけど、例えばあれでもいいんだ、極端な例出すけど悟り開いちゃいましたっつって余生どうすんのか問題ね。

 


悟り開いたらまぁ無欲になって何も求めることなく解脱してるわけでしょう?んでブッダは寝てたんだっけ?(笑)でも医療が今後発達していく中で無駄に長生きする人が増えるから余生半世紀近くを寝て過ごすってのは無理があるよね。まぁただあれね、人付き合いが好きとか飲むのが好きとか釣りが好きとかキャンプが好きとかそういうサステイナブルな趣味がある人は最強っすよ。あと旅行が好きとかね。これはなかなかすぐには消費できないし体験だからね。

 


ただ俺みたいなインドア派は死ぬほど時間がかかることもインドアでやり尽くしてたりするからその先どうすんの?って話だよね。ここは思考実験的にお金どうすんの?っていう話はもう希望的観測で勝手にどうにかなるって考えておきましょう(笑)大体もうあれじゃん?金のこと考え出すと不安ベースになるじゃん?金のこと考えるとワクワクするなんてまぁ一部の人だけですよ。あとまぁ金になることが得意だったり、んでなおかつそういう社会的地位に就けた人の特権なんであってね、そんなに多くないでしょ。

 


大体の人は日銭を稼ぐようなもんなわけでさ、だからまぁその必要が無くなった後になにするのか?って話よね。それだったら毎日酒飲んで過ごしますっつってもなんだっけな?あのブラック企業に勤めてたやつがいきなり世の中ゾンビだらけになる漫画っつーかアニメあったじゃん?あれだよね、多分、数週間か一か月で飽きんのよね。

 


んでジャック・ケルアックみたいに酒量がどんどん増えて行って肝硬変で死ぬとかヘルシーじゃ無さすぎるからなんかやっぱ必要だわ。AIとか関係ないレベルでアマチュアバンドとかを組むとかはありだけど、AIがとんでもない演奏をするようになった世の中で果たしてバンドを組むというモチベーションがあるのだろうか?って気はするよね。それは表現型全部そうなんだけど。

 


こないだ滅多に外出ないんだけど最近音楽も全然聞いてないからノイズキャンセリングオンにしたヘッドフォンで何も聞かないで外出してるんだけど、電車で居合わせた隣のカップルの若い兄ちゃんがさ「世界一のギタリストになりたいんだよね。22から始めたんだけど」みたいな断片的な会話が聞こえてきたんだけど「素敵やん!」って感じだったんだよね。それなんだよなぁ。相当確率は低いだろうけどやってみるんだよね。そのやってみてる間とか目指してる間の生活の強度とか幸福感って絶対高いはずだから。

 


ただ今まではギタリストを目指すならバイトをしながら極貧生活を強いられる中でやらなきゃいけないとかさ、小説家にしても会社勤めをしながら疲れてんのに休みの日に執筆するとかさ、まぁそういうのがクソジョブをしなくて済むようになって、才能とかは置いておいてまず「やりたい」ってことを素直にできるっていう環境が整えばさ、結果、世界一のギタリストにならなくてもなんかしらのギターやってるうちに仲間が増えるだとかさ、バンドやろうだとかさ、まぁAIがえげつないロック演奏してたらモチベーション保てるのか?っていうのはともかく、まぁ実際のフィジカル演奏とAI演奏はあんまり関係ありませんでしたってことにもなりそうではあるよね。やっぱ音楽ってなんやかんやでどういう人が歌ってるのか?とかビジュアルも大きいからねって話は散々したから繰り返さないけどね。

 


本当に忌々しいわ。人類を長い間、不幸に陥れてきたクソジョブ。「あと働かざる者食うべからず」ってキリスト教のイデオロギー化に加担したパウロの言葉でキリストは言ってないからねっていうか言ってないと思うわ。テサロニケに書いてあるやつだから。人が好きなことをしていきていけないってほうがおかしい時代なんすよ。でもまぁそういう時代なんだけど好きなことが無い人はどうすりゃいいの?っていう問題をまぁ考えていきましょうやって感じではありますな。あとまぁ散々そういうのを見つけてはやり尽くしたっつーよりやって飽きてやって飽きてを繰り返して大体やった満足しちゃった後、んでまぁ俺は幸いなことに音楽AIとか今後もっと凄くなる前にある程度音楽的アウトプットはしたからさ、あとは文章なんだけどまぁ文章もあと数年って感じでしょ。まぁAI研究にそんなに詳しいわけじゃないから何とも言えないんだけどね。

 


エモさってのは学習的でもなぜ人間をそれをエモいと感じるのか?ってのはなかなか数値化できないところではあるしAIが人間の心を理解するようになるのは結構時間かかりそうだから、そういう意味で文学って相当余地があるんだろうなとは思いつつ、ただネットコンテンツやら色んなコンテンツがある中でわざわざ小説読むなんてもの好きなやつか相当な文学好きかってことになるよね。

 


この間、電車で見かけたんだけど、美人なねーちゃんが司馬遼太郎の燃えよ剣読んでて「渋っ!」とは思ったけどね。まぁでもあんま日本文学分からんけど国民的ベストセラー作家だよね。まぁ司馬遼太郎なんつったらまぁ超メジャーだからね。ただ若い人が小説を読んでるってのがこれだけテンションが上がることなんだなって思うと俺もおっさんになった証拠なのか。

 


あとエモさの話に戻るけどカッコつきの「文学性」というものを数値化するのって大変そうだよね。これってマジで情緒だし個人個人違うし数値化できるようなものは逆に陳腐化しててさ、ただ文学が「文学やなぁー」って感じさせる所以ってのは世界共通してるからだから翻訳して例えばその小説が凄い母国語に依存しているような言葉遊びも含んだものであっても翻訳で伝わるわけじゃん?

 


それがなぜなのか?というのを機械が理解することはないよねっつっても半世紀先とかになると別だけどなんだろうね、音楽とか絵は数値化しやすいし情報量が多いからAIが模倣しやすいのかなとは思うよね。良さがパラメーターというような工学的考えは糞だと思うけどでもピカソ風に書いてくださいってAIに出した時の再現率が高いというか情報が簡単だよね。色とかパターンに還元できるからっていうと絵を下に見るようだけどそんなことはなくてAIにとってってことね。

 


それに比べてAI基準で考えると文学ってのは極めて抽象性が高くて、かといって抽象画ならどうなのか?っていうとあれもまぁ色のパターンとか配列だからAIにとっては模倣しやすいじゃん?でも文学性ということを模倣するって文体とか夏目漱石なら書きそうなことだとか村上春樹だったら書きそうなことっつっても夏目漱石とか村上春樹の良さとか文学性とか「サンドイッチとセックス」とかさ(笑)村上春樹大好きですけどね、俺は。模倣してる間にミイラ取りがミイラになったって感じってのは前に書いたけど、なぜサンドイッチとセックスがいいのか?っていう例えばこれは俺の個人的なツボなわけですよ。

 


あと君と俺とのケミストリーが・・・みたいなのもさ、ケミストリーがって言葉使えば村上春樹になるのか?っていうとそうじゃなくて絶妙なところで出るわけでしょ?年末だからM1とかThe Manzaiとか最近めっきりお笑い番組見なくなったけど年末はまぁそりゃ見るでしょ!ってことで当然見るんだけどお笑いってエモさとか人間が笑うツボを予想できないところから押しに行くっていう人間臭いものの最たるもんの一つだと思うんだよね。AI漫才が面白いというのが全く思い浮かばないよねっていうかあとまぁお笑いは芸人のキャラとか声色とか場の雰囲気とかすんげーパラメーター多くてAIが出力したとてってところはあるじゃん?

 


まぁあと別な領域になるよねそのあれだ、俳優とか芸人がCGでAIが作った台本の映画とかネタで人が感動するのか?ってところですよね。まぁこの辺はいいんじゃないかな?相当無理っていうかできてもしばらく先になるし興味ないわ。全くAIが作るお笑いというものに興味がないから何も書こうと思わないんだけど、そういう意味で絵とか音楽って違いますよね。AIによるコピーとか模倣が相当楽な情報っつーかさ、バンドとかのエモい演奏とかってことになるとロックは残るんだろうけどっていうかロック的なもんは残るっつってもロックだいぶ齧ったじゃないですか?俺。

 


で、まぁロックってぶっちゃけ90年代ぐらいからすでにオワコンなんだよね。音楽的に完全に終わってんだよな。だからまぁEDMみたいなスターが出てギター弾いてれば人が集まる的なつまんねーもんになってるし、パンクとかNo Wave的なムーヴメントがもう起こらないだろうなっていうのは色んな形態がやられ尽くされてるし、あとまぁ治安の悪かったNYのSohoとかで発生したアートシーンみたいな昔の環境が生まれないってのもあるよね。画一化されてるから。

 


画一化されてるからAIにとっちゃよりデータ化しやすいんだよね。あとNo Waveにしろパンクにしろコンテキストというのものがあるんだけど、このネット社会でコンテキストも糞もないわけだよね。もちろん画一化されてオートメーション化された中で出てくる文化はあるよ。ただ俺みたいなおっさん世代にとってはむしろエモさにしか興味ないからAIが誰でもできそうなぐらいのレベルの物だったらなんでも作れちゃうってなると結構冷めるところがあると同時に「ええやん」と思うところもあるんだよね。

 


AIってのも結果的に自然淘汰に貢献してるっつーかさ、機械でできるものは人間がやらなくなりましたっていう淘汰よね。エモいもんすらもAIが生成できるようになるってのはだいぶ先だろうけど、まぁ向こう10年ぐらい人類がどう足掻けるか?だと思うんだよね。その一方で労働からの解放はとっととやって欲しいと言う都合のよさね(笑)

 


まぁただ俺は哲学とか音楽についてはだいぶ接してる時間が長いからプロパーと言えると思うんだけど文学に関しては短期間で相当インプットしたなとは思うけどやっぱ素人なんで基本的に文学ってのを音楽とか知ってるものの中に入れて語ってるってところはあるんだけど、やっぱそこで言語芸術とは?的なメタ的な話になるよね。

 


メタなのか?そうでもないか。まぁなんだろう、予定調和的というか構造的な小説ってのを解体したのがベケットとかブランショとか詳しい人だったらもっと色々名前出せるんだろうけど、まぁそれで言うと文学ってジョイスとかも含めると前にも書いた通り小説とか物語とか戯曲ってものの言語芸術の歴史が長い分、解体の手が入るのが他の分野に比べて凄く早い気がするんだよね。あとテクノロジーとかいらなくてアイデアとペンだけでなんとかなるから手を付けるのが早かったのかなってのもあるよね。

 


まぁ現代音楽とかも早いっつっちゃー早いんだけどね。で、まぁヌーヴォー・ロマンとかで解体ってのがトレンドとは言わんけどまぁもう確固たるもんになって特に前衛ってわけでもないって感じになってから70年代とか80年代ってのはどうなんだろう、まぁ今、じいさんばあさんになってる世代の作家だね、まぁそういうものに影響を受けた作家たちが大量に出てきたっていうね、ポストモダン文学とかはこういう世代なのかな。

 


で、まぁそれ以降、あんまり進展なくて(笑)あと俺があんまり興味がない例えばリアル政治が絡んだ話とかさ、ジェンダー問題をテーマにした作品とかまぁそういうのが時代性を表してる!みたいな感じで評価されるってのはまぁ今後も続くと思うけど、純文学の衰退っつーかちなみに俺は世界の文学を言ってるんであって日本文学だけじゃないのと日本文学あんまり詳しくないからガイブンメインにはなるんだけど、高橋源一郎さんが日本文学衰退史とかを書いてまぁ衰退ってのを相対化してテーマにするみたいなさ、まぁそもそも純文学って寿命が短いもんだと思うんだよね。出尽くすに決まってるって感じのものではあるからね。

 


で、今はポストモダン哲学とかと同じでまぁポストモダンとかをバリバリやってきたりやってなくても経由してきた人たちがおじいちゃんおばあちゃんになって書かなくなったりまぁガイブンの邦訳の場合、めっちゃ時差があって80年代のやつとかがいきなり邦訳されたりするんだけどまぁでも大体世代で見ると1940年代生まれとか50年代生まれの人たちが大御所ってまぁ世代的に当たり前なんだけど何が言いたいかっつーかまぁそのポストモダンとかを経由した人たちが色々とやり尽くしましたねって感じなんだよね。だからまぁそういう世代の人たちが結構ラスト世代だなって感じがして、残りの人たちはもう文学の滅亡ってのが自明になってる中でやってるっていう感じはあるよね。

 


ただその時期が面白くて滅亡と同時というわけではないんだけど相対的にネットコンテンツとかがめちゃめちゃ増えてもうわざわざ小説読む人おらんだろうっていう風な感じになってるっていうかね、娯楽小説は全く分からんので話には出さないけどっていうか逆にああいうのは残ると思うのね。あのさっきっていうか前にも書いたけど映像化されるようなやつとかってまぁさすが小説家が書いただけあってまぁすんげー緻密だったりするわけじゃん?映像化とセットな場合、別にそれがアニメ作品だろうがCG俳優が演じようがAIが脚本を書いて人間のものを上回るって相当時差があると思うんで、そういうもんは残るよね。

 


なにしろまぁ人は物語を求めるもんだからさ、今回俺が書いてるようなAIが人類から労働を解放したのはいいけど芸術とかまでもやっちゃってクリエイティヴ系の人たちの創作が意味なくなっちゃったって世界の中で足掻く一人の青年とかってまぁ普通にテーマにできるじゃん?ありふれてるけど(笑)でも別に上手い人が書いたらそれなりのもんになるでしょ。

 


そういうのは時代性とか時代精神を象徴するような物語として常に生産されては消費されるってのを繰り返すよね。でも純文学はどうなのか?っていうとぶっちゃけ無理ゲー過ぎると思うんだよね。何しろあれだ、音楽と同じで前書いたことの繰り返しになるけど人間がやったら膨大な作業量になってやろうと思わないようなものをAIならやれるからアイデア次第でプロンプトと構成次第ですげーのが作れそう!ってなるけどもう言語芸術って意味だとやられ尽くされてるってのがまぁ音楽で言えばアルゴリズム的音楽とかね、あとまぁ音響とかエレクトロニカとかで良くあったようなMax/MSPの自動演奏とかさ、まぁようはプログラミング系の音楽だよね。

 


そういうのを文学でできるようになるっつっても相当人力でやられてたしランダム配列の文章の切り貼りの小説なんてアマチュアが作ったやつが腐るほどあるだろうしそもそも意味を成さないものってあんまり人間は魅力を感じないわけじゃん?そこが音楽と言語芸術の違いよね。音楽の場合、音だけに面白くなる可能性が結構高いんだけど、文学の場合、つまらないかまぐれで良さそうな感じになってランボーとかマラルメみたいな抽象性が高い詩みたいになって19世紀とか20世紀初頭ですか?っていう逆に古く感じられるっていうかさ、まぁそんだけ言語芸術をやってきた先人たちが凄いってことなんだけどね。

 


そういう意味でも未来がないんだよな。逆に音楽の場合、センスのある人がAIを使いこなして作るって図は浮かぶんだけど小説の場合もまぁ同じか。元々なんか書くに値するぐらいのものを持ってる人がAIを部分的に使って書くってことは可能になるにしても、まぁあとあれか、AIがあるからこそ作れるものってのもAIだけではないプラスアルファを作り出せる人が作るってことになるからまぁ今のプロの人がAIも使うようになるっていう図であんま変わらないな。

 


ただなんだろう、音楽と比べて圧倒的に小説のほうがバリエーションが少ないっていうかさ、まず題材が大体人間ってのもあるし、あと個々の要素をフォーマットの羅列として考えると「過去の回想」だの「一方その頃」だの「ロマンス」だのっていうまぁ限られてんのね。人間が「ほぉー」ってなる物語には限りがあるのは当たり前だよね。題材にしても有限だからね。当たり前だけど。まぁそのミステリとかSFとかって意味でまぁそれは音楽のジャンルと一緒だわな。ただまぁ音楽と違って全部入りってのができるのが文学だけど全部入りっていうのもすでにあるからね。

 

物語の限界=人間の限界なのかな?って気もするよね。知覚の限界=物語の限界っつーかね。場が宇宙戦争であれエイリアンVS人間であれ人間目線で書かれてるのは当たり前だし神目線というのがあったとしても神目線で書いている人間が書いたものを読む人間という意味で自ずと限界が見えてくるよね。

 


あとは物語っつーと「へぇー」ってなるのはノンフィクションよね。でもそこは分野的にもう街録チャンネルとかさ、あれなんてすげーじゃん?もうめっちゃ物語よね。一時間無駄な文字稼ぎが無い私小説みたいなもんじゃん?で、私小説っつってもプルースト並に例えば幼少期だけで300ページとかそこまで詳細に書かれてもそんなに興味ないよっていうかそのドラマになる「これ!」っつーところだけ話聞かせてくださいよってことになるとやっぱ街録とかドキュメンタリーが一番いいんだよね。フォーマットが明らかに映像のほうがいいっつーかね、あとまぁ昔に私小説を書いてた小説家でも今生まれたら映像系やってるだろうなとかって人もいるよね。

 


それ言い出すとまぁ現代音楽化でもやりたいことはこうだったから今だったらDJやってるだろうなって人もいるしね。だから小説ってなんかあえて古典的なオーケストラ形式の中で何をやるか?っていうさ、電子音とか使えば何でもできちゃうんだけどオーケストラ形式でやるっつー古典に忠実なものって気がするよね。まぁそのオーケストラ形式ってのが色々方法はあるのに文字だけであえてやるっていう古典的な行為ってことね。

 

あとまぁ文字を読むとそりゃ頭が良くなったり動画だけとは違う頭が鍛えられるっつってもやっぱ文字離れって必然だと思うんだよねってのが前に書いた俺が10数年生まれるのが遅かったらずーっとスマホ見てるだろうなってのと同じで。「文字を読まぬとはけしからん!」ってのは古いじいさんの主張になっていくだろうなと。でもまぁ文字は強いんですよ。でもまぁそれも自明じゃなくなるかもしれないけどね。あとまぁ文字とか文字に関するものは何か文化的にステータスが高いものっていうのもないじゃん?まぁそれは柄谷の文学オワコン話と通じるものがあるんだけど。ちなみに柄谷好きじゃないから本は読んでないんだけどね(笑)

 

小説読むなんて凄いね!とかってあんまないじゃん?別に物語を消費するなら映像化されたの見ればいいし、もちろん全ての要素が映像化で再現されるわけはなくて原作読んだほうがいいよ!っていうものもあるかもしれないけど例えばハリーポッターみたいな映像化の威力がエグイものに関してわざわざ原作を読もうと思わないよね。まぁそれはホリエモンとかがよく言う限られた時間の中であえて小説を読む意味ってありますか?っていうところに似てるよね。

 

だったら同じ文字を読むにしても今後のテック系だの世界情勢だのプロにならなくてもいいからジェネラリストになれるぐらいの色んな情報を得たほうが良い人生送れるようになるってのはまぁその通りっていうかホリエモンがそう言ってたかどうかは分からないんだけど(笑)そこは変わらないんすよ。俺も昔からなんであえて文字っていう楽じゃないものを読んでまで読んでも読まなくてもいいような物語を読むのかな?って思うからね。

 

まぁただ俺は文学に目覚めたのはベケットとかってベケットしか知らないんかこいつ?って話だけど(笑)映像化しようがない言語芸術ってあるじゃん?イヨネスコみたいな不条理劇とかさ、まぁあれは劇だけど戯曲を読んで面白いよね。あとカフカみたいにカフカのあの独特の雰囲気を完全に映像化するのは無理だなっていうか個々によってとらえ方が違ったりめちゃめちゃがっつりハマっている作家のものに関しては直に作品を読むということに勝るものはないからそういうがっつり自分のツボにハマる作家に関しては読む価値あると思うのね。あとまぁ代替がないものね。読むしか方法がないというやつ。

 

ってことで続きますんでんじゃまた。