行方不明の象を探して。その202。

というのも、芸術的感性が豊かで、美人でスタイルが良くてファッションセンスが抜群なのは当然として、それだけではないものを偶発的な要素で喚起させるということは滅多にないことで、それは彼女と山登りというほどではないにしても、軽いハイキングコースを歩くような感じのデートをした時のことだ。ちょっとした遠出だったので、彼女が早朝に車でピックアップして、その場所に向かった。早朝に出発した甲斐があって、車道が渋滞することもなく、予想していたより早く目的地についた。

 

そこは牧歌的な風景が広がる観光地未満の場所で、特にこれといった観光名所がある場所ではなかったのだが、それを考えるとなぜそこに行こうと思ったのかがよく思い出せない。とにかく彼女とその観光地未満の場所を歩き回ることにした。歩き回って一時間ぐらい経った後、彼女は脚が痛いと言い出した。都市ではないだだっ広い場所を歩き回るのだから、ある程度歩きやすい恰好で来るのは当然であるはずなのに、彼女はいつものブーツスタイルで来ていた。

 

歩く度に

 

「コツコツ」

 

と音がしていたブーツの足音が、彼女が歩くのに疲れてくるとたまに

 

「コツコツ・・・ゴゴ」

 

というヒールを引きずったのか、とにかくうまく歩けていないのが明らかな足音がしたのだった。その足音を聞いて興奮した。本来だったら、こういう自然が豊かでひたすらだだっ広い場所に来るのだったら、結構な距離を歩くのは分かり切ったことなのに、彼女はサービスだったのか、ここまでガッツリ歩くことを念頭に置いていなかったのが、歩きづらそうな上質なブーツを履いてきたのである。

 

「歩くの疲れたんだけど」

 

と彼女は言った。それはそうだろう。そんなに歩きづらそうなブーツを履いてきているのだし、長距離を歩くと分かっているのに、なぜハイヒールのピンヒールブーツを履いてきたのか。ブーツといってもセクシーさの欠片もないエンジニアブーツとか、ヒールが無いブーツだとか、モコモコのムートンブーツだったら、履きなれたスニーカーには劣るものの、そこまで身体と脚へのダメージは少ないはずだ。

 

でも彼女はそれを履いてきた。だから我々は歩くのをやめて、予定していたハイキングコースを歩くだとかの、「歩く」という行為が介在することの一切をほとんどやめることにして、足早に車に戻って、宿に大幅に早めのチェックインをした。

 

宿についた彼女は不機嫌で

 

「はぁー疲れた」

 

と言いながらブーツを履いたままベッドに横になった。宿といってもビジネスホテルような宿だったので、ブーツを脱ぐことすらも面倒なぐらい疲れ切った彼女はそのままほとんんど動かなくなっていた。

 

「運転、お疲れ様」

 

と言いながら彼女の脚を揉んだ。もちろんブーツは脱がさずに。これは彼女の身体を張った愛情表現なのか?こうなることを分かっていて彼女はサービスとしてブーツを履いてきてくれたのかもしれない。ただ間違いないのは彼女は確実に疲れ切っているということだった。しかしその不機嫌さをぶつけることがなく、脚をマッサージしているときは

 

「うーん・・・」

 

なんていう喘ぎ声と気持ちよさ半分ぐらいな絶妙な声を出しながら、たまにこちらをチラチラ見ては

 

「気持ちいい」

 

と言っていた。リビドーは絶頂に達していた。小さなテロリストのピークが、あのステーキハウスでの一件なのだとすれば、小さな哲学者のリビドーのピークはこの時だった。俺のリビドーのピークはどこに行った?とはいっても今後、またピークが訪れるかもしれないし、小さなテロリストの場合、バイオロジカルな意味でのピークである。それは人間的なピークなのであって、リビドーのピークとは異質なものだ。小さな哲学者然り、リンク然り。

 

ケルナグールにはこのような意味不明なまま残っているメッセージが大量にあるのだけどミッシングリンクじゃなくてなんだっけ?カウンターポイント?それはライヒだな。あ、シンギュラリティだった。で、何の話だったっけ?あ、シンギュラリティが来れば何もかもが解決されるって思いこんでいれば将来の不安が無くなるのでいいと思います。だからシンギュラリティよ!早く来い!人間が生きるための労働から解放されることをファッキンシリアスに願ってるぜ!

 

リビドーがピークに達していたから、勃起しきったペニスを露出させて、彼女の脚に擦りつけて果てることなど容易だった。でもそれはリビドーのピークを契機とした、リビドーを射精によってリリースさせるという行為なのであって、それは先ほどのエロスの話で言えば即物的リビドーに属する。


そして彼女ブーツの匂いが舞い散り、軽やかな舞踏が奇想天外な夢の中で繰り広げられた。初めの頃は深い混乱の中、身体がベッドから浮かび上がり、眠っている自分を上から見下ろす夢が繰り返されていた。幸福な空中の舞踏に心を奪われていたが、時折混沌とした瞬間も訪れていた。

 

「なんておもしろいんだ!」

 

と興奮しながら、家の周りを飛び回る最中、異なる情景が目に映った。ある早朝、嫌がる彼女を起こして足を舐めまわしている自分がいた。夢の中で見た痩せた男の家やファックの時に彼女と俺が使っていたヌルヌルの椅子、あとなぜだかキノコが現実に姿を現した。その情景をを心に刻み、夢の中の冒険を楽しんでいた。

 

魂が体外に飛び出し、そこで繰り広げる奇妙な冒険。夢のなかで繰り広げられた奇妙な経験の一環として、キノコの風味や知的なガイドとのおしゃべり、昔の生の思い出、死後の領域や故人との不思議な交流、宇宙生命体との奇妙な対話など、通常は考えられないようなできごとが起こっていた。

 

射精が気持ちいいのは当然であるが、魂が体外に飛び出すのも気持ちいい。しかし一番気持ちいいのは射精を伴わない、ドライオーガズムともまた違った、フツフツと沸き上がる情念がピークに達しながらも爆発せずに、と書いている最中にパソコンがデバイスエラーのブルースクリーンによる再起動に見舞われて、途中まで書いていたものが吹き飛んでしまった。スピリチュアル的に解釈すれば

 

「いや、そこは余計だから」

 

という意味で書くのをやめろということだったんだろう。いかなる時でもツイているし、こんなロクでもないものを守ってくださる何かがいることを常に感じている。再起動がその「お方」による所産だったかどうかは別として、起こってしまったことというのはそれが現象なので、あたかもそれが無かったかのように、ブルースクリーンになる前の文章を思い出しながら復元するというような作業をするのは愚の骨頂だ。

 

「ああ!クラッシュしやがった!クソ!」

 

と一瞬思っても、そのクラッシュも言わばコンポジションである。だから彼女とハイキング未遂の話はここで切り上げて、車の中に戻ろうと思う。ああ、いきなり思い出した。あの日の太陽はまだ水平線に達していない。海と空の明確な区別はなかった。ただ、海は布のシワのようなものであった。もうシワシワ過ぎてね、海は、布のしわのように、ただ波が立っているだけだったんだよ。空は白く、水平線は一筋の黒だった。

 

うーん、波はまだ水面に揺らいでいる。柔らかな波が大きすぎて、水面の奥と空を隔てている。銀の布を羽織った若い子は、暗い色に覆われていた。と、魚が追いかけてきて、俺たちは常に魚に追いかけられていた。岸に近づくと、うねりが大きくなり、高く上がっては砕け、砂の上に遠くの白い光沢を広げていく。魚からは逃げきれたのでよかった。

 

波が砕けては、水しぶきを上げる。波は割れては砕け、また割れては砕け、まるで眠り人が長く抑えきれないほどの呼吸をするようにため息をついた。波は割れては砕け、また割れては砕け、まるで視界が定まらないまま呼吸をする睡魔のようにため息をついている。水平線の暗い筋が徐々に消えていった。古い妊娠の澱が沈殿してガラスを再び緑に染めるように、ドロドロドロ……。

              

空にはメロンのような白、緑、黄色、コロコロとした筋が広がっていた。彼女はその光をさらに高く掲げた。空全体が光の筋で覆われ、赤や黄色の光に変わり、まるで松明から煙のような炎が燃えているようであった。その光は、松明から燃える煙のような炎のような赤や黄色の輝きに覆われ、まるで松明で吹き飛ばされるかのように思えた。徐々に燃え上がる松明の輝き……チラチラと光りながら、緑の水面から離脱していく。

 

緑色のさざ波が噴出し、白い光となって、毛羽立ったように重かった灰色の空を晴らしている。それはまるで無数の柔らかい塵の粒子のようであった。灰色の空の表面は次第に澄んできて、波打つように光っている。黒ずんだ横縞はほとんど消えていた。光を支えていた腕が緩んだ。