行方不明の象を探して。その207。

彼女には弟がいて、ある晩、典型的なに全財産、100万ほどを盗まれてしまった。突然のことで、働く気にもなれず、ダラダラする生活が続いた。酒を飲んでは空想の世界に入り浸った。弟曰く、酒はね、現実と夢と空想の世界を曖昧にするんだよ。素面だとね、これが現実でこれが空想だっていう確固たる区別があるだろう?区別をしてしまうんだよね。

 

だからタロットは何の役にも立たなかった。カードの数が多すぎて、理解するのが難しいと感じた。タロットカードの意味を暗記するだけでも一苦労だし、でも暗記は良くない!なんて書いてある本もあるし、まぁその辺は友人や家族に手伝ってもらったりなんかして、カードをテーブルに広げて、タロットの本を読みながら各カードの意味を解説したりなんかした。

 

新しいタロット・カードを手に入れ、本なしで占えるようになるまでには、2、3年かかった。カードを読むたびに本を見るのではなく、カードそのものを理解する方がずっと簡単だと感じた。その境地に至るまでに3年もかかってしまった。ただし、酔っ払うと、それは関係なくなる。マルガブが言っていたように、ユニコーンも想像可能だということでそれはぶっちゃけ存在するって言いきれちゃうんだって。

 

でもマジなんだよ。酔ってる世界のほうがマジなの。素面の時は理性に縛られてる。言語とかね、言語なんて死んでいるでしょう?」ある日、自分はは考えている以上に、自分がカードから読む内容が他のどの本にもないことに気づいた。それはすべて自然に私の心に現れてきたものだった。

 

「おお!やっと、救われました!朝はチョコをあげるよ、ゴディバのチョコを。強いですよね」

 

ともう一人が答えた。

 

「言葉を短くする方法がまだ見つかっていないのが残念です。早く行くために、最初の音節を発音すればいいのでは?それについては、後ほどお話します」

 

「そのことをお話ししましょうか」

 

「ああ、そうだ、エデンだ、思い出した。じゃあ、ダンスはわかるの?それとも閉じちゃう?一旦?」

 

「彼はクレイジーです。ガガガですか?酔っているのか?」

 

「酔ってるとも。それが普通だってさっき話したでしょう」

 

「そんなの聞いてない」

 

「そして彼女は彼の神を愛おしそうに手でなでた。

 

早足で歩く姿は、まるで「エジプトへの逃避行」の主人公のようだった。と言ったそうです。モーゼだったら髭なのにね。

 

「出エジプト記のエクリチュールは生だそうだよ」

 

「速く歩くことほど美しいことはない。すべての人は、両足に機関車、背中にエンジン、足元に車輪を持つべきである」

 

愛子はタバコを吸わない太った男がやっている小さなレストランを知っていた。まさに食事をしていたのがこのレストランだ。キッチンへの入り口は二重扉になっていて、この仕切りにはすりガラスの小窓があって、とてもエレガントな雰囲気を出しているのにも関わらず、それは全く客には見えないところにあって、客はテーブルクロスのないテーブルに座って、テーブルに刻まれたメニューからオーダーを選ぶ。ガスの代わりに蝋燭が使われていて常に店内は薄暗い。

 

そんな状態から蝋燭でテーブルのメニューを照らしながら苦労してオーダーをしなければいけないシステムになっていた。でも彼らは、カードから読み取った内容は本当に正確だと言い張った。その時は、自分にタロット・カードを読む才能があるのだと理解していた。

 

私はカードを読むのを何かの特別なサイキック能力だなんて思っていませんでしたし、まして自分が霊能者だとは考えてもいませんでした。酔うと言語が生きるような気がするのはね、虚構と現実の境が無くなるからなんだよ。こっちのほうが正しいんだ。でもずーっと酔ってるわけにはいかないだろう。いつか体を壊すからね。だったらさ、なんで人間は牢獄に捕えられているような素面っていう状態が通常状態になってるんだ?って話だよ。

 

パンドラの箱を開けちゃえばいいんだろう。考えてもみたまえよ。想像とかさ、いやさ、現実が虚構だということだけが分かっているのが素面の状態なんだったらさ、酔っぱらっているときは何が虚構か?なんていう概念すら吹っ飛ぶわけだろう?だから想像の世界もリアルの世界も同じになるんだけど、しつこいようだけど、それが正しい世界の見方なんだよ。

 

なぜこのような予期せぬ違和感を覚えるのだろうか。軽率な行動はしたくないじゃないですか?せっかくの休暇が台無しになるような、かといっても台無しになった休暇とは何か?と言えば、ただ暇なだけの空虚な時間というような、そういうものはいつしか予告なく突然終わるものでしょう。

 

僕らを隔てる空間がないために、距離は縮まることも、伸びることもない。象を待つことができなくなったときに、やめざるを得ないときがあった。象の不在は危険という概念そのものだろう。文章が意味を持つようになるのはいつのことなんだろう。象がいなければ僕は書かなかったと思う。

 

象は神でも動物でもないが、神聖な存在であるはずで、彼のために僕は、というより人は書くようなものだし、かといっても人が象を認識しているとは限らない。それどころか性質や正体は誰の知るところでもない。書くことでしかその存在は分からないから、少なくとも僕は書き続けるのだと思う。

 

でもどう関わればいいのか。象の性質が故に、何を書いていいのか分からなくなって、しまいにはどう生きていいのかが分からなくなってくる。どう呼吸をすればいいのかが分からなくなってくるし、何のためにトイレに行くのか、シャワーを浴びるのか、全てにおいて「何なんだこれは?」という感覚が付きまとうことになる。

 

無限のように見える大量の文章が、波の音とともに転がり、すべてを包み込むようなつぶやき、ほとんど知覚できない惑星の歌声のように聞こえてくる。ヴァージニア・ウルフの「波」はそういうものだろう。あれはそういう光景があるのではなくて、書こうとするからそれが現れてくるのだ。でもそうすればいいのかが全く分からない。キャッチできたときに書くしかない。最近はその距離感を決して悪いものだとは思わなくなった。

 

今、この瞬間、異次元の自分、ハイヤーセルフは宇宙的なガイダンスを僕たちに投げかけ、謎めいた冒険へと誘っているわけだ。その存在は常に存在しており、僕たちは無自覚ながら常にハイヤーセルフとつながっているのだ。スピリチュアルな能力に拘束されることなく、多くの人が抱く直感やひらめきは、実はハイヤーセルフからのメッセージなのだ。この感覚は、日常生活の中に潜んでおり、共通の特徴がある。

 

ハイヤーセルフの周波数は、リラックスや安心した状態、そして無になった瞬間に表れる。つまり、ぼーっとしたり、夢中になった瞬間、寝ぼけたときやお風呂で浸かっているときなど、これらの状態がハイヤーセルフとの直結を促進する瞬間だ。アトランティスの転落の前に起きた複雑で劇的な出来事が、現代の私たちの生活に影響を与えているという。それにより、私たちはこの地球において特殊で奇妙な現実を経験しているとされる。

 

読んでいる本の中では「仮想リアリティ」や「ハイヤーセルフ」などの概念が絡み合い、抽象的な哲学的アイデアが散りばめられている。また、アトランティス時代の出来事やヒンズー教のプラーナに関する記述も、奇抜な小説のような要素を含んでいるようだ。

 

そこには空ではない空があり、高尚で落ち着いた感じがあり、不明瞭な束縛の苦味もある。僕が読んだり、書いたりした特定の言葉が、象自身の言葉のために隅へと移動する。ある瞬間、象は黙り込み、別の瞬間には僕に気づいたとわかる。僕は象の部屋の前を通りかかると、彼が象のような咳をすると言ったが、象の咳とはどういうものなのかが分からない。あれが象の咳なのだろうなということしか分からない。僕は決して間違えてはいないと思う。

 

これは象に限ったことではない。例えば彼が長い廊下を進んでいるときでさえ、その動作は階段を上っているようで、とても遠くから来ているかのような錯覚を覚えるのである。彼が僕のドアの前で止まるときだけでなく、止まらないときでも彼の声だけを聞く。

 

背が低くても高くても、彼の特性は変わらない。扉の前に時間通りに来るという義務感から、自分のことを小さいと思うようになることに気づいたようだ。彼は本当にいい人だ。彼の酒の飲み方とか話の仕方とかね、自分が夢見るような本を彼をベースに作れそうな気分。ただの気分だ。実際的ではない。気分で本を書けたら苦労はしない。

 

彼は観客のことを考えずに思ったことやる人間の純粋な例だ。彼が書いたらしい本を、もう3年ぐらい研究しているのだが、何も理解できずにいる。多少は理解しているのだろうが、思うような理解ができない。でも「思うような理解」というイメージが浮かんでいるから、それが正しいのだろう。

 

彼の部屋の揺れる本棚の後ろに秘密の階段が隠されていた。しかも、その隠し階段は小さかった。早くここから出たいという気持ちが大きくなる一方で、ついに夕食中のある時間、彼は立って、もうすぐ出なければならないことを一人で説明し、秘密の階段に向かって歩き始めた。

 

でも恐らくピントはズレているのだろう。僕が読んだものはすべて間違っていると思われる。いい読み物だけどね。どうして正しく読めないのだろう。イライラするとモンスターハンターをやりたくなる。数体モンスターを刈って虚しくなってここに戻ってくると、やはりいるべき場所はここだと思うのだが、一向に出口のような、もしくは終わりのようなものが見えないし、何がなんだか分からないので、心がおさまることがない。またそれで書きすぎてストレスを溜めて腰が痛くなるのだろう。