行方不明の象を探して。その218。

夜風が出てきたようだ。西側の窓にかかった白いレースのカーテンが揺れ、その裾が部屋の中へなびいている。僕はその動きを、テーブルに両手を置いた姿勢で、見るとはなしに眺めている。僕はアンモニア臭い公衆便所に一人だった。彼女は二階だ。すでに床についている。テーブルでは一本の蠟燭が燃え、その小さな炎があたりを照らしている。色々と考えながら僕は炎を見つめていた。赤と黄が混ざった色をし、かすかに揺れている。ふと、炎が二重に見える。そして、歪む。にじんでいく。アンモニア臭のおかげで頭がズキズキしてくる。

 

手元にお金がないからこうして公衆便所で親の仕送りを待つしかない。でもなぜか場所はマンハッタンのアパートだと分かる。でも具体的にどこなのかは分からない。起き上がろうとしても起き上がれない。そうだこれは夢なんだと思う。そして眠りにつくと、しつこいぐらいの畳の匂いに包まれた部屋で寝ていることに気づく。ここでは全く家賃のことは気にならない。しかし和室がある家に住んだことはないので、やっぱりどこだろう?と思ってしまう。

 

起き上がろうとすると先ほどのマンハッタンのアパートと違って簡単に起き上がることができる。そして異様に長い廊下を歩くと誰かの気配がする襖が異様な密度で並んでいる。でもここはマイホームだから幽霊だとか怪物だとかが寝ているわけがないと思いながらも、襖を見ただけで感じられる、邪気とは違う、ただならぬ雰囲気に恐怖を覚える。

 

ここで原点回帰!赤いペンを示す記号である。いつも七転八倒しています。眠りの一番低いところから一番遠いところまで。説明、眠りの一番遠いところは、このワークポールが作動して、大きな力と深みを与えてくれるのです。上半身は巧妙に隠された体験が、ほら、僕だけが見てるんじゃないんだから。ご不明な点、ご質問等ございましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

 

そうこうしているうちに、僕は自分自身の物語にたどり着いた。僕たち全員を貫いているはずの円環を見たのは、おそらくこれが初めてだった。そのことを知らされたのは、全員が通過したはずの輪の周辺に自分を置いてみたときのことだった。力が僕たちを形作る組織であるならば、その組織を支え、養い、活気づけるものは何なのか。

 

確実な瞬間に必然的に消えるべきもの、かつて叫びの中にあった「ディラックの海」と呼ばれるものに身を投じるべきもの。それはその答えが凝縮され、様々な形で向けられるべき瞬間である。僕を様々に方向付けるべき唯一の言葉、他の既知の言語には存在しない音節、口は曲がりくねった起伏のある線をたどり、眼下を次々と登っていく。僕は途中から、その道に入った。道は果てしなく、孤立しているように見えたが、それでも円弧は、最初の一歩が届かないほど遠くにある。

 

でも恐怖を覚えないようにしないといけない。なにしろここはマイホームだから。廊下の突き当りに箪笥があるので開けてみると防臭剤と古い家独特の匂いが混ざったものが鼻を貫く。貫くというほど大げさな匂いではないのに、匂いそのものというよりも、概念的な威力が大きい匂いという感じである。

 

その匂いのあまりの具体性にこれは夢ではないと気づく。しかしここはマイホームではない。住んでいるアパートでもなければ、実家でもない。家の全体像は分からないのだが、古い日本家屋だということが分かる。和テイストの温泉に行くとずーっと匂うあの和の匂いがする。でもそれは安心するような和ではなく、何か恐怖を想起させるような和だ。

 

でもマイホームだからこんなことがあってはいけない。だってその和に心を乱されてしまっていてはここで暮らしていけないではないか。襖の先に何が居ようが構わない。ここはマイホームなのだから。そう思ってだだっ広い寝室に戻って布団に入ると一瞬で寝ることができた。

 

それはつまり自分の意志に反して参加せざるを得ないようなことが起きようとしており、僕はますますその虜になりつつある。この二つの平面には、実はいろいろな場面、連鎖的な動作、はっきり発音される音、間、言葉などがあり、その一つが「塵の平面」の消失である。

 

この第四の面は、いわば空虚につくられるもので、この面のおかげで、言葉が聞こえ、身体が見えるのである。それゆえ、僕たちはこの表面を忘れがちであるが、もしかしたらそこには幻想や錯覚があるのかもしれないし、おそらくそこに錯覚や錯誤があるのだろう。だからといって、人は簡単に表面を忘れることができるわけではない。

 

実際、人があまりにも安易に舞台の窓と見なしているものが、ものの形を歪めるパネルであることに変わりはないのだから。それは、不可視と触覚の不透明なヴェールであり,他の二つの面の抽象化あるいは反射鏡として機能する.

 

それは、不可視と触覚の不透明なベールであり、他の2つの表面に対しては抽象化または反射鏡として機能し、外部に対しては不可視と触覚のベールとして機能する。それは影絵の現像板であり、同時に向こう側に書かれているものを遮断し、結晶化し、乱暴にブン回していく。

 

場合によっては画面の向こう側に現れるかもしれない人間は、自分が言う存在である。その存在が自分の技法を逆方向に辿りながら、自分の言葉を発音しているようなものであって、二人は互いに恋をしているわけでも、これに恋をしているわけでもないのだが、それが今の膠着状態の原因ではない。

 

そうするとまたニューヨークのアパートに戻っている。「どちらが夢なんだ」と思うより先に「家賃を払わなきゃ」と思ってしまう。だったら地下に住めばいいや。地下だったら少しぐらい家賃を滞納しても、まともなアパートとよりかは催促してこないに違いない。

 

二人も笑い合った。動物園の厨房にリンゴがある。いや、そんなことはないんだ。逆なんだよ。逆なんだよ。川へ行くんだ。俺は通りからブロードウェイを下り、タイムズスクエアで左に曲がった。この街がどれだけ京都に似ているか、教えてあげたいですね

 

もうずいぶん歩かされましたよ。人間には、区画整理された町が似合う人と、区画整理されていないのびのびとした町が似合う人とがいるんです。そして、海辺が合う人、川辺が合う人、山の麓が合う人……。どこに住むかは、習慣の問題なのだ、と俺は声に出して言った。どうだろう。わからない。わからないんです。同じことなのか、違うことなのか、よくわからない。

 

ニューヨークにいて、自分の20年間がいかに短かったか、そして、いかに遠回りをしてきたかを思い知らされた。そしておそらく、これから先の時間の長さも。俺は宙に浮いたまま斜めになった視線を落とし、再び外に目を戻すと、彼女の髪の香りがする。建築資材の残骸と男性用ヘアスタイリング剤を混ぜたような東京のタクシー独特の匂いとは違う、もっと荒々しい匂いだった。輸送車の荒々しさが心地よい、黄色い車。イエローキャブ。

 

調べなくていいんだ。行けばわかるよ。ちょっと厚めにスライスして、軽く焦がした生姜だ。豚バラ肉で巻いた生姜をやや厚めにスライスし、表面が泡立つまで軽く焦がしたものを受け取りながら、店員さんに尋ねる。プレーンで見たほうがいいんですか?ああ、そうですね。そう、先入観がないんです。どんな人なのか、先入観を持ちたくないんです。どんな人なんだろう?

 

どんな人なのか、イケメンなのか、知ったら見たくなくなると思うんです。油汗で火傷しないようにね。鉄板で焼く汗をかいた肉の煙と濃厚な油のにおい。公園前の熱々のドッグの屋台の匂い。

 

街の匂いがする。最初に感じるのは、街の匂い。街の触覚の違いは、それほど耐えられないものではない。目に映るものに沁みる違いがあるとすれば、それは景色そのものというより、光である。この衒学趣味に心を奪われて以来、曇天の午後と夜が楽しみで仕方がない。それぞれの路地をリフレッシュしてくれる森と、夜の空気を冷やしてくれる雨を楽しんでいた。

 

だから地下室を選んだのだが、そこは地下牢のような場所で、人が住むような場所ではなくて、まさに地下牢とか地下の牢獄という名が相応しいような場所で、洞窟に地下牢を無理やり張り付けたような雑な造りになっている。

 

こんなところで暮らすのか。大家はどういう人なのだろう?家賃の催促が来るのだろうか。そう思って地下牢を上がって大家の家に忍び込んでみると、そこは豪邸というよりかは、昭和の温泉旅館のような場所で、見えたのは一部だったのかもしれないが、その見た一部では昔のアーケードゲーム機が並んでいて、昭和の温泉旅館にあるゲームコーナーそのものがそこにあるのにも関わらず「大家はゲーム好きなんだな」と思う。

 

なぜだろうか?さっきの日本家屋に戻ったほうがいいのだろうか?マンハッタンのアパートには戻りたくないし、なぜかあそこではベッドから動くことができないし、女性の気配がオカルトっぽくて怖い。いや、それが魔のものかそうでないかはすぐに分かる。マンハッタンのあの姿の見えない女は魔のものではない。でも動けないという状況の中で見えない女がベッドの回りをウロウロするというのはシチュエーション的に完全にホラーだ。

 

でも全く怖くはない。それよりあの場所では家賃のことが気になるし、親の仕送りが振り込まれているかどうかばかりが気になってしまう。そんなことを考えていると体の臍のあたりまでがマンハッタンのアパートで、臍より下は例の日本家屋にいるという状況になっている。

 

アスファルトの上を川のように流れる夜空の雨と突風。私は笑顔の中にいた。お義父さんは?先に帰ったよ。忙しいのよ。私たちは首を横に振って否定した。見ず知らずの、ましてや男性と肩を並べる時間だった。私が言い返すと、二人はまた笑った。何がおかしかったのかわからないが、細長く伸びた。彼が私の代わりに投げた石は、私が驚くほどの強さで戻ってきた。彼の存在によって私は自分自身を失い、もっと多くのものを失った。彼に近づくことを試みる際の障害は、彼と彼がどれほど私がすでに消えていたかを見せることによって私を傷つけた。


彼の目の中で、私たちが接近しないように、彼は閉じた目の予備を求めた。彼の話すことは実際に私から私を取り除き、私が誰を傷つけているのか、その傷が何であるのかを知らなかった。彼の無邪気さは、外側は驚くほど滑らかだが、内側は非常に硬い。彼が私たちに何かを加えたのは、彼が何かを欲していたからだ。お椀が並ぶと、どこからか匂いがしてきた。親しい友達もいない私が、これが女の子のものだと驚いた。挨拶くらいはできる。「よかったら食事でもどうですか」と声をかけたが、どう考えても「何かある」と思っていたので、ちょっと嬉しかった。

 

「さあ、あなたも行きましょう」

 

というイメージを映し出すはずだった。私は止まっていることに気づかなかった。私はただ、本当に理解できるところから抜け出したかっただけなのだ。人を笑わせることができる人よりクマの方が多いということだ。こんなことを感じたのは初めてだった。私の何がいけなかったの?私は彼と一緒にいたかった。この2日間、私は私と一緒に到着するまでに?今回、どこに座ろうかと悩むことはなかった。私が変なのではなく、村が変なのだ。 だから人と会うだけで息苦しく感じた。それなのに、どうしたんだろう......私の感情はぐちゃぐちゃだった。