行方不明の象を探して。その206。

文学の終極をして文学で生き延びる。人が文学に生かされる。彼は自分が語る物語のせいで正気を失ったのであり、その悲劇こそが精神的、社会的な転落の原因となって彼を無用者に仕立てあげることになったのだろう。僕も死ねる。愛子のために今なら死ねる。そう、今だ。文学のために死ねる。そう告白すべきなんだ。

 

愛子は晴れやかな顔でそう言うと廊下を歩きだしていた。僕はそれでも必死に思いを伝えようとした。言い終わったときには愛子はもう姿を消していた。僕は誰もいない廊下でぽりぽりと頭を掻いた。意味が分からないということなのだろうか。文学のためと言ったのか愛子のためと言ったのか覚えていない。

 

「ねえ、あなたってなんだかハンフリー・ボガードみたいな喋り方するのね」

 

それだけしか彼女は言わなかった気がする。動揺していたからあまり覚えていない。アドレナリンが出過ぎたのか体が震え続けている。もちろんこの話がでっちあげの可能性もある。あとは事実を脚色しているとか。部屋に戻ってテレビをつけるとニュースで海開きがどうのという話をやっていてそれを見ているとゲシュタルトが崩壊するような感覚を覚えた。食べかけだったトムヤムクンライス白飯盛りを食べた。

 

彼女の目を見るたびに初めて見るように感じられる無表情が、僕の違和感の原因の一つだったのだろうか。俺は他の部分から見られているような気がしてならなかった。やかん、ねずみ、大文字、奇妙なもの。彼が見て知っているのは彼女である、というのが答えである。そして実際、彼は彼女を完全に見ているように見えた。

 

彼女が自分を飾る巧みなスタイルの絶頂の全体が、彼女が神聖なもののように自分の中に隠している謎が、そのようなまなざしの前では消えてしまう。彼女がいるところならどこでも神話の背景として仕えてきたメタファー、イメージ、シンボルが消えてしまったのだ。

 

他の女性たちが黄金の布に覆われ、贅沢な衣服に身を包んでいる間、彼女は世界で最も美しい物の中から誇らしいイメージを選ぶことをやめなかった。彼女は今、この眼差しの下にいる。口には薔薇、目には星という、最もありふれた衣服さえ身につけなかったことを、彼女は悔やんでいた。彼女はどんな服装でも受け入れただろう。

 

この欺瞞的な形のもとで、彼女は突然、予期せぬ運命的な失敗の感覚に陥った。彼女の顔は怯え、粗野になった。彼女は羞恥心に似た本能によって、自分の本当のベールを見つけたのだ。真実のベール、隠すことのないベール、隠す必要を与えるベール。彼女は静かで繊細な視覚の不変性を維持することが出来なくなった。彼女は自分自身の表面に現れた。

 

彼女自身の姿のイメージ。彼女自身の姿のイメージ。あらゆる変化が可能と思われるこの空間を、彼女は通過し、通り抜けていった。そして、彼女はそのままであった。黒髪のまま、瞳は美しいまま、彼女はまったく変わらなかった。

 

部屋を暗くした霧と煙のせいで、何が起こっているのかひどく判別しにくくなっていた。それでも、彼の不快感は耐えがたいものとなった。彼女は両手で顔を隠していた。そして、外界から問い詰められることに苦悶していた。自分の高貴な人種の血筋をむやみに証明する弱い指を顔に感じ、赤面していた。そして立ち上がり、敷居にたどり着いたドアは巧妙に隠された装置によって閉じられていたが、彼女は僕の指の軽いタッチに抵抗した。

 

その口調は命令口調で馴れ馴れしく、それが不快なほど可笑しかった。そして、何の意味もないその言葉は、向けられた相手には瞬時に理解された。現実が後回しにされ、不条理が頂点に君臨する文学的カオスの曖昧な領域で、BL小説、うんこの謎、官能文学の当惑をめぐる妄想が彼の錯綜した意識の回廊をめぐる、心を揺さぶる旅に足を踏み入れてほしいと感じたBL小説愛好家の彼は、とある書店でシュールな出会いを果たす。

 

溢れんばかりのBL棚に唖然とする彼。ひょんなことから官能小説のコーナーに問い合わせることになる。書店員の返答は、物語を文学流通の風変わりさへと駆り立て、伝統文学の低迷を浮き彫りにする。この文学的大混乱の中で、彼はBL小説の活気に満ちた世界のイマージュを暴走させ、主流文学はこのような型破りなものの中に逃げ場を見出すことができるのではないかと考える。

 

比喩的な思考の濁流が直腸を駆け抜け、肛門のストッパーによって止められ、安堵と排便への奇妙な欲求が逆説的に混ざり合った。本屋に行くとトイレに行きたくなるという俗説があるが、彼は文学について考えるとうんこがしたくなるという俗説があった。でもこれは彼の中では定説であった。彼が書いたプロトタイプのエッセイ調の短編は、転校前の女学生に浣腸や便秘の儀式を紹介し、さらにシュールなレイヤーを加えるものだった。

 

問題のない人生についての実存的な考察が、糞便の沈黙の恐怖と交錯し、混乱した雰囲気を助長するにつれ彼の便意は頂点に達し、絶望と満足の微妙なバランスを保ちながら、書店員への官能小説が本屋にほぼ置かれていないのはなぜか?という内容のインタビューという無駄な空白に立ち向かい、その潜在的な生物学的意義を見出そうとした。

 

彼はどんどんとBL小説の世界に入り込み、彼は本をビニールで綴じるという独特の習慣について考える。エロ本とハードコアなBL小説の類似性を描こうとする彼の物語は、ビニール製本の猥雑さが時代を超え、奇妙なロマンスを呼び起こすという世代間のつながりを暗示していた。BL、官能、不可解が交差するこの雑誌的小説は、一貫性が不条理の気まぐれに委ねられ、日常が文学的騒乱の非凡な妄想に覆いつくされる。

 

僕はBL小説とスカトロ小説を貪るように読んだ後、飯を食べようと暗い廊下を歩いた。隣人に僕の顔の様子を聞いてみるとすぐ隣に人の痕跡が見えた。健次だ。早速、僕のスマートフォンの写真を見せた。僕は極上の薬のないキャンプの写真には興味はなかったのだが、僕はクレイジーで幸せそうな健次の様子にうんざりしていた。僕はこのノイズに疲れた。騒音中に騒音が出るのは当然だと思う。そりゃそうだろう。ノイズの上にノイズが乗っかるからノイズが続くわけなんだから。そう健次は幸せそうな顔で僕に言った。僕は冷たい疲れで自分のお尻を壊した。

 

すると健次は小さく舌打ちした。キャンプと言えばジェイソンの命日のテントスラッシュシーンだということに異論はないが、キメているドラッグの質が中庸なのが気にかかることを指摘したら、健次はスラッシュが無いまま永遠とあの状態だということを説明していたのだが、どういう状態なのかがさっぱり分からなかった。あの状態とは?そこで僕はハッとした。イカないで永遠と激しい騎乗位のままか。あんぐり口をあけて受精する様は鮭の受精のようだ。

 

あれだけ気持ちよさそうな受精をした際にできた子供は人口の何パーセントぐらいなのだろう。いずれにしてもことの発端は健次にある。キャンプに質の悪いドラッグを持ち込まなかったら正雄はおかしくならなかったのだ。健次のコンドーム嫌いは有名でゴムをしたふりをして中出しするのが最高に気持ちいいと言っていた。その話の腰も折ってやった。

 

健次はきょとんとした顔をした。僕の言葉を聞くなり健次は噴き出して笑った。反省していない態度にだんだんと呆れが途方もなくなってきた。永遠にキメセクでもやってろと思った。どうせお前は縞模様をなした一種のグリザイユを相手にすることになるのだから。その画面はと言えばお前の眉毛を延長したところにある、だがたえず左側に偏っていくほどいびつなあの同じ空間の一部を依然としてなしている。

 

そう僕がきつく言い放つと健次は小さくため息をついた。面倒くさそうな顔を浮かべて去っていった。愛子がベンチで本を読んでいた。悲しい本でも読んでいるのだろうか。どことなく表情が寂しげだ。しかし凄く本に集中している。彼女の場合、余白のことなんて気にならないのだろう。そうだ。彼女のこういう姿を見るからなのだ。お前は読んだのか?と自問したくなるのは。

 

いや、自問ではなくて頭に直接聞こえる声と文字が同時に自分を支配する感じなのだ。それで本の余白のことが気になって、その中で愛子は本の周りを浮遊する。僕は全体をひっくり返したりすぐに目覚めたりせずにこの空間を見つめ探ってみることはできる、だがそれは全く興味のないことだ。

 

「あたしはね、ふしぎな出会いには必ず意味があると。頭が痛くて眠れないそうだけど」

 

「いつ頃からなのかな?」

 

「ここ数日です。いろいろ悩みが多くて」

 

「うん、なるほど。その悩みはどんなことかしら?」

 

「好きな子がいるんです」

 

「その子に好意は伝えたの?」

 

「タイミングが掴めなくて」

 

Booze as muse。肝臓が壊れない程度にな。言葉が舞うようだ。酔うと。掴みたいだけ掴みなさいという感じだろう。

 

彼はフロックコートの袖を引っ張られるような感覚を覚えた。

 

「あたしがわからないのか?」

 

彼は怪訝な顔で彼女を見た。

 

「でもね、一緒にお昼を食べるんですよね?」

 

彼女は彼の腕を取り、嬉しそうな口調で言った。

 

「覚えていますか?」

 

いや、覚えていなかったのだ。クセナキスのライトモチーフに気を取られ、それを歌おうとすると、頭では歌えているのに鼻歌では歌えないということに気づくのだ。また病気か?と声をかけたそうだよ。

 

「ねぇ、どうしてあたしたちは夜中の11時27分にここにいるのでしょうか?」

 

「アポを取ったからでしょう。いつだったか忘れましたけど、僕はあなたにそばにいてくださいというようなことを言ったと思うんです。ただそれだけなんです」

 

「実際、疲れるんです。なんということでしょう、世の中には狂人しかいないのですね。あなたの名前は?」

 

「祐樹」

 

そして愛子は再び物語を始めた。ギャンブル好きな彼女は、競馬を熱心に追いかけ、全財産を賭けた。長い間、競馬場の儲けで生活していた。今日は50万円稼いでも、翌日には40万円負ける。