AI徒然。

ウォール伝、ですけども、今回は。

 

YahooニュースでYoshikiがAIについて法整備がどうたらっつーのを言ってるやつがあって「やっぱまぁこういう話がミュージシャンから出てくるよな」と思ったんだけど、まぁYoshikiは著作権のことを主に言ってると思うんだけど、Yoshikiとは関係なく創作全般で反AI勢ってどんどん出てくると思うのね。んでよくあるAIで一発で絵とか音楽作れちゃうからアーティストを志す人が少なくなるとかっていう話。あとはまぁ今回の話はYoshiki云々じゃなくてYoshikiの記事を見て改めて思ったっていう話で、別にYoshikiのディスとかではないのでね。俺、Xとか聞かないけどYoshikiはロックスターとしてガチで尊敬してるんですよ。ホテルで暴れた話とか昔のロックスターを地で行く人なのでね。

 

で、話をAIに戻すと、元々食えないっすからね大体音楽って(笑)食えてた時代がちょっと特殊だっただけでサブスクの還元率低すぎ!って問題はあってもまぁ基本的にこんなもんでしょう。昔が金がかかり過ぎたんだと思うんだよね。で、動機づけって金なんですか?っていうね、それだけじゃ食えない前衛的な音楽をやりつつずーっとバンドやったり実験音楽やってる人だっていますよね。だからなんか志とAIって関係ない気がするし、あとあれなんだよな、それは俺らの世代の感覚なんであって、確かにまぁすんげー鬱になりましたよ(笑)

 

どんなの書いたか忘れたけど年末年始にかけて4万字ぐらい書いた中で散々書いたと思うんだけど、生成系AIの音楽サービスって使ったことないから分かんないんだけど、まぁでも全部生成AIに委任して人が作っためちゃめちゃ良いやつを超してるか?って今のところそうじゃないですよね。やっぱすげー曲は人が作ってんだ。

 

まぁ過去の曲しか知らんけど。まぁそれも前に書いたようにAIの凄まじい進歩のスピードを考えるとガンガンクオリティが上がっていくのかもしれないけど、そうだったらそうで例えばAIネイティヴみたいな子供たちがさ、デフォでAIで生成したもんをさらにAIに指示して作ってくっつーAI彫刻みたいなものを音楽でやるっつー世代になるわけじゃん?

 

っつーかそれ言い出すとそもそも俺が書くって行為だってワープロっつーかPCっつー便利なもんがあって書けるわけだし、こんなの原稿用紙に書いてたらスロー過ぎてやってらんねぇーし(笑)中卒ぐらいで学力レベル止まってるから漢字手書きできないし(笑)そもそもこれ自体がテクノロジーの恩恵だし、こういうの書いてブログに乗っけて読んでもらえるってのもテクノロジーの恩恵でさ、あれと似てるんだよな、左翼が政府批判するのはいいんだけど政府があるおかげでお前らは生活できるわけだし自衛隊反対!なんつって被災してる人たちを見てもそんなことが言えんのか?って話で、恩恵はデフォじゃないんですよ。設備されているから恩恵が受けられるわけでしょ?

 

で、AIってのはテクノロジーの設備の延長なわけでね、AIべーかむセット理論ってのをChat GPTのボスが言ってるってこないだ知って「おお、考えが同じか!同志よ!」とかって思ったんだけど(笑)べーかむの話すると財源をどうすんのか?とかいろんな細かい話があるからべーかむがベストなのか分からんけどとりあえずAIがクソ労働から人間を解放してくれるわけで何回も書くけど脅威みたいに考えるのやめません?って思うのね。

 

産業革命の時に色々なことが機械でできるようになっていらなくなった仕事ってのは大量に増えてまぁそれでもその機械が新たな仕事を生み出したって話なんだけど、AIの場合、解放だからね。AI関係の仕事が増えても大体まぁ一時的で最終的にそういうのもAIでできるようになるから解放なんですよ。だからホントに人がやらなきゃいけない仕事しか残らないわけ。良くない?それで。

 

絵とか音楽も一緒でAIで生成できるような凡庸なもんはもうAIに置き換わるって話なんですよね。それでも別に創作は続ければいいけどまぁ確かにやる気は無くなるけど(笑)凡庸なもんって別に基本的にそれが人力だろうがプロセスは一緒なんだよね。色んなよくある絵とか過去のもんを混ぜて自分が作ったとか書いたってだけでオリジナルなファクターとかファクターXみたいなその作家じゃないと出せないエモいものが無いものはまぁしょうがないっすよね。これもまぁ散々書いたか。ただまぁAI関係はやっと来たか!ってのがあって鬱になりつつもワクワクしてんのね。すんげー社会の改革の瞬間瞬間に立ち会えるわけじゃん?

 

凡庸な作者のモチベーションが低下するからAI使用禁止ってことはないでしょーって思うんだよね。AIを便利なツールとして使うっていう共存できる人が生き残るわけでさ、まぁでもその生き残る人でも似たようなのばっかになるってのは別に音楽も絵も一緒じゃん?似たようなダンスミュージックとか絵は日々、プロだろうがアマだろうが生産されてるわけでさ、で、AI過渡期にAIを利用したアートとか音楽ってのが作られて、まぁでもそんなのもAIが学習してやるようになって人間やることなくなる!ってのがいつ頃なのか分からないけどまぁシンギュラリティが2045年って説がどうなのか分からんけど、まぁまだ20年あるっつっちゃーあるからね(笑)

 

20年っつって俺は10年ぐらいな気がするんだけど、でもまぁ考えてもみてくださいよ。なんで芸能人がつまらない小説を書いて売れるのか?って芸能人が書いたから全く普段、文学とか読まない人にまでリーチしたからそんだけ売れたっていうそれだけのことじゃないですか?バンドにしてもルックスが可愛いっつーんで売れるわけじゃないですか?キャラ先行ですよね。窓際サラリーマンみたいな風貌のバンドが売れたことって無いと思うんですよね。でもぶさいくでも窓際サラリーマンでもとんでもない作品を作ることはあるから外見と売れるってことがあんまり関係ない分野では能力は発揮できるけどでもまぁ付加価値カルチャーですよね。

 

誰々作っていうのがあるから読まれるだの聞かれるだのってことでしょ?もっと良いバンドいっぱいあるのになんでこれなん?っつってもそりゃ大衆にリーチしてるのがそれでまぁそれが主にやっぱキャラだったりアイドル性だったりするってのは今に始まったことじゃないですよね。だから誰が作ったか?っていうことにしか付加価値がつかなくなるとそれってまぁ昔から書いてるフェティシズムの話と同じでさ、すんげー好みの姉ちゃんのブーツなり靴下だから興奮するんであってさ、好みの姉ちゃんじゃなかったら興奮しないわけですよね。

 

でも別にブーツとか靴下っていうモノ自体は変わらないわけでね、だからそこで付加価値ってのがようは好みの姉ちゃんが履いてましたっていうところになるわけでしょ。偶然なのかマルクスの商品のフェティシズム化と話が似てるような気がするんだけどまぁいいや。結局、なんか物語なんすよね。商品なり芸術作品とそれを消費する自分との間で生まれる物語を消費しているという感じね。ありがちだなー。なんかもう大量にそういう話されてそう(笑)

 

逆もあるじゃないですか?いいの作ってるんだけど作者がツイッターやっててロクでもないやつで聞く気失くしたとか読む気失くしたっつーのも物語ですよね。作品と消費者の間に作者のツイッターの発言とか作者がどんなやつか?っていう物語が入ってるわけよね。関係性といってもいいのかもしれないけど、あとはまぁそれはすんげー個人的なものもあるわけで、例えば尊敬する先輩に教えてもらったバンドとか小説とか映画とかなんでもいいんだけど、それが音楽なり文学なり映画にハマるきっかけになったものってのは個人の物語でゆるぎないでしょう。

 

他人じゃ分からない尊敬する先輩から教えてもらった何々ってのは仮に同じような別の人が尊敬する先生から教えてもらった何々で・・・っつーのでもそもそも個人の感受性とかコンテキストとか人生が違うからもう比べ物にならないんだよね。同じなようで同じではない。物語は似ているけど両者は全く別物で固有の物ですよね。

 

まぁそういう風に少なからず消費してるってことだよね。俺だってまぁ好きなボーカリストがいたとしてその人が美人だったらやっぱまぁテンション上がるよね(笑)最近、全然音楽聞いてなくて体外離脱音源とかばっかずーっと聞いてるんだけどね(笑)

 

で、多分、人生を変えるほどに衝撃を受けた作品って多分、誰にでも作れそうな凡庸なものじゃないはずなんだよね。そういう意味でこの先AIがどういう進歩を遂げるのか?って話は素人の俺じゃ分からないところがあるからなんとも言えんのだけどファクターXみたいな人間の心に刺さる極めて人間的なものとかってのは今のところやっぱ人間にしか作れないじゃん?逆にAIで作れるものってさっきの繰り返しになるけどファクターXがないただ上手いだけのものだったりするんだよね。

 

でもまぁそれが環境音楽とかCMとかどっかのBGMとかだったらまぁもうそれでいいんじゃね?って思うけどね。あとはまぁ個人の趣味よね。とりあえずなんとなくよけりゃいいって人はそれでいいし、めっちゃ作家性とか作り手がどんなやつかってところまでも深堀してそれを好きになるって人はAIがどんだけ凄いの作ろうがやっぱり人間が作ったものじゃないと感動しないのかもしれないしって今書いててそこがAIの進歩によるから困ったもんだな。そのあれだ、ブラインドテストしてどっちが人間?どっちがAIって言われたときに分からないっていうね。

 

作家主義みたいなのってテクノロジー全盛期の後退するようなロマン主義みたいになっちゃうから時代に取り残されるし何よりテクノロジーのリテラシーが無い人はやっぱちょっとヤバいことになるわけですよ。今後の社会。だから反AIとか創作においてAI禁止!とか真剣に思ってる人は相当ヤバいんですよね。少なくともテック系に精通してる人はそんなこと言ってなくてやっぱテック系疎そうな人がそういうこと言いがちだからね。

 

なんだろう、あれだわ、すんげー精度の木彫りが人力でできますという技術は素晴らしものだけど今の時代、レーザーでできますっていうところで人力の木彫りにこだわるんですか?ってところですよね。あとまぁエスタブリッシュ側のもう成功してる人が既得権を守るためにやたら反AIだの法整備をしろ!とかって言うのは別にYoshikiがそうかどうかは分からんけど言う輩は増えるよね。だってまぁ自分の収入源ヤバくなるわけだから守るでしょう。

 

でもそれが結果的に全体の芸術の革新的な流れってのを滞らせるものになったらまぁ相当ファックなんですよ。中にはAIを使わせたらすんげーのが作れてまぁそりゃー色んな意味ですんげーAI使いってのがいても認められないみたいなね、文壇とかよく分からないけど俺の勝手な文壇のイメージだと古臭い日本的な純文学を継承しているものしか評価されなくて前衛的でぶっ飛んでて面白いのが全く評価されないのは評価してるやつらが爺さん婆さんばっかで価値基準が古いからっていうね、今はだいぶ違うのかもしれないけどね。

 

あんま日本文学詳しくないんだけど、円城塔とか山下澄人さんとか佐々木敦みたいな人が所謂、エスタブリッシュメント側になったら出てくる作家も面白くなると思うんだけどね。絶対面白い人って潜在的にいるはずだから。まぁそりゃどんな業界でもそうよね。世代交代っつーか。小説のタイトルだけで中身見ないで「こんなのダメだ!」とかっていう爺さんとか早く引退した方がいいと思うんですよ。ああいうのって無駄に長生きするんだよね(笑)長生きする分にはいいんだけど評価する側としては古いんだから引退してくれってのがあるよね。

 

withコロナならぬwithAiだからこそ力を発揮できるクリエイターとかもいるわけだし今後ガンガン出てくるわけだから、そういう人たちが法整備がどうのですぐなんかやると著作権ガーッ!って言われて好き勝手やらせればすげーの作れるのに法的にアウトだからダメです!とかになると相当ファックなんだよね。芸術って自由であるべきでエスタブリッシュ側の既得権を守るために恣意的に敷かれた政治的な法律とかで自由が奪われて可能性の芽を摘まれるというほうが文化的損失が大きいわけですよ。

 

そういうのはマジで今後言っていくからな!なんか久々に燃えてるぞ。俺。若手の可能性を摘むことだけは絶対許さんからな。著作権ガーッ!の爺さん婆さんがのさばる糞みたいなアート界隈なんてもうファック過ぎるだろ。そもそも芸術ってそういうもんぶっ壊すためにあるわけでしょ?個人レベルでも「やべー!世界感変わっちゃった!」ってそれに触れる前と後ではもう全然次元が違っちゃうぐらいのものを与えるものが芸術でしょ。そういうファンダメンタルな部分では俺はすんげー昔気質の芸術かぶれですよ(笑)もうそりゃー芸術かぶれもいいところよ。芸術至上主義みたいなところがあるからね。

 

やっぱだから行き着く先は公益性なんだよね。何が最善なのか?主体が人間とか既得権とかやりたいことを奪うな!とかって言う自分の実存しか考えてないやつなのか、芸術なのか?っつったら明らかに芸術で人間の実存なんてどうでもいいんですよ。いかに良い革新的なこれまでなかったものとかこれまであるものでも民主化されることで今までやるだけで時間がかかって大変だったことがテクノロジーのおかげで簡単になったことで発揮できる才能ってのがあるかもしれないでしょ?

 

それがさっき書いた俺で言えば原稿用紙だったら無理ですって話と一緒で(笑)絵にしてもAIがあればそっからリファインすることで自分のイメージしたものが表現できますって人がいたらそういう人が大いに活躍して結構!なわけですよ。絵は人力で書かなきゃいけないなんていうルールはないし、そもそも芸術にルールないですからね。人殺したり人を殺して皮を剥いでその皮を展示しましたみたいなサイコなことをやらない限り基本的になんでもオッケーなのが芸術でしょう。

 

まぁ俺のコピーライトレフト思想は昔からだから著作権的な囲い込みがいかに芸術の進歩を遅らせてるか?ってのを前から言ってきてるけど、ソフトウェア界隈なんかではもっぱらオープンソース化じゃないですか?すげー技術を共有してさらにリファインしていってガンガン人類に還元していくっていう方法でしょ。それと芸術作品は違う!って言われるかもしれないけど正直、何が違うのかさっぱり分からないんだよね。

 

盗作とかはともかくだって基本やってるのサンプリングじゃないですか?俺はまず音楽やってましたよ。んで音楽やるようになると聞く音楽を分析的に聞くようになって盗めるもんは盗む!って発想になるわけですよ。良い音楽を大量に聞くことが音楽をやる上で重要って鉄則でそれは文学も同じですよね。文学に関しては文字だからノンフィクションからルポから色んなジャンルの古今東西の小説を読むっていうインプットが重要になるって結局まぁそれって色んな小説のテーマとかモチーフとか書き方とか技術のサンプリングをしているわけで脳内ストックを増やすって話じゃん?だからまぁAIと同じなんだよね。

 

前にも書いたけど小説ってもんが存在しない中で小説を書き始める人っていないわけだよね。絶対なんかの先行のものがあってそれの恩恵を受けて書けるようになるわけでしょ?それは保坂さんも本に書いてたしプロの小説家が言ってるんだから間違いないっしょ。で、それは芸術全般に言えるんじゃないか?ってことだよね。まぁたまに天才肌の人が全然知らないんだけどバンドとかラップとか小説書くとか絵を描くってやったらすげーの書いちゃいましたって人はいるけどさ、まぁそういう天才系はアノマリーみたいなもんだから(笑)あんま参考にならないっすよね。

 

んでまぁAIに話を戻すと作家とかも連名で勝手にAIのラーニングの素材にされた!っつーんで抗議文とか出してるけどなんか残念な話だよねぇ。まぁそんだけテック系に疎い作家が多いって話でもあると思うんだけど、これも結局、ケツの穴が小さい既得権を守るってこととあと概念エラーですよね。それって著作権違法とはだいぶ違うんですけど?っていうところを理解してなくて、AIのラーニングプロセスのリテラシーが無いから間違った抗議しちゃってんだよね(笑)バカ連盟が連名の抗議をしてるようなもんで恥ずかしいことしてんなぁーって思っちゃいましたけどね。

 

あとなんか不思議なのがさ、自分の作品の著作権を守ることがより人類が良い芸術とか文学とかを生み出せることより大事なことなんですか?ってところなんだよね。そういう大局的な見方はできないのだろうか?って思っちゃうのね。無理ですか?知能指数の問題なんでしょうか?でも知能指数の問題になるとなかなかのディストピアだよね。馬鹿がぎゃーぎゃー騒いでリテラシーある人は無視して研究なり創作を続けるっていう、まぁよく言われるテック系のリテラシーが無い人とある人が二極化するって話だよね。でも作家とか音楽家の知能指数が低いとは思えないんで、やっぱなんか性格なのかね?あとはまぁ大局的に物事を見るということに欠けている人が多いってことなのか。

 

AI万歳!でもないんだけどね。AIならではの問題ってのが出てきてそりゃ対処しなきゃいけない問題もあるでしょう。ただなんか俺の感じだとAIが「奪う」って話が多くてさ、まぁそういう報道をされてるってのもあるんだけど、AIは敵じゃないですからね。俺らが使ってるこのブログとかネットとかっつーテクノロジーの恩恵の一部なわけで、誰もブログとかネットを人類の敵だと見做さないでしょう。

 

まぁネットがあることで社会が変わったっつーか監視社会みたいになっちゃったってのはあるにしても、それはまぁネットの使い方なんであってさ、まぁよく言われる包丁の使い方みたいなもんですよね。炎上した誰かの住所を特定して集中攻撃をかけるってのはネットならではの攻撃方法だけどやってるやつらの品格の問題でネットは悪くないからね。

 

AI然り。AIに良いも悪いもないわけですよ。ただ悪用されるってのはあるからそういうのは当然、法整備をしっかりしなきゃいけないんだけど、ただ行き過ぎてエスタブリッシュ側の既得権を守るために雁字搦めにするみたいなのはマジファックだからやめてくださいねってことだし、ファックだって思う人はファックだって思い続けてくださいってことなんだよね。

 

まぁ最終的に何でもAIがやるようになるにしても芸術って文化はやっぱ人が育んでいくものだからファクターXみたいな要素っつーか魂を注入するみたいな作業はやっぱり最終的には人間がやるもんじゃないかと思うのね。ただそういう場合に教養ってのはすんげー大事になるわけよ。どんだけAIがやるようになってもファクターXを注入する作業ってのは音楽だったらすんげー音楽に精通してなければいけないしってわけでもないか、感性一発でやれる人もいるだろうし、まぁ文学もそうですよね。だから教養が廃れることはないですよね。

 

あと現状、まだAIが全部やるってことになってないから最終的にAIが全部やるようになっても教養とか良い音楽を大量にインプットするっていうことは全然時代遅れじゃないんですよね。いや、逆にこえーよ。AIがやるからもう何やっても意味ねーんだみたいなシニシズムが蔓延して誰も教養を磨かなくなるってそっちのほうがよっぽどディストピアですよね(笑)

 

でも教養って何かを作るとかやらなくても必要なことなんですよ。何気ない会話とかね、世界の認識とかなんかの作品を鑑賞するときに色々な知識があるから多角的に理解することができてより作品を深く理解できるようになるとか、教養は明らかにあったほうが世界が面白くなるから絶対あったほうがいいし教養が上がれば教養が高い人と話せるようになるしそういう会話はやっぱどうでもいい会話より楽しいわけなので。

 

あとあれなんだ、世代の話やね。AIの色んな影響を受けやすいのって今の30代40代ぐらいなんじゃね?って思うんだよね。創作っつったらまぁ人力がデフォの時代でさっき書いたかもしれないけど会社員やりながらいつかは絵だけで食えるようなりたい!って思ってスキルを10年単位で磨いてきた人たちにとってはゲンナリとするっていうさ、で、まぁそっから立ち上がって俺 with AIでやってけるのか?って人がどんだけいるのか?って話だけどAI創作の時代と人力の時代を両方経験するんだけどAIの時代が割と人生中盤ぐらいに訪れたって人たちは一番ダメージあるよね。

 

逆にまぁそれで食えてるとか評価されてるとかは別にして長年やって来てある程度やったしいいやって人にとっては実存的ダメージはそんなでもないかもしれないわけで、まぁ自分が主にやってきた時代は人力デフォでしたっていう人たちは勝ち抜けじゃないけどさ、ただまぁすでに何十年も取り組んでて今後絶対やってやる!みたいな野望を持ってた人たちにとっては脅威としか感じられないのはしょうがないよねっていうね。

 

もう書いたかもしれないけど生成AIネイティヴの人たちとか年齢的には30代40代だけど生成AIが出てきたことでやれなかったことが簡単にできるようになって表現に目覚めるって人もいるかもしれないわけで、こればかりは経過を見ないと分からんよね。ただやっぱ思うのはさ、なんか時代のシンクロなのか分からんけど、まぁ俺は絵のことは分からんけど音楽とか文学に関してはもうやらされ尽くしてる上でのやらされ尽くしてるの上塗り状態なんですよね。

 

だから人力でやろうにもやりようがないっつーかあとは自分がやってきたことの焼き増しをやるぐらいしかないっていうさ、そういう時代に追い打ちをかけるかのようにオワコンのものはもう自動化って感じになってるっていう自然淘汰の力が働いているように思うんだよね。

 

逆に建設的に考えるんだったら人力ではもうやり尽くすことはやり尽くしたからAIを使ってなんかやるとかwith AIで人力ではできなかったことをやっていくとか・・・っつってもまぁアルゴリズム系だとそんなの人力でやらされ尽くしてるって前に書いたか(笑)

 

あとまぁやっぱ繰り返しになるけど創作って何のためにやるんですかね?ってのが根底にあるよね。それで食っていきたいってなんか昭和時代の一人暮らし初めて適当な仕事に就いて自立できたら一人前!みたいな古い価値観だと思ってて、食ってける食ってけないって相当古い概念だなと思うのね。あとまぁ加速的に社会が変化してそういう食うみたいなイニシアシヴが無くなる社会がいいと思っててさ、ただまぁ前にも散々書いたけどそれで表に出るってことが重要な職種とか表現形態はありますよ。芸人とかね。

 

でも作り手って芸人じゃないよね。先生って言われたいのかさ、承認欲求を満たしたいのかさ、そういうのってまぁ一向に満たされないわけですよ。承認欲求を満たしまくった末での虚しさみたいな話もあるし、なんかさ、お金と一緒で金稼げばゴールかと思ってたら全然そうじゃなかったってのは恐らく評価も同じだと思うんだよね。評価された!ってのは嬉しいけどそこがゴールじゃないっていう。

 

ゴールって結局、どう生きていくか?ってことでそこでやっぱ創作とか表現ってのが人生の中でメインの位置に占めるぐらいの人であれば書き続けるとか表現し続けるってことなんじゃないかな?って思うんだよね。保坂さんの本なんかだと小説家ってのは本当に小説家になれる人は10年後とかも書き続けていられるか?っていうのが視野にない人じゃないと小説家になれないって書いてあって、まぁそれって表現全般に言えると思うんだよね。

 

んであと小説家になるということは小説家的に物事を考えて小説を考え始めたときからその人は小説家になるとも書いてあって、デビューとかは時の運とかたまたま作品が通ったとかっていうただの通り道に過ぎないわけで、ずーっと残る課題はいかに書き続けるか?っていうところにあるっていうところだって書いてあってさ、まぁ繰り返しになるけど表現全般そうだよなぁーって思って。

 

だからなんかAIって創作とか表現って何なのか?ってのを問ういい機会になると思ってるんだよね。短期的にはさっき書いたような囲い込みする人たちの著作権ガーッ!っていう脊髄反射が起こるんだけど(笑)長期的にはもうなんかメタ的に創作を問うしかねーだろって思うのね。残酷な話、意味ない機械がやればいいような労働に生きがいを見出してるやつはただの奴隷だからいらないとしても、それで労働は機械がやるようになりますってまぁ「俺の仕事を奪うな!」って奴隷根性が染み付いた人は思うかもしれないけど機械がやればいいような労働に価値なんてないわけですよ。

 

俺もコンビニでバイトしてたときがあったんですよ。ずーっと昔からインプットを大量にするニートみたいに思われるかもしれないけど実は中学卒業と共にインダストリアルなバイトをしてたから(笑)ああいう世界の地獄っぷりは分かってるからだからまぁいらねーって思うわけね。コンビニのおでんの汁を変えている時の俺の意識よ。

 

「俺はなんのために生まれてきたのだろう」

 

だよね(笑)ウォークインで寒い中、ドリンクを補充している時の俺のメンタルよ。でも創作は違いますよね。機械でやれるようになっても創作自体が苦しくもあるけど楽しいわけで奪うな!ってなるよね。だからまぁ創作って何なの?って問うってことになるってことになるんだけどね。そこはまぁ個人差があって承認欲求のやつもいればそれ自体のフロー状態が楽しくてやってるやつもいればっていうさ、まぁそこは正直、俺も分からないところはあるよ。俺はまぁ好きでその時やりたいと思うことばかりをやってきてて他のことはあんまり考えてなかったしどうでもいいんだけど(笑)

 

今は小説しかアウトプットが残ってないしあとまぁ色々と書けるから書いてるってだけでまぁね、なんで書いてるのか?ってまぁ快楽原則だと思うんだけどね。楽しいから書くとか、あとは書いていない時に何もやることが無くなって死にそうになるからってのもあるよね。なんか色んな別な意味でそれにすがらないと日々やってけないってのがある。

 

まぁでも創作が生きがいって人は多いだろうからね。でもまぁ反AIみたいな考え持ってたらそれはやばいっていうか繰り返しになるけど冷蔵庫みたいなもんだから便利だから使うっていうそれだけのもんであってさ、もちろんそれがすんげー絵とか小説とか音楽作るようになるとやる気はなくすけど、そこでやる気がなくならないってのがやっぱ内発的な衝動だと思うんだよね。怒って人を殴るのとかと同じだわ(笑)なんかイライラするから悪い仲間集めてスタジオで暴れまくった録音とかってまぁ音楽なのか暴力なのか分からないけど(笑)AI関係ないよね。それだ!とは言わんけどね、芸術=衝動みたいな簡単な話ではないにしても、やっぱりまぁ人間的な、あまりにも人間的な、ってところになると思うんだよね。別にニーチェとか関係ないけど。

 

もちろんその「人間的な」すらもAIが作るようになるということがそんなに遠くない数年後に可能になるからこういう問いすらも意味無くなる可能性が超高いってところがまぁムズイってところなんだけど、まぁなんかあれだわ、表現とは?なんて真剣に考えたの10代後半20代前半の芸術にかぶれまくってた時期以来だから、なんかそれはそれでカンフル剤みたいになっていいのかな?って自分では思ってるけどね。

 

続きあったらまたなんか書くわ。

 

んじゃまた。