小説とAIについて。

芥川賞をとった九段理江「東京都同情塔」なんだけど、アンチテーゼとしてChat GPTを使ったんだなというね、読んでないんだけどね(笑)まぁね、ニュース記事とかも勘違いする人はいるだろうなとは思うんだけどね「芥川賞作品、5パーセントがChat GPTそのまま」とかってまぁ悪意あるなって思うんだけど(笑)

 

でもその使った5パーセントってのが小説に出てくる「AIの出力」のところに使ったわけで、AIで作品そのものを書いたってことではないところが重要なんだけどあたかもAIを使って5パーセントはそのまま文章を使ったみたいに理解されてるらしくてディスられたりしてるってのもまぁ普段、Xは見ないんだけど松っちゃんの件があってから色々と見るようになった結果、色々と目に入ってきちゃって的外れな批判が色々あって「うわぁー」って感じなんだけどまぁそれはいいや(笑)

 

で、アウトプットの話ですね。AI系の話は書くのでね、まぁ今後、AIが発達してそれこそ芥川賞を取れるぐらいのものができたとして何が問題なのか?ってことだよね。まぁこれはあれと一緒だよね、AI生成の作品が絵画の賞取っちゃったみたいな話だよね。あ、今回の芥川賞の話じゃなくてアウトプット全般の話ね。

 

古い話だけどあれだな、サンプラーができたときに誰かがコードをサンプラーにアサインしちゃえばキーボード一つ弾いただけでコードが弾けちゃうじゃん!って批判的に言ったのか分からんけど多分、90年代初期の話だと思うんだけど、まぁ今は誰でもやってますよねっていうかなんだろう、あのあれ、あんま使ったことないけどパッドに音アサインしてほとんどパーカッションみたいに曲作っちゃうってやつ。

 

ダンスミュージックを五線譜で作る人がほとんどいないようにトラディショナルな作曲スタイルをとってないと曲とは言えぬ!なんて言う人いないっすよね。プリセットちょっといじってサンプルのアーカイヴからハイハットのパターンとかキックのパターンとかを選んでベヤーッっと貼って曲できました!っつってそれがかっこよかったら関係ないっすよ。ようはかっこよければいいからね。

 

文学も同じっつーかアウトプット全般一緒ですよね。誰が作ったのか問題っつーよりプロセスってどうでもよくてそれが面白いか面白くないか?だよね。ただ生成AIで言われてるように文学に関して言えばまずAIが地で生成したやつを今回の芥川賞みたいに「AIが出力したこと」としてではなくて地の文章として使うのは無理っつーレベルなんだけどまぁそのうち使えるようになるわけでしょ?っつーかクオリティが上がるって意味でね。

 

そうなったときにもう関係ないわけですよね。AIが生成したのが人間が書いたのか?って。まぁ俺は極端だから他人の文章の切り貼りでも著作権は別として仮にそれで面白いの出来ちゃったらそれはもうアウトプットとして合格なんですよ。ただ著作権という話が出てくるから邪魔だなって思うんだけどね。そんなのフェアユースでしょって思うからね。

 

それで使われた原文が書かれている小説が売れなくなるとかじゃないんだったら全然オッケーじゃんって思ってるからっつー話なんだけど、まぁ音楽もあれじゃんね、サンプリングでガーッ!って言ってくる訴訟とかが増えてあんまりやれなくなっちゃったってまぁ結果的に著作権っていう概念が足引っ張ってるよね。

 

んで分かりやすく言うとAIガーッ!って人は著作権ガーッ!の人と同じってことなんだよね。しばらくは言うてもAIに良いプロンプトを打つとか作品にいい感じで埋め込むっていう技術とかやっぱり創作っつースキルとかアイデアが必要になるから結局は人力なんすよね。ただ素材はAIが生成したってだけ。それは音楽制作では一般的ですよね。キックの音を何百種類って生成するソフトとかあるんだけどそれは素材をAIが生成しただけでどのキックの音を選ぶか?って作り手のセンスだしどういう曲を作るのか?ってのも作り手のセンスじゃん?

 

そこでAI使ったからアウト!ってならんでしょう。DTM時代とかはあれですよ、言うてもプリセット使うのはダサい!みたいな風潮あったと思うんだけど今ってプリセットがヤバかったりアーティストシグネチャーみたいなんでレジェンド級のアーティストのシンセ音のプリセットとかリズムのパターンとかって売ってるからね。モジュールの組み込みですよね。

 

これって創作全般そうじゃね?って思うんだよね。文学だって言わばモジュールでしょう。SFなり近未来なり時代物っていうジャンルがすでにモジュールなわけですよね。んで地の文セリフストーリー展開とかなんとかっていうね、特にエンタメ系なんて文体がほとんど決まってるから本当にモジュール感強いよね。そういうのこそAIで代替可能になっちゃうやつだよね。

 

まぁでもこういうのってまだまだ作り手しか分からない世界ではあるのかもしれないけどねって自分を作り手というのは烏滸がましいけど(笑)曲はまぁ昔から作ってきてるじゃないですか?で、今は小説書いててんでまぁほとんど同じだなって感じるっつーところから色々言ってるわけなんだけどね。

 

繰り返しになるけどいいか、あれだ、あのー音楽系だとアルゴリズムの音楽みたいなジャンルがあるんですよね。一時期のエレクトロニカみたいにMax/MSPのパッチの自動演奏とか古くはラモンテヤングやらラモンテヤングだか忘れたけどフルクサスとかさ、ライヒの振り子の音楽とか装置を作曲者が発案してどう走らせるか?とかどう音を出すのか?というのがまぁその装置然りどう音を出すのか然りでまぁそれが作曲になってるんだけど音を出す行為に関しては自動っていうね、自動なんだけどそれを用意してるのが作曲家だから割と分かりやすいんだよね。作家が作った作品だなって認めやすい。

 

あとNerve Net Noiseとかは自作の勝手にランダムに音が発生するシンセとかオシレーターを走らせて一時間ぐらいそれを録音したやつを作品にしてるけどそもそもそのセッティングしたのがNerveだからそれもなんつーか分かりやすい。作者の不在って感じがしないでしょ?

 

で、昨今のダンスミュージックはどうか?ってまぁすんげーモジュール化してるわけですよ。膨大な色んな要素のパターンってのが売られててそれを買ったりしてほとんどそれの組み合わせだけでもかっこいいのが作れちゃう。昔って容量の問題もあったけど一級のアーティストが「俺のループ」みたいな感じで作ることはなくてサンプリングCDにしてもB級感あったんだけど今ってほとんどアーティストが作ってるかアーティストじゃなくても普通にクオリティ高いのが売られてるからね。もちろん90年代とかに売られてたような全く使えないサンプル集みたいなハズレもあるんだけど(笑)事前に試聴できるからあんまハズレを引くことはないんだけどね。

 

レコード聴いてて「うわ、ここかっけー。ここループさせてフィルターかけてぇ」っつって試しにサンプリングしてフィルターかけたらかっこよくて「これでいける」と思ったらあとはそれに肉付けするだけなんですよね。メインがそのレコードからとってきたサンプルのループで他はハウスなりダウンテンポなりっつー定型を使ってループを引き立たせて曲として成り立たせるようにすればトラックが完成するというね。

 

で、その肉付けをAIがやるみたいな話なんですよね。ハウス調にしてくださいっつったらハウス調のがもう出来上がってあとは人力で手直しするとかハットがイマイチだから替えてくれとかね、んでまぁハットの音もAIの自動生成で90年代のリズムマシン風のハットにしたいっつったらAIが生成してーみたいな。もっとハネさせたいからシャッフルとかもAIがやるっつってもディレクションしてるのは作ってるやつだから依然として以前やってた膨大なハットの音だけを選ぶのに一日かかってたみたいなのが一瞬でやれるようになったっていう便利さがあるだけで作ってるのはその作者だからね。ハットの音を選ぶのもセンスだからね。

 

まぁこの辺も色々と話はあるよね。ハットもパラメーターいじって作れたほうがいいってのが技術論ではあるんだけどAIがハットだけで何百種類生成してくれたらパラメーターいじらなくてもいいだろうっていうことよね。小説でも場景を書けたほうがいいけど面倒だから大体の場所とか状況とかをセッティングして記述はAIにやらせて大体のもんを出力させてあとは人力で手直しっつーのはまぁあんまハットの話と変わらねぇーなと思うんだよね。

 

それじゃ文章力上がらんだろうっつってもそれも技術論で人力でやったほうがいいところと機械に任せればいいっつーところは絶対分かれるよね。で、AIが発達すればするほど機械任せでいいっつーところが増えてくるっていう。まぁ結果的にさっき書いたプリセットと市販のループの組み合わせで大体できちゃうみたいなね、それが面白いかどうかは別としてだけど。

 

まぁんで結果、面白きゃいいんですよね。ただあとXの的外れな批判とかについて書いてるとキリないから書かないけど、ただ必ず見るのが人間が書いたものじゃないやつには興味がないっていう意見ね。いや、これは奥深いよね。これも散々書いたけどAIが発達してジャズのインプロの生演奏とか今のAIじゃ再現無理ってところを再現できちゃってプロがブランドテストしてもどっちが人力でどっちがAIか分からないっつーレベルになったらもう「人力です」というのは付加価値というか別の情報でしかないよね。

 

この小説めっちゃ面白かった!と思ってんでも後で9割ぐらいAI使って書きましたって言われたら裏切られた感じがするのはなんでだろう?ってことだよね。AI使ってっつーのもあれだよね、さっき音楽制作でAIを使うのと同じであくまでツールとして使ったってだけでAIに書かせたゴーストみたいなのをそのまま出したってわけじゃないっつってもまぁ別に極論、面白きゃそれでもいいんだけど、でもなんか人力じゃないと嫌ってのはそれが人力で作られてきてそれに人間が馴染んでるからそういう風に感じるだけで生成AIデフォの世代が今後出てきたらそんなのも無くなるのかな?とかね、あとはまぁ住み分けは絶対あるよね。人力の良さとAIで良いところと。今は過渡期だから色んな概念エラーが起きてるってことなんだと思うんだけど。

 

AIが書いたっつーと騙された感じがするっつってもAIが書いたものを「良い」と思ったらそれって騙されてないんだよね(笑)良いって感動は嘘じゃないんだから。これって結局、感情的なところでなんかぶっちゃけあれに似てるんだよな、SFとかである完全に人間だと思ってその子を好きになって後にその子がアンドロイドだった!って分かってその愛は錯覚だったのか?っていうかそれとは別に人間じゃなかったっつーところで騙された感があるっつーかプログラミングだったのかよ!っていう裏切られ感ね。

 

あとあれだ、佐村河内ゴーストの話になるけど、あれもようは佐村河内が障碍者っていう物語を消費してたわけだよね。んで凡庸なオーケストラ曲を傑作だ!って言ってた人たちがいるんだけどガッキーが作ってたって分かったら手のひらを返したようになったのか分からんけど沈黙したのかな?(笑)でも音楽の完成度が高いのはガッキーが作ったからだから当たり前なんだよね。まぁ問題は偽の物語を作り出したっつーところにあるわけだから良ければいいじゃんで済まない話もあるんだけど、なんか根底にあるものは似てる気がするんだよね。

 

人力っつーのも言わば物語なんじゃね?って思うのね。「中の人はちゃんとした人間です」という付加価値ね。ドラムンベースのドラムがプログラミングだったら感動しないけど人力だったらすげー!って感動するのは物語よね。こうなると感動しているのは音楽というより超絶ドラムテクニックというものに感動していて結局人力だからっつーところで自動的に「凄まじいトレーニングと才能と費やしてきた労力」みたいなものに感動するっていうところがあると思うんだよね。でもそれは果たして音楽なのか?っつーと俺は物語だろうって思うわけね。いや、超絶ドラマーをディスってるわけじゃないし俺は人力大好きなんでね。

 

将棋もそうだよな。最強の指し手はAIだ!っつっても別に将棋界にはそんなに影響ないっていうね、格ゲーだってFPSだってそうでしょ。相手の入力に対して秒で対応するCPUに勝てる人っていないでしょ。人力じゃ無理なことしてるわけだから。でも人間同士の対戦ってのには何の影響もない。オートエイムとか使ったらチートになるのは競技だからだよね。ルール違反だから。そこがスポーツとか競技と創作物が違うところだよね。

 

でも創作物でAIはチートじゃないと思うけどなぜかチートみたいに感じるのはなぜなのか?ってところだよね。19世紀の作曲家とかが今の作曲みたら「いいなぁー」って思う人もいるかもしれないけど「それチートだろ!」とか思う人もいるかもしれないんだけど音楽なんてアウトプットが良けりゃ良いわけだからね。

 

くどいけど色々続けるわ(笑)ペルソナの自動生成ダンジョンみたいに毎回ダンジョンの構造がランダムで変わりますって言われても別に怒らないよね。むしろそれは自動生成なのかランダムで変わるってことでどこに宝箱があるとか敵がいるとか分からないから結果的に良い結果を生み出してるわけじゃん?メーカーが「人力で何億通りのダンジョンを作りました!」って言ってるわけじゃないし、逆にそんなことしてたらそんなところにマンパワー使わなくて自動生成にすりゃいいじゃん?って思うんだよね。つまりはそういうマンパワーのエコノミーよね。

 

あとまぁ作り手にするとやっぱ実存よね。現状、別にそれがイラストだろうが音楽だろうが小説だろうが人力の価値は失われてないにしても誰にでも書けそうなやつが一瞬で生成されるとモチベーションなくすっていうまぁ繰り返しになるけど実存ですよね。でもこれって最初から自分じゃないと書けないとか自分が描くことに付加価値があるって人からすると別にAIができる仕事があればAIにやらせればいいじゃんってことだと思うんだよね。特別AIを敵視するなりする必要はなくて、便利になったDAWとかある程度のリズムパターンを生成してくれるソフトみたいに便利なテクノロジーの一つなんであって「便利になりましたねぇー」以外のなんでもないっていう。

 

まぁ今回の話ってさ、まぁ読んでもいない人って俺も読んでないから人のこと言えないんだけど(笑)芥川賞作品がChat GPTで5パーセントは書かれてましたっていうところになんであんなに反応する人が多いのか?っていうところなんだよね。いや、んで繰り返しになるけど内容的にはって読んでないんだけどAIとのやり取りなのかAIに何かを出力させるっていうときに実際にAIに出力させた文章を使った方がリアリティがあるからって意味でAIの地の文を使ったってことで作品自体をAIで書いたってことではないんだけど論点はそこになくて、仮に実際に5パーセントAIを使って何の問題がある?ってことなんだよね。

 

で、俺にはそれがさっぱり分からないということではなくて違和感は凄く分かるわけよ。でもそれってどっから来てるのかな?って話なんだよねってのが繰り返しになるけど恋をした相手がアンドロイドでしたとか佐村河内ガッキー問題だとかってことに似てるなってところなんだけどね。とは言ってもダブルスタンダードなのがさ、芸術は人力であるべきだ!って言っている割に昔からディスりまくってることだけど歌手とかって結局見た目で評価されるじゃん?(笑)同じ歌と声の質感でただ見た目が不細工だったら売れない人ってやっぱいるわけでしょ?

 

声優なんか顕著よね。よく知らんけどベテラン声優が言ってるもんね。今はダンスやらトークやらっつーかまず見た目ってのは当たり前で(笑)歌やら売れるために必要な要素ってのが全く昔の声優のそれと違うっていうね、本来の評価軸って声とか声の演技力なのにタレント性みたいなものがメインに評価されてるっていう逆転現象が起こってるよね。作家はどうなのか分からんけどまぁ美人作家だとそれだけで話題になるよね(笑)

 

ってことはもう作品の付加価値ってそれ以外のところしかないんじゃない?っていう「誰々作」っつーところでしか評価できなくなるんじゃね?ってことだよね。人力かAIか?ってのも結局そこよね。本来の評価は小説がどうだったか?って話でそれが人力なのかAIなのか美人なのか?って関係ないわけですよ。んでAIが進歩してAIに生成させるだけだったら誰でもできるってなった場合、付加価値が逆説的に今の声優とかみたいに誰が作ったのか?っつーところにしかなくなって、なんかそれはもうブルセラと同じ世界だと思うんだよね(笑)

 

誰がこのパンティを履いていましたか?誰がこのブーツを履いていましたか?ってところに欲情するわけでしょ?でもモノとしては客観的に使用済みのパンティやブーツなわけで属性的には変わりないはずなのに人間は誰が使用していたか?というところに価値を見出すわけでしょ。まぁこの場合、性欲だから多少違うっつっても似てると思うんだよね。美人だからっつー理由で何をやってるか?ってのがあんまりフォーカスされないってのがさ、いや、それはもう当たり前にクリアするところなのか。演技なり声なり創作物なりなんなりで。

 

ブルセラで言うとあれだな、臭いとか汚れとかも完全にシミュレートして、ただ誰が履いていましたってところだけ捏造したら人は勝手に錯覚してムラムラするだろうなっつーのが佐村河内的なのかな(笑)でもまぁそれ言い出すとあれだな、美人EDMDJユニットっつってすんげー巨乳の姉ちゃんがEDM回してるっつーところにムラムラするんだけど実際はミックスするフリをしてて作られたEDMミックスをミキサーでエフェクトかけたりしてるだけっつーのもまぁ成立するもんなっつーか実際そうだったんだろうなってのを動画かなんかで見たことあるわ。

 

産地直送じゃないけど食品に似てるよな。野菜と育てて収穫した農家の写真付きのオーセンティックなものです!ってブルセラと同じにするのは失礼だけどまぁそういうことだよね。食品の場合、身体に入れるものだからその重要さが全然違うわけで、まぁただ産地偽造とかもあるけどまぁ産地偽造対策でもまぁそのこの農家の人が作りました!ってのが重要になるんだよね。

 

でも野菜で考えると農家の人が作ろうがロボットが作ろうが身体に悪くなくて品質良ければまぁ作ってる人が人間だろうがロボットだろうが関係ないんだよね。芸術も一緒じゃね?っつーのは乱暴だけどでもまぁそういう話をせざるを得なくなってる感はあるよね。あとはまぁAIが進歩して上手く使う作家とかが出てきてっつーか音楽じゃあんまりどこまでがAIでどこまでが人力なんて気にされないような気がするんだけど小説にしても上手いこと使ってなおかつまぁその作家じゃないと作れないし作家性があるし絶妙なAIの使い方でAI無しでも語れないしその作家無しでも語れない作品みたいなのが出てきたときに認識的にコペ転が起こってAIアリだなってことにもなりそうっていうかこれは時間の問題だよね。

 

むしろ作家たるもんが面倒だからっつって質を落としてまでAIを使うということはありえないからなんらかの有用性があってAIを使ってるんだからAIはNGってのは絶対やっちゃダメよね。まぁそんなもん選考委員みたいな評価する側は分かってるだろうけど、ただまぁあれか、アメリカだと膨大にAIを使った小説が投稿されるようになって読んでられないからAIはNGにしたところもあるんだっけ。まぁそのうちBotみたいなのが小説垂れ流す時代が来るんだろうな(笑)それが意外に面白かったら笑えるよな。あとそのBot小説をコンパイルする人とかね。

 

数打てば当たるで色んなランダムな設定にしてガンガン書かせて出力させて1万ぐらいの中篇とかが出力されてそのうち何作ぐらいかは傑作があるかもしれないからね。まぁAIが書けるような小説はAIに書かせておいて何の問題もないってところなんだけど現状、AIじゃ書けなさそうなベケットとかカフカみたいなのもAIが書けるようになったらってのを考えてもしょうがないかな。

 

なんだろう、ロジックじゃない人間にしか書けないようなものすらもAIが書けるようになったりまぁそれを書いたところで人間が理解できるのか?って話だけどベケット風ってのはいくらでも真似できるけどベケットとかカフカみたいな不可解とか不条理とも違う言葉の先にあるようなものってのを形にできるようになったらどうなるんだろう?と思うけどまぁそれって工学でどうにかなるもんではないからね。

 

そこがまぁ文字の強みなんじゃないかと思うのよね。音楽って作者の意図はともかく工学的なものとの親和性が高いじゃない?リズムがどうだの音圧がどうだのっていうパラメーターに代えやすいんだけど文章って違うからね。プロじゃないから分からんけど音楽とか絵に比べて小説を書くということがここまでAIがダメなのってやっぱ人間的なものは苦手ってことになるんだと思うんだけどね。

 

まぁなんだろう?感情?ロマン主義的過ぎるなそれは(笑)AIにゴーストが宿ったらAIが本当の意味で1から小説を書くようになるんだろうけどそれは形而上学だな。あとあんま俺の世代とかには関係なさそうな話だよね。とりあえず今後20年ぐらいの話でしょ。重要なのは。おーあれやん、シンギュラリティやん。20年後。21年後だけど。楽しみっすけどね。

 

次回は今の時代に小説を読むこととは?でお届けしたいと思っております。

 

ではまた。