行方不明の象を探して。その217。

あれ以来、家のディティールを思い出すフェチになってしまったと思ったのだが、空き巣フェチになるとしょっちゅう犯罪を繰り返すことになるのだけど、そうはならなかったのが本当に良かったと思う。実際は彼女のスニーカーを盗んできて、それをオカズにはぁはぁして、実際に毎年そういう輩が逮捕されているでしょう。家に学校から盗んだローファー何千点とか。あれは靴フェチにとってのドリームで、一般的には

 

「うわー気持ち悪い」

 

と思われても、靴フェチのやつだったら

 

「本当にありえないよね」

 

とか言いながら実際は羨ましがっているし興奮しているわけだ。しかし愛の盗賊はどうだろうか。この新たに見つけた性癖の再現性が無いことに非常に悩んでいる。もしかしたらそれはさっきも言ったかもしれないけど、人の家に侵入して彼女のスニーカーでオナニーしようとしているというドキドキ感と違法行為をしているというスリルがごちゃまぜになって興奮したように思えるだけのことなのかもしれないけど、でもそうだとしたらそういったスリルは時間と共に消え去って行って、新たにスリルを求めるためにまた新しい家に侵入してドキドキしなければいけなくなる。

 

でもそういうことではないのは、そのドキドキ感やスリル感抜きに、家のディティールを思い浮かべるだけでペニスがギンギンになってきて、しかもそれが普通のAVとか大好きな女性のブーツとかスニーカーでオナニーするときよりも何倍ものペニスの屹立っぷりで、あまりにペニスの立ち方が激しすぎるから、裏筋が痛くなってしまうぐらいなのだ。

 

部屋のディティールを思い出しながらオナニーをしていると白昼夢から出られなくなるループに巻き込まれることが多い。どこかで寝ていて、見えない女らしき気配が回りをグルグル回り、妙にドライな口づけをしてきた。一回だけ。妙に蒸し暑いのに、払っていない家賃のことが気になる。家賃を払ったことなんてないのに。いや、払ってはいるけども、銀行からの引き落としだから、払っている感覚はないし、貯金は増える一方なので、全くそんなことに気を向けることがない。

 

白い道は白く、夜の帳が降りようとしていた。こうして、門の扉はアーチ型になり、華やかな雰囲気の底に、風の音が響くようになった。門の扉はこうして弧を描いて消え、爛漫の底を埋めていたが、モの緩慢と荘厳も崩れた。しかしそこから世界の断片を見ることができた。一歩下がって世界を眺めるのが一番だ。絶えず存在し、生成されるこの断絶は、裏返しになる前に、僕たちが見ている死んだ表面の中に分散して深く入り込んでいるのである。

 

彼らは今話しているが、彼らの沈黙の中に何かが残っている、ここで彼らが表現しているのは、存在であり、反射なのだ。いや、まったく逆です。こうして僕は実際に起こっていることについて書いているのであって、言うまでもなく、ただそこにいることは不可能なのです。そこにしがみつく理由も立ち止まる理由も全くないのである。

 

こうしてテキストは中断され、折り畳まれ、エンドレステープに録音されたかのように声が蘇るとき、 過去は過去として、未来は未来として、自分のやりたいことをやるための力を与えてくれる。

 

僕が人に積極的に会うのは珍しい。彼らは自分の本当の姿を知っていた。僕はもう嘘をつくのはやめようと思った。それは人につく嘘ではなく自分につく嘘だ。自分を偽るというには大げさすぎる。そこまでのことはしない。でも嘘はついていると思う。こんな何の説明にもならないことを考えながら鏡の前でため息をついた。夜が明けると、僕はもうその部屋の窓から日の出を眺めていた。地球上のどの地点から見ても、僕がここにいるのはそれなりの理由があるのだ。

 

古典主義の語彙から、生きる情熱を意味する抽象的な言葉をすべて削り取り、抹殺した。嘘をつかないとはこういうことだ。そしてそこから力を抽出する。抹殺したものをバイタリティに置き換えた。窓を開け、星を数え、星に変な名前をつけるのをやめた。今は、大きな滝の上を綱渡りするように、眠りに落ちていた。いや、大滝の上を綱渡りしていて、落ちる瞬間に宙を舞うという夢は見ていない。

 

ロマンチックな語彙や人生の倦怠感を表現するファンシーな単語を考えることなく、僕は忘れること自体をを忘れていた。そうなると僕の周りの世界は一気にシンプルになる。純粋なもの、幸福なもの、徳のあるものはすべて、永遠に若さから切り離され、劣化していく肌のように、すでにほとんど虚無に縛られているのだ。

 

悲しみや喜びの本当の疲れを二度と味わうことができないことに疲れた僕は、ようやく人生に蓄積された子供じみた行為の重みを全て捨て去った。絶望や感動の希望は全て奪われた。

 

室内は暗い。狭い台所から部屋に入ってすぐの壁に僕は手を伸ばす。指先がスイッチに触れる。天井の蛍光灯が瞬いて、灯る。六畳ちょっとの部屋が目に現れる。片づいた部屋だ。フローリングに二畳分ほどの絨毯が敷かれ、その上に、冬にはこたつになる、モノクロの机が置いてある。部屋に飾り気はほとんどない。机の他にはパイプベッドと鏡台、それから小型のテレビ。画面にはキチガイがはじめたある国の戦争の様子が映し出されている。部屋着に着替えた僕はクッションに腰を下ろし机に頬杖をついている。いつのまにか、画面の中が変化している。

 

昼下がりの時間帯。賑やかな大通りから歩いて10分もしないうちに、人々の姿は消え、閑散としたさびれた街並みが続いている。さびれて灼熱に煤けた町並みが、通りの隅々からしみ出てくるのが美しい。ちょっとだけ道を外れたところにあるここには、混沌も秩序もない。澄み切った,霞んだ,哀愁を帯びた,無邪気な世界だ。過ぎ去った日々の夜明けを思わせるような、心地よい砂漠に出会えるとは思ってもみなかった。砂漠に咲くリンゴの花の香りが身に染みる。

 

公園と通りを隔て、ひしめく無数の菱形の空洞が鮮明である。通りを歩きながら、公園と通りを仕切る銀色のネットのフェンスを右手に見ていると、その前に痩せた老人がいる。こげ茶のツイードジャケットにおそろいのタイツをはき、杖をついているが、歩みはゆっくりで、ときどきアッという間もなく、控えめな声で鼻歌を歌っている。

 

ハンチング帽と同色の敷石が、重厚かつ滑らかな色調で支配された建物の東側に沿って配置されている。この建物は街道沿いにあり、アルファとベータから骨まで水に浸かっている。建物から出る煙は、宇宙の力を象徴している。痩せた老人は歩道の両側に、通行の邪魔にならないように、ちょうど真ん中あたりに立っていた。

 

切り裂かれた瞼の間、心の深い黒曜石の瞳はまっすぐ前を向いている、まるで自分の子供の名前を呼んでいるかのように。僕は通りを渡り、鮮やかなターコイズブルーの手すりに足をかけた。手すりに手をかけて階段を上ろうとする老人のやつれた背中が見えた。僕はふと、彼の上着の裾を引っ張った。だから、あの日の空、あの日の天気については、別のイメージを呼び出すのはやめて、感情的な表現を使うことにしよう。あの日は心底嫌になるくらい、よく晴れていたっけ。

 

もちろん、僕にだけ晴れていたというわけではない。見渡すかぎりの空の下にいる人たちに等しく、それどころか天気予報では日本中が快晴だと言っていたから、日本のすべての人々に等しく、鮮やかな青を見せていたはずだ。その青を、僕は三十センチ四方ほどの小さな窓から眺めていた。

 

自分の容姿の劣等感と、うまくしゃべれないことが気になって、会話が成り立たない。ないですね。同じようなものです、私は尖ったドアに言い返した。何かを急いでいるうちに、彼のささやかなライフスタイルを垣間見たような気がして、彼の話すことが不自然に散らばった後に、彼女がきんぴらごぼうを作ったり、豚肉を温め直したりしている間、私は少し、いやかなり落ち込んでいたかもしれない。膝の上のそれの上に。

 

私たちがもっと一般的な存在に置き換わる時、「私たち」や「何か」が現れる。いや、それが象なんだけどって言ってしまえば全て終わるから終わらせるわけにはいかない。何しろ「私たち」の存在は明らかだが「象」はイマジナリーなだけで明らかではない。書くことで近づくしかない。

 

部屋もないのに「入ってきた」のは私だ。象ではない。初めて会ったときから、鼻ヒレと尾ビレを取り合いしていた。でも、今思えば、もうこれ以上ないのかもしれない。 あんなに長い時間、朝はスーパー、内側は千の微細な硬い水晶の端で構成されていて、誰にも共有されないし、誰の中でも癒されない。お互いに豊かにし、無知によって私を豊かにした。彼が私たちに好奇心を持っていた。

 

そして私たちは白い小鳥を手にした彼女のところへ向かった。彼はまた私がいた場所で忙しくしていた。二人はテーブルの上で同じように笑い、私の舌で肘でうどんを突き合い始めた。帰り道の暑さで痛んだ上顎の彼が、薄い膜を撫でながら微笑んだのはその翌日だった。今だってそうだ。こんなに雨が降っているのに、平気なんですか?濃い色の傘が並ぶ中、雨だけがさっきよりずっと強く降っていた。